今日のkooga:指導者の稚気/Childishness of the leader

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今回の、イスラム国による後藤さん、湯川さんの斬首事件について思うこと……まず、二人は、みずからのぞんで、危険であることを知りながらそこへ向かって殺された。「自己責任」という言葉はお上ぽくてキライですが、要するに、自分自身の志を貫いてそういう結果になったんだから「本望」というべきか……ある意味、いさぎよい死であったと思います。

ところが……ふしぎなことに、死後、後藤さんの方はもう殉教者といいますか、すばらしい人だといって、みながこぞってまつりあげる。まあ、たしかにすばらしい人だと思いますが、ちょっともちあげすぎじゃなかろうか……これではまるで、キリストではないか……これに対して湯川さんの方は……といいますと、だれもなにもいわない。この落差……

「民間軍事会社」……この言葉は、たしかにいい響きではない。なんかうさんくさい……ということで、だれも触れたがらないので、ホントはどういう人で、どういう志をもって「あの地域」に入ったのか、だれにもわからない……ホントは、後藤さんの方も、本人の思いは本人にしかわからないのだけれど、だれもが「すばらしい」という……

お二人は、「本人」という視座から見るならまったく同じであるはずなのに、この扱いの差はなんだろう……そこにはすでに、いろいろな思惑や思いこみや……われわれの感情や善悪の判断や……いろんなものが入りこんでいるのを感じます。そういうものを取り払って、そこにはじめて見えてくるものは、はたしてなんなのだろうか……

今回、ふしぎなのは、湯川さんが「あの地域」に入っていった心情というものが、日本に暮らすフツーの日本人にはわからないのですが、それ以上に、なぜ、後藤さんが彼を追って入っていったのか……そこがわからない。これは、わかるようでわからない。後藤さんにとって、湯川さんは、「かけがえのない存在」だったのだろうか……

おそらくそうだったのでしょう。でなければ、あの行動はちょっと理解しがたい。ということで、このお二人については、わからないことが多過ぎて、そう単純には判断できないような気がします……ところが、逆に、この事件にかんするABくんの言動はきわめてわかりやすい。彼の心情には、むずかしいところはなにもなくて、単純明快……

に、私には見えます。指導者の稚気……これほど困るものはない。カイロで、「2億ドル出すぜ!」と言ったときの演説は、だれが聞いても「有志連合に参加してイスラム国を叩くぜ!」というトーン。これをするっとイスラム国に利用されてあの動画がアップされるととたんに「いや、あれは人道援助で……」という。この人、まことにわかりやすいです。

指導者の稚気……同じことが過去にありました。ブッシュくんがイラクのフセイン政権を「大量破壊兵器の保持」を口実に叩いた。あのときの口調とそっくりで、稚気にあふれている……トップがたまたま子供っぽい人物だったのか……それもあるけど、もっといえば、そういう「薄い」人物をトップにしたがった国民の方に稚気が充満していた……

私は、やっぱり、湯川さんや後藤さんの心情にくらべると、指導者の心があまりにもナサケナイ稚気にあふれていて、その結果として、ブッシュくんはイスラム国を生み、ABくんは日本人全員をテロの対象にしてしまった……このあたりが、ものごとははたして偶然に左右されるのか必然なのか……そんなこともからんで興味深いなあと思いました。

ブッシュくんやABくんの稚気が働かずとも、ものごとは結局こういうふうに進んだのかもしれませんが……しかし、後の国会答弁なんかを聞いても、ABくんは自分自身の稚気のなせるわざについてはまったく認識がないみたいで、危なっかしいなあと思います。指導者の稚気……そして、そんな指導者を選んでしまう国民って……これからどーなる?……

もういちど、後藤さん、湯川さんのことに戻りますと、日本政府は後藤さんに対して渡航自粛勧告を三度も出していたという。しかし、後藤さんはふりきって行ってしまった。このことについては、だれも問題にしない。彼が「すばらしい人」だったから、渡航自粛勧告を無視して行動したということについても、それは問題にならないというのだろうか……

じゃあ、湯川さんの方は……彼に渡航自粛勧告が出ていたかどうかは知りませんが、彼の行動は無謀だったとみんな思っている。はたしてどこが、どうちがうのだろうか……このあたりは、「動かされてしまう心」を鎮めて、きちんと考えないといけないところだと思います。そうしないと、とんでもないワナに落ちてしまうかもしれない。ファッショの本質……

ABくんという指導者の稚気がまかり通っているのも、このファッショの問題と密接な関係がある。人は、自分の心が動かされたものについては甘くなる。逆に、自分の心につらいものに対しては厳しくなる。大勢の人の心が動かされて、それが波のようになっていったとき、乗る。そして、しらぬまに、しらないところへと運ばれていってしまう……

ファッショを呼ぶ指導者の言動は、しばしば稚気に満ちている。時代が変わって冷静に考えれば、なぜあんなものに動かされたんだろう……と思う。だけど、渦中にあるとわからない。イスラム国のPRは、ある人にとってはすばらしい。ABくんの稚気に満ちた言動も、やっぱり彼のことを評価する人にとってはすばらしいものと映るのでしょう。

では、後藤さんのやってきたことはどうなのだろう……私は、今まできくかぎりでは、やっぱりすばらしいと思う。しかし、では、イスラム国やブッシュくんやABくんの言動と、どこがどうちがうのか……少なくとも、彼の言動には稚気は感じられない。だけど……イスラム国はわからないにしても、ブッシュくんやABくんは稚気のカタマリみたいにみえる。

そこは、やっぱり大きくちがうところだと思う。湯川さんについては、これはワカラナイとしかいいようがないのですが……ただ、後藤さんを持ちあげて、流れにしていくという動きかたについては、やっぱりどこかに「ファッショ」を感じてしまいます。白と黒にくっきり分ける……それは、わかりやすいけれど、大きなワナにはまる道かもしれない。

自分たちは、指導者の稚気で動かされるような存在ではない……そうかもしれません。しかし、ではなぜ「稚気で動かされる存在」がいるのだろうか……その人たちは「劣っている」からそうなるのか……そこまでいくと、これは、明らかにおかしいと思います。一人の人の心は、やっぱり暗くて深いものがある。それは、誰の心もそうではないだろうかと……

昔の人は、古典に親しみ、漢文の素読なんかでみずからの精神を鍛えた。それは、やっぱり、自分の「おさなごころ」からの離脱ということだったと思います。人間の精神は、鍛えないと幼いまま……それをきちんと鍛える方法があったのだけれど、それはすでに崩壊して久しい……まあ、指導者にはせめて「稚気を棄ててよ」といいたいですね。ホント……

今日の写真は、この間、名古屋市の環状道路を走っていたときに、防音壁の壁に浮かびあがった「存在」です。見たとき、気持ちわるいなあ……と思いました。なんでこんなふうになるんだろう(まあ、壁の汚れなんですが)……ちょうど、後藤さんの生死に日本中がやきもきしていた頃……殺されちゃったんですね。お二人のご冥福を……

稚気の怪物_450

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