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ABくんの一日:戦後70年談話の巻/A Day of Mr.AB_Statement of Prime Minister about the 70th Anniversary of the war’s end

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ABくんの「戦後70年談話」。全文を読んでみましたが、読後感想として、「よくできてるなあ……」と。上のマンガは、全文を読む前に、テレビとかの報道だけで描いたものですが、全文を読んでいたら、おそらくこのマンガは描けなかったと思います。「文言をもてあそぶ」……テレビ画面の印象は、まさにそうだった。でも、文章になったものを読むと、かなり印象がちがう。なるほど……彼は、こういうふうに考えていたんだ……これは、けっこう正直なABくんの「思い」を、一国の総理大臣の立場として語った……そういうふうに見るのが正解ではないかと感じました。

これはまた、自民党の多くの人々、そして、もしかしたら、日本の保守層の多くの人々の思いなのかもしれません。英語の力がない私には、英語訳が世界の人々の心に、どのように響くのかはわかりませんが、日本語原文が正確に英語に訳されているとしたら、共感を持つ人も多いのではないか……そういうふうにも感じました。これは、ホントによくできています。優秀なブレーンがいることはまちがいないでしょうが、ABくん自身の正直な思いも、かなりストレートにもりこんである。これは、もう、文言云々という次元を越えて、この文章そのものをいかに受けとめるかという……

そういうレベルで考えないと、対処を誤るんじゃないか……そう感じました。マスコミや、評論家、大学の先生たちの力量が問われるところですね。この文章を正確に理解して、批判を加えるとなると、その当人もかなり勉強をしなければならないでしょう。「未来志向」とABくんは語っていますが、ABくん自身が思っているのとはかなり違う場所で、「未来志向」にならざるをえなくなっているなあ……そう感じます。そういう意味で、彼が、おそらく心血を注いでつくったこの文章は、村山談話、小泉談話と同等のマイルストーンになっている。そう思います。

ものごとは、見る側の位置によって、見え方がまったく変わる。「歴史」もそうで、こういう側から見れば、こう見えるのか……それはとてもよくわかりました。日本が右傾化していると言われますが、明治の産業遺産とかばんばん世界遺産にしちゃってる今の状況、大河ドラマのでき具合なんかを見ても、それは如実にわかります。そこまで、過去の自分たちの祖先が「すばらしかった!」と思いたいのか……逆にいえば、過去の祖先たちの「あやまり」を指摘するとすぐに「自虐スイッチ」が入ってしまう……しかし、今回のABくんの談話は、すでにそこは越えてますね。

でもやっぱり、ABくんの今回のこの談話の文章と、ひごろ彼がやっていることの間には、ものすごく大きな裂け目がある。それも同時に感じます。彼自身は、そのことを意識しているのだろうか……たぶんそこは意識していない。自分自身では、連続性があると思ってやっている。文章とは怖いもので、書けばなんでも書けてしまう。一見、スムーズに「実際に起きていること」とつながっているようでありながら、実は、なぜか無関係なことになってしまっている……そこが、やっぱりモンダイなんではないでしょうか……ともかくこの原文は、詳細に検討するに値すると感じました。

政治というもの、そして、人間の精神と、実際の具体的な行動……ここは、だれでも異常な乖離にみまわれるところだと思います。政治家の責任は、その、個人レベルの乖離が、ものすごくたくさんの人たちの運命、そして、もう今では、あらゆる生命を含む地球環境そのものに、多大な影響を与えかねないという、そこにある。「信念」でイラクに攻めこんだブッシュ氏は、おそらく膨大な人々のいのちと、多大な環境破壊の責任を負うことになってしまった……後の時点でみればあきらかに「愚行」とわかることも、その当時は多くの人々の「支持」を得て、やってしまう……

今、おそらく、ABくんはその道に歩み出そうとしているのだと思います。この「談話」は、マスコミや評論家がいくらがんばっても、原文を読んだ人には、おそらく心になにかしらの感銘が残ってしまうと思う。それをつき崩して、今、自分たちがどういう場所にまで追いこまれているのか……そこをきちんと指摘するのは、これはタイヘンな作業になるなあ……そう思います。「批判」の本当の力が試されるときでもある。表面的なものに引っかかって「批判」をくり広げるだけではダメで、この原文という「大岩」に匹敵する力勝負が必要……えらいことですね……

今日のkooga:指導者の稚気/Childishness of the leader

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今回の、イスラム国による後藤さん、湯川さんの斬首事件について思うこと……まず、二人は、みずからのぞんで、危険であることを知りながらそこへ向かって殺された。「自己責任」という言葉はお上ぽくてキライですが、要するに、自分自身の志を貫いてそういう結果になったんだから「本望」というべきか……ある意味、いさぎよい死であったと思います。

ところが……ふしぎなことに、死後、後藤さんの方はもう殉教者といいますか、すばらしい人だといって、みながこぞってまつりあげる。まあ、たしかにすばらしい人だと思いますが、ちょっともちあげすぎじゃなかろうか……これではまるで、キリストではないか……これに対して湯川さんの方は……といいますと、だれもなにもいわない。この落差……

「民間軍事会社」……この言葉は、たしかにいい響きではない。なんかうさんくさい……ということで、だれも触れたがらないので、ホントはどういう人で、どういう志をもって「あの地域」に入ったのか、だれにもわからない……ホントは、後藤さんの方も、本人の思いは本人にしかわからないのだけれど、だれもが「すばらしい」という……

お二人は、「本人」という視座から見るならまったく同じであるはずなのに、この扱いの差はなんだろう……そこにはすでに、いろいろな思惑や思いこみや……われわれの感情や善悪の判断や……いろんなものが入りこんでいるのを感じます。そういうものを取り払って、そこにはじめて見えてくるものは、はたしてなんなのだろうか……

今回、ふしぎなのは、湯川さんが「あの地域」に入っていった心情というものが、日本に暮らすフツーの日本人にはわからないのですが、それ以上に、なぜ、後藤さんが彼を追って入っていったのか……そこがわからない。これは、わかるようでわからない。後藤さんにとって、湯川さんは、「かけがえのない存在」だったのだろうか……

おそらくそうだったのでしょう。でなければ、あの行動はちょっと理解しがたい。ということで、このお二人については、わからないことが多過ぎて、そう単純には判断できないような気がします……ところが、逆に、この事件にかんするABくんの言動はきわめてわかりやすい。彼の心情には、むずかしいところはなにもなくて、単純明快……

に、私には見えます。指導者の稚気……これほど困るものはない。カイロで、「2億ドル出すぜ!」と言ったときの演説は、だれが聞いても「有志連合に参加してイスラム国を叩くぜ!」というトーン。これをするっとイスラム国に利用されてあの動画がアップされるととたんに「いや、あれは人道援助で……」という。この人、まことにわかりやすいです。

指導者の稚気……同じことが過去にありました。ブッシュくんがイラクのフセイン政権を「大量破壊兵器の保持」を口実に叩いた。あのときの口調とそっくりで、稚気にあふれている……トップがたまたま子供っぽい人物だったのか……それもあるけど、もっといえば、そういう「薄い」人物をトップにしたがった国民の方に稚気が充満していた……

私は、やっぱり、湯川さんや後藤さんの心情にくらべると、指導者の心があまりにもナサケナイ稚気にあふれていて、その結果として、ブッシュくんはイスラム国を生み、ABくんは日本人全員をテロの対象にしてしまった……このあたりが、ものごとははたして偶然に左右されるのか必然なのか……そんなこともからんで興味深いなあと思いました。

ブッシュくんやABくんの稚気が働かずとも、ものごとは結局こういうふうに進んだのかもしれませんが……しかし、後の国会答弁なんかを聞いても、ABくんは自分自身の稚気のなせるわざについてはまったく認識がないみたいで、危なっかしいなあと思います。指導者の稚気……そして、そんな指導者を選んでしまう国民って……これからどーなる?……

もういちど、後藤さん、湯川さんのことに戻りますと、日本政府は後藤さんに対して渡航自粛勧告を三度も出していたという。しかし、後藤さんはふりきって行ってしまった。このことについては、だれも問題にしない。彼が「すばらしい人」だったから、渡航自粛勧告を無視して行動したということについても、それは問題にならないというのだろうか……

じゃあ、湯川さんの方は……彼に渡航自粛勧告が出ていたかどうかは知りませんが、彼の行動は無謀だったとみんな思っている。はたしてどこが、どうちがうのだろうか……このあたりは、「動かされてしまう心」を鎮めて、きちんと考えないといけないところだと思います。そうしないと、とんでもないワナに落ちてしまうかもしれない。ファッショの本質……

ABくんという指導者の稚気がまかり通っているのも、このファッショの問題と密接な関係がある。人は、自分の心が動かされたものについては甘くなる。逆に、自分の心につらいものに対しては厳しくなる。大勢の人の心が動かされて、それが波のようになっていったとき、乗る。そして、しらぬまに、しらないところへと運ばれていってしまう……

ファッショを呼ぶ指導者の言動は、しばしば稚気に満ちている。時代が変わって冷静に考えれば、なぜあんなものに動かされたんだろう……と思う。だけど、渦中にあるとわからない。イスラム国のPRは、ある人にとってはすばらしい。ABくんの稚気に満ちた言動も、やっぱり彼のことを評価する人にとってはすばらしいものと映るのでしょう。

では、後藤さんのやってきたことはどうなのだろう……私は、今まできくかぎりでは、やっぱりすばらしいと思う。しかし、では、イスラム国やブッシュくんやABくんの言動と、どこがどうちがうのか……少なくとも、彼の言動には稚気は感じられない。だけど……イスラム国はわからないにしても、ブッシュくんやABくんは稚気のカタマリみたいにみえる。

そこは、やっぱり大きくちがうところだと思う。湯川さんについては、これはワカラナイとしかいいようがないのですが……ただ、後藤さんを持ちあげて、流れにしていくという動きかたについては、やっぱりどこかに「ファッショ」を感じてしまいます。白と黒にくっきり分ける……それは、わかりやすいけれど、大きなワナにはまる道かもしれない。

自分たちは、指導者の稚気で動かされるような存在ではない……そうかもしれません。しかし、ではなぜ「稚気で動かされる存在」がいるのだろうか……その人たちは「劣っている」からそうなるのか……そこまでいくと、これは、明らかにおかしいと思います。一人の人の心は、やっぱり暗くて深いものがある。それは、誰の心もそうではないだろうかと……

昔の人は、古典に親しみ、漢文の素読なんかでみずからの精神を鍛えた。それは、やっぱり、自分の「おさなごころ」からの離脱ということだったと思います。人間の精神は、鍛えないと幼いまま……それをきちんと鍛える方法があったのだけれど、それはすでに崩壊して久しい……まあ、指導者にはせめて「稚気を棄ててよ」といいたいですね。ホント……

今日の写真は、この間、名古屋市の環状道路を走っていたときに、防音壁の壁に浮かびあがった「存在」です。見たとき、気持ちわるいなあ……と思いました。なんでこんなふうになるんだろう(まあ、壁の汚れなんですが)……ちょうど、後藤さんの生死に日本中がやきもきしていた頃……殺されちゃったんですね。お二人のご冥福を……

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「駆除」の思想_01/The Exterminator_01

蜂の巣

今、外を、台風がふきあれています……私の住んでいるこの地方にもっとも接近するのは、お昼すぎになるみたいですが……風に揺らぐ外の景色をみていると、ついこの間のもう一つの台風のときのことが思い出されます。台風何号かは忘れましたが……結果としては、この地方にはあまり大きな被害をもたらさなかったあの台風のとき……

私は、裏庭を見回ってました。裏庭といっても、家と崖に挟まれた1〜2mくらいの通路みたいな狭いところなんですが……そこに、この家の大家さんが忘れていった農機具の赤い鉄製の車輪みたいなものが転がしてある。その一部に……ありました!ハチの巣。……私は、この何日か前に、このあたりの除草をしていたら刺された……

あのハチの、巣なんだ……こんなところに……と思ってよく見ると、直径10cmくらいの小さな巣の表面に、ハチ(アシナガバチ)がびっしり貼りついて、みんなで必死になって巣を守っています。「お!今がチャンス!」と思いました。ハチたちは、強風で飛び立つことができないから、このかたちでいるしかない……

そこへ、うちにある「強力殺虫スプレー」をぶわーっと噴射してやれば、巣ごと全滅させることができるではないか……と思ってスプレーを取りに戻ろうとしたそのとき……私の心に、真理の光、慈悲のささやきが……もう、みんなで巣を守ろうとしているそのさま(私にはそう見えた)が、あまりに必死で、けなげで……

そこへあの強力スプレーを噴射すれば、これはもう立派な「ジェノサイト」ではないか……そんなことが、はたして自分にできるんだろうか……いや、できない……ということで、私は、もうすでになすすべなくその場を立ち去ってしまった。結果としては、これがいかんかったんですが……そのときは、そうするしかなかった。

このことをきっかけに、アタマの中にいろんな妄想が湧きはじめました。今、ウクライナやパレスチナで悲惨な戦争が起こっています。いや、この2カ所だけじゃなくて世界中に……歴史的にみれば、今は一見平和なこの日本も、かつては大戦争に巻きこまれて(というかみずから参加して)悲惨な廃墟をあじわった……

こういう、「戦争のとき」の人の心の状態を考えてみると、それはやっぱり「駆除の思想」なんだと思います。「自分に、自分たちに、危害を加えてくるヤツラがいる」→「じゃあ、なんとかしなくちゃ」ということで、人は、戦いに出ていくわけだけれど……それは、「ハチに刺される」→「じゃあ、駆除しよう」と……

どこがちがうんでしょう……ということです。いつのまにか、相手を人間とみとらん。単に「危害を加えてくる人型の害獣」みたいなことかな? 今の人間の世界では、相手が人でなければ、それを殺しても罪にはならない……というか、その相手が、だれか別の人間のものだった場合だけ「所有物を損壊した」という罪になる……

自分に危害を加えようとする相手が、だれの所有物でもない場合には、それを「駆除」したとしてもそれは別に「罪」にはならない……ということで、戦争で何万人殺しても、罪にならないどころか「英雄」になったりする。日本の市街地の大空襲を指揮したルメイさんに、日本政府は、こともあろうに勲章をあげたりしてますが……

もはやそこまでいくと、これは「狂気」とよぶ以外にない感じですが……しかし、戦争に駆り立てられる人の心の根元は、この「駆除の思想」なんだなあと、私は思ったわけです。自分に、自分たちに危害を加えてくるヤツラは「駆除」してもいいんだ……人の心は、自分でもしらない間に、そうなってたりする……

私は戦争に行ったことがないのでわかりませんが、戦場で、敵とにらみあってる兵士の心境はどうなんだろうか……向こうの木の影、建物の背後にいる相手……それは「駆除」すべき対象なんだろうか……別に戦場ではなくとも、たとえば、自分の今いる街にミサイルを撃ってこようとする相手がいれば、それは……

さらにいうなら、こういう「物理的攻撃」でなくても……たとえば、経済的な圧迫とかいといろ心にかかわるものとか……領土とかになってくると、たとえば尖閣でも竹島でも私のものではないので、それを取られるとか取るとか、いまいちピンとこないわけですが……でも、いずれにせよ、どこかで人の心は「駆除」になる。

「駆除の思想」……これは、オソロシイと思います。「相手も人間じゃないか」といいます。では、人間じゃなかったら、「駆除」でいいのだろうか……自分が、自分の家族や友人がやられる場合に、そんなこと言ってていいのか……今の人の価値観は、ハリウッド的な「家族と友を守るために……」で、世界中統一されかかってる……

「家族と友を守るため」はいいんですが、では、自分や家族、友を傷つけようとしてくるヤツラに対しては「駆除」でいいんでしょうか……ブッシュ親子はそんな感じでした。オバマさんは、もう少しプラグマティックが前面に出てるような気がしますが……いずれにせよ、これは、「人間の脳」の限界なのかもしれません。

昨日、レンタルDVDで『エンダーのゲーム』というのを見ました。この映画、まさにこの「駆除の思想」について、ある問いかけを行ってる。つづきは、この映画のことを中心に書いてみたいと思ってます。