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オマエら非国民_あべのこどもたちのスナオさについて/You are unpatriotic, AB_child said.

悪いヤツラに_600
自民党議員のMさんが、ツイッターでバカなことを書いた……ということで、ちょっと話題になりました。国会前で、政府の新安保政策に抗議のデモをしている学生たちの団体を指して「戦争に行きたくないというだけの利己主義じゃん」と言ったとか言わないとか……いや、「言った」ワケですが、ニュースで聴いて「えっ?!」と思った。コレって、あと一歩で「非国民」……例の、オソロシイ言葉です。「お前ら、非国民だ~!」まあ、結局、そう言いたいんでしょう。

でも、このMさん、自分が戦争の現場に行く覚悟があって、そう言ってるんかな? 「じゃあお前が行け!」とダレでも言いたくなる。この発言、もし、最前線に送られた自衛隊員のものだったらまだわかります。しかし、自分はお山のてっぺんでアレコレ指揮するだけの議員さんの発言……卑怯なやっちゃなあ……そう思いました。自分が戦争に行くわけじゃなく、人を戦争に刈り出す立場の人間……ABくんもそうだけど、「自分が行けよ!」ということですね。結局は。

子どもの頃、ナポレオンの伝記を読みました。いちばん印象に残っているのは、彼がまだフランス軍の下士官だったころ、部隊を率いて最前線に立つわけですが、いつも最前列の真ん中の、いちばん弾が当たりやすいところにいて、「われに続けー」と言って真っ先にとびだして、敵軍につっこんでいった。まあ、子ども向けのものだから、おもしろおかしく……ということはあるんでしょうが、子どもの私は感激しました。なるほど、こういう指揮官なら兵もついていく……

しかるに、自分は安全地帯にいて、「お前ら戦争に行けー、拒否するヤツは非国民じゃ~」ですか。Mさんは京大大学院修了とか言っておられますが、京大も堕ちたものよ……まず幼稚。で、卑怯。彼が、いわゆる「ABチルドレン」なのかどうかは知りませんが、自民党、こんな議員さんが増えているんだろうか……そして、こういう感覚の若い人たちが増えているのか……で、この言葉を言われた当の学生の団体の代表さんの言葉。「ABくんは戦争やらんと言ってるが……

ABくんの手下が、ヤルということを白状してるじゃん」……正確ではありませんが、なんかこんな感じでした。うーん……なんも、ここまでレトリックで言わなくてもいいのになあとも思います。もっとダイレクトに反発すればいいのに……言論戦って、乗ったらマケなんじゃ……言葉は、「正直に使える限界」というものがあって、それを超えると、どっかにヘンな意図が入りこんでくる。私の場合、この代表さんの言葉には、もうすでに「政治的なニオイ」を感じて、ちょっとヤになった。

M議員の言葉と比べてみますと、オドロクべきことに、M議員の言葉の方が「正直」です。スナオに自分の愚かさ、幼稚さを晒している。そういう点ではとても正直な言葉の使い方だと思う。学生代表の方は、運動を通じて、やや「政治的」になってきているのかな?とも思います。まあ、あの発言だけではわからないのだけれど……おそらく、学生代表さんの方が、アタマは格段にいいのでしょう。でも、アタマのいい人は、それなりのワナに陥りやすい。

ここらへん、ビミョーな「ねじれ」を感じて、オモシロイなあ……と思います。M議員の発言の場合、反発する人は瞬間的に反発する。賛同する人も同じ。明暗くっきり分かれます。ところが、学生代表さんの発言は、さっと聴いているだけではわからない。言ったことをちょっと考えて、なるほどそういうレトリックだとわかるしくみ。「敵の発言の穴を突く」というのは、政治的には常套手段なのかもしれませんが、学生さんにソレをやってほしくないなあ……

あのデモは、学生さんたちの「やむにやまれぬ心」が、限界を突破して現われてしまったものだったのでしょう……しかるに、今は、M議員の発言の方に、「やむにやまれぬ」ものがあるような気さえする。「てめーら、非国民だ!」というのは、権力におもねって自分たちの安全を確保しようとする幼稚な人々の「やむにやまれぬ気持ち」であることは容易に理解できます。まあ、要するに、「権力の側に立つか、それに逆らうか」という単純な2択だと、私は思う。

いやいや、ものごとはそう単純にいくものではない……そうおっしゃる方もおられるかもしれませんが……しかし、現場では、結局ものごとは単純で、いつも「2択」になるんだと思います。M議員は「政治の現場」にいる。彼のように、その世界での経験が浅い人にとっては、ものごとはすべて「2択」にしか見えないんだろーな……しかるに、学生代表の方はどーなんだろー……デモの現場のシュプレヒコールは単純なのに、マイクを向けられた発言は、けっこう複雑だ。

どーなってるんだろー……と思います。これから、どーなるのでしょーか。私の心としては、学生さんたちの運動を応援したい。でも、発言の「スナオさ」からいうと、M議員の言ってる方がストレートだ。自分自身の幼稚さを、ここまで率直に表現した発言って……まあ、ネットではいろいとアリかもしれませんが、議員の立場では、あんまりなかったような気もします。それだけに、やっぱりなにかが変わりつつある……という、心底不気味なものも感じます。

2.26のときもそうだったけど、単純スナオな心は、「ある勢力」に狡猾に使われてしまう。M議員と2.26の「英霊」の心を比べるなど、とんでもない冒涜なのかもしれませんが(なんせ、英霊さんたちは身体を張ってやった)、こういう「幼稚なスナオさ」は、一種の「のろし」というか、「やがて来るべきもの」のオソロシイ意図を最初に体現したものである場合が多いのでは……あのときも、結局、国民全体が「非国民思想」に染まって、滝壺に堕ちるレミングの群れのごとく……

あのときは、まあ、私は生きてませんでしたから、いろいろ読んだりみたりしたものに基づいて思うのですが、「愚かな」レミングの群れを止める方の勢力は、たぶん複雑すぎたんだと思います。インテリ社会派、というのでしょうか。それは今も同じで、アタマで考えていろいろリクツをこねるので、国民の大多数の心に響かない。スナオさが足りんというのか……「鬼畜米英」というストレートなメッセージの方が、問題なくダイレクトに、大多数の国民の心に響いた。

今の学生さんたちの言動は、すばらしいし、勇気ある行動だと思います。それだけに、かつての「インテリ社会派」の陥ったワナにはまらないでほしい。吉本隆明さんは、かつて、自分が安保闘争に参加したことについて、「吉本ではなく一参加者」として参加したんだという立場にこだわったが、ここだと思います。彼は、「知識人のワナ」に対して極度に敏感なところがあって、そこが共感を呼び、また、「インテリ社会派」から嫌われたところでもあるのでは……

とにかく、ものごとはスナオがいちばん。私はそう思います。がんばれ、学生さんたち! ……いつも、ダレがきいてもすぐにわかる言葉でしゃべる。それが、ダイレクトに人の心に響く(反発であれ共感であれ)。この立ち位置だけは、M議員の発言に学んでほしいけど。

正確な情報として、M議員の言葉を掲げておきます。
(学生代表の言葉は、見つけられませんでした。上に書いたのは、テレビ放送で聴いた記憶です。)

★M議員のツイッター
SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。

写真は、2年前の愛知トリエンナーレで見た、オノ・ヨーコさんの作品の一部です。

今日のehon:世界精神の落日(つづき)

ヘーゲル

世界精神……というと、やっぱりヘーゲルさん。哲学の世界にそびえる巨大な山……フツーに、読めません。ホンヤクしてあっても。『精神現象学』をずっと読んでますが、なんと一年に7ページしか進まない。これじゃあ、死んで生まれ変わってまた死んで……何回輪廻転生をくりかえしても読めない。なんでこんなにわからんのだろう……

ヘーゲルは、ナポレオンのことを、『世界精神がウマに乗ってる』と言ったそうですが、ナポレオンの台頭と失脚は、彼の哲学にかなり甚大な影響を与えたみたいですね……で、もう一人、ナポレオンにかなり深刻な影響を受けた方……あのベートーヴェン氏。分野は音楽ですが、なんかすごくヘーゲルと感じが似てます。年も近いみたいだし。

ベートーヴェンと思って調べてみましたら、二人はなんと、同じ年(1770)の生まれでした。没年も、ヘーゲルが1831年でベートーヴェンが1827年。二人の生涯はほぼぴったりと重なっております……ちなみにナポレオンは1769年生まれの1821年死去で、やっぱりほぼ重なる……この3人、「世界精神3兄弟」だ……すごい……担当分野はそれぞれ、思想、芸術、そして政治。

ナポレオン

「ヴェルトガイスト・ブラザーズ」(独英ちゃんぽん)で売り出したらどうか……というのは冗談ですが、19世紀の幕開けって、そんな感じだったんですね……で、この時代、日本はどうだったかというと、江戸時代も中期で、田沼意次はナポレオンが生まれた1769年に老中格(準老中)になってます。このあと、松平定信の寛政の改革が1787年~1793年。上の3人の青春時代ですね。

では、「新大陸」はどうかな? 調べてみると、アメリカの独立宣言が1776年で、これはヘーゲルとベートーヴェンが6才、ナポレオンが7つのときですね。アメリカも彼らと同時代人? いや、人ではないけれど、なにか「新しいこと」が西と東で同時にはじまったような……要するに、これが「世界精神の夜明け」ということになるのかもしれません。

そのあと、世界精神は、短いけれど豊かな「昼の時代」を迎えます。工業化による大量生産と植民地からの収奪を基盤にした市民社会の繁栄……19世紀初頭にナポレオンははやばやと舞台から去り、大英帝国が世界を席巻する中で、徐々にアメリカが頭をもたげてくる……19世紀の後半に入るとアメリカは南北戦争で国の基礎を固めるが、その頃、日本もやはり幕末で列強の体制に参入する準備を着々と整える。19世紀は、過去からの潮と未来からの風がぴったり合わさって「人類力」の加速度ベクトルが最高潮に達した、ある意味幸せな時代だったのかも。

では、「世界精神の落日」は……というと、やっぱり20世紀初頭、おそらく1911年くらいからではないだろうか……世界は、またたく間に2度の世界大戦に呑みこまれ、「世界精神の凋落」は決定的となる。しかし、人は、残滓のようなわずかな光芒にしがみつき、そのあがきはついに世紀を越えて今にまで至っている……長い、長~い「落日」は、はたしてどこまでつづくのでしょうか。