こども化の時代/A childish era

『いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだから つらいけどぼくはいきるときめた』

最近、もっとも心に残った言葉です。

原発事故で、今まで平和に暮らしていた福島を追われ、横浜に避難した小学生。新しい学校で、名前に「菌」を付けられるなどのいじめに……どんどんエスカレートして「賠償金あるだろ」と金をせびられ、被害額がなんと150万円に……

学校が動かなかったということで避難ゴウゴウですが、テレビである評論家の方が、こんなことを言ってたのが印象に残りました。
『こどもが「賠償金あるだろ」とかいうわけないから、これは、その子らの親が、家でしょっちゅう「あいつらは賠償金あるから」とか言ってたんじゃないかな。』

この言葉を聞いたとき、私にはかすかな違和感があった。この評論家の方は、いつも的確な論評で、私はかなり信用してるんですが、このときのこの言葉だけは、「えっ?そうだろうか……」と思った。

なんか、こどもを、かなり理想化して見ているんじゃないかな……と感じました。こどもって、そんなに「純」なんだろうか……いや、むしろ、「賠償金あるだろ」は、その子の率直な思いがそのまま表われた表現だったのかも……

このことにかぶさって、浮かんできたのは、やっぱり「トランプ現象」ですね。評論家やマスコミ……つまり、「インテリ層」がほぼ全員読み違えた。この「ミス」の中には、先の評論家の方の、「こどもがそんなこと言うはずがないから大人が……」という感覚が、やっぱり重なってきます。

大人は、むしろ率直な物言いはしないのではないか……「賠償金あるだろ」と心の中では思っていても、「理性」がそれを言葉にして口に出すのを止める。そんなことを口に出して言うのは、とても恥ずかしいことで、自分が「大人なら当然持っているはずの理性」を持っていないことを公言するようなものだ……

しかし……トランプ現象や、世界中での「右翼化」を見ていると、もうすでに、その「歯止め」はとっくに乗り越えられていたのかも……という気もします。「大人のこども化」。これが、社会の深部でどんどん進行していて、ついに表層に表われてものすごい地滑りを引き起こしはじめた……なんか、そんな感じです。

日本でも、生活保護を受けている人たちに対して、かなり風当たりがきつくなってきている。私自身、ある人(むろん大人)から、生活保護の受給者を口汚くののしる言葉を聞いて愕然としました。彼は、ある医院でリハビリを担当している整体師で、ものすごく腕がよく、私も受けていて、すっと身体が楽になるのでたいした人だ……と思っていたのですが……話が生活保護のことになったとたんに悪口雑言……あいつらは、働けるのに働かんで、オレたちの税金をかすめとってのうのうと……もう、耳をおおいたいくらい……

生活保護だとたしか医療費も免除されるから、彼自身、そういう患者を担当して「なんだコイツ、こんなに健康な身体で怠けて生活保護かよ」と思ったのかもしれませんが……しかし、ここにある構造は、あの事件の「賠償金あるだろ」と同じだ……

人間って、心の奥底では、やっぱりいろいろとヘンなことを考えるもんだと思います。現に、今これを書いている私もそうで、もし人に知られたら人格を疑われるんじゃないか……というようなことまでやっぱり思っちゃう。でも「理性」があるので、それを口に出して言うようなことはしません。それこそ「口が裂けても」……

でも、それは、一面からいえば「大人」なのかもしれないけれど、他面からいえば「不純」なのかもしれない。自分の「ほんとうの気持ち」をおしかくして、外づらよく世間とつきあってる……いかにも自分が「理性ある」存在のごとく……

「隠れトランプ」……この人たちは、典型的にそういうタイプだったんでしょう。ポリティカル・コレクトをよく知ってるから、「理性」でそれに従ってるように見せているけれど……自身の「奥の心」との矛盾に耐えきれない。有色人種ってヤダなあ……とか、同性愛?うえーキモチわるいー……とか、イスラムって、怖いよなあ……とか……そういう「ホンネ」を「理性」で覆い隠して生きてるって、どうなのよ……

で、選挙でカミングアウト。ここには、まさに「マイノリティの構図」さえみられる……んだけれど、トランプさんが勝っちゃったから、彼らはやっぱりマイノリティとはいえないのかもしれません……

ということで、複雑に錯綜しているようにみえるけれど、見方を変えればものごとは単純で、一言でいうなら、「みんなどんどんこどもになる」ということでしょう。世界中で、これが進行しつつある。人類が、長い間、多大な犠牲を払ってようやく獲得した(かのようにみえる)理性が……もう、みんな、そんなもんにはかまっておられぬ、「奥の心」をストレートに出すのだ……ということで、これからは「こどもの時代」が始まるのかもしれません。

私がここで思うのは……やっぱりこれは、明確な「理性批判」なんだと。ついこの間、「パリの同時多発テロから一年」ということで各局が特集してましたが……あのときのフランス市民の対応は、とにかく「理性」なんだと。だけど、自分たちが「究極の価値」であると思っている「理性」が実はものすごい「暴力装置」で、その影に、おびただしい人々が苦しんでいることはまったく省みない。だから、マホメットを平気で茶化すようなことをやって、それは「エスプリ」(知性、つまり理性)なんだという……

そんな安物の「理性」は、これから始まる「子供化した人々」の圧倒的な「理性批判」にはとうてい耐えられない。あっというまに崩壊してしまう。はっきり言って、イスラム過激派のテロも、トランプ教徒も、「賠償金あるだろ」もみな同じ。それらはすべて「こども化」した人々による「理性批判」なんだと思います。

これからは、その傾向がどんどん強くなる。蓋があけられたら最後ですね。……人間の「理性」は、これに耐えて、生き残ることができるのだろうか……カントが『純粋理性批判』を書いてから200年余。彼が2世紀前に書物の中で試みたことが、今、実践に移されようとしています。たぶん、ホントに悲惨なことになるのでしょうが……

みんなが「こども」になっちゃった社会……200年もあったんだから、その間に、みんなでカントが提起した問題を真剣に考えときゃよかったんでしょうが……『純粋理性批判』の書き方が難しすぎたのか……ある意味、カントさんももうちょっとわかりやすく書いてくれていたら……とも思いますが、やっぱりあの時代では、ああいう書き方しかなかったのかなあ……

ということで、思いがけぬ「実践」になってしまった。おそらく、これからかなりの間続くのでしょう、「みんなこどもになる世界」。

『いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだから つらいけどぼくはいきるときめた』

最後にやっぱり、この言葉。すごいなあ……小学生の言葉なんですが、これはもう、立派な「大人」の決意表明ですね。今の大人がどんどん「こども化」しているなかで、次の世代のなかに、ちゃんとしっかり「ホンモノ」が育っている。

トランプ現象で、世界はどうなっちゃうんだろう……と、みんな不安に思っていますが……私は、この言葉の中に、「新しい時代を開いていくもの」を見た気がします。そして、今のへなへなの「理性」ではなくて、これから開花するホンモノの「理性」のきざし……

彼が、この言葉にたどりついた道程……それは、身を切り裂く苦しみだったと思う。ベートーヴェンじゃないですが、やっぱりホンモノは、苦しみを避けては得られない。これからの人類……どんな道を辿るのかわかりませんが、地獄の苦しみの果てに得られるもの……それが、すべての人が納得できる「理性」。そうなるのでしょう……

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