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1700万円のアイスクリーム(続き)/This ice cream costs 170 thousand dollars.(continuation)

イスラムコロール
この間の夢(リンク)がずっと尾を引いています。パリの大評判のお店で注文したアイスクリームが1700万円。そんなアホな……ということで、夢だから……と片づけられればいいんですが、ホントは、実は、それくらいのお値段ではないか……

いや、もしかしたらそれ以上かもしれません。ものの値段の付け方って、きわめていいかげんだと思います。今の値段の付け方は、市場価値というか、求める人がどれだけいて、いくらなら出してもいいと思っているか……そこで決まってくるような。

だから、いくらパリでも、アイスクリーム一皿が1700万円ということはありえない。もしそんな値段を付けたらだれも買わない。宝石や芸術作品なんかは、カンタンにその値段を越えるものもありますが、それは、それくらい高価でも買う人がいるから。

しかし、「市場で決まってくる値段」というのには、実は、その「市場自体が成立するための価格」というのは含まれていないわけです。その市場が成立して、それを前提にして、そこで、需要と供給が決まってくる。そういうことだと思います。

では、いったいなにが、その「市場」を維持するのだろうか……といえば、それは、端的に「力」なんでしょう。たとえば、パリの街で、アイスクリーム一皿が日本円に換算して、300円くらいで食べられたとします。

しかし、その「アイスクリーム一皿300円@パリ」を成立させているのは、フランス軍がシリアに向けて繰り出した、あの「シャルル・ドゴール」というごたいそうな名前を持つ空母なんかに象徴される「力」、もっといえば「暴力」にほかならない。

これは、日本でも一緒で、日本は「軍隊を持たない」とか言ってるけれど、「自衛隊」という立派な軍隊があるし、沖縄をいぢめぬいて米軍という世界最強の「暴力」も駐留させている。その「力」の背景で「市場」が成り立ち……

日本でも、アイスクリームが一皿300円で食べられる……しかし、では、その「しわ寄せ」はどこへ向かうのかというと、世界の多くの「力を持たない人たち」、もっと言えば「力によって支えられている市場を持たない人たち」なのでしょう。

ここを考えてみた場合、パリや日本でアイスクリームが300円といっても、それを成立させている「市場」を支える「力」を加味した場合、この「お値段」は劇的に変化すると思うのです。まあ、陳腐な言葉を使えば「搾取」ということになりますが……

わかりやすく言えば、世界中の人たちに、パリの人がもらっているのと同じ「賃金」を払った場合、どうなるか……「文明国」の市場を支えるためのコストは、一気に膨大なものにふくれあがるでしょう。まあ、「搾取分」を全部払うということです。

「文明国」の、今の市場を支えるために、世界中でどれほど多くの人々が抑圧され、犠牲となっているのだろうか……そこを考えてみた場合、フランス人がテロを行う人たちを「無知」とはけっしていえない。「無知」は自分たちじゃないの? ちょっと考えればわかるのに……

あるいは、米国の同時多発テロで殺された人たちのことを「罪のない人々」ともけっして言えないことはすぐわかる。「力」は、それを持っている側の人たちにとっては「透明」になる傾向があるから、そのことはケロッと忘れてしまうのですが……

実は、「罪のない人々」がモノを売り買いしている「市場」が、「暴力という力」によって支えられている。この力に抑圧されている側の人たちには、これはもう「生存の危機」だからきわめてよく見える……というか、日々壁のような実体として迫ってきます。

これは、ダレが考えても不公平きわまる世界なんですが……さらにもっというなら、「人間の市場」を成立させるために「人間以外の存在」が常にこうむっている強烈な圧迫があるはずです。みずからは力を持たないと思っている人も、人であることによって、この「力」を行使する。

ここのところを考えてみると、「モノの値段」というのはさらに、驚くべき天文学的数字に達するはずです。私は、ここのところを明確にするために、「モノの値段」の一つの根源的算出方法を提案してみたいと思うのですが……

たとえば、パリの街で、アイスクリーム一皿を日本円換算で300円で売ってたとします。じゃあ、この一皿のアイスクリームを客の前に出せる形にするために、どれだけの「存在」が改変をこうむってしまっているか……

それを考えるには、その「一皿のアイスクリーム」が存在しなかった状態にまで「全自然」を戻すために、いったい「いくらかかるか?」それを考えてみればいいと思うのです。その全行程をお金に換算して、それを積算した額が……

実は、この「一皿のアイスクリーム」の本当のお値段である……そう考えてみればいいのではないでしょうか……たとえば、原材料の牛乳をつくるために牛を飼うとしたら、そのスペースがいる。牛舍という形に改変された「自然」を元に戻すためには、いったいいくらかかるか……

あるいは、アイスクリームを冷やす行程でかかっている電気。その電気を供給する発電所を解体して、敷地全体を「元どおりの自然」に戻すためには、いったいいくらかかるのか……もし、発電所が原発だったら、これはタイヘンなことです。

その原子炉の中に溜まった放射性物質を、全部元の状態に戻さなければならない……これは、今、そういう技術はないので、その技術の開発からはじめねばなりません。いったいいくらかかることやら……これはもう「無量大数」というしかない。

牛乳やアイスクリームを輸送するためにトラックを使ったとしたら、燃料の石油を、元あった地面の中に正確に埋め戻すまでやらねばなりません。また、トラックの通った道も、すべて「元の自然」に戻さなければならない……いくらかかるか……

こういうふうに考えていくと、「全存在の負担」をすべて取り除いて、人間の手が入る前の状態にまで戻すには……もうこれは、天文学的という言葉もちっちゃくなるくらい膨大な「お金」がかかる。そういうことを、人は、自然に対してやっている。

「一皿のアイスクリーム」の値段を、「全自然」を背景にして算出しようとすると、そういうことになる。もうこれは、とうてい1700万円とかの「ハシタ金」ですむ話ではないのです。オソロシイ……そこまでして、「パリのアイスクリーム」を食べたいのかなあ……

コロールイスラムのコピー
<補足>
この話で、もしかしたら、「動物だって、昆虫だって、自分のためにまわりを改変するじゃないの?なんで人間だけ、改変したらあかんの?」という疑問をお持ちの方もおられるかもしれません。しかし……動物も昆虫も、「市場」はつくりません。

「市場」というヘンなものをつくって、「お金」でモノを売り買いするのは人間だけ。「人間」の定義には、「言葉を持つ動物」とか、「社会的動物」とか、いろんなものがあるようですが、私はここに、「市場をつくる動物」というのを加えたらどうかと思います。

「市場」というのは、考えてみたらふしぎなものですね。「お金」は人類の「共通言語」で、「為替」の働きによって、世界中をくまなく「一つの価値感」で結びつける。しかし「市場」は、あるグループを形成して、閉鎖する働きをする。

「お金」という、どこまでも開放し連鎖させていく機能と、「市場」という閉鎖し、囲いこんでいく機能が両輪となって、この「人間の世界」は形成されている。むろん、人間の世界にも、この両者にカンケイしない部分はあるが……

いわゆる「カネで買えないモノ」というヤツでしょうが、これについては、実は、人間は、他の動物や存在となんら変わらないんだと思います。いくら高尚ぶっても、それは、人間という種の一つの特性であって、花が咲き、実がなることと本質的に変わらない。

結局、人間が、他の生物とまったく違うのは、この「市場をつくる」という働きではないだろうか……これは「限られた普遍」というまことにやっかいなモノを生み出します。「普遍」であればすなわち「無限定」になるはずなのに……

この「市場」は、「普遍」の顔を装いながら、見事に限定的で排他的である……これは、人間という種のつくりだした、もっとも欺瞞的な「発明」ではないか……そう思います。すると、残る問題は、この「市場」は、人間において本質的なものなのか……

それとも、人間という種は、なにか他のシステムを選ぶ可能性も残っているんでしょうか。TPPの問題なんかも、実はここのところが本質にあるような気がします。もし、別のシステムを選べる能力があるのなら……それは、どんなものになるのでしょうか?

日本難民/Japanese refugee

日本難民_600
今、シリアの内戦で、シリア難民の人々が大挙してヨーロッパに押し寄せているというニュースを連日やっています。私は、正直、難民ということについては、漠然とした概念しかなかったんですが、連日の報道をきいているうちに、やっぱりこれは、タイヘンなことだなあ……と思うようになりました。

難民というとどうしてもアフリカとか東南アジアのイメージが強かったんですが、ウィキで調べてみますと、アジアが第1位で562万人、アフリカが2位で230万人、ヨーロッパが3位で163万人、そして以下、北米45万人、南米37万人、オセアニア3万5千人と続きます。1位はアジアだったんですね。

これは、2009年の統計ということで、今は少し違っているのかもしれませんが、とにかく、住む場所を追われてさまよわなければならない人がこれだけいる。シリア難民に対してドイツ政府は大英断で大量の受け入れを発表しましたが、日本は?……というと、難民認定を申請した人5000人のうち、認定が11人……

これは、2014年の数字だそうですが、あまりにも少ないんじゃないか……ということで、いろいろ批判が出ている。たしかに、もっと受け入れてもよさそうなもんだが……とか思っているうちに、ン? まてよ? なんだかヘンだぞ……と。「受け入れ」を前提にしゃべってますが、「難民になる」ということはないの?

つまり、日本人が難民になって、世界に散らばる……外国に「受け入れて」もらわねばならないハメになる……そういう可能性は、ゼロなんでしょうか……あまりにも突飛で、現実離れした空想のように思われるかもしれませんが、でも、先の原発事故のことなんか考えてみると、やっぱり全くの空想ともいえない?

2011年3.11の福島原発の事故は、とりあえずあのかたちで済んでいる……というか、まだぜんぜん済んでないワケですが、場合によっては、東京都民の避難が必要になるというところまでいく可能性もあったとききます。もしそれがホントだとしたら、これはタイヘンなことだ……関東圏に避難対象が及ぶと……

東京都の人口1300万人だけじゃなく、いわゆる広域関東圏(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、長野、新潟、山梨、静岡)の人口5000万人が避難するという事態になったとすると、これはタイヘン。5000万人といえば、日本の全人口1億3000万人の約40%にあたる。アジア難民の562万の十倍近い。

これに、東北の各県(福島、宮城、岩手、青森、秋田、山形)の総人口約900万を加えると、全人口の45%、つまり、日本の約半分の人が住む家を失う……この想定、「ありえねー」と一笑に付す方もおられるかもしれませんが、でも、福島の事故がもうちょっと拡大してたら、現実にそうなったのでは。

というか、あのゲンパツ事故のときは、アメリカなんかは在留米人に、80kmを避難区域としたとききます。日本は20kmだったけど。実際のところはどうだったのでしょうか。政府は、大混乱になるのを怖れて、ホントのところ(汚染状況)を発表しなかったのでは……そういう疑いも払拭できない。

まあ、それくらい、日本政府のいうことは信用できないわけですが……もし、ダレの目から見ても汚染がさらに顕著になってたとしたら、やっぱり「人口の半分避難」が現実的になってたと思います。そうすると、もう日本は崩壊ですから、大量の「難民」が発生したでしょう。そうならなかったのは、単に偶然??

ABくんは、このごにおよんでまだ再稼働・推進!なんて言ってるから、このリスクは、これからも高まりこそすれ、低くはなりません。これに加えて、新安保で日本が武力攻撃やテロの対象になる危険もぐんと高まるし……さらに、政府の「2極化方針」で、経済的に破綻する人がこれから続々出てくる。こっちも大問題。

日本の人口の半分が住む地域が「汚染」されてしまったら、もう物理的にかなりの人が国外に出ざるをえなくなるのでしょうが、「住めなくなる」地域がもっと小さかったとしても、この「2極化」によって、やはり国外に追い出される人がどんどん増えてくるのでは……ということは、日本が内戦状態になる??

こんなことをいうと、また「ありえねー」という声が聞えてきそうですが、これって、そんなに「想定外」ですませていていいのでしょうか……これからは、経済的な格差がどんどん拡大して、「持たざる若者」はものすごく苦しい立場に追いやられていきます。みな、そうならないように必死にがんばってるけど……

ABくんの政策自体が、「格差、広げたるでー」というものだから、もうどうしようもないでしょう。彼が否定している「徴兵制」も、経済徴兵というのでしょうか、「持たざる若者」は否応なくそういう「苦役」に追いこまれる。むろんこれは、男女関係なく……まあ、こんなところで「女性の活躍」というのかなあ……

ということで、2極化するということは、価値観が分裂するということだから、まあ、お定まりの「圧政と弾圧」ということで、ヒサンなことに……その先は考えたくありませんが、国内の価値観が大きく乖離してくると、これは、外からのいろんな力の介入する余地を大きく広げるので、乖離はますますひどくなる。

たとえ原発事故で、国土の半分が住めなくなっても、国内の価値観がある程度統一されていれば、なんとか残った国土に受け入れることができるかもしれません。この場合は「国内難民」で、今、福島の方々はこういう状態になってるわけですが、大部分の人が、見知らぬ外国に出ていかなくてもすむ。

しかし、2極化のはてに国内の価値観に大きな乖離が生まれてしまえば、おそらく多くの人々が国外に脱出せざるをえなくなるでしょう。「ありえねー」と、今は笑いとばせますが、でも、ABくんたちは、着々とその準備を進めている。「原発再稼働」と「2極化推進」。これをふたつとも、ガンガン進めてます。

ということで、私は、近い将来、「日本難民」が大量に発生する可能性が、従来に比べてはるかに高まってきていると思います。原発事故の連鎖(これは十分ありえる)で、沖縄を除く国土全体を放棄しなければならない可能性だってゼロじゃない。その場合、沖縄だけで本土人口全員を受け入れるのはムリだし……

そもそも、沖縄の方々に拒否されるでしょう。今まで米軍基地をいっぱい押しつけておいて、いざとなったら助けて~はあまりにムシがよすぎる。そうすると、日本国民のほとんどが難民となって海外に流出せざるをえない……「日本難民」……じつは、これをシュミレーションした小説が、かつてありました。

小松左京さんの『日本沈没』。半世紀前に書かれた第一部は、日本列島が沈没して、日本人全員が海外に避難せざるをえなくなったところで終わっていましたが、十年くらい前に書かれた第二部(谷甲州氏との共著)では、海外の各地に散った「日本難民」のその後が、かなり詳細に描かれています。

共著者の谷甲州さんは、東南アジアでの生活がけっこう長かったみたいで、そのあたりはかなりリアルです。なるほど、こうなるのか……実際は、なってみないとわからないのでしょうが、「難民ルート」というのは、やっぱりあるんですね。今回の、シリア難民の方々がドイツをめざしたといのもそうなんですが……

シリアとドイツ? 遠い国に住むわれわれには、「なんでドイツなの?」という疑問が湧くわけですが……もちろん、今、ドイツが経済的に繁栄しているというのはいちばん大きいでしょう。でも、歴史的にみると、このルートは、中世末期に、まさにオスマントルコがヨーロッパに迫ったときのルートそのままだ……

中世ヨーロッパでは、その東の入口がオーストリアのウィーンでした。ウィーンは、オスマントルコの皇帝たちから、「黄金のリンゴ」と呼ばれていて、なんとかして手に入れたい「羨望の地」だった。トルコの軍勢は、バルカン半島からセルビア、ハンガリーを手に入れ、ついにウィーンに迫ります。

ヨーロッパ白地図詳細入り_900
ウィーン包囲は、1529年と1683年の2回あったみたいですが、このうち1683年9月12日のウィーン攻防戦は映画化もされてます。このときは、皇帝レオポルト1世のウィーン脱出というところまでいったらしい。当時、ドイツは、神聖ローマ帝国という名ばかりの「帝国」のもとに、実際は封建領主や教会の群雄割拠の四分五烈状態……

ウィーンハプスブルグ家の皇帝レオポルト1世も、「皇帝」という名にふさわしい権力は持ってなかったみたいで、ポーランド王ヤン3世の援助まで頼んで、なんとかこの危機をきりぬけた……今の状況を見てみると、なんか、当時の状況が彷彿とされます。といっても、むろん今のシリア難民の方々は、「攻略」じゃなくて……

母国の危機的な政治状況で国外に「逃げざるをえない」わけですが(実はシリア国内の難民の方がはるかに多いけれど)……ただ、この背景には、アラブ諸国の政治的不安定(これまでの独裁政権のツケ)と、それに乗じたイスラム国やアルカイダの膨張がある。ヨーロッパは、これに対し、かつての神聖ローマ帝国の亡霊?のEUで…

となると、これはあまりに図式的というおしかりを受けるかもしれませんが、どうなんでしょうか。考えてみると、ヨーロッパという地域は、常に「アラブの圧力」で自分たちを形成していったみたいな……そんな歴史の大枠があるんじゃないかと思います。なので、また、その周期がめぐってきたのか……それはわかりませんが。

じゃあ、日本はどうなんだろう……日本を含む東アジアに、そういう「民族圧力往来」みたいなことはあったのか……直近では、やっぱり先の大戦のときの、日本自身の「膨張政策」がアタマに浮かびますが、江戸期300年の鎖国のあいだを除いて、やっぱり日本は、大陸や南方への「膨張」を、たぶんくりかえしていた……

それは、いろんなかたちで、そうだったと思います。神功皇后や秀吉みたいな「わかりやすい軍事作戦」ばっかりじゃなくても。そして、現在も、経済政策というかたちになって、アジア各地域への「膨張」は続く……もし、日本の全人口の半数が難民化した場合には、やっぱりこの「膨張」ルートがベースになるんでしょうか。

もしその場合、アジアの各国は、「日本難民」をちゃんと受け入れてくれるんだろうか……日本国と日本人の、アジアの各国における「受けとられかた」はどうなんでしょうね。少なくとも、中国や朝鮮半島においては、「過去の侵略」があるから、場合によっては大いに反発をくらう可能性も……

日本植民地最大版図_900
ヨーロッパにおいては、「イスラムの侵攻」は、今も悪夢のように人々の心に残っているから、シリア難民の方々も、けっして諸手を上げて受け入れ……というわけではないのでしょう。しかしちゃんと……受け入れられているように、現段階ではみえます。大人だなあ(むろん、反発する人も多いけれど)……

これは、やっぱり、西欧世界の理性を最高基準とする「思想」の成果なんでしょうか……その点は、率直にスゴイなあと思います。中国なんかも、今は、日本人の目には「メチャクチャの国」に映るけど、もしかしたら、日本よりずっと「大人の国」なのかもしれない……これは、今の日本人の心情と真逆だけれど……

それは、日本から大量の「難民」が発生したときに明らかになるのでしょう。そして、もしかしたらそういう時期も意外に近いのかもしれません(AB政権はまだまだ続きそうだし)。さて、そのとき、日本人は、どういうふうに「評価」され、受け入れられるんだろうか……あるいは、受け入れられないんでしょうか……

なんせ、狭い国土ですから、ちょっとゲンパツがポン!といっただけで、大量の「難民発生」は火を見るより明らか。あの事故のときに反省して「全原発即時廃炉」にふみきってれば、ちょっとはリスクは下がったのでしょうが……もう遅いですね。ナンマンダブ……