ハスが咲いた/lotus@my garden


ハスが咲きました。
去年は咲かなかったので、今年もダメかなあ……と思っていたのですが、きれいな花が二輪、咲きました。

ハスの花を見ると、やっぱりちょっと非現実的な感じがします。
その大きさ……支える茎の細さと長さ……にあまりにデカイ花。

そして、色。とくに、陽の光に透けたときの純粋な色っぽさ……
よく見ると薄い黄色からマゼンダ系に変化するのですが、中間に赤がない。
淡い黄色がさらに淡くなり、白になり、ほのかにピンクが入ってきて、それが徐々に濃くなる。
慎重に、「赤」を避けているようです。

ハスは植物なので、ヘモグロビンの赤は避けるのかな?
まあ、世に「赤い花」はいろいろあるから、そういうリクツも成りたたないか……

ハスは、二万年前に太平洋に沈んだといわれるミュー大陸を象徴する花。
そして、古代エジプトで、神殿の柱頭にその姿が写された花でもある。
あるいは、お釈迦さんが座っているのを「蓮華座」ともいいます。

ミュー大陸に咲いていたハス……古代エジプトに咲いたハス……古代インドのハス……そして今、うちに咲いているハス……
私は、そのいずれを見つづけていたのだろうか……

時間のふしぎ、空間の当然、そして生命……
なにか、宇宙を支える花……のような風情もあります。

ハスは、英語では「lotus」ロータス、ですが、その語源は古代ギリシア語の「ΛΩΤΟΣ」(lootos、ロートス)のようです。
ただ、このギリシア語の「ロートス」の中には、さまざまな花が含まれていて、今でいうクローバー( clover , trefoil )も「ロートス」です(というか、古代ギリシアでは、もともとこのクローバーがロートスだった)。
また、古代ギリシアの植民都市キュレネ(Cyrene)のロータスというのがあって、これはナツメ(jujube)だそうです。実を食用にしたとか。
そして、エジプトのロートスは、「ナイル川のユリ」ということですが、どうやらこれが、今のハス?
あるいは、スイレンみたいなものだったのかもしれませんが……


今年のハスのいのちは短かった。3日で散りました。

超弩Q戦艦ぶんぶく/Battle ship of Super Dreadnoughts class Bun-bouque


超弩Q戦艦ぶんぶくの物語……といって、絵だけできていて、物語はまだ全然できていないのですが、「癒しの戦艦ぶんぶくの物語」というサブタイトルもできてます。

あ、それと、艦長の茶釜吹(ちゃがまふく)のキャラも……


フツーの戦艦は大砲から弾を打つのですが、癒しの戦艦ぶんぶくは、急須の口からお茶の煙を吐きます。まあ、熱いので、直接かかるとやけどくらいはするかもしれませんが……

ちなみに、「超弩級」ってなんのこと?ということですが、これは、調べてみると、イギリスが1905年に建造した2万トンの戦艦、ドレッドノート(Dreadnought)に由来するようです。

戦艦ドレッドノートは、「単一口径主砲」と「蒸気タービンエンジン」の二つに特徴があって、それまでの戦艦の性能を大きく超えるものだったため、これ以前の戦艦はみな「前ドレッドノートクラス」と呼ばれるようになったとか。

逆に、このドレッドノートの性能を大きく上回る艦が建造されると、それらは「超ドレッドノートクラス」、つまり「超弩級」と呼ばれるようになったそうです。ちなみに「弩」は「おおゆみ」を表わす語だそうですが、ここでは「ドレッドノート」の「ド」に当てられています。

ドレッドノートの主砲は12インチ(305mm)だったが、それ以降、主砲はどんどん大型化して、ついてに大和や武蔵の18インチ(460mm)に至ります。計画では、各国にこれを超えるサイズの主砲を持つ戦艦の建造計画があったそうですが、時代の流れは大鑑巨砲主義から空母と航空機の時代に移り、巨砲の最大は大和・武蔵の18インチまでになってしまいました。

そして、時代はさらに大陸間弾道弾、潜水艦発射ミサイルの時代へ……男の子って、やっぱりどうしようもない生き物……なのかもしれません。

セカイケイ大臣?/sekai-kei-minister

失言でおやめになった復興大臣。ネクタイがエヴァ……
前の失言のときもたしかそうでした。
勝負タイ? なにか強い思い入れが……

お孫さんにもらったのをだいじに締めてる……くらいが一般的な解釈なんでしょうが、私はどうもそのレベルじゃないような気がする。彼自身が好きなのか……?

セカイケイ大臣。
エヴァ……エヴァンゲリオンは、マンガは一部読んだだけで、もっぱらアニメで知ってるんですが……放映後、社会現象になりました。
評論家の吉本隆明さん、エヴァのアニメを見ようと思ったけど、さすがに長い。それで、知人に、ポイントは何巻と何巻……と教えてもらってそこだけ見たとか。

テレビ版と劇場版があるんですが、両方見ました(私)。
なるほど……こりゃ、やっぱりすごいなあ……

主人公の少年シンジは、エヴァンゲリオンのパイロットとして、「シト」と戦う。
エヴァンゲリオンは単なるロボットじゃなくて、なんというか、生命体みたいなもので、パイロットと「同期」して、はじめてその力が出る。そういう設定。

シンジは、なぜ自分がエヴァンゲリオンに乗らなくちゃならないのか……その理由がわからない。
彼は、エヴァンゲリオンと「同期」できる数少ない人間なので、パイロットとしてはぜひ必要……なんですが、気持ちが揺れ動いて、その分「同期」も不安定になる。

ごくフツーの高校生だった彼が、父親(司令官)に、突然エヴァンゲリオンに乗るのだ!と言われる。エヴァを操縦して「シト」と戦って人類を守るんだ……と。
ここ、セカイケイの「世界系」たるゆえんです。

フツーの高校生なのに、その肩に、突然「人類の運命」がかかる。
彼の心は典型的なフラジャイルで、揺れ動き、千々に砕け、暴走する。
なぜ、ボクなの?
なんでボクが、人類の運命を担わなくちゃならないの?

自我の中に閉じこもる人間と、「世界」を担う人間……
その、あまりのギャップに、彼の心は耐えられない……

「東北で良かった。」
これ、あのとき、東北以外の人の、たくさんの人の心に去来した考えではなかったか……少なくとも、自分のところでなくてよかった……「あっちでよかった」と。
「自我」ですね……

あの大臣サン、正直なんだと思います。
フツーの人の、フツーのホンネを吐いた。
でも、彼は、大臣。しかも復興担当相。
コレ、困ったコトですね……

シンジとちがうのは、「なんでボク?」とは彼は思ってない。
「オレって、大臣なのよ」くらいに思ってるんでしょうけど……
心のフラジャイルレベルは、フツーの高校生程度だったってことでしょうか……

私自身はどうだったか……思い出してみました。
「ここでなくてよかった」
その思いは、正直ありました。
でも……
なんと……
「ここだったらよかった」
その思いもあった。
矛盾しているようですが……そんな感じでした。

まあ、順番待ちで、あせらずともほどなく来る。
シトが……

*エヴァのネクタイについて調べてみました。彼が福島に行ったときに、エヴァの版権を持ってるガイナックス社からプレゼントされたものだそうで……このネクタイ、ネットでも売ってるそうですが、今は品切れとか。

偽青/Fake blue


角を曲がると、テレビ塔が見えた。そのてっぺんになにやら青いものが……

テレビ塔は、名古屋市の真ん中の栄を南北に貫通する100m道路の中央に立つ、高さ180mの電波塔だ。できた当時は、その高さとテレビ電波を発しているというスゴさ?で、風下には置けない存在であったが、今はもう、かなりその地位も低下?した感が……なにせ、もう、テレビ電波は発していないそうだし……高さも、駅前のJRツインタワー(250m)に抜かれてしまったし……

でも、今でも栄地区ではいちばん高くて目立つ建造物?であるにはちがいない。その、テレビ塔のてっぺんにふわっとかけられた青いもの……

目をうたがいました。野外活動研究会の方々と一緒に歩いていたので、二三人にきいてみた。

「あの……テレビ塔のてっぺんに青いもの、見える?」

もしかしてもしかして、見えてるのは私だけかしらん? いや、絶対だれにでも見えているはずだけれど、なんかありえないような気もするし……

きいた人全員が答えた。

「見える」

つまり、私の錯覚でも妄想でもなく、アレはやっぱり「実在」だったのでした。


しかしまてよ……もしかしたら、みんなが同じ「妄想」を見ているということはないだろうか……共同妄想……

ここへきて、いったいなにが「実在」なんだろう……と思うわけです。というか、実在ってなんだろう……この世界は、なにからできていて、私は、この世界と、どういうふうにかかわっているのだろう……

私が死ねば、おそらくこの世界は認識できなくなる。私が死んでも、この世界はあるんだろうか……というか、夜、私が寝てしまえば……もしかしたらこの「世界」は溶けてなくなって……なにやら混沌とした原初のカタマリに戻ってしまうんじゃないだろうか……

というか、この世界で、なぜ、私は「私」なんだろうか……

テレビ塔のてっぺんの「青いもの」が、みんなに見える、写真にも写る……しかし、それだけで、この「青いもの」が実在すると言いきれるんだろうか……

なにか、うまいことだまされているような気がしないでもない。どっかでだれかが、巧妙な仕掛けをつくっていて、私も、野外活動研究会のみなさんも、この写真を見ているみなさんも、みんなうまいことだまされているんじゃないだろうか……

昔、「プリズナーNo.6」というテレビ映画がありました。どっかでこのことは書いたような気もするのですが……イギリスの諜報機関(エムアイシックス?)をやめた主人公が拉致されて、ふしぎな島に連れてこられて、そっから出られない……というお話。

その中で、印象的なシーンがあった。主人公は、いろんな手を使ってその島を脱出しようとする。なかなかうまくいかないんだけれど、ついに成功してロンドンに帰る……しかし、なにかがオカシイ……と思っていると、そのロンドンの街は、「機関」がつくった巨大なセットだった……

なぜそんなコトをするのかというと、たしか、「機関」は主人公からなにかを引き出そうとして、そんな面倒なカラクリをしかけるワケです。主人公は、はじめはちゃんとロンドンに帰れたと思って……あと一歩でワナにかかる……というところで、なんかヘンだな?と気がつく。そして……

ということで、この世界、だまそうと思えばそういうことも不可能ではない。私の目に写るもの、聴こえてくる音、感触、臭い……いろいろ、すべて、「センサー」は欺くことが不可能ではない。とすると「真実」というのはどこにあるのだろうか……

こういうのを「不可知論」というのかな? 確たる実在。それを求めて、人はなんでもやってみているような気がします。「痛み」の中にしか実在はないのだということで、頬をつねったり手のひらで叩いたり……したって、「痛み」がフェイクであるという可能性がゼロとはいえないような気がします。「実在」って、なんだろう……

なにが、この世界を「保証」しているのか……角を曲がるといつも見えてくる光景……それは、いつも同じのように見えるけれど、少しずつ変わっていく。大きな家がいつのまにかなくなって、駐車場になっていたりビルがたったり……

江戸時代の人が急に現われたらどう思うだろう……と、ありきたりだけれどそう思います。場所は同じでも、まったく見慣れぬ景色……ただ、遠くの山並みだけが変わらない……

じゃあ、名古屋みたいに、街中からは山がぜんぜん見えないところはどうなるのか……いや、そもそも、山並みも変わらないんだろうか……戦後すぐは、全国の山がかなりハゲ山になっていたという話もききます。樹をきって、燃料として使ってしまったから。戦後すぐの人がするっと現代にきたら、山が緑になっててビックリ……ということもありえるかもしれない。

そもそも、世界が「安定的に存在する」ということがふしぎです。小松左京さんのSFにこんなのがあった。宇宙のどっかに、「物理定数」を安定させている装置がある。その装置のダイヤルを回すと、いろんな物理定数が変化する……「光速」が1cm/secになってしまったら、いったいものは、世界は、どう見えるのか……今、私の目の前に見えるモニターも、30秒前の画像……

この世界の安定は、なんによって保たれ、なんによって変化するのか……テレビ塔の上の「青いもの」は今でもあるんだろうか……もしかして、真っ赤なものに変わっている? それはなんとなくなさそうな気がしますが、今どうなってるのか……なんとなく気になりますね。

うそかげのまど/Fake windows through pseudo lights.


うそかげ……ビルのガラスに反射した光がつくる、ウソのかげ……これは、名古屋の街の中心部のビルの谷間の駐車場の光景。向いのビルのガラス窓にあたった光が、みごとなうそかげのまどの列をつくっています。

山岸凉子さんの『妖精王』というマンガに、「月影の窓を開く」というシーンがありました。
主人公の少年、爵(ジャック)は、ひいおばあさんがイギリス人?で、1/8ハーフ? とにかく細身の美少年なんですが、彼が、ある夜、寝室にできた「月影の窓」を開く。
月光が窓から射して壁にできる「月影の窓」ということなんですが、その窓を開くと……そこは、妖精の世界ニンフディア……
こうして、彼の冒険がはじまる……
「月影の窓を開くんだよ」と彼にささやきかけた人がいた。
彼は、「月影の窓って、なんだろう……?」とずっと考えつづけるのですが、わからない。
ところが、ある夜、月の光が冴えわたる北海道の夜に、壁にみごとな「月影の窓」が……
このふしぎなシーン、よくおぼえています。

じゃあ、この、大都市の駐車場にできた「うそかげのまど」を開くと……そこは、どんな世界なんだろう?
うその世界? すべてが反転した世界? それとも……
空想は広がります。

マルセル・デュシャンは、彼の代表作である『大ガラス』の上部に、3つの少し歪んだ正方形のゾーンをつくりました。
これは……なんか、ハンカチを床におとしてできた正方形……だったかな? 「draught pistons」と題されていて、「銀河」と呼ばれるもやもやの雲の中にある。

このゾーンのすぐ右下に、下方の独身者たちから9発の弾丸が打ちこまれる。
すると、花嫁の内燃機関が始動する……そういうお話。

じゃあ、この「うそかげのまど」は、なにを始動させるんだろう?


太陽が雲に隠れると、うそかげのまどもうっすらと消えはじめます……


そして……陽の光がすっかり消えると、うそかげのまどは影もなくなり、フツーの、なんにもない駐車場に……

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うそかげ……ガラス張りのビルに反射した太陽光線がつくるウソの影。

これは、名古屋市の中心部を南北に貫く久屋大通とよばれる幅100mの道路にできたうそかげです。

久屋大通は、別名「100m道路」とも呼ばれ、真ん中に広大な緑地帯があり、その両側に幅3車線の車道(一通)が設けられています。もちろん、広い歩道も付いています。
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この写真は、中央の緑地帯から車道を眺めたもので、ここに、みごとなうそかげができていました。しかも、本当の太陽光によってできるホンかげと交差しています。

前にあげた写真では、階段の手すりのうそかげとホンかげが90°に交差していましたが、この写真では、街路樹によるうそかげとホンかげの交差が見られます。

道路中央の緑地帯のへりに植えられているのは常緑樹のクスなので、これによってできるホンかげは、広い面積をベタッと覆う、いわゆる「黒ベタ」状態。
これに対して、歩道の街路樹は落葉のケヤキなので、この時期には葉っぱはすべて落ち、幹と枝の織りなす綾が、緑地帯のクスのつくる黒ベタのホンかげのなかに薄青く流れている……なんともふしぎな光景です。

歩道の、ホンモノの太陽光線に照らされている部分は明るく輝き、ここにも本来は街路樹のケヤキのつくるうそかげが落ちているはずなのに、その姿はまったく見えません。ただ、ホンモノの太陽光線がつくるケヤキのホンかげは、くっきり見えています。

このように、うそかげというものは、ホンモノの太陽光線がつくる黒ベタのホンかげの中でしか存在できない、文字通りの日陰者……しかし、ホンかげの黒ベタを、この写真のケヤキの枝のように、美しく塗りわけてしまうくらいの力は持っています。

冬晴れの道に描かれたうそかげとホンかげの交錯……なんだけど、クルマも人も、なにも見なかったかのようにそれを踏んで行き交う……街の力によってできた希有な、美しい現象なのに、街はそれを味わうこともなく通りすぎる……今、宇宙のなかに、こんなにふしぎなものがここにあるのに……もったいないなあと、ちょっと思ってしまうのでした。

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ガラス張りのビルに反射した太陽光がつくりだす偽の影……うそかげ。

これは、うそかげとホンかげ(ホンモノの影)が交錯する、珍しい?写真です。
名古屋市の中心部を南北に貫く「久屋大通」というめちゃ広い道があって(幅100m)、その中央部が公園になってるんですが、その公園にアプローチする階段にできてました。

この通りの両側は、ガラス張りのビルが多いんですが、そういうビルに反射してできる階段の手すりのうそかげと、反対側の手すりを透過してできるホンかげが、きれいに90°に交差しています……といってもわかりにくい?ので、もうちょっと全体像をお見せするとこんな感じ。
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画面の右側の手すりに当たっているのはホンモノの太陽光線なので、明るく輝いています。
これに対して、左側の手すりに当たっているのは、ビルのガラスに反射したウソの太陽光線なので、なんとなく光にかげりがある。
ところが……
ややこしいことに、右側の手すりを透過しているのは、ビルに反射したウソの太陽光線なので、これによってできる手すりの影は、うそかげ。ちょっと青っぽい、弱々しい影です。
で、左側の手すりを透過しているのが、ホンモノの太陽光線なので、これによってできる影はホンかげ。
いずれの影も、画面の手前から奥にむかってできています。

……わかりやすくしようと思って説明しはじめると、ますますわかりにくくなる……
ということで、まあ、なんとなくいい感じかな……と思っていただければ……
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うそかげだけだと、こんな感じになります(手前にうっすらホンかげも見えてますが)。

ビルのガラスって、なんとなく青いから、これによってできる光も影も青っぽくなる。
これも、うそかげがなんとなく夢の中のような感じになる一因かもしれません。

巨大なビルのほぼ全面をガラスで覆う技術は、やはりカーテンウォール工法の発達で、はじめて可能になったのでしょう。
こういう建築技法の開拓者は、バウハウスのミース・ファン・デル・ローエだときいたことがある。
彼が、超高層ビルにこの全面ガラス張りの技法を施したのは、戦後すぐのことで、とくにニューヨークのシーグラム・ビル(1958)が代表作だそうです。
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鉄骨で頑丈な骨組みをつくっておいて、壁はその骨組みからカーテンのように垂らす。
これによって、壁面を全面ガラスにすることも可能となった。ガラスのカーテンですね。
結局、うそかげというものは、鉄とガラスを均質に、大量につくりだすことができる現代の技術をもって、はじめてこの世界に現われた……ともいえる。

大規模工業生産と、それを可能にする金融……
発電と流通、交通インフラ、そして、労働者を管理して、最高の生産性を上げさせる技術……
どれをとってもオソロシイ、大地や根っこからかけはなれていく指向性……
そういうものの彼方に、この夢みたいなはかない「うそかげ」が生まれる……

人間って、ほんとにふしぎないきものだと思います。