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街を歩けない……/We can not walk in a town?

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このままいくと、そういうことになるかもしれません。例の、ヘンなゲームのことですが……見えないマトリックスが世界全体にかかって……いや、もしかしたら、これまで見えなかったマトリックスが、このゲームによって「可視化」されたと考えてもいいのかも。

結局GPSなんでしょうね。これが今、世界をおおっている。しかしこのシステムは、アメリカの軍事衛星約30基によって構成されているといいます。スマホやカーナビに提供されている民生用は、軍事用のものの精度を落としてるんだとか……なので、アメリカに友好的な国にはよりよい精度のものが提供され、友好的でない国には精度の悪いものが提供されているという人もいます。

この、精度調整機能は、SA(Selective Availability)というそうで、民間向けのGPSデータに故意に誤差を加えるんだそうな……2000年以降、アメリカは、このSAの運用を止めたということで、まあ、公式には、そういう操作はしていないということらしいですが、どうなんだろう……

ホントのところはわかりませんが、アメリカの軍事衛星でできてるシステム……というのはやっぱりひっかかります。これって、実質上、アメリカが世界を握ってるということにならないのか……アメリカが、「イヤよ」といえば、もう船も航空機も自分の位置がわからなくなる。カーナビもスマホも、GPSを使った機能はすべてダウン……なんか、恐ろしいテロみたいだ……

あのヘンなゲームは、結局、スマホ片手に街をゆく「愚かな」人間さんの肉体を使って「GPSの世界支配」を可視化したもの……そういうことなんでしょうか。一人一人の人の肉体をGPSが乗っ取って情報収集……そういう人もいますが、たしかにそうなのかもしれません。

GPSがこんなにハバを効かせる前は、たとえば日本には「ロランC」というシステムがあって、日本近海の船舶は、みなこれで自分の位置を確認していたそうです。このシステムは、地上に建てられた数本のアンテナのセットからなり、このアンテナは、日本、韓国、ロシア、中国に設置されていて、各国が協力してシステム全体を運営していたそうです。

それが……GPSの登場によって、あっというまに置き換えられて……今では、結局「アメリカ軍」がすべてを統括している……なんでみんな、コレ、もっとモンダイにしないんでしょうね……米軍が「お前はオレのいうことを聞かねえから、GPS停止だ!」といえばまっくらになるのに……

ロランCについては、前に書きました。リンク

人の一生というものは……/Human’s life

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今年のお正月は、京都ですごしました。何年ぶりかなあ……年末年始を京都で迎えるのは……泊まったのは、高野からちょっと北の方だったんですが、懐かしい……という気持ちが自然に湧いてきた。私は、京都生まれで、下鴨神社の近くの家でこども時代をすごした。

今回泊まった場所は、そこからは1km 弱離れているんですが、まあ下鴨神社の領域内といっていいでしょう。近くには、下鴨神社の摂社である「赤宮」という神社もありますし……なにより、仰ぎ見る比叡山のかたちが、こどもの頃に毎日みていたのといっしょ……

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こどもの頃、夕方になると母親が、すぐ近くを流れる鴨川に散歩に連れてってくれた。川向こうの林のかなたに陽が落ちて、あたりが金色に染まり、水面がきらきら輝いている……で、振り返ると、そこには夕暮れ色に染まった比叡の山が……こどもの頃、毎日見た景色というのは、やっぱり忘れないもんですね。

場所……というのはふしぎなもんです。今回泊まった家の前の道は、いわゆる観光地の京都じゃなくて、全国どこにでもあるごくフツーの街並……あんまり広くない道の両側に、お店があったり会社があったりマンションやアパートがあったり……ちょっと曲がるとコンビニが……

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そういう、「フツーの路地」が、そのものさえ、なぜか懐かしい。これはふしぎでした。「場の力」というのでしょうか……あるいは、下鴨神社の神様の力が、やはりその土地を覆っているのだろうか……私は、こどもの頃に京都を離れて名古屋に移りました。そのあと、学生時代に、京都に一時下宿をしていたこともあるけれど……

もう何十年も、京都から離れて暮らしている。でも、京都を訪れて、こどもの頃に暮らしていた場所のそばにくると、やっぱり「自分の土地」はここだなあ……と思います。人の一生……東照大権現神君家康公のように重い荷を負って遠くまで歩む人もいれば、私のように軽い荷さえいやがって……

できるだけ近道したい……という一生を送った人もいる(まだ過去形じゃないけれど)。人の一生って、いったいなんでしょう。いったい何をやったら、「その人の一生を生きた」ということになるのか……これは、いまだにわかりません。人生あとわずかで? いや百まで生きるのかしらんけど、どっちにしても、それがわからなくいいの?ということなんですが……

たぶんほとんどの人がそうだと思う。ただいえることは、人と土地との結びつきって、意外に強かったなあ……ということです。若い頃は、なんでもできるしどこでも行けると思っていました。でも、もしかしたら、人は、自分でも知らないくらい「土地」に結ばれているんじゃなかろうか……

私がおもしろいなあと思うのは、三河の生まれの神君家康公は、生涯その目を東に向けていたのに対して、尾張生まれの信長公と秀吉さんは、一生西に向かう傾向性を持ち続けていたということ。尾張と三河って、今は同じ愛知県で、その境に大山脈とか大河があるわけでもありません。

境川という小さな川(二級河川)があるんですが、上流はもうほとんど認識できないくらいの小川になっていて、車なんかだと、まったく気がつかないうちに尾張から三河に入ってしまいます。でも、やっぱり尾張と三河は、画然と違う……言葉も、尾張の言葉はすぐ北の美濃(岐阜県)の言葉とよく似ているけれど、三河の言葉は、その東の遠州(静岡県)の言葉とほぼ同じ。

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こういうことは、いろんな土地にあって、その感覚は、そこで生まれ育った人しか、実は正確にはわからないものなのかもしれません。なにが、それを決めるのだろうか……

今は、その土地のものだけじゃなくて、スーパーに行けば「世界の食材」がカンタンに手に入ります。「土地の食べ物」が<その感覚>を養うんだとすれば、今の人は、もうすでに昔の人が持っていた「そういう感覚」をかなり失っているのかもしれない……あるいは、目に見えない「土地の気」のようなものなのでしょうか。

たとえば火山の噴火とかの大災害で、住民全員がその島を離れなければならない……三宅島とかそうでしたが、避難先で暮らしている人のインタビューで、少しでも早く島に戻りたいという人がけっこう多い。一旦おさまっても、いつまた噴火するかわからないのに、なんでそこまで……と思いますが、やっぱりそれは、その土地に生まれ育った人にしかわからない。

だから、難民の方々って、たいへんだなあ……と思います。自分の生まれて、育った土地から、自分の意志じゃなくて強制的に排除され、見知らぬ地域をさまようハメになる……これが「自分の意志」だったら、まだある程度は納得できるかもしれません。いや、人によっては、見知らぬ土地で暮らすことに憧れを抱くということもあるでしょう。

しかし、自分は、この生まれて育った土地で一生を終えたいと思っているにもかかわらず、外側からの圧力で追いだされてしまう……これはもう、そのものが根源的な悲劇だと思います。あるいは、自分が生まれて育った土地に、外国の軍隊がやってきて基地をつくってしまう……これも悲劇だ。

そしてラスボスのゲンパツ……金のために故郷を売る。これほど悔しく、悲しいことはない。おまえらの住んでるところは、街から遠いから、放射能まみれになってもいいんじゃない? その分、金と仕事をやるからさ……これって、ものすごい侮辱だと思う。しかし、いくら悔しくても、生きていくために受け入れてしまった……

世の中、こういう悲劇に満ちています。昔、岐阜県の徳山村というところを、野外活動研究会のみんなと訪れました。岐阜県といっても、もう山一つ越えれば福井県……というところだったんですが、もう今は、この村はありません。

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徳山ダム……これですね。このスゴイダム(ロックフィルという構造では日本一の規模)を造るために、この村の人が住んでいる集落はみな、水の底に……1970年代終わり頃に行ったときはまだ、村は生きてましたが、もうお年寄りばっかりで、みんな静かに「村の死」を待っている状態だった。

いろんな人に話を聞きました。みんな、この村がいいという。それはまあ、何十年も暮らしてきたお年寄りばっかりなので、当然そうなんですが、若い人は、やっぱりほとんどいなかった。もうとっくに保証金をもらって、村の外で「次の暮らし」をはじめていた。

反対運動はなかったんですか?と聞いたんですが、あんまり明確な回答が得られない。もうみんな、「水没」が前提で、今さら……という感じ。のちに、偶然ですが、徳山村出身の青年に名古屋で会いました。反対運動について聞くと、彼自身がその運動に加わっていたそうです。でも、潰してくる側との圧倒的な力の差があって、みんな結局あきらめ、彼自身もインドに行く道を選んだ……

ああ、やっぱり反対運動はあったんだ……そう、思いました。村の中では、ハッキリ聞くことはできませんでしたが……しかし、ダム、こさえたるでー!という勢力にくらべてあまりに微弱……昔から住み暮らしてきた「先祖の地」を追われるんだから、もっと抵抗してもいいのでは……というのはよそ者の考えで、実際の「現場に働く力関係」は、これはもう、なんともならない圧倒的なものだったらしいです。

徳山村は、どこからアプローチするにしても、険しい峠を越えなきゃならない。この峠が、冬は雪で通行止めになる。人の往来も、物流も滞る中での、雪に埋もれた数ヶ月……若い人には絶対にガマンできないから、みんな、ダムの話の前に街へ街へと……仕事、家族、学校のことを考えれば、当然そうなるのでしょう。ということで、「現代文明」を前にして、村の実質はかなり死に近づいていた……ということもいえるわけです。

今、私が住み暮らしているところも、愛知県の「奥三河」と呼ばれる山間地域の入口で、人口がゆるやかに減少しつつある、いわゆる「限界集落」です。 といっても、まだ名古屋とか豊田に近いので(一応豊田市域)ほとんどの人は勤めを村の外に持ち、毎日通ってる。でも、まだまだ、自分の生まれたこの土地に愛着を持ってる人は多い。しかし、こどもたち世代はどうなのかな……

要するに、自分の根っこをどこに感じるか……ということなのかもしれません。私みたいに、こどもの頃に生まれ育った土地を離れてしまったものは、根っこがない。この状態がいいのかわるいのかときかれれば、やっぱりよくないと思います。価値観が、なんというか否定的になる。どっちみち……ということで、神君家康公みたいに「人の一生は……」ということにはなりません。まあ、ぜんぶがそのせいじゃないにしても。

家康の鎖国政策は、いろいろ言われますが、結局はこの問題だったような気がします。つまり、人と土地の結びつきを重視した。そこがちゃんとなってないと、人はホントの力を出せない。この「ホントの力」というのは微妙な考え方で、たとえば海外遊飛(ナント古い言葉)で世界中駆け回って大活躍している人でも、それが「ホントの力」なのかというと、これは考えどころかな……と思います。

今の世界、経済優先で、企業はできるだけ安い人材を求めて世界中に工場をつくる。家康公の考え方からすれば、これはもうムチャクチャです。どれだけ発展しているようにみえても、それは見せかけにすぎず、実は、本質的なところは「破壊」だ。世界一の企業が、今、私の暮らしている街にありますが、この企業のやり方を見ていると、家康公の考えをかなり厳格に守っているところと、まったく反対の考えの二つを持ってるような気がします。

それが、一つの会社としてまとまってるんだからふしぎだなあ……と思うのですが、案外、「生産」にかかわる仕事って、そうなのかもしれません。とすると、ホントに危ないのはいわゆる「虚業」なんでしょうか……歴史には詳しくないですが、家康公は実業タイプ、信長さんと秀吉さんはどっちかというと虚業タイプだったみたいな気がします。海外遊飛に夢を馳せた信長と、朝鮮半島を手がかりに大陸をのっとろうとした秀吉……

これに対して、家康は、「アホなこと言っとらんで、国内をちゃんと固めようよ」という考えだったみたいに見える。幕末から明治期にかけて、アジア諸国が次々と欧米の植民地にされていく中で、日本という島国がナントカ独立を保てたのも、元はといえば家康さんが、「土地に結びつく」政策の基礎を地道に、しかしラジカルにつくったから……これを元にして、日本はちゃんと自前の「19世紀」をやって、「近代」に歩調を合わせていくことができた……

歴史の専門の方からみると、こういう見方はきわめて大雑把で、まちがいだらけなのかもしれませんが……なんか、そう思ってしまいます。人と土地……これは、最大限に広げていくと、この地球という「場所」と、そこに住み暮らすわれわれ人類の「限界」という考え方になる。人類は、地球から出られない。これが、私が最終的に到達した思いなのですが、いかがでしょうか?

日本難民/Japanese refugee

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今、シリアの内戦で、シリア難民の人々が大挙してヨーロッパに押し寄せているというニュースを連日やっています。私は、正直、難民ということについては、漠然とした概念しかなかったんですが、連日の報道をきいているうちに、やっぱりこれは、タイヘンなことだなあ……と思うようになりました。

難民というとどうしてもアフリカとか東南アジアのイメージが強かったんですが、ウィキで調べてみますと、アジアが第1位で562万人、アフリカが2位で230万人、ヨーロッパが3位で163万人、そして以下、北米45万人、南米37万人、オセアニア3万5千人と続きます。1位はアジアだったんですね。

これは、2009年の統計ということで、今は少し違っているのかもしれませんが、とにかく、住む場所を追われてさまよわなければならない人がこれだけいる。シリア難民に対してドイツ政府は大英断で大量の受け入れを発表しましたが、日本は?……というと、難民認定を申請した人5000人のうち、認定が11人……

これは、2014年の数字だそうですが、あまりにも少ないんじゃないか……ということで、いろいろ批判が出ている。たしかに、もっと受け入れてもよさそうなもんだが……とか思っているうちに、ン? まてよ? なんだかヘンだぞ……と。「受け入れ」を前提にしゃべってますが、「難民になる」ということはないの?

つまり、日本人が難民になって、世界に散らばる……外国に「受け入れて」もらわねばならないハメになる……そういう可能性は、ゼロなんでしょうか……あまりにも突飛で、現実離れした空想のように思われるかもしれませんが、でも、先の原発事故のことなんか考えてみると、やっぱり全くの空想ともいえない?

2011年3.11の福島原発の事故は、とりあえずあのかたちで済んでいる……というか、まだぜんぜん済んでないワケですが、場合によっては、東京都民の避難が必要になるというところまでいく可能性もあったとききます。もしそれがホントだとしたら、これはタイヘンなことだ……関東圏に避難対象が及ぶと……

東京都の人口1300万人だけじゃなく、いわゆる広域関東圏(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、長野、新潟、山梨、静岡)の人口5000万人が避難するという事態になったとすると、これはタイヘン。5000万人といえば、日本の全人口1億3000万人の約40%にあたる。アジア難民の562万の十倍近い。

これに、東北の各県(福島、宮城、岩手、青森、秋田、山形)の総人口約900万を加えると、全人口の45%、つまり、日本の約半分の人が住む家を失う……この想定、「ありえねー」と一笑に付す方もおられるかもしれませんが、でも、福島の事故がもうちょっと拡大してたら、現実にそうなったのでは。

というか、あのゲンパツ事故のときは、アメリカなんかは在留米人に、80kmを避難区域としたとききます。日本は20kmだったけど。実際のところはどうだったのでしょうか。政府は、大混乱になるのを怖れて、ホントのところ(汚染状況)を発表しなかったのでは……そういう疑いも払拭できない。

まあ、それくらい、日本政府のいうことは信用できないわけですが……もし、ダレの目から見ても汚染がさらに顕著になってたとしたら、やっぱり「人口の半分避難」が現実的になってたと思います。そうすると、もう日本は崩壊ですから、大量の「難民」が発生したでしょう。そうならなかったのは、単に偶然??

ABくんは、このごにおよんでまだ再稼働・推進!なんて言ってるから、このリスクは、これからも高まりこそすれ、低くはなりません。これに加えて、新安保で日本が武力攻撃やテロの対象になる危険もぐんと高まるし……さらに、政府の「2極化方針」で、経済的に破綻する人がこれから続々出てくる。こっちも大問題。

日本の人口の半分が住む地域が「汚染」されてしまったら、もう物理的にかなりの人が国外に出ざるをえなくなるのでしょうが、「住めなくなる」地域がもっと小さかったとしても、この「2極化」によって、やはり国外に追い出される人がどんどん増えてくるのでは……ということは、日本が内戦状態になる??

こんなことをいうと、また「ありえねー」という声が聞えてきそうですが、これって、そんなに「想定外」ですませていていいのでしょうか……これからは、経済的な格差がどんどん拡大して、「持たざる若者」はものすごく苦しい立場に追いやられていきます。みな、そうならないように必死にがんばってるけど……

ABくんの政策自体が、「格差、広げたるでー」というものだから、もうどうしようもないでしょう。彼が否定している「徴兵制」も、経済徴兵というのでしょうか、「持たざる若者」は否応なくそういう「苦役」に追いこまれる。むろんこれは、男女関係なく……まあ、こんなところで「女性の活躍」というのかなあ……

ということで、2極化するということは、価値観が分裂するということだから、まあ、お定まりの「圧政と弾圧」ということで、ヒサンなことに……その先は考えたくありませんが、国内の価値観が大きく乖離してくると、これは、外からのいろんな力の介入する余地を大きく広げるので、乖離はますますひどくなる。

たとえ原発事故で、国土の半分が住めなくなっても、国内の価値観がある程度統一されていれば、なんとか残った国土に受け入れることができるかもしれません。この場合は「国内難民」で、今、福島の方々はこういう状態になってるわけですが、大部分の人が、見知らぬ外国に出ていかなくてもすむ。

しかし、2極化のはてに国内の価値観に大きな乖離が生まれてしまえば、おそらく多くの人々が国外に脱出せざるをえなくなるでしょう。「ありえねー」と、今は笑いとばせますが、でも、ABくんたちは、着々とその準備を進めている。「原発再稼働」と「2極化推進」。これをふたつとも、ガンガン進めてます。

ということで、私は、近い将来、「日本難民」が大量に発生する可能性が、従来に比べてはるかに高まってきていると思います。原発事故の連鎖(これは十分ありえる)で、沖縄を除く国土全体を放棄しなければならない可能性だってゼロじゃない。その場合、沖縄だけで本土人口全員を受け入れるのはムリだし……

そもそも、沖縄の方々に拒否されるでしょう。今まで米軍基地をいっぱい押しつけておいて、いざとなったら助けて~はあまりにムシがよすぎる。そうすると、日本国民のほとんどが難民となって海外に流出せざるをえない……「日本難民」……じつは、これをシュミレーションした小説が、かつてありました。

小松左京さんの『日本沈没』。半世紀前に書かれた第一部は、日本列島が沈没して、日本人全員が海外に避難せざるをえなくなったところで終わっていましたが、十年くらい前に書かれた第二部(谷甲州氏との共著)では、海外の各地に散った「日本難民」のその後が、かなり詳細に描かれています。

共著者の谷甲州さんは、東南アジアでの生活がけっこう長かったみたいで、そのあたりはかなりリアルです。なるほど、こうなるのか……実際は、なってみないとわからないのでしょうが、「難民ルート」というのは、やっぱりあるんですね。今回の、シリア難民の方々がドイツをめざしたといのもそうなんですが……

シリアとドイツ? 遠い国に住むわれわれには、「なんでドイツなの?」という疑問が湧くわけですが……もちろん、今、ドイツが経済的に繁栄しているというのはいちばん大きいでしょう。でも、歴史的にみると、このルートは、中世末期に、まさにオスマントルコがヨーロッパに迫ったときのルートそのままだ……

中世ヨーロッパでは、その東の入口がオーストリアのウィーンでした。ウィーンは、オスマントルコの皇帝たちから、「黄金のリンゴ」と呼ばれていて、なんとかして手に入れたい「羨望の地」だった。トルコの軍勢は、バルカン半島からセルビア、ハンガリーを手に入れ、ついにウィーンに迫ります。

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ウィーン包囲は、1529年と1683年の2回あったみたいですが、このうち1683年9月12日のウィーン攻防戦は映画化もされてます。このときは、皇帝レオポルト1世のウィーン脱出というところまでいったらしい。当時、ドイツは、神聖ローマ帝国という名ばかりの「帝国」のもとに、実際は封建領主や教会の群雄割拠の四分五烈状態……

ウィーンハプスブルグ家の皇帝レオポルト1世も、「皇帝」という名にふさわしい権力は持ってなかったみたいで、ポーランド王ヤン3世の援助まで頼んで、なんとかこの危機をきりぬけた……今の状況を見てみると、なんか、当時の状況が彷彿とされます。といっても、むろん今のシリア難民の方々は、「攻略」じゃなくて……

母国の危機的な政治状況で国外に「逃げざるをえない」わけですが(実はシリア国内の難民の方がはるかに多いけれど)……ただ、この背景には、アラブ諸国の政治的不安定(これまでの独裁政権のツケ)と、それに乗じたイスラム国やアルカイダの膨張がある。ヨーロッパは、これに対し、かつての神聖ローマ帝国の亡霊?のEUで…

となると、これはあまりに図式的というおしかりを受けるかもしれませんが、どうなんでしょうか。考えてみると、ヨーロッパという地域は、常に「アラブの圧力」で自分たちを形成していったみたいな……そんな歴史の大枠があるんじゃないかと思います。なので、また、その周期がめぐってきたのか……それはわかりませんが。

じゃあ、日本はどうなんだろう……日本を含む東アジアに、そういう「民族圧力往来」みたいなことはあったのか……直近では、やっぱり先の大戦のときの、日本自身の「膨張政策」がアタマに浮かびますが、江戸期300年の鎖国のあいだを除いて、やっぱり日本は、大陸や南方への「膨張」を、たぶんくりかえしていた……

それは、いろんなかたちで、そうだったと思います。神功皇后や秀吉みたいな「わかりやすい軍事作戦」ばっかりじゃなくても。そして、現在も、経済政策というかたちになって、アジア各地域への「膨張」は続く……もし、日本の全人口の半数が難民化した場合には、やっぱりこの「膨張」ルートがベースになるんでしょうか。

もしその場合、アジアの各国は、「日本難民」をちゃんと受け入れてくれるんだろうか……日本国と日本人の、アジアの各国における「受けとられかた」はどうなんでしょうね。少なくとも、中国や朝鮮半島においては、「過去の侵略」があるから、場合によっては大いに反発をくらう可能性も……

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ヨーロッパにおいては、「イスラムの侵攻」は、今も悪夢のように人々の心に残っているから、シリア難民の方々も、けっして諸手を上げて受け入れ……というわけではないのでしょう。しかしちゃんと……受け入れられているように、現段階ではみえます。大人だなあ(むろん、反発する人も多いけれど)……

これは、やっぱり、西欧世界の理性を最高基準とする「思想」の成果なんでしょうか……その点は、率直にスゴイなあと思います。中国なんかも、今は、日本人の目には「メチャクチャの国」に映るけど、もしかしたら、日本よりずっと「大人の国」なのかもしれない……これは、今の日本人の心情と真逆だけれど……

それは、日本から大量の「難民」が発生したときに明らかになるのでしょう。そして、もしかしたらそういう時期も意外に近いのかもしれません(AB政権はまだまだ続きそうだし)。さて、そのとき、日本人は、どういうふうに「評価」され、受け入れられるんだろうか……あるいは、受け入れられないんでしょうか……

なんせ、狭い国土ですから、ちょっとゲンパツがポン!といっただけで、大量の「難民発生」は火を見るより明らか。あの事故のときに反省して「全原発即時廃炉」にふみきってれば、ちょっとはリスクは下がったのでしょうが……もう遅いですね。ナンマンダブ……

今日のkooga:第2震裂波動線上の超高層ビル群/Skyscrapers on the second belt of severe seismic wave

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この写真は、JR名古屋駅近辺の超高層ビル群を、名古屋駅の西側から撮ったものです。野外活動研究会のみなさんと駅西地区を歩いているときに撮影したもので、全部のビルが画角に入りきらなかったので、一部合成してありますが、だいたいこんなものです。この日は、6月なのに秋のような快晴で、JR名古屋駅の2棟の超高層ビル(高さ約250m)が宇宙空間のような濃い青空に映えて、絶好の撮影日和でした。

クレーンが何本か建っていることからあきらかなように、JR名古屋駅では、今、超高層ビルの建設ラッシュです。といっても、東京に比べればぜんぜんたいしたことはないんですが……何年か先(平成39年度)のリニア新幹線開通をみこんでのことでしょう。リニアで、東京―名古屋間が40分になるとのことですが、試みに、JRの在来線で、東京駅から40分でどこまで行けるかを見てみますと、中央線を使うと各駅停車で吉祥寺が38分、三鷹が41分、快速に乗れば40分で武蔵小金井まで行けます。

では、JRの他の線ではどこまで行けるか……JR総武線の快速で千葉まで41分。東海道線に乗ると、通勤快速で藤沢まで41分。京浜東北線に乗ると、さいたま新都心まで43分(快速)、桜木町まで39分(快速)。山手線に乗れば、40分で池袋です(外回り)。ということは、料金は別として、時間だけでいうなら、名古屋は、東京駅からこれくらいの「近さ」になったということで、もはや「関東圏」ともいえる。ラクラク通勤圏だし、ちょっと買物……みたいな感じ(これは名古屋から東京へ)でも、関東圏と変わりません。
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ということで、名古屋駅前が、関東圏のいろんなスポットとよく似た姿に変貌しつつあるのもアタリマエなのか……しかし、ここでちょっと気になるのが、「第2震裂波動線」の存在です。「震裂波動線第2」ともいいますが、「だいにしんれつはどうせん」と発音してみると、なんだかおだやかではありません。まあ、字面からもヤバそうな感じですが……濃尾大地震というのがあって、これは、明治24年(1891)年に岐阜県の根尾村付近を震源に発生した巨大内陸地震なんですが、実にマグニチュードが8.0!(8.4という説もあり)。内陸で発生した地震としては、日本の歴史上最大とされ、中部地域に大きな被害をもたらしました。
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このとき、家屋倒壊などの被害が大きかった場所をピックアップすると、それが3本の線状に濃尾平野を走っている……いちばん西が大垣付近から養老断層に平行する第1震裂波動線、次に、岐阜と一宮を結ぶ東海道線に平行する第2震裂波動線、そして3番目が、犬山付近の第3震裂波動線……このうち、東海道線に沿って走る第2震裂波動線が、名古屋駅前にポンポンできている超高層ビル群との関連では気になるところです。大丈夫なのかなあ……まあ、震裂波動線の存在自体、単に家屋の密集地が線路沿いに集中していたから、そういう線があるように見えただけだろうという人もいるのですが……

あるいはまた、JR東海道線の地下にある断層を推定する人もいます。東海道線を挟んで、地下に重力異常帯があることは確かなようですが、それが断層によるものなのかどうかははっきりとはわかっていないらしい……いずれにせよ、けっこう不気味なお話ではあります。私なんかは、こういう超高層ビル群を見ると、必ずそれが大地震で崩壊したり、大津波に呑まれたりする光景を想像してしまうんですが……こどもの頃は、大地震で街が崩れたり、200mを越す大津波にすべてが水没する光景ばかりノートに描いていて、親に怒られたりしましたが……これはもう、条件反射みたいにそう思ってしまう。

神の罰というか、みずからの業によるむくいというか……こういう文明はロクなことにはならないゾという思いが常についてまわります。人々は、日々の快適さを求め、少しでも楽な暮らし、楽しい生活をしたいと願っていろいろ動きまわるのですが、その反作用の方はあまり省みない。10cm楽になれば、どっかで10cm苦しくなっているはずで、それでこそ公平というもの……「楽」の極地があのゲンパツだと思うのですが、あそこまで過激に楽をしようと思ったら最後、そのツケがどんなにオソロシイことになるか……人間の目は、前にしかついてないので、後は常に死角になっている……

そこから、やっぱり「闇の呼び声」が聞えると思うのです。人が楽をした分、そのしわ寄せは必ず自然に入っていって、そこで蓄積される。そしてある日……人もやっぱり「自然」のうちに入るのでは……そうも思いますが、しかしどこかが決定的にちがう。では、その違う点はなにか……名古屋駅前の超高層ビル群を見ていると、そこには「むきだしになった数理」を感じます。「自然」ももちろん「数理」に支配されているのですが、それは、多くの場合見えにくい。オウムガイの貝殻とフィボナッチ数列のお話なんかは有名ですが、あそこまでみごとでも、やはりどこか「探索の手」を必要とする。

しかるに、人工物は、この超高層ビル群のように、数理が、そこにそのまま、むきだしである。ガウディの聖家族教会なんかはそんな感じもしないのですが、あの場合は、ガウディは、数理をとことん「自然のごとく」に使おうとしている。しかしそれは、今の科学技術には合わない。ハイデガーのように、テクノロジーが数学や物理学の理論をつくると考えるならば、やはり「むきだしのテクノロジー」によって「むきだしの数理」が創られる。では、「かくされた数理」というのは……というと、これはやはり「自然」の中に見られる数理になってくるのでしょうか。

ハイデガーは、テクノロジーと、それによって形成されるサイエンスは、「意味」を「伏蔵」(verbergen)しているといいます。要するに、そういうものは「見えているかたち」の背後に、その本当の意味を隠し持っている。これに対して、「自然」の方は、「意味」はそこにそのまま見えていて、「数理」の方が奥に隠されているような……そういう意味では、ここに、「意味」と「数理」の逆転関係が見てとれると思います。そして、大地震や大津波のような、人間の生活に決定的なダメージをもたらす現象においても、それが「自然」である限りは、その「数理」は奥に隠されて見えない。
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第2震裂波動線が、本当に存在するのかいなか……JR東海道線の真下には断層があるのかどうか……こういうことは、今の最新の科学技術をもってしても決定的にはわからないようです。しかし人は、「あからさまに見えている数理」を用いて、そういう「あやしい地盤」の上に、これでもかと超高層ビルを建ててしまう。そこには、人間の世界を貫くもう一つの法則、「経済法則」というおかしがたい?システムがはたらく。しかし、この「経済法則」って、いったいなんなんだろう?「自然法則」でないことはたしかですが、では「数理」に無縁かというと、そうでもない。いったい何?

これは、人間の精神にとって、もしかしたら「伏蔵された」数理なのかもしれません。「自然」が数理を伏蔵しているように、人間の精神は「経済法則」を伏蔵する。濃尾平野が震裂波動線や断層を伏蔵しているように、人の精神は「経済法則」を隠し持っているのか……そうすると、自然と人は、たがいに伏蔵している「数理」と「経済法則」でせめぎあうことになりますね。で、その結果、目に見える状態になったのが、この駅前の超高層ビル群……であるとすれば、もう一つの段階として、「破壊された超高層ビル群」も、やがては「目に見える状態」になるときがくるのでしょう。

今の段階では、人が伏蔵する「経済法則」が「数理」を完全に支配しているので、目に映るのはピカピカの立派な超高層ビル群です。しかし、自然が伏蔵する「数理」が大地震とか大津波として現実のものになれば、人の「経済法則」は敗れて、超高層ビル群は、「数理」を伏蔵する「自然の姿」に戻っていきます。人の営みは、数理と経済法則(金の力)を完全に支配できたかのように思いますが、やはりゲンパツの炉心にわだかまっている熱と放射能のように「伏蔵」された「意味」は消えさることなく、みずからが表舞台に立つ日を夢見て、濃尾平野の奥深くに、今も眠っているのでしょうか……
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今日のkooga:JR車内から/View from a car of JR Chuo Line

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これは、JR中央線の車内からの眺めです。JR中央線は、関東圏では有名?ですが、中部圏にもあって、こちらでは、長野の山から名古屋に出てくる電車というイメージです。この日は、中央線の千種駅から乗って名古屋駅に向いました。乗車時間はわずか10分ほどですが、「電車の旅」を楽しむことができます。

この写真は、電車がもうすぐ名古屋駅に着く……というくらいに撮ったもので、中央やや左寄りに、名古屋駅前の超高層ビル群が重なって見えます。かなり遠くに見えますが、このカーブを曲がってしまうと線路が直線になってもう車窓からは見えなくなり、すぐに名古屋駅のプラットフォームが現われます。

「電車の旅」はいいですね。なんか、自動的に運ばれていく感じが……バスでもそうなんですが、レールの上を運ばれていくというのは、どこか特別の感じが漂います。上下動がなく、滑るように移動する……レールの継ぎ目のカタコトという音がリズミカルに入って、ついうつらうつらとしてしまう……

ということで、忘れ物も多いです。以前、12月31日に、街で買物をすませて電車に乗って帰る途中で眠ってしまい、降りたときには網棚に置いた荷物を全部忘れていました。幸い、財布とかが入ったバッグは身につけていたので無事でしたが、街で買い出したお正月のための食材がすべて行方しれずに……
わすれもの_600
ということで、その大晦日は、急遽、食材を全部買いなおすハメに……家族にとことん怒られましたが、なんとかお正月を迎えることができた……またあるときは、書類や本や筆記用具の入ったケースを座席に忘れ……このときも寝入っていて、降車駅のアナウンスであわてて降りたのがいけなかったのですが……

そのときは、どなたかが届けてくださっていたので、無事戻ってきました。このように、「電車の旅」には、特別の解放感、リラックス感覚があります。関東圏では「山手ホテル」といって、JR山手線をホテル代わりにして何周も寝ている人がいるみたいですが、名古屋には環状線がないので、それができません。

いや、正確には、地下鉄で環状線になってるのがあって、それでよければ寝てられるのですが……しかし、地下鉄で寝ていても、なんか風情がない。山手線みたいに地上の環状線だったら、ホテル代わりに寝ていても、そこはかとない風情があっていいんですけど……東京にも大阪にも環状線があるのに、名古屋にはない。

愛知環状鉄道というのがあることはあるんですが……これも名ばかりで、環状になってません。大体、名古屋圏(中部圏)に「国電区間」がないのは、不公平ではないでしょうか……東京、大阪にはあるのに……いや、今は国鉄じゃないので「電車特定区間」というらしいですが、この区間内では割安運賃が適用される。

まあ、通勤電車エリアということなんですが、東京と大阪の環状線エリア内では割引率がさらにアップするそうです。しかし名古屋にはこれがないので、JR運賃は目が出るほど高い。私鉄である名鉄、近鉄も、安くする必要がないので高い。で、みんな車を使ってトヨタ様の営業黒字のアップに貢献する……という次第。

このあたりの議員さん、なんで「名古屋に国電区間を!」とか、「名古屋にも環状線を!」と叫ばないんでしょうね。環状線(むろん地上の)は、それに乗って一周することによって、その街の全体を把握することができる。これが、実は、街に住み、暮らす人の意識に、潜在的な影響を必ず与える……と思うのは私だけ?
環状線悲哀_900

車窓から、近づく名古屋駅のビル群を眺めながら、そんな思いにふけったのでした……

*東京の山手線ですが、路線としての山手線は、東海道線の支線で、品川から新宿経由で田端までの20.6kmなんですと。環状になってるのは、運転系統の山手線だそうで……ややこしいことです。まあ、たしかに、東半分は「山の手」というイメージではないですわなあ……ま、どっちでもいいんですが(乗る人にはカンケイない)。

*ついでに、大阪の環状線も、事業基本計画では、新今宮から大阪経由で天王寺までの20.7kmが「大阪環状線」で、新今宮―天王寺間の1kmは関西本線なんだそうです。要するに、輪の一駅分が開いてるわけですが、運行管理や旅客案内では、この一駅分をつないで「大阪環状線」といってるそうです。これも、乗る人にはどっちでもいい。

*上で、名古屋では地下鉄が環状線になっていると書きましたが、これは、名古屋市営地下鉄名城線のことで、路線延長が26.4km、駅数が28駅なので、実は大阪の環状線よりも規模が大きいことになります。駅数も、山手線より一つ少ないだけ。しかし、地下なので、環状線という認識のされ方があまりされてません。もったいない……

*ついでにいうと、この名古屋の地下鉄環状線(名城線)は、軌間、つまりレールの幅が1435mmで、これは東海道新幹線と同じです。山手線の軌間は1067mm、大阪環状線も1067mmなので、名古屋の地下鉄は、新幹線と同じレールを地下に、環状に引き回していることになる。まあ、車両自体は小さいのであまり感じませんが、これもなんかもったいない……

今日のkooga:駅裏看板/Reversed signboard,again

ホテル銀座_600
また、「裏返された看板」を見つけてしまいました。
(この写真、画像加工で裏返したものではありません)

以前に、「神無月書店」の裏返された看板を紹介しました。
リンク
あのときは、はじめて見たので、びっくりしましたが……
今回は、2度目だったので、再度びっくり。信じられない……

ホテル銀座2_600
やっぱり裏返ってた!

これは、もう、どう見ても意図的にやってるでしょーと思って一階入口を見ると……

名古屋銀座_600
「ビジネスホテル銀座」さん、潰れてましたね!
「8・10生活 名古屋銀座」という、ふしぎなお店に……

なんじゃろ?と思って、ネットで調べてみると
「8・10生活 名駅銀座」というのが出てきて、これは、高齢者用賃貸マンションだそうです。
「名古屋銀座」と「名駅銀座」
ビミョーにちがうんですが、地図にある場所はドンピシャ。
たぶん、コレだと思います。

「8・10生活」は、「ハッテンセーカツ」と読むそうな。
まあ、ビジネスホテルが潰れたので、後を、高齢者用賃貸マンションにしたということ。
家賃が、管理費、食費こみで95500円と異常に安い。
したがって、これは、福祉施設ということになるのでしょう。
ネットでみると「年齢制限なし」とあるので、高齢者用というよりは、低所得者用なのかな。

このビルは、名古屋駅の西側、いわゆる「駅西地区」にあります。
ビルのある前の通りは、「駅西銀座」という名前になっている。
まあ、全国どこにでもある「◯◯銀座」というイージーネーミングの一つです。
「ビジネスホテル銀座」も、ここから命名されたんでしょう。

駅西銀座_600
ここらへんは、昔はビジネスホテルや木賃宿みたいなのがいっぱいありました。
この「ビジネスホテル銀座」も、そのうちの一軒だったんでしょう。
潰れて、後を低所得者用の福祉施設にしたんだけれど、電光看板の文字を新しくする余裕はない……
なので、とりあえず、ビジネスホテルはやってませんぜ、ということで裏返しとけと……
そんなことなのかな?

この日は、野外活動研究会の方々と「駅西地区」を歩いたんですが……
その中の一人の方が、「潰れた店の看板を裏返す習慣はあるよ」といってました。
あるいは、「外すとお金がかかるからとりあえず裏返しにしたんだろう」という人も。
まあ、たしかに、福祉施設なら、あえて電光看板をかけておく必要もないんでしょうし。

駅西地区……昔は、「駅裏」といってました。
私がこどもの頃は、ちょっとコワい場所で、親や先生からは「絶対に行っちゃダメ」といわれてた。
なので、私の中には、黒い伏魔殿みたいなデュオニソス的イメージが形成されてました(住んでる方にはわるいけど)。
それが、いつの頃からか、「裏」はよくないんじゃないの?ということで「駅西」ということに。
だけど、反対側の、明るく輝くアポロ的サイドは「駅東」と言わないで、単に「駅前」のまま。
まあ、やっぱり「差別感覚」というのは、言い方を変えてもなくなりませんね。

名古屋の骨格_600
名古屋の街は、東海道線と新幹線がちょっと西に寄って走っています。
南南東から北北西に。
だから、街の中心部は、名古屋駅の東にあります。
街の中心部を乗せる洪積層の熱田台地は、地盤が固くて標高も少し高い。
それが、西にいくにしたがい下がって、やわらかい沖積平野になっていく。
その境目に、名古屋駅があります。
(正確には、堀川あたりが境目で、名古屋駅はそのちょっと西)

したがって、駅から東は乾いた高い場所。
駅から西は、湿った低い場所。
そういうふうに、はっきりと分かれています。
「裏」という感覚は、まさにこの区分を表わしたものでした。

濃尾平野の東海道線の下には、「第2震列波道線」があると言われています。
明治初期の濃尾大地震のときに、揺れがひどく、大きな被害が出たライン。
これが、東海道線とほぼ一致している。
まあ、ようするに、地盤の弱いところに鉄道をつくったということか……
(工事がしやすかったのでしょう)

高層ビル_600
今、名古屋駅前は、「リニア効果」で建設ラッシュ。
超高層ビルがポンポンできているんですが……
「第2震列波道線」の呪い、よもや忘れたわけではないでせうね。
見るたびに、コワくなるんですが……
まあ、倒れたら倒れたで、しょうがないのかな。

この日は快晴。中村区役所まで歩きました。
おつかれさんでした……

JR桜井線/Sakurai line

個展(リンク)展示予定作品の紹介の第一弾は、JR桜井線です。
桜井線マップ_600

JR桜井線は、JR西日本のローカル路線ですが、別名「万葉まほろば線」と呼ばれるとおり、奈良から飛鳥をことんことんとのんびり走る、まほろばのみやびな、そしてひなびたイメージのあるいい感じの電車です。全線が奈良県にあり、始発駅は奈良、終着駅は高田(大和高田)で、奈良駅で関西本線と、高田駅で和歌山線とつながっています。今回は、このJR桜井線にある14の駅をすべて jimon 化するという試みに挑戦してみました。

まずは、始発の奈良。こんな感じ。
奈良_900

次の京終(きょうばて)駅は、以前にとりあげました。リンク
その次の、帯解(おびとけ)駅。ここは、三島由紀夫の『天人五衰』に登場する帯解寺があるところ。
帯解_900

こんな感じで、沿線各駅をすべて jimon 化しました。まあ、だからといってどうってことはないんですが……14の駅全部を掲げるのはタイヘンなので、あと一つ。香久山。
香久山_900

ちなみに、14の駅名は、次のとおりです。
01_奈良
02_京終(きょうばて)
03_帯解(おびとけ)
04_櫟本(いちのもと)
05_天理
06_長柄(ながら)
07_柳本
08_巻向(まきむく)
09_三輪
10_桜井
11_香久山(かぐやま)
12_畝傍(うねび)
13_金橋(かなはし)
14_高田

このあたりは昔、よく行きましたが、JR桜井線にはあまり乗りませんでした。たいていは、山辺の道を歩いたり、あとはクルマとか……いちばんよく訪れたのは三輪のあたりです。ここには三輪山と大神神社(おおみわじんじゃ)があって、ここを起点にして、山辺の道を天理まで歩いたりとか……飛鳥の方にもときどき足をのばしました。このあたりは、日本とは思えないような大陸的な風景で、狭いはずの奈良盆地なんですが、雄大といってもいい景色が今でもふしぎに印象に残っています。今回、jimon 化してみたくなったのも、そのあたりかなと……

ちなみに、三輪山と大神神社には、『三輪』という能があって、この能を見た感想を以前書いています。興味ある方は、そちらもどうぞ。リンク

今日のkooga:地下街の廃墟/The ruins of the underground market

今池地下街_900

幅が広すぎる通路にずらりとならぶ円柱……これは、名古屋市の地下鉄今池駅の地下街の廃墟です。廃墟らしさはみじんもなく、ただ、ムダに明るくて広い通路。なんにもない。人もほとんど通らない。むなしさをとおりこした、空虚な明るさにみちた空間……人は、ここに佇むとき、三島由紀夫の『豊饒の海』の最後に本多がつぶやく「自分はなにもないところにきてしまった……」という言葉を思い出す。

『豊饒の海』の本多は、輪廻の果てにすべての業(カルマ)が消え失せた「なにもない世界」を見たわけだが、この地下街の廃墟は、それを越えて、もうなんの意味もない、むなしくすらない「均質の場所」を表示する。かつてここには、両側にいろいろな店舗がずらりとならび、それなりに活況を呈していた時期もあった。まんなかの茶色い舗装部分がかつての通路で、両側の白い舗装部分がかつての店舗。

この写真でいうと、たぶん右側の通路のいちばん奥になると思うが……ある動物の名を冠したラーメン店があった。その店で……人の指が出た。ラーメンの中から……当時、新聞にも載って、けっこうな騒ぎになった。もう今から30年くらい前だろうか……なんか、それ以降だったような気がする。この地下街がさびれだしたのは。人通りも減り、シャッターを閉めた店舗が多くなって、忘れられていった。

そして、久しぶりに通ってみたら、このみごとな廃墟。こういうの、「廃墟マニア」とよばれる人々の趣向にかなうのだろうか……廃墟らしい要素がなにもないがゆえに、かえってぶきみにそらおそろしく明るい「ただの空間」……人類は、何万年もの「文明に向かう努力」のはてに、こんなものをつくりだしてしまった。「通路として役立ってるんじゃないの?」……でも、通る人はほとんどいない。

べつに、コワいという感じではない。だから、もっと利用する人がいてもふしぎはないのだが、みんな地上を通る。意味のない空間……それは、もしかしたらもっと本質的にコワいものなのかもしれない。今池の地上は、猥雑で、やっぱりむなしいけれど、至るところに「意味」があふれている。しかし、こういう「意味のない空間」を通るのはコワい。いや、コワいというよりイヤだ。だれも、ここを行きたがらぬ。

ここは、いつまで、このとおりのものとしてあるのだろうか……大災害のときには、臨時の避難所にできるのだろうか……また、昔のようにいろんな店が両側にならぶ、そんなときが来るのだろうか……いろいろ考える。しかし、なにを考えてもただむなしく、私の脳の発する微小振動はたちまちまわりの「無の空間」に吸いこまれて平準化されてしまう……なにもないところにきてしまった……ただ、こうつぶやく以外にない無。

今日のjimon:プリンスエドワード島/Prince Edward Island

プリンスエドワード島_600
プリンスエドワード島……赤毛のアンの島だということは知っていましたが、行ったことはありません……というか、『赤毛のアン』という小説を読んだこともない。最近NHKの朝のドラマでやって話題になったみたいですが、それも見てません。まあ、要するに、まったく関心がない……ということで。

では、なんでそんな関心のないものを jimon 化しようとしたのか……というと、ただ「思いつき」というしかないのですが、カナダの島なのに英国風の名前がなんでだろう……という小さな疑問もありました。それで、調べてみますと、この島には、もともと、ミクマク(micmacs)という先住民族がいた……

それで、島の名前も彼らの言葉で「アベグウェイト」(波の上のゆりかご)という優雅な名称だったらしいのですが、まずフランス領となり、「サン・ジャン島」と呼ばれた。ついで英国領になって「セント・ジョン島」となり、さらに、ハリファックス駐在の英軍指揮官の名をとって今の名になったと。

この英軍指揮官は、ケント公エドワードという方で、ヴィクトリア女王のお父さんにあたる人だそうですが、その家系は449年にまで遡るケント王国(イングランド南東部にあった)だそうで……西ローマ帝国の滅亡が476年なので、まさに古代と中世の境目……ケント王国は、中世初期イギリスの七王国の一つなのでした。

ということで、名前の由来はわかったので、今度は、先住民族のミクマクのことを調べてみました。この民族は、顔付きからするとアジア系というか、モンゴロイドみたいですが、インディアン部族の一つらしく、その歴史は一万年以上前に遡るそうです。プリンスエドワード島に来たのは2000年前とか。

16世紀、17世紀と、フランスと友好関係にあったらしいですが、18世紀のフレンチ・インディアン戦争でフランスがイギリスに負けると、イギリス人が入ってきて彼らの土地を奪い、植民地化が進行して、彼らは狭いコミューンや保留地に追いこまれ、人口も激減したそうです。現在の総人口は4万人とか。

とりあえず、ウィキによると以上のような歴史だそうですが……彼らは、文字も持っており、その一部は今にも伝わっています。インターネットで検索できる範囲でみてみますと、つぎのような文字が出てきました(私が書き写したもの)。「天にましますわれらが父よ」ではじまる、これは祈りの言葉かな?

ミクマク文字_600
赤毛のアンの島の名前をめぐるちょっとした疑問から調べていって、最後はふしぎな文字にたどりつきました……地球って、ふしぎですね。いろんなところにいろんな文化が残っていて、それらがまざりあい、ときには戦いもやって、また平和になって……小説に書かれたりドラマになったり……

そういうもんの総体の上に「今の世界」があるわけだけれど、日頃、われわれは、そういうもんをあんまり認識しません。プリンスエドワード島といえば、「あっ、赤毛のアンの島ね」ということで終わりになってしまう……だけど、ちょっとその下をのぞくと、そこにはスゴイ積層が……

しかしこれは、まだ「人間の歴史」の範囲なので、ここにいろんな生物や、地質年代や……そういうものが加わっていけば、これはもう、無限の過去に開かれた重層また重層の読み物……そして、歴史はどんどん未来に向かってつくられていきます。「あるのは今、ここ」なんだけど、やっぱりスゴイ。

そんなことを、あらためて感じてしまいました。

太田川フィールドワーク/Town walk of Ohtagawa

太田川の家_900

野外活動研究会の人たちと一緒に、愛知県東海市の名鉄太田川駅近辺を歩きました。

野外活動研究会というのは、今からもう40年も前に自然発生した、名古屋市と近辺に住む若者たちの集まりで……いろんなところを歩いているうちに、月日は流れ……今ではほぼ、中高年の集団に……まあ、若い方もおられますが、平均年齢はスゴイです。でも、スゴイわりに死者は少なく、かつての若者たちが集まって今も若者のようにウロウロといろんなところを歩く……歩く……ただ、ひたすら歩きます。

ということで、この間は、真っ青な空が抜けてカリフォルニアのピーカンの日曜に、名鉄太田川駅周辺から尾張横須賀駅まで歩きました……中高年ですが、歩きなれてる人ばっかりなのでだれ一人熱中症にもならず、無事帰還できたのはメデタイことでした……名鉄太田川駅のある東海市は、愛知県の知多半島の付け根のところにある街ですが、ここは、かつては風光明媚な白砂青松の地……

だったかどうかは、その頃を直接知らないのでよくわかりませんが、今はもう、「海岸線」はありません。というか、かつての砂浜の海岸線に接して巨大な埋め立て地ができて、そこには華麗なる?工場群が……ということで、街は工場に封鎖されて……こういう場合、どういう言葉を使ったらいいのかわかりませんが、思わずしらず「御愁傷様で……」という言葉が出てきます。それくらいあわれな……

街って、それぞれの街に、やっぱりいちばんいい「すがた」があると思うんですね。知多半島は、かなりの部分が三紀層という比較的固い地盤からできていて……これは、絶対年代では6430万年前から260万年前ということですが、この時期の終わりに、この知多半島を含む伊勢湾と濃尾平野の大部分は「東海湖」と呼ばれる大きな湖の湖底になっていて、そこに堆積した地層が隆起して……

まあ、いろいろ複雑な変遷はあったと思うんですが、今の知多半島のかたちになった……縄文海進期は今よりさらに海が奥まで入りこんでいたと思いますが、その後、地球の寒冷化によって海は少しずつ退き、知多半島は、三紀層の骨格に、海沿いの砂浜……という地形になった……そういうことではないかと思います。ところが、近年、おそらく昭和に入ってから、名古屋港の埋め立てが進み……

それは、連接する知多半島にも拡大して、白砂青松の砂浜に巨大な埋め立て地が形成され、この地は、いのちともいうべき「海岸」を失いました。かつては、人々が漁業で生計をたて……あるいは良港の利を生かして廻船業も盛んだったかもしれません。そして、おそらくは名古屋や岡崎からの観光も……夏になると、知多半島の砂浜は海水浴のお客さんたちであふれた……

砂浜を埋め立て、コンビナートを建設していくその圧力は、きっとものすごいものだったのでしょう。今も、その「ツメアト」は街の各地に見られます。だいたい、街自体が「なにをやりたいのか」まったくわからないうちに、埋め立て地の工場から落ちるお金で道をつくり、団地をつくり、ハコモノを増殖させ……名鉄太田川駅に降り立ったとき、「なんにもないところにきた」と思った……

それくらい、もうなんにもない感じ。その日はちょうど隣町の尾張横須賀のお祭りで、古い街並を山車が練り歩き、屋台がならんでお客さんがいっぱい……ふだん山車を保存しておく山車蔵の立派さが印象的でした。うーん……きちっと調べてみなければわかりませんが、やっぱりあれだけ立派な山車蔵を造るにはかなりのお金がかかってるんだろーなー……そのお金はどっから出たのか……

街の骨格ともいうべき「基本的なすがた」を失ったかわりに、もし立派な山車蔵が得られたのだとしたら、それってどうなんでしょうか……街は、そこに立ったとき、立っただけで、もうかなりのことがわかります。幸せな街なのか、不幸な街なのか……そこに住む人は、あるいは幸せだというかもしれない。また、ある人は、不幸だというかもしれません。しかし、地の神はどう思ってるのか……

地の神の心……いろんなところへ行くと、やっぱりソレを感じます。この地の、地の神は、今、幸福だろうか……不幸だろうか……今までで、私がいちばんびっくりしたのは、やっぱり越前の敦賀の街でした。敦賀の地の神様である気比の大神をお祀りする気比神宮……ここへお参りしたときのショックは、前にも書きましたが……大岩に押し潰された気比の大神の苦しみがダイレクトに伝わってきて……

私は、あのとき、自分自身の身体と心で、「ゲンパツ」というものの本当のオソロシサを知ったんだと思います。すべての「生命」を圧殺していくあのオソロシイ19世紀の悪魔の発明……これはもう、「地球」自体に対する挑戦であって、この魂の場、いのちの場そのものを巨大な力で押し潰す……ここからはもう、なにも逃れられないし、なにも生まれない……ほんとの闇ってこんなもの……

東海市の太田川の周辺を歩いていても、やっぱりこのオソロシイ「力」は常に感じました。ここにはゲンパツはないし、もうけっこう古くなってまわりにもなじんじゃってる工場が並んでるだけ……なんですが、街の軸は狂い、散漫になって、土地がつくりだす、人の生活をそっと包んでくれるような平和な感じがない……金の力……これは、オソロシイです。ぜんぶ、壊してしまう……

金の力にとらわれた人は、獰猛に、凶暴になります。燃えたぎる油ぎった憤怒の炎が全身から噴きだして、あぶなくて近寄ることもできない……合法的に、そういう力は、人の生活を壊し、地の神を圧殺して世界を破壊していく……今、イスラム国にリクルートされた日本人若者のことが話題になっていますが……それって、トンデモナイことに見えるけれど、ホントにそうなの?

今、この日本という国土、山河は、金の力によって荒れに荒れ、かなりの部分が狂いはじめています。もう、こんな国には夢も希望も持てない……そう感じる若い人が、「神のもとにはすべてが平等」であるイスラムの世界に惹かれる……そういうことがあるとしたら、それもムリからぬことではないでしょうか……この国がダメになるとしたら、それは、山河と地の神をとことん痛めつけたから……

土地の持っているすなおな「気」を、慎重に扱ってそれを整えていく……人間の持っている土木力は、そういうふうに使わないと、ホントにタイヘンなことになると思います。はるかな過去に絶滅した植物の身体を燃やして土地の姿を変えていく……もし、人間が「地球の心」であるとするならば、その選択は、必ず「地球の死」に行き着くしかない……地球は、自殺を考えているのでしょうか?

私もクルマに乗って電気を使ってるので、おんなじことをしているワケだけれど、でも、やっぱり「地球の心」としては、「自殺したい」とは思っていません。というか、むしろ、きちんとやってまともな生活をしたい……と、そう思ってます。人類は、「地球の心」である以上、これから、ものすごく大きな曲り角を迎えざるをえない……なぜなら、地球は、「自殺」を考えてはいないから。

ピーカンの太田川フィールドワークで見たこと、感じたこと……このオソロシイ流れをなんとかしたいなあと思います。いろんなところを見れば見るほど、「土地の気にすなおにしたがう暮らし」というものがあるはずだという気がしてくる……それは、その地の「神社」にふつう、最もよく表現されているわけですが……地の神々は、どう思っておられるのでしょうか……

太田川海岸_900

この写真は、名鉄太田川駅を300mくらい西に行ったところで西、つまり伊勢湾方向を向いて撮ったもので、ビニールハウスの並ぶ向こうに見える林が、おそらくかつての海岸線付近だと思います。今は、林の向こうに国道247(西知多産業道路)が通り、太田川のなれのはての掘割をはさんで、幅が2kmもある広大な埋め立て地が広がり、海ははるか、その先にまで追いやられています。

この埋め立て地は、名古屋港の埋め立て地の中では最大クラスの面積を持っていて、「東海元浜埠頭」という名がついているようです(住所でいうと、東海市東海町5番地)。北半分が昭和37年~46年(1962-1971)に、南半分が昭和47年~56年(1972-1981)に埋め立てられ、新日鉄、新日鉄住金、黒崎播磨名古屋、大同特殊鋼などの工場が立地しています。

http://www.umeshunkyo.or.jp/209/271/data.html

日本の港といえば神戸、横浜で、名古屋港をあげる人はすくない。というか、「名古屋に港ってあったの?」というくらいの認識ではないかと思います。しかし……実は、名古屋港は、総取扱貨物量(2億824万トン)、貿易額(16兆3103億円)、貿易黒字額(5兆8064億円)がいずれも日本一……数値は、平成25年確定値とのことですが、総取扱貨物量が2億トンを越えるのは名古屋港だけ……

この総取扱貨物量の日本一は平成14年から12年連続で記録更新中だそうです。そして、臨港地区面積(陸域)も、4214万8千平米でこれも日本一……この「臨港地区」というのは、港湾管理者(名古屋港の場合には名港管理組合、実質的には愛知県と名古屋市)が「水域と一体的に管理運営する必要がある水際線背後の陸域」を都市計画に基づいて指定したものだそうでして……

この「臨港地区面積」のほとんどは埋立地ということになるから、名古屋港は日本一埋立地の多い港ということになるのでしょう。その様子は、以下のPDFファイルで見ることができます。

クリックしてzentai.pdfにアクセス

これで見ると、東海市、知多市の海岸は、ほぼすべてが「工業港区」になってるのがわかります。

この様子を、例えば神戸港なんかと比べてみるとよくわかるのですが……
http://www.city.kobe.lg.jp/information/committee/port/preservation/img/38rinkouhenkou.pdf#search=’神戸港+臨港地区’
神戸港は、六甲アイランドやポートアイランドがあって、いかにも埋立地の多い印象がありますが、臨港地区の総面積は2107万4千平米(2107.4ha)で、名古屋港の臨港地区面積の約半分……

しかも、六甲アイランドなんかは、ほぼ全域が学術研究、商業、そして居住区だから、「工業港区」の割合はさらに少ない……要するに、名古屋港は、「港の顔をしていない港」であって、また「閉ざされた港」という言い方もできるかもしれません。つまり、純然たる「産業のための港」であって、われわれは立入ることもできず、まったく知らない場所で、知らないことが……

先頃、新日鉄住金の工場で爆発さわぎがあったことは耳新しいですが……白砂青松の海岸がいつのまにか埋め立てられて、だれも知らないうちに海岸線がなくなり、よくわからない場所がどんどん増えている……神戸や横浜みたいな「港情緒」がないというのは名古屋港の人たちも悔しがっているみたいですが、それは、なぜなんでしょうか……どこかが基本的にヘンだなあと思いますが……