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幸せな街・住みやすい村_02/Happy town, livable village_02

イズニックタイル_900

名鉄の太田川駅を降りると、駅舎の一階のガランとした広場の一画に、巨大なクスノキのタイル絵があります。日本の陶板とはちょっとちがった趣だなあ……と思って眺めていたら、横に解説がありました。ちょっと転写してみましょう……
『壁画「くすのき」は、トルコのイズニック財団によって1枚1枚手づくりで制作されました。東海市の木は「くすのき」であり、大宮神社(大田町上浜田)に育つ樹齢1000年と言われる市指定の天然記念物「大田の大樟(おおくす)」をイズニックのデザインで表現しています。(後略)』

じゃあ、イズニックってなあに?ということなんですが、ちゃんと説明も……
『イズニック・タイル 東海市は、トルコ共和国ブルサ市ニルフェル区と姉妹提携をしており、イズニックはニルフェル区と同じブルサ県に属する都市です。イズニック・タイルの生産地として16世紀に最盛期を迎えました。イズニック・タイルは粘土に石英を含み硬質で耐久性があり、鮮やかな発色による美しい文様が特徴です。オスマントルコ時代に建造されたイスタンブールのブルー・モスクやトプカピ宮殿などの建造物にはこのイズニック・タイルが用いられています。近年までその技術は失われていましたが、1993年に設立されたトルコのイズニック財団がこれを研究・再現し今にいたっています。』

なるほど……そういう経緯があったんですか……と感心。これ、太田川の街に降り立って最初に目についた「対象」だったんですが、結局、その日に見たものの中ではいちばんイイ感じで私の中に残りました。日本の小さな街の名もない(失礼、名はある)お宮さんの神木を、トルコの小さな街(人口2万弱)の職人さんたちがせっせとタイル画にしてくださっている……その光景が、なんとなく浮かんでくる……と思ってちょっと調べてみますと、この、イズニックという街の前身は、なんと、あのニカイア(ニケア)でした……古代ギリシア語で勝利の女神を意味するニケーの名を取って造られた紀元前に遡る歴史を有する街……そして、なによりも、あの、キリスト教の歴史を大きく決定づけた「ニカイア公会議」が開催された街……

日本の小さな街の駅で、数千キロも離れた場所にある、1700年近く前にキリスト教の歴史をつくった街の面影に出会う……これもまた、なにかの縁……といいますか、ふしぎなこともあるものだなあと。紀元325年にこの街、ニカイアで開かれた公会議で、古代に勢力を誇っていた初期キリスト教の二大派閥、アリウス派とアタナシウス派は激突します。アリウス派は、父(神)と子(キリスト)はそれぞれ別個の存在であると主張し、これに対し、アタナシウス派は、父と子は本質的に同じ(ホモウーシス)であると主張……で、結果はアタナシウス派が勝利し、ここに有名な「ニカイア信条」(クレド)が採択され、「三位一体論」(トリニティ)の基礎が確立した……これは、キリスト教の歴史上、イエスの死後最大ともいえるエポック……

しかし、このニカイアの街も、その後、トルコに占領されてイスラム化し、いつの頃からか、トルコ人たちに「イズニク」と呼ばれるようになる……イズニック陶器が生まれたのは、オスマン帝国時代(14世紀頃)といわれているようですが、最盛期の16世紀には、コバルトブルーをはじめとするいろんな色が使われるようになって、上の説明にもあるトプカピ(トプカプ)宮殿の壁なんかも飾ったようです。17世紀に入るとこの地の陶器制作技術も衰えはじめて、歴史の彼方に埋もれていったのですが、20世紀の後半に、復興運動が起きて現在に至る……と。イズニック財団のhpがありましたが、トルコ語?でようわからんですが(英語のボタンがあるものの、押しても機能しない)、写真だけみていても美しい……
http://www.iznik.com/
名鉄太田川駅のタイル画の写真もちゃんと出てきます。
http://www.iznik.com/tokai-city-metrosu-tokai-city-japonya

幸せな街・住みやすい村……いろいろ考えてしまいます。太田川の街の名鉄の駅は、改装されてとても立派になっています。このイズニックのタイル画も、やっぱりそれに合わせて造られたものなんでしょう。(イズニック財団のhpの記念写真を見ると、そう思えます)こういうふうに、駅を、そして道を造りかえ、さまざまな公共施設(いわゆるハコモノ)をどんどん造っていく……そのお金はどっから……といえば、それは「海岸線を工場に売って」得たもの……それが、街にとって、はたして幸せな途であったのか……街を歩いていると、やっぱり疑問に思います。イズニックの街は、今はタイル産業と観光で成り立っているみたいですが、住んでいる人たちは幸せなんだろうか……行ったことがないのでわかりませんが、いろいろ考えてしまいます。太田川の人たちは、今はもう名古屋の通勤圏なので、みなさん名古屋におつとめなのかな……?

私の今住んでいる三河の山里も、名古屋市と豊田市の通勤圏なので、ほとんどの人がどっちかの都市におつとめ……一昨日は村の祭りで、いろんな人と話をしましたが、40代の3児のパパは銀行員で、名古屋の御器所というところまで、毎日往復100km近くをクルマで……祖先からの土地を守り、子供を育て、村の行事に参加し、そして子孫に土地を受け渡していく……そういう生活を、これからも、ここの人たちは続けていく(いきたい)のでしょう。人の幸せってなんなんだろう……引き続き、ルソーの『社会契約論』を読んでいますが、とっても興味深い箇所に出くわしました。第三編の第一章、「政府一般について」というところなんですが、このように書いてあります(以下、桑原武夫チームの翻訳による岩波文庫版より転載)。

『どんな自由な行為にも、それを生みだすために協力する二つの原因がある。一つは精神的原因、すなわち、行為をしようと決める意志であり、他は物理的原因、すなわち、この行為を実行する力である。わたしが、ある目的物にむかって歩くときには、第一に、わたしが、そこへ行こうと欲すること、第二に、わたしの足が、わたしをそこへ運ぶこと、が必要である。(中略)政治体にもこれと同じ原動力がある。そこにも同じく力と意志とが区別される。後者は「立法権」とよばれ、前者は「執行権」とよばれる。この二つの協力なしには、何もできないし、何もしてはならない。』

なるほど……ここは明快です。デカルトは、「思惟」の世界と「延長」の世界を考えたけれど、まさにそれを「政治体」に応用するとこうなるわけだ……ということは、「立法権」はデカルトのいう「思惟の世界」のものであって、実際の大きさとかかたちとかをもたない、物質には関係のない精神的な世界のものなのか……これに対して、「執行権」つまり「行政権」は、「延長の世界」のもので、これは実際の物理的世界に「効く」ように働く……「思惟の世界」でつくられた「法律」にしたがって、行政体は物理的なパワーをもって「執行する」というわけですね。「立法」と「行政」をこういうふうに考えたことがなかったので、ここはおおいに参考になりました……と同時に、やっぱり根源的な疑問が……

デカルトは、およそ関係のなさそうな「思惟」の世界と「延長」の世界を結びつけるのにとっても苦労して、結局「松実線」(松実体)という肉体の器官を持ってきたわけですが……ライプニッツになると、さすがにもう少し理詰めで、彼は、この「原理的に無関係な」二つの世界を結合するために、なぜか、二つの世界が「密接に連関して動くかのように」この世界は予定調和によって予め構成されているんだと……つまり、そこには「神の力」が働いてそうなっているんだと……そういうふうに考えたと思います。じゃあ、ルソーはどうなんだろう……彼の理論では、「思惟の世界」にある「立法権」と、「延長の世界」にある「行政権」を「あたかも関連あるかのように」連結するものは、いったいなんだろう……

ここが、ふしぎなところですが……さらに読んでいけばわかるのかもしれませんが……現実にそこがどうなってるのかと考えてみると、これは、やっぱり「法律」ということなんでしょう。すなわち、「立法権」がつくるもの、そして、「行政権」がそれによって物理的なパワーを発揮するもの……それは、やっぱり「法律」……うーん、今まで、「法律」というものを、こういう観点で見たことはなかったなあ……やっぱりヨーロッパですね。徹底的に、「思惟」と「延長」の二大原理から考える。だから、この場合、「法律」というものは、「思惟」の要素と「延長」の要素を二つながら備えているというふしぎなものになる……ということは、「思惟」の要素からするならこれは、「理想」とか「理念」とかいろいろすばらしいものを含められるけれど、「延長」から見るなら実に生臭くキナ臭い……

私は昔から、法律とか政治とか社会とか経済とかが大キライで、だから絵描きになったようなもんなんですが……いや、絵描きがみんなこういうもんがキライとはいいませんが、身の回りをみてみると、キライな人が多いのはたしかです。なんか胡散臭いというか気持ち悪いというか、すっきりせんところの多いもんだなあ……と。まあ、私自身、特許の仕事なんかもちょっとやったので、実際はそういうもんに全くたずさわってこなかったとはいえないんですが……その経験からすると、みんな「法律をうまく使って」儲けたろう、というか、法律って、自分が得をする為にあるもんだと……そう思ってる人のいかに多いことか……でも、虚心坦懐に条文(私の場合は工業所有権法)を読んでみると、これはもう、かなり細心の注意を払って「公平に」なるようになんとか努力してる……

というか、そもそも、物理的な世界で、いろんな立場の人の損得を勘案する前に、まず、精神的な世界で「公正な条文はいかにあるべきか」ということに常に留意しているような印象を受けました。むろん、「立法権」の側にも物理的な圧力がかかって、その結果、本来は物理的世界とは無関係に立てられるべきものである「法律」が歪んでしまうということは、現実にはしょっちゅうあるのでしょうが……でも、昔、私が勝手に思い描いていたみたいに、「法律は為政者の都合のいいようにつくられる」というばかりではないような気が、やはりした。やっぱり……「思惟の世界」のものであるからには、「論理」を無視するわけにはいかないので、そこは、けっこう論理的なものを重視してつくられているなあ……と思いました。世間では「但し……」とかではじまる付則みたいなもので骨抜きに……

とかいわれていますが……まさに、そういう分野もあるのかもしれないけれど、工業所有権法なんかだと、ある程度、というかかなりの程度、論理を重視してつくられている……特許なんかだと、出願して権利を得られれば、それは「儲け」に直結する反面、同業者には確実な「不利益」をもたらす……つまり、「国家の保護」による「独占」が可能になるので、利益をこうむる側と不利益にさらされる側の闘争はシビアなもんです。そういうシビアなところで、法律をつくる側と、それを執行する側はいかにしたらいいのか……私が垣間みることができたのは、工業所有権法における「立法」と「行政」、それに「司法」だけなんですが、おそらくは、法律の全般に亘ってこういうことがあるのでしょう。そして、それによって人の実際の生活が変化を受け、その人たちが住む街や村の姿も変わっていく……

ルソーの『社会契約論』は、岩波文庫の翻訳で200ページ足らずの薄い本ですが、根源的に難解で何回読んでもわからない……だけど、これがフランス革命の理念になり、さらには民主主義の根幹になって現在まで続いている……奴隷制を復活してネット公開処刑もやってしまう「イスラム国」は、このルソーの『社会契約論』に、実力で根源的な叛旗を翻しているように感じます。まあ、論理では、『社会契約論』は論破不可能でしょう。なぜなら……基本のところで、どういうふうに論理が通っているのか、何度読んでもよくわからないところがあるから……しかし、多くの人が、これを「論理的に正しい」と思ってここから「民主主義」を展開させてきた……そして、それに、イスラム国はラジカルな「NO」をつきつける……イスラム国を「狂ってる」というのはカンタンなんでしょうが、じゃあ、ルソーの『社会契約論』をきちんと論理で読み解くことができるんだろうか……ふしぎな世界だ……

結局、ルソーの考え方の根幹には、西洋の思想に共通の「この世界は、一つの論理によって整合されるはずである」という基本思想があるように思います。アタナシウス派とアリウス派の論点の根元的な部分がまさにそこだった……「世界の外なる原理」である「父なる神」と、「世界の内なる原理」である「子なるキリスト」は「同質」(ホモウーシア)であるか、いなか……もし、これが「同質ではない」ということになると、世界の外なる原理と世界の内なる原理が異なることになり、これは大問題です。人は、処女を森に送ってユニコーン(旧約の荒ぶる神)をなだめ、とらえた。その処女(マリア)によって「世界のうち」へと送られたキリストが、外なる神であるユニコーンと「異なる質」のものであるならば、結局、処女によるユニコーンの懐柔と、それによる「根本原理を人間の手に引き入れる」試みは失敗したことになります……

「それは困る」ということで、ニカイアの公会議では、父と子を同質であるとするアタナシウス派が勝利を収めたのでしょう……以後、地中海世界、そしてヨーロッパ世界は、この原理、すなわち、神の原理をキリスト(ロゴス)を介して人間の手中に収める……というやり方で、つぎつぎと「人の世界」を拡大していく……私がこのあいだ、さまよい歩いた太田川の街も、この「ホモウーシスの原理」によって昔ながらの生活があった海岸線を失い、かわりに埋立地と工場と、そこから得られるお金を手にした……立派な駅舎の一階に静かに佇むイズニックの……かつてニカイアの街であった場所で生産されたタイル画……それは、太田川のお宮さんのクスを描いたものなんですが、ふしぎにさわやかで愛らしいそのタイル画の写真を見ながら、やっぱりいろいろ考えてしまいました。幸せな街、住みやすい村……それは、いったいどこにあるのでしょうか……

太田川フィールドワーク/Town walk of Ohtagawa

太田川の家_900

野外活動研究会の人たちと一緒に、愛知県東海市の名鉄太田川駅近辺を歩きました。

野外活動研究会というのは、今からもう40年も前に自然発生した、名古屋市と近辺に住む若者たちの集まりで……いろんなところを歩いているうちに、月日は流れ……今ではほぼ、中高年の集団に……まあ、若い方もおられますが、平均年齢はスゴイです。でも、スゴイわりに死者は少なく、かつての若者たちが集まって今も若者のようにウロウロといろんなところを歩く……歩く……ただ、ひたすら歩きます。

ということで、この間は、真っ青な空が抜けてカリフォルニアのピーカンの日曜に、名鉄太田川駅周辺から尾張横須賀駅まで歩きました……中高年ですが、歩きなれてる人ばっかりなのでだれ一人熱中症にもならず、無事帰還できたのはメデタイことでした……名鉄太田川駅のある東海市は、愛知県の知多半島の付け根のところにある街ですが、ここは、かつては風光明媚な白砂青松の地……

だったかどうかは、その頃を直接知らないのでよくわかりませんが、今はもう、「海岸線」はありません。というか、かつての砂浜の海岸線に接して巨大な埋め立て地ができて、そこには華麗なる?工場群が……ということで、街は工場に封鎖されて……こういう場合、どういう言葉を使ったらいいのかわかりませんが、思わずしらず「御愁傷様で……」という言葉が出てきます。それくらいあわれな……

街って、それぞれの街に、やっぱりいちばんいい「すがた」があると思うんですね。知多半島は、かなりの部分が三紀層という比較的固い地盤からできていて……これは、絶対年代では6430万年前から260万年前ということですが、この時期の終わりに、この知多半島を含む伊勢湾と濃尾平野の大部分は「東海湖」と呼ばれる大きな湖の湖底になっていて、そこに堆積した地層が隆起して……

まあ、いろいろ複雑な変遷はあったと思うんですが、今の知多半島のかたちになった……縄文海進期は今よりさらに海が奥まで入りこんでいたと思いますが、その後、地球の寒冷化によって海は少しずつ退き、知多半島は、三紀層の骨格に、海沿いの砂浜……という地形になった……そういうことではないかと思います。ところが、近年、おそらく昭和に入ってから、名古屋港の埋め立てが進み……

それは、連接する知多半島にも拡大して、白砂青松の砂浜に巨大な埋め立て地が形成され、この地は、いのちともいうべき「海岸」を失いました。かつては、人々が漁業で生計をたて……あるいは良港の利を生かして廻船業も盛んだったかもしれません。そして、おそらくは名古屋や岡崎からの観光も……夏になると、知多半島の砂浜は海水浴のお客さんたちであふれた……

砂浜を埋め立て、コンビナートを建設していくその圧力は、きっとものすごいものだったのでしょう。今も、その「ツメアト」は街の各地に見られます。だいたい、街自体が「なにをやりたいのか」まったくわからないうちに、埋め立て地の工場から落ちるお金で道をつくり、団地をつくり、ハコモノを増殖させ……名鉄太田川駅に降り立ったとき、「なんにもないところにきた」と思った……

それくらい、もうなんにもない感じ。その日はちょうど隣町の尾張横須賀のお祭りで、古い街並を山車が練り歩き、屋台がならんでお客さんがいっぱい……ふだん山車を保存しておく山車蔵の立派さが印象的でした。うーん……きちっと調べてみなければわかりませんが、やっぱりあれだけ立派な山車蔵を造るにはかなりのお金がかかってるんだろーなー……そのお金はどっから出たのか……

街の骨格ともいうべき「基本的なすがた」を失ったかわりに、もし立派な山車蔵が得られたのだとしたら、それってどうなんでしょうか……街は、そこに立ったとき、立っただけで、もうかなりのことがわかります。幸せな街なのか、不幸な街なのか……そこに住む人は、あるいは幸せだというかもしれない。また、ある人は、不幸だというかもしれません。しかし、地の神はどう思ってるのか……

地の神の心……いろんなところへ行くと、やっぱりソレを感じます。この地の、地の神は、今、幸福だろうか……不幸だろうか……今までで、私がいちばんびっくりしたのは、やっぱり越前の敦賀の街でした。敦賀の地の神様である気比の大神をお祀りする気比神宮……ここへお参りしたときのショックは、前にも書きましたが……大岩に押し潰された気比の大神の苦しみがダイレクトに伝わってきて……

私は、あのとき、自分自身の身体と心で、「ゲンパツ」というものの本当のオソロシサを知ったんだと思います。すべての「生命」を圧殺していくあのオソロシイ19世紀の悪魔の発明……これはもう、「地球」自体に対する挑戦であって、この魂の場、いのちの場そのものを巨大な力で押し潰す……ここからはもう、なにも逃れられないし、なにも生まれない……ほんとの闇ってこんなもの……

東海市の太田川の周辺を歩いていても、やっぱりこのオソロシイ「力」は常に感じました。ここにはゲンパツはないし、もうけっこう古くなってまわりにもなじんじゃってる工場が並んでるだけ……なんですが、街の軸は狂い、散漫になって、土地がつくりだす、人の生活をそっと包んでくれるような平和な感じがない……金の力……これは、オソロシイです。ぜんぶ、壊してしまう……

金の力にとらわれた人は、獰猛に、凶暴になります。燃えたぎる油ぎった憤怒の炎が全身から噴きだして、あぶなくて近寄ることもできない……合法的に、そういう力は、人の生活を壊し、地の神を圧殺して世界を破壊していく……今、イスラム国にリクルートされた日本人若者のことが話題になっていますが……それって、トンデモナイことに見えるけれど、ホントにそうなの?

今、この日本という国土、山河は、金の力によって荒れに荒れ、かなりの部分が狂いはじめています。もう、こんな国には夢も希望も持てない……そう感じる若い人が、「神のもとにはすべてが平等」であるイスラムの世界に惹かれる……そういうことがあるとしたら、それもムリからぬことではないでしょうか……この国がダメになるとしたら、それは、山河と地の神をとことん痛めつけたから……

土地の持っているすなおな「気」を、慎重に扱ってそれを整えていく……人間の持っている土木力は、そういうふうに使わないと、ホントにタイヘンなことになると思います。はるかな過去に絶滅した植物の身体を燃やして土地の姿を変えていく……もし、人間が「地球の心」であるとするならば、その選択は、必ず「地球の死」に行き着くしかない……地球は、自殺を考えているのでしょうか?

私もクルマに乗って電気を使ってるので、おんなじことをしているワケだけれど、でも、やっぱり「地球の心」としては、「自殺したい」とは思っていません。というか、むしろ、きちんとやってまともな生活をしたい……と、そう思ってます。人類は、「地球の心」である以上、これから、ものすごく大きな曲り角を迎えざるをえない……なぜなら、地球は、「自殺」を考えてはいないから。

ピーカンの太田川フィールドワークで見たこと、感じたこと……このオソロシイ流れをなんとかしたいなあと思います。いろんなところを見れば見るほど、「土地の気にすなおにしたがう暮らし」というものがあるはずだという気がしてくる……それは、その地の「神社」にふつう、最もよく表現されているわけですが……地の神々は、どう思っておられるのでしょうか……

太田川海岸_900

この写真は、名鉄太田川駅を300mくらい西に行ったところで西、つまり伊勢湾方向を向いて撮ったもので、ビニールハウスの並ぶ向こうに見える林が、おそらくかつての海岸線付近だと思います。今は、林の向こうに国道247(西知多産業道路)が通り、太田川のなれのはての掘割をはさんで、幅が2kmもある広大な埋め立て地が広がり、海ははるか、その先にまで追いやられています。

この埋め立て地は、名古屋港の埋め立て地の中では最大クラスの面積を持っていて、「東海元浜埠頭」という名がついているようです(住所でいうと、東海市東海町5番地)。北半分が昭和37年~46年(1962-1971)に、南半分が昭和47年~56年(1972-1981)に埋め立てられ、新日鉄、新日鉄住金、黒崎播磨名古屋、大同特殊鋼などの工場が立地しています。

http://www.umeshunkyo.or.jp/209/271/data.html

日本の港といえば神戸、横浜で、名古屋港をあげる人はすくない。というか、「名古屋に港ってあったの?」というくらいの認識ではないかと思います。しかし……実は、名古屋港は、総取扱貨物量(2億824万トン)、貿易額(16兆3103億円)、貿易黒字額(5兆8064億円)がいずれも日本一……数値は、平成25年確定値とのことですが、総取扱貨物量が2億トンを越えるのは名古屋港だけ……

この総取扱貨物量の日本一は平成14年から12年連続で記録更新中だそうです。そして、臨港地区面積(陸域)も、4214万8千平米でこれも日本一……この「臨港地区」というのは、港湾管理者(名古屋港の場合には名港管理組合、実質的には愛知県と名古屋市)が「水域と一体的に管理運営する必要がある水際線背後の陸域」を都市計画に基づいて指定したものだそうでして……

この「臨港地区面積」のほとんどは埋立地ということになるから、名古屋港は日本一埋立地の多い港ということになるのでしょう。その様子は、以下のPDFファイルで見ることができます。

クリックしてzentai.pdfにアクセス

これで見ると、東海市、知多市の海岸は、ほぼすべてが「工業港区」になってるのがわかります。

この様子を、例えば神戸港なんかと比べてみるとよくわかるのですが……
http://www.city.kobe.lg.jp/information/committee/port/preservation/img/38rinkouhenkou.pdf#search=’神戸港+臨港地区’
神戸港は、六甲アイランドやポートアイランドがあって、いかにも埋立地の多い印象がありますが、臨港地区の総面積は2107万4千平米(2107.4ha)で、名古屋港の臨港地区面積の約半分……

しかも、六甲アイランドなんかは、ほぼ全域が学術研究、商業、そして居住区だから、「工業港区」の割合はさらに少ない……要するに、名古屋港は、「港の顔をしていない港」であって、また「閉ざされた港」という言い方もできるかもしれません。つまり、純然たる「産業のための港」であって、われわれは立入ることもできず、まったく知らない場所で、知らないことが……

先頃、新日鉄住金の工場で爆発さわぎがあったことは耳新しいですが……白砂青松の海岸がいつのまにか埋め立てられて、だれも知らないうちに海岸線がなくなり、よくわからない場所がどんどん増えている……神戸や横浜みたいな「港情緒」がないというのは名古屋港の人たちも悔しがっているみたいですが、それは、なぜなんでしょうか……どこかが基本的にヘンだなあと思いますが……