豊田市にある「ナンハウス」というインド料理のお店で、カレーを食べました。
ここのマークの象さん、とてもふしぎな表情です。ものうげ……というのがいちばん当たってるかな?メランコリック・エレファント。ふつう、お店のマークなんかに使うキャラクタって、もっと楽しそうなのが多いと思うんですが……
なぜか、ここの象さんは悲しげ。というか、ちょっとイヤがってるような表情。でもカワイイ。ふしぎだ……なんで、こんな表情にしたんだろう……
ここは、インド人がやってる本格インド料理のお店ということなんですが、ランチタイムはリーズナブルで、チキンカレーとナンのセットが900円。スープとサラダとドリンクバーつき。しかも、ナンが超巨大。
なので、いつも満員。この日は日曜だったので、お客さんが分散したのでしょうか、ちょっとすいてましたが……雰囲気もなかなかよく、出窓には大きなインドの彫刻が……これ、ナンでしょうか?
グーグルの画像検索で調べてみると、持っている武具?の形状からして、どうやらガネーシャらしい。でも、ガネーシャって、アタマが象じゃなかったっけ……
しかし、いろんな画像の中には、人間のアタマのガネーシャもいるようで、どうもこれに該当するのでは……マークが象のお店なら、出窓にガネーシャがあってもおかしくありません。こんど、お店の人に聞いてみようっと。
ということで、おいしいカレーを食べたあとは、豊田市美術館へ。ここは、丸一年かけて改装工事が行われ、つい先頃、リニューアルオープンしたばかり……なんですが、行ってみると、以前と同じで、いったいどこを改装したんでしょう? というような感じでした。一年も休館だったのに……
豊田市は、お金持ちなので、美術館もやたらに立派です。現代美術の好きな職員さんが多いみたいで、現代美術のバリバリの展覧会をよくやってくれるのもうれしい。今回は、メインの展覧会が、現代美術家の山口啓介さんの『カナリア』と題する個展?だったんですが……
私は、この人の作品は、どうも肌合いが合わないみたいで……そちらよりも、一階でやっていた、『時と意識ー日付絵画とコレクション』という、収蔵品中心の展覧会の方がおもしろかった。山口啓介さんには申し訳ないですが……
『時と意識ー日付絵画とコレクション』展の方は、豊田市美術館のコレクションのうちから、現代美術中心に何十点かを見せるというものですが、見せ方がオシャレで、河原温(かわらおん)さんの「日付絵画」のうちから、一ヶ月分を選んで、それを句読点みたいに挟んで、その間にコレクション作品を置いていくというやりかた……
河原温さんの「日付絵画」は、現代美術の世界では有名で、世界的評価も高いものなんですが、作品自体はとてもシンプルで、小さなキャンバスに、暗いベタを塗り、そこに、その日の日付を、白色のサンセリフ書体できっちりレタリングしていく……というだけのもの(リンク)。まあ、単にそれだけのものなんですが、これをなんと、2000点以上も制作されたのだとか……
その日の零時から描きはじめ、キャンバスに地塗りをして、日付を描いていくわけですが、その日のうちに完成できなければそれは廃棄……という徹底ぶり。なので、まるまる一ヶ月分、切れずに制作されたケースはマレなんですが、この展覧会では、その貴重な?一ヶ月分(1971年5月)の日付絵画を句読点に使って、その間に、ジャコメッティ、藤田嗣治、フランシス・ベーコン、ヨーゼフ・ボイス、高松次郎、リ・ウーファン、松澤宥など、錚々たる近現代美術作家の作品を挟んでいます。ちょっとおもしろい試み……
まあ、キュレータさんが遊んでいるといえばそれまでなんですが、懐石料理のように、現代美術のいろんな作品にちょっとずつ触れられたのはよかったですね。かなり疲れましたが……
今回見せていただいた作品群の中では、私には、ヨゼフ・ボイスの作品が、やっぱりいちばん「強く」感じられました。なぜか、他の作品に比べて、圧倒的に「強い」。これは、彼の作品が、「現実」に強力なリンクを持っているということかなと思います。
血と鉄……そんなものを感じます。実際に展示されていたのは、蜜蝋を充填したフェルト帽と、かなり大きなフェルトの巻物を並べた作品でしたが……彼の作品には、第一次世界大戦からはじまった「人類の破壊」の連鎖そのものを、なぜか感じてしまいます。今、現実の世界はこうだよ……と。
これに、もしかしたら正反対になるのが、松澤宥さんの「観念詩」の作品で、彼は、「オブジェを消せ」という「声」を受けてから、方眼紙に「言葉」を並べた作品を作るようになるのですが……一見すると「詩」なんですが、実は詩ではなく、むろん文学でもなく、これはやっぱり「美術作品」という以外にないふしぎなもの……この人のことは、以前にとりあげました(リンク)。
松澤さんは、言語(日本語)で、よく「人類」を語る。ボイスは、言語では「人類」は出てこないけれど、でも、なぜかそれを感じさせる。まあ、「人類の負の面」とでもいうのでしょうか……私は、やっぱり「ナチス」を感じさせられる。ボイスはむろんナチスではなく、どっちかというと「緑の党」なんですが、でもやっぱり、資質はナチスだ……こんなことを言うと怒られるかもしれませんが……
ということで、19世紀、20世紀と、人類は、バカなことばかりして、結局今、21世紀に至ってしまったなあ……ということを、よくよく感じさせられる展覧会でした。キュレータさんの意図は別にあったのかもしれませんが……アートという、実際の役には立たない(というか、立ってはいけない)モノを通じて、人類の「実際に役に立つ」ということが、実はかなりバカげたことばかり……これを、如実に表わす……
それは、もはや今では、一種の常識みたいになっているのかもしれませんが、改めて、河原温さんの日付絵画を句読点に使ってそれをゴリゴリ押し出されると、見ている方はさすがに疲れます。人類って、心底バカなんだ……というのが、しんしんと伝わってくるからかもしれない。夢も希望もない。いや、それは、私の方にそれがないからそう見えるだけなのかもしれませんが。
ということで、とにかく疲れた……ナンハウスのメランコリックな象さんからはじまって、最後は「人類の愚行」に至る……冷えびえとした冬の青空に見守られて、私たちはどこへ行くのでしょうか……たぶんもう、先のない空間に投げ出されているのかもしれません。