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日本難民/Japanese refugee

日本難民_600
今、シリアの内戦で、シリア難民の人々が大挙してヨーロッパに押し寄せているというニュースを連日やっています。私は、正直、難民ということについては、漠然とした概念しかなかったんですが、連日の報道をきいているうちに、やっぱりこれは、タイヘンなことだなあ……と思うようになりました。

難民というとどうしてもアフリカとか東南アジアのイメージが強かったんですが、ウィキで調べてみますと、アジアが第1位で562万人、アフリカが2位で230万人、ヨーロッパが3位で163万人、そして以下、北米45万人、南米37万人、オセアニア3万5千人と続きます。1位はアジアだったんですね。

これは、2009年の統計ということで、今は少し違っているのかもしれませんが、とにかく、住む場所を追われてさまよわなければならない人がこれだけいる。シリア難民に対してドイツ政府は大英断で大量の受け入れを発表しましたが、日本は?……というと、難民認定を申請した人5000人のうち、認定が11人……

これは、2014年の数字だそうですが、あまりにも少ないんじゃないか……ということで、いろいろ批判が出ている。たしかに、もっと受け入れてもよさそうなもんだが……とか思っているうちに、ン? まてよ? なんだかヘンだぞ……と。「受け入れ」を前提にしゃべってますが、「難民になる」ということはないの?

つまり、日本人が難民になって、世界に散らばる……外国に「受け入れて」もらわねばならないハメになる……そういう可能性は、ゼロなんでしょうか……あまりにも突飛で、現実離れした空想のように思われるかもしれませんが、でも、先の原発事故のことなんか考えてみると、やっぱり全くの空想ともいえない?

2011年3.11の福島原発の事故は、とりあえずあのかたちで済んでいる……というか、まだぜんぜん済んでないワケですが、場合によっては、東京都民の避難が必要になるというところまでいく可能性もあったとききます。もしそれがホントだとしたら、これはタイヘンなことだ……関東圏に避難対象が及ぶと……

東京都の人口1300万人だけじゃなく、いわゆる広域関東圏(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、長野、新潟、山梨、静岡)の人口5000万人が避難するという事態になったとすると、これはタイヘン。5000万人といえば、日本の全人口1億3000万人の約40%にあたる。アジア難民の562万の十倍近い。

これに、東北の各県(福島、宮城、岩手、青森、秋田、山形)の総人口約900万を加えると、全人口の45%、つまり、日本の約半分の人が住む家を失う……この想定、「ありえねー」と一笑に付す方もおられるかもしれませんが、でも、福島の事故がもうちょっと拡大してたら、現実にそうなったのでは。

というか、あのゲンパツ事故のときは、アメリカなんかは在留米人に、80kmを避難区域としたとききます。日本は20kmだったけど。実際のところはどうだったのでしょうか。政府は、大混乱になるのを怖れて、ホントのところ(汚染状況)を発表しなかったのでは……そういう疑いも払拭できない。

まあ、それくらい、日本政府のいうことは信用できないわけですが……もし、ダレの目から見ても汚染がさらに顕著になってたとしたら、やっぱり「人口の半分避難」が現実的になってたと思います。そうすると、もう日本は崩壊ですから、大量の「難民」が発生したでしょう。そうならなかったのは、単に偶然??

ABくんは、このごにおよんでまだ再稼働・推進!なんて言ってるから、このリスクは、これからも高まりこそすれ、低くはなりません。これに加えて、新安保で日本が武力攻撃やテロの対象になる危険もぐんと高まるし……さらに、政府の「2極化方針」で、経済的に破綻する人がこれから続々出てくる。こっちも大問題。

日本の人口の半分が住む地域が「汚染」されてしまったら、もう物理的にかなりの人が国外に出ざるをえなくなるのでしょうが、「住めなくなる」地域がもっと小さかったとしても、この「2極化」によって、やはり国外に追い出される人がどんどん増えてくるのでは……ということは、日本が内戦状態になる??

こんなことをいうと、また「ありえねー」という声が聞えてきそうですが、これって、そんなに「想定外」ですませていていいのでしょうか……これからは、経済的な格差がどんどん拡大して、「持たざる若者」はものすごく苦しい立場に追いやられていきます。みな、そうならないように必死にがんばってるけど……

ABくんの政策自体が、「格差、広げたるでー」というものだから、もうどうしようもないでしょう。彼が否定している「徴兵制」も、経済徴兵というのでしょうか、「持たざる若者」は否応なくそういう「苦役」に追いこまれる。むろんこれは、男女関係なく……まあ、こんなところで「女性の活躍」というのかなあ……

ということで、2極化するということは、価値観が分裂するということだから、まあ、お定まりの「圧政と弾圧」ということで、ヒサンなことに……その先は考えたくありませんが、国内の価値観が大きく乖離してくると、これは、外からのいろんな力の介入する余地を大きく広げるので、乖離はますますひどくなる。

たとえ原発事故で、国土の半分が住めなくなっても、国内の価値観がある程度統一されていれば、なんとか残った国土に受け入れることができるかもしれません。この場合は「国内難民」で、今、福島の方々はこういう状態になってるわけですが、大部分の人が、見知らぬ外国に出ていかなくてもすむ。

しかし、2極化のはてに国内の価値観に大きな乖離が生まれてしまえば、おそらく多くの人々が国外に脱出せざるをえなくなるでしょう。「ありえねー」と、今は笑いとばせますが、でも、ABくんたちは、着々とその準備を進めている。「原発再稼働」と「2極化推進」。これをふたつとも、ガンガン進めてます。

ということで、私は、近い将来、「日本難民」が大量に発生する可能性が、従来に比べてはるかに高まってきていると思います。原発事故の連鎖(これは十分ありえる)で、沖縄を除く国土全体を放棄しなければならない可能性だってゼロじゃない。その場合、沖縄だけで本土人口全員を受け入れるのはムリだし……

そもそも、沖縄の方々に拒否されるでしょう。今まで米軍基地をいっぱい押しつけておいて、いざとなったら助けて~はあまりにムシがよすぎる。そうすると、日本国民のほとんどが難民となって海外に流出せざるをえない……「日本難民」……じつは、これをシュミレーションした小説が、かつてありました。

小松左京さんの『日本沈没』。半世紀前に書かれた第一部は、日本列島が沈没して、日本人全員が海外に避難せざるをえなくなったところで終わっていましたが、十年くらい前に書かれた第二部(谷甲州氏との共著)では、海外の各地に散った「日本難民」のその後が、かなり詳細に描かれています。

共著者の谷甲州さんは、東南アジアでの生活がけっこう長かったみたいで、そのあたりはかなりリアルです。なるほど、こうなるのか……実際は、なってみないとわからないのでしょうが、「難民ルート」というのは、やっぱりあるんですね。今回の、シリア難民の方々がドイツをめざしたといのもそうなんですが……

シリアとドイツ? 遠い国に住むわれわれには、「なんでドイツなの?」という疑問が湧くわけですが……もちろん、今、ドイツが経済的に繁栄しているというのはいちばん大きいでしょう。でも、歴史的にみると、このルートは、中世末期に、まさにオスマントルコがヨーロッパに迫ったときのルートそのままだ……

中世ヨーロッパでは、その東の入口がオーストリアのウィーンでした。ウィーンは、オスマントルコの皇帝たちから、「黄金のリンゴ」と呼ばれていて、なんとかして手に入れたい「羨望の地」だった。トルコの軍勢は、バルカン半島からセルビア、ハンガリーを手に入れ、ついにウィーンに迫ります。

ヨーロッパ白地図詳細入り_900
ウィーン包囲は、1529年と1683年の2回あったみたいですが、このうち1683年9月12日のウィーン攻防戦は映画化もされてます。このときは、皇帝レオポルト1世のウィーン脱出というところまでいったらしい。当時、ドイツは、神聖ローマ帝国という名ばかりの「帝国」のもとに、実際は封建領主や教会の群雄割拠の四分五烈状態……

ウィーンハプスブルグ家の皇帝レオポルト1世も、「皇帝」という名にふさわしい権力は持ってなかったみたいで、ポーランド王ヤン3世の援助まで頼んで、なんとかこの危機をきりぬけた……今の状況を見てみると、なんか、当時の状況が彷彿とされます。といっても、むろん今のシリア難民の方々は、「攻略」じゃなくて……

母国の危機的な政治状況で国外に「逃げざるをえない」わけですが(実はシリア国内の難民の方がはるかに多いけれど)……ただ、この背景には、アラブ諸国の政治的不安定(これまでの独裁政権のツケ)と、それに乗じたイスラム国やアルカイダの膨張がある。ヨーロッパは、これに対し、かつての神聖ローマ帝国の亡霊?のEUで…

となると、これはあまりに図式的というおしかりを受けるかもしれませんが、どうなんでしょうか。考えてみると、ヨーロッパという地域は、常に「アラブの圧力」で自分たちを形成していったみたいな……そんな歴史の大枠があるんじゃないかと思います。なので、また、その周期がめぐってきたのか……それはわかりませんが。

じゃあ、日本はどうなんだろう……日本を含む東アジアに、そういう「民族圧力往来」みたいなことはあったのか……直近では、やっぱり先の大戦のときの、日本自身の「膨張政策」がアタマに浮かびますが、江戸期300年の鎖国のあいだを除いて、やっぱり日本は、大陸や南方への「膨張」を、たぶんくりかえしていた……

それは、いろんなかたちで、そうだったと思います。神功皇后や秀吉みたいな「わかりやすい軍事作戦」ばっかりじゃなくても。そして、現在も、経済政策というかたちになって、アジア各地域への「膨張」は続く……もし、日本の全人口の半数が難民化した場合には、やっぱりこの「膨張」ルートがベースになるんでしょうか。

もしその場合、アジアの各国は、「日本難民」をちゃんと受け入れてくれるんだろうか……日本国と日本人の、アジアの各国における「受けとられかた」はどうなんでしょうね。少なくとも、中国や朝鮮半島においては、「過去の侵略」があるから、場合によっては大いに反発をくらう可能性も……

日本植民地最大版図_900
ヨーロッパにおいては、「イスラムの侵攻」は、今も悪夢のように人々の心に残っているから、シリア難民の方々も、けっして諸手を上げて受け入れ……というわけではないのでしょう。しかしちゃんと……受け入れられているように、現段階ではみえます。大人だなあ(むろん、反発する人も多いけれど)……

これは、やっぱり、西欧世界の理性を最高基準とする「思想」の成果なんでしょうか……その点は、率直にスゴイなあと思います。中国なんかも、今は、日本人の目には「メチャクチャの国」に映るけど、もしかしたら、日本よりずっと「大人の国」なのかもしれない……これは、今の日本人の心情と真逆だけれど……

それは、日本から大量の「難民」が発生したときに明らかになるのでしょう。そして、もしかしたらそういう時期も意外に近いのかもしれません(AB政権はまだまだ続きそうだし)。さて、そのとき、日本人は、どういうふうに「評価」され、受け入れられるんだろうか……あるいは、受け入れられないんでしょうか……

なんせ、狭い国土ですから、ちょっとゲンパツがポン!といっただけで、大量の「難民発生」は火を見るより明らか。あの事故のときに反省して「全原発即時廃炉」にふみきってれば、ちょっとはリスクは下がったのでしょうが……もう遅いですね。ナンマンダブ……

幸せな街・住みやすい村_02/Happy town, livable village_02

イズニックタイル_900

名鉄の太田川駅を降りると、駅舎の一階のガランとした広場の一画に、巨大なクスノキのタイル絵があります。日本の陶板とはちょっとちがった趣だなあ……と思って眺めていたら、横に解説がありました。ちょっと転写してみましょう……
『壁画「くすのき」は、トルコのイズニック財団によって1枚1枚手づくりで制作されました。東海市の木は「くすのき」であり、大宮神社(大田町上浜田)に育つ樹齢1000年と言われる市指定の天然記念物「大田の大樟(おおくす)」をイズニックのデザインで表現しています。(後略)』

じゃあ、イズニックってなあに?ということなんですが、ちゃんと説明も……
『イズニック・タイル 東海市は、トルコ共和国ブルサ市ニルフェル区と姉妹提携をしており、イズニックはニルフェル区と同じブルサ県に属する都市です。イズニック・タイルの生産地として16世紀に最盛期を迎えました。イズニック・タイルは粘土に石英を含み硬質で耐久性があり、鮮やかな発色による美しい文様が特徴です。オスマントルコ時代に建造されたイスタンブールのブルー・モスクやトプカピ宮殿などの建造物にはこのイズニック・タイルが用いられています。近年までその技術は失われていましたが、1993年に設立されたトルコのイズニック財団がこれを研究・再現し今にいたっています。』

なるほど……そういう経緯があったんですか……と感心。これ、太田川の街に降り立って最初に目についた「対象」だったんですが、結局、その日に見たものの中ではいちばんイイ感じで私の中に残りました。日本の小さな街の名もない(失礼、名はある)お宮さんの神木を、トルコの小さな街(人口2万弱)の職人さんたちがせっせとタイル画にしてくださっている……その光景が、なんとなく浮かんでくる……と思ってちょっと調べてみますと、この、イズニックという街の前身は、なんと、あのニカイア(ニケア)でした……古代ギリシア語で勝利の女神を意味するニケーの名を取って造られた紀元前に遡る歴史を有する街……そして、なによりも、あの、キリスト教の歴史を大きく決定づけた「ニカイア公会議」が開催された街……

日本の小さな街の駅で、数千キロも離れた場所にある、1700年近く前にキリスト教の歴史をつくった街の面影に出会う……これもまた、なにかの縁……といいますか、ふしぎなこともあるものだなあと。紀元325年にこの街、ニカイアで開かれた公会議で、古代に勢力を誇っていた初期キリスト教の二大派閥、アリウス派とアタナシウス派は激突します。アリウス派は、父(神)と子(キリスト)はそれぞれ別個の存在であると主張し、これに対し、アタナシウス派は、父と子は本質的に同じ(ホモウーシス)であると主張……で、結果はアタナシウス派が勝利し、ここに有名な「ニカイア信条」(クレド)が採択され、「三位一体論」(トリニティ)の基礎が確立した……これは、キリスト教の歴史上、イエスの死後最大ともいえるエポック……

しかし、このニカイアの街も、その後、トルコに占領されてイスラム化し、いつの頃からか、トルコ人たちに「イズニク」と呼ばれるようになる……イズニック陶器が生まれたのは、オスマン帝国時代(14世紀頃)といわれているようですが、最盛期の16世紀には、コバルトブルーをはじめとするいろんな色が使われるようになって、上の説明にもあるトプカピ(トプカプ)宮殿の壁なんかも飾ったようです。17世紀に入るとこの地の陶器制作技術も衰えはじめて、歴史の彼方に埋もれていったのですが、20世紀の後半に、復興運動が起きて現在に至る……と。イズニック財団のhpがありましたが、トルコ語?でようわからんですが(英語のボタンがあるものの、押しても機能しない)、写真だけみていても美しい……
http://www.iznik.com/
名鉄太田川駅のタイル画の写真もちゃんと出てきます。
http://www.iznik.com/tokai-city-metrosu-tokai-city-japonya

幸せな街・住みやすい村……いろいろ考えてしまいます。太田川の街の名鉄の駅は、改装されてとても立派になっています。このイズニックのタイル画も、やっぱりそれに合わせて造られたものなんでしょう。(イズニック財団のhpの記念写真を見ると、そう思えます)こういうふうに、駅を、そして道を造りかえ、さまざまな公共施設(いわゆるハコモノ)をどんどん造っていく……そのお金はどっから……といえば、それは「海岸線を工場に売って」得たもの……それが、街にとって、はたして幸せな途であったのか……街を歩いていると、やっぱり疑問に思います。イズニックの街は、今はタイル産業と観光で成り立っているみたいですが、住んでいる人たちは幸せなんだろうか……行ったことがないのでわかりませんが、いろいろ考えてしまいます。太田川の人たちは、今はもう名古屋の通勤圏なので、みなさん名古屋におつとめなのかな……?

私の今住んでいる三河の山里も、名古屋市と豊田市の通勤圏なので、ほとんどの人がどっちかの都市におつとめ……一昨日は村の祭りで、いろんな人と話をしましたが、40代の3児のパパは銀行員で、名古屋の御器所というところまで、毎日往復100km近くをクルマで……祖先からの土地を守り、子供を育て、村の行事に参加し、そして子孫に土地を受け渡していく……そういう生活を、これからも、ここの人たちは続けていく(いきたい)のでしょう。人の幸せってなんなんだろう……引き続き、ルソーの『社会契約論』を読んでいますが、とっても興味深い箇所に出くわしました。第三編の第一章、「政府一般について」というところなんですが、このように書いてあります(以下、桑原武夫チームの翻訳による岩波文庫版より転載)。

『どんな自由な行為にも、それを生みだすために協力する二つの原因がある。一つは精神的原因、すなわち、行為をしようと決める意志であり、他は物理的原因、すなわち、この行為を実行する力である。わたしが、ある目的物にむかって歩くときには、第一に、わたしが、そこへ行こうと欲すること、第二に、わたしの足が、わたしをそこへ運ぶこと、が必要である。(中略)政治体にもこれと同じ原動力がある。そこにも同じく力と意志とが区別される。後者は「立法権」とよばれ、前者は「執行権」とよばれる。この二つの協力なしには、何もできないし、何もしてはならない。』

なるほど……ここは明快です。デカルトは、「思惟」の世界と「延長」の世界を考えたけれど、まさにそれを「政治体」に応用するとこうなるわけだ……ということは、「立法権」はデカルトのいう「思惟の世界」のものであって、実際の大きさとかかたちとかをもたない、物質には関係のない精神的な世界のものなのか……これに対して、「執行権」つまり「行政権」は、「延長の世界」のもので、これは実際の物理的世界に「効く」ように働く……「思惟の世界」でつくられた「法律」にしたがって、行政体は物理的なパワーをもって「執行する」というわけですね。「立法」と「行政」をこういうふうに考えたことがなかったので、ここはおおいに参考になりました……と同時に、やっぱり根源的な疑問が……

デカルトは、およそ関係のなさそうな「思惟」の世界と「延長」の世界を結びつけるのにとっても苦労して、結局「松実線」(松実体)という肉体の器官を持ってきたわけですが……ライプニッツになると、さすがにもう少し理詰めで、彼は、この「原理的に無関係な」二つの世界を結合するために、なぜか、二つの世界が「密接に連関して動くかのように」この世界は予定調和によって予め構成されているんだと……つまり、そこには「神の力」が働いてそうなっているんだと……そういうふうに考えたと思います。じゃあ、ルソーはどうなんだろう……彼の理論では、「思惟の世界」にある「立法権」と、「延長の世界」にある「行政権」を「あたかも関連あるかのように」連結するものは、いったいなんだろう……

ここが、ふしぎなところですが……さらに読んでいけばわかるのかもしれませんが……現実にそこがどうなってるのかと考えてみると、これは、やっぱり「法律」ということなんでしょう。すなわち、「立法権」がつくるもの、そして、「行政権」がそれによって物理的なパワーを発揮するもの……それは、やっぱり「法律」……うーん、今まで、「法律」というものを、こういう観点で見たことはなかったなあ……やっぱりヨーロッパですね。徹底的に、「思惟」と「延長」の二大原理から考える。だから、この場合、「法律」というものは、「思惟」の要素と「延長」の要素を二つながら備えているというふしぎなものになる……ということは、「思惟」の要素からするならこれは、「理想」とか「理念」とかいろいろすばらしいものを含められるけれど、「延長」から見るなら実に生臭くキナ臭い……

私は昔から、法律とか政治とか社会とか経済とかが大キライで、だから絵描きになったようなもんなんですが……いや、絵描きがみんなこういうもんがキライとはいいませんが、身の回りをみてみると、キライな人が多いのはたしかです。なんか胡散臭いというか気持ち悪いというか、すっきりせんところの多いもんだなあ……と。まあ、私自身、特許の仕事なんかもちょっとやったので、実際はそういうもんに全くたずさわってこなかったとはいえないんですが……その経験からすると、みんな「法律をうまく使って」儲けたろう、というか、法律って、自分が得をする為にあるもんだと……そう思ってる人のいかに多いことか……でも、虚心坦懐に条文(私の場合は工業所有権法)を読んでみると、これはもう、かなり細心の注意を払って「公平に」なるようになんとか努力してる……

というか、そもそも、物理的な世界で、いろんな立場の人の損得を勘案する前に、まず、精神的な世界で「公正な条文はいかにあるべきか」ということに常に留意しているような印象を受けました。むろん、「立法権」の側にも物理的な圧力がかかって、その結果、本来は物理的世界とは無関係に立てられるべきものである「法律」が歪んでしまうということは、現実にはしょっちゅうあるのでしょうが……でも、昔、私が勝手に思い描いていたみたいに、「法律は為政者の都合のいいようにつくられる」というばかりではないような気が、やはりした。やっぱり……「思惟の世界」のものであるからには、「論理」を無視するわけにはいかないので、そこは、けっこう論理的なものを重視してつくられているなあ……と思いました。世間では「但し……」とかではじまる付則みたいなもので骨抜きに……

とかいわれていますが……まさに、そういう分野もあるのかもしれないけれど、工業所有権法なんかだと、ある程度、というかかなりの程度、論理を重視してつくられている……特許なんかだと、出願して権利を得られれば、それは「儲け」に直結する反面、同業者には確実な「不利益」をもたらす……つまり、「国家の保護」による「独占」が可能になるので、利益をこうむる側と不利益にさらされる側の闘争はシビアなもんです。そういうシビアなところで、法律をつくる側と、それを執行する側はいかにしたらいいのか……私が垣間みることができたのは、工業所有権法における「立法」と「行政」、それに「司法」だけなんですが、おそらくは、法律の全般に亘ってこういうことがあるのでしょう。そして、それによって人の実際の生活が変化を受け、その人たちが住む街や村の姿も変わっていく……

ルソーの『社会契約論』は、岩波文庫の翻訳で200ページ足らずの薄い本ですが、根源的に難解で何回読んでもわからない……だけど、これがフランス革命の理念になり、さらには民主主義の根幹になって現在まで続いている……奴隷制を復活してネット公開処刑もやってしまう「イスラム国」は、このルソーの『社会契約論』に、実力で根源的な叛旗を翻しているように感じます。まあ、論理では、『社会契約論』は論破不可能でしょう。なぜなら……基本のところで、どういうふうに論理が通っているのか、何度読んでもよくわからないところがあるから……しかし、多くの人が、これを「論理的に正しい」と思ってここから「民主主義」を展開させてきた……そして、それに、イスラム国はラジカルな「NO」をつきつける……イスラム国を「狂ってる」というのはカンタンなんでしょうが、じゃあ、ルソーの『社会契約論』をきちんと論理で読み解くことができるんだろうか……ふしぎな世界だ……

結局、ルソーの考え方の根幹には、西洋の思想に共通の「この世界は、一つの論理によって整合されるはずである」という基本思想があるように思います。アタナシウス派とアリウス派の論点の根元的な部分がまさにそこだった……「世界の外なる原理」である「父なる神」と、「世界の内なる原理」である「子なるキリスト」は「同質」(ホモウーシア)であるか、いなか……もし、これが「同質ではない」ということになると、世界の外なる原理と世界の内なる原理が異なることになり、これは大問題です。人は、処女を森に送ってユニコーン(旧約の荒ぶる神)をなだめ、とらえた。その処女(マリア)によって「世界のうち」へと送られたキリストが、外なる神であるユニコーンと「異なる質」のものであるならば、結局、処女によるユニコーンの懐柔と、それによる「根本原理を人間の手に引き入れる」試みは失敗したことになります……

「それは困る」ということで、ニカイアの公会議では、父と子を同質であるとするアタナシウス派が勝利を収めたのでしょう……以後、地中海世界、そしてヨーロッパ世界は、この原理、すなわち、神の原理をキリスト(ロゴス)を介して人間の手中に収める……というやり方で、つぎつぎと「人の世界」を拡大していく……私がこのあいだ、さまよい歩いた太田川の街も、この「ホモウーシスの原理」によって昔ながらの生活があった海岸線を失い、かわりに埋立地と工場と、そこから得られるお金を手にした……立派な駅舎の一階に静かに佇むイズニックの……かつてニカイアの街であった場所で生産されたタイル画……それは、太田川のお宮さんのクスを描いたものなんですが、ふしぎにさわやかで愛らしいそのタイル画の写真を見ながら、やっぱりいろいろ考えてしまいました。幸せな街、住みやすい村……それは、いったいどこにあるのでしょうか……