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老人はどっち側だったのか?/Which side was the old man?


路上に倒れた老人に、若者が棒で殴りかかる光景……なんどもなんども打ちすえる……これ、フツーの、日常の路上なら絶対犯罪です。というか、まず、道徳的に許されない。人間じゃない!という声が上がりそうなシーンですが……でも、これは、アメリカのニュージャージー州でこの間起きた市民同士のバトルのシーンでした。

南北戦争当時の南部の英雄、ロバート・エドワード・リー将軍の銅像の撤去を市が決めた。それに反対して、白人至上主義者やネオナチたちが集まってデモ。で、これに対して人種差別反対の人たちが集まる。両者が路上で衝突して、市民同士が殴りあい、棒で打ちあう悲惨な展開に……さきほどの、路上に倒れた老人を若者が打ちすえるというショッキングな光景は、このときのものでした。

私には、この老人がどちら側なのか、あるいは棒で打った若者がどっち側なのか、それはわかりません。両方とも、ごくフツーの服装の人たちが多く、ハチマキを巻いたりヘルメットをしてるわけでもないので(そういう人もいたけど)区別がつかない。ただ、目に映るのは、無抵抗の老人を狂ったようになんども棒で殴る青年の姿……

トランプさんは、「両方の暴力に反対する」みたいなことを言って大ブーイングを浴びていますが、この光景を見るかぎりにおいては、私は彼の言ってることは正しいんじゃないかと思います。だって、あの打たれていた老人がどっち側なのか、打っていた青年がどっち側なのか……見ているだけでは判断がつかない。

トランプさんの発言を非難するとなると、それは、もし老人が人種差別反対の立場の人だったら、若者は白人至上主義者になるから若者の行為はダメ、ところが、老人が白人至上主義者で若者が人種差別反対の側だったら若者の行為はOK……と、こうなります。でも、それって、いいんでしょうか?

昔、1960年代くらい?に、「アメリカの核はダメだけど、ソ連の核はOK」といってた日本の知識人の方がおられました。彼の論理によると、アメリカの核は資本主義だからダメ、ソ連の核は共産主義革命を世界に拡げるためだからいいんだ……と、こうなるみたいです。でも、それって……

さすがに、今はこんなことをいう人は皆無のようですが、当時はけっこう賛同した人が多かった。今からみれば信じられないことですが……核は、どっち側が使ってもダメ。これはもう、アタリマエのことだ。

人間って、「理念」に騙されやすい生物だと思います。今、現に路上で起きていること……その悲惨な光景は、打つ方も打たれる方も「悲劇」というしかない。でも、それに、「白人至上主義」とか「人種差別反対」という「理念」がかぶってくると、今、現に路上で起きていることそのものが見えなくなる……

「人種差別反対」を「白人至上主義」と同列の「理念」と見るのには、大きな抵抗があるかもしれません。実際、私の心の中でも、両方を併置していいの?という思いはわきます。しかし、老人が「白人至上主義」なら若者の行為はOK、逆であればダメ、と言われると、ええっ?!となります。やっぱり。

どっちがどっちでも、あれはダメでしょ、というのがやっぱりいちばんマトモなような気がする。とすると、トランプさんの「どっちの暴力もダメ」というのは、きわめてマトモな発言に見えてきます。これ、もしトランプさんじゃなくて、たとえばガンジーのような方がおっしゃったのなら、みんな「そりゃそうだ」と納得するんじゃないかな……

じゃあ、なんでトランプさんが言うと「ダメ」なんだろう……彼が、実は「白人至上主義」で、心の底(ホンネ)では「白人至上主義」を擁護したいという心があるから……と考えるのは、やっぱり「路上で今起きていること」から少し離れていってるような気がする。

人間における「理念」とか「理想」というのは、ある意味、やっかなモンだと思います。それは、あるときには、苦しみの状況を打開して、だれもが「平等」に、「自由」に暮らせる社会をつくるのに大いに役立つかもしれない。しかし、心はとてもナマケモノなので、ふと、それによっかかって「心の楽」をしたい……という心が無意識に湧いてくれば、それは「目の前で起きていること」さえ正しく判断できなくなります。

まあ、目の前、といっても、私の場合は、何千キロも離れた場所で昨日か一昨日に起こったことをテレビの画面で見る……というものでしたが、それでもやっぱりあの光景には心を揺すられた。トランプさんは、「だれも言わないが、私は言う」と言ってましたが……彼の心がどのあたりにあるのか、私にはわかりませんが、なんか、やっかいだなあ……とは思います。


*あの光景、デモが起きた翌日と、その翌日くらいにはよくテレビで見たんですが、その後はいっさい見かけなくなりました。まあ、私が偶然見かけてないだけかもしれないですが、なにか「放送自粛」がかかったのでは?という思いもあります。あまりに歴然として「暴力」だったからなのか、それともあの打たれていた老人が「どっちの側」かわかったからなのか……ということで、ネットでさがしても出てこないので、とても漠然としたラフ図になりました。

今日のehon:世界精神の落日(つづき)

ヘーゲル

世界精神……というと、やっぱりヘーゲルさん。哲学の世界にそびえる巨大な山……フツーに、読めません。ホンヤクしてあっても。『精神現象学』をずっと読んでますが、なんと一年に7ページしか進まない。これじゃあ、死んで生まれ変わってまた死んで……何回輪廻転生をくりかえしても読めない。なんでこんなにわからんのだろう……

ヘーゲルは、ナポレオンのことを、『世界精神がウマに乗ってる』と言ったそうですが、ナポレオンの台頭と失脚は、彼の哲学にかなり甚大な影響を与えたみたいですね……で、もう一人、ナポレオンにかなり深刻な影響を受けた方……あのベートーヴェン氏。分野は音楽ですが、なんかすごくヘーゲルと感じが似てます。年も近いみたいだし。

ベートーヴェンと思って調べてみましたら、二人はなんと、同じ年(1770)の生まれでした。没年も、ヘーゲルが1831年でベートーヴェンが1827年。二人の生涯はほぼぴったりと重なっております……ちなみにナポレオンは1769年生まれの1821年死去で、やっぱりほぼ重なる……この3人、「世界精神3兄弟」だ……すごい……担当分野はそれぞれ、思想、芸術、そして政治。

ナポレオン

「ヴェルトガイスト・ブラザーズ」(独英ちゃんぽん)で売り出したらどうか……というのは冗談ですが、19世紀の幕開けって、そんな感じだったんですね……で、この時代、日本はどうだったかというと、江戸時代も中期で、田沼意次はナポレオンが生まれた1769年に老中格(準老中)になってます。このあと、松平定信の寛政の改革が1787年~1793年。上の3人の青春時代ですね。

では、「新大陸」はどうかな? 調べてみると、アメリカの独立宣言が1776年で、これはヘーゲルとベートーヴェンが6才、ナポレオンが7つのときですね。アメリカも彼らと同時代人? いや、人ではないけれど、なにか「新しいこと」が西と東で同時にはじまったような……要するに、これが「世界精神の夜明け」ということになるのかもしれません。

そのあと、世界精神は、短いけれど豊かな「昼の時代」を迎えます。工業化による大量生産と植民地からの収奪を基盤にした市民社会の繁栄……19世紀初頭にナポレオンははやばやと舞台から去り、大英帝国が世界を席巻する中で、徐々にアメリカが頭をもたげてくる……19世紀の後半に入るとアメリカは南北戦争で国の基礎を固めるが、その頃、日本もやはり幕末で列強の体制に参入する準備を着々と整える。19世紀は、過去からの潮と未来からの風がぴったり合わさって「人類力」の加速度ベクトルが最高潮に達した、ある意味幸せな時代だったのかも。

では、「世界精神の落日」は……というと、やっぱり20世紀初頭、おそらく1911年くらいからではないだろうか……世界は、またたく間に2度の世界大戦に呑みこまれ、「世界精神の凋落」は決定的となる。しかし、人は、残滓のようなわずかな光芒にしがみつき、そのあがきはついに世紀を越えて今にまで至っている……長い、長~い「落日」は、はたしてどこまでつづくのでしょうか。