タグ別アーカイブ: 超人

今日のmanga:がびぞりくんの一日・誕生の巻

がびぞりくんの一日

 

「泳げたいやきくん」と「だんご三兄弟」と「黒猫のタンゴ」。この三つは、新作ヒット童謡御三家といいますか……それぞれにはやった時代の雰囲気まで思い出されて、ファッションってすごいなあと思います。

「自我」という言葉は、いい意味にも悪い意味にも使われますが、ホントはたぶんどちらでもない。いいの悪いの……というのは「まわり」の問題であって、たぶん本人には、「どうしようもないこと」の一つなんだと思います。

まあ、これに「欲」がくっついて「自我欲」となりますと、これはほぼ悪い意味になる。思い出すのはドイツの歴史で、17世紀初頭に30年戦争で国や宗教や王家の利害の対立の戦場になって荒れはてて……ドイツ国民が「自我」に目覚めたのは、やっぱりお隣のフランスの、あの革命さわぎを目の当たりにして……ということだと思いますが、ヘーゲルの哲学やベートーヴェンの音楽なんか、まさに「ドイツ民族の自我の目覚め」って感じですが、それが結局、あの「ナチスの暴虐」へと帰結……

では、日本はどうなんだろう……ということなんですが……今、日本人とか日本民族のアイデンティティとか、ぶきみな方面からの働きかけが強まりつつあるように思いますが、「日本」という「自我」の起源って意外に新しくて、おそらく明治時代、それも明治中期以降なのかなとも思います。たかだか百年ちょっと。それまでは、日本は、藩という小国の連合体だった??……まあ、このあたりは、日本史に詳しい方におまかせですが……

個人の「自我」については、やっぱりこれは相当に苦しいもんですね。幼い頃から思春期、そして、いろいろ社会的責任が出てくる働きざかり……それぞれに「自我」のあり方は変わってくるのでしょうが……ただ、一貫して、「自我」と「自由」はセットだと思います。大人になると悪知恵が働いて、なんか見かけは「公共の福祉」のカタマリみたいな顔をして、その中にそっと「自我」を忍ばせて、結果的には広い範囲を自分の自我のままに動かしていく……まあ、そういうことに長けた方が社会的に伸びていくわけですが、これが、「器量」とか「人徳」とかとないまぜになってわかちがたくやっかい……まあ、「大人の社会」って、そういうもんかな?

あるいは、「自我」と「役割」。これもわかちがたく結びついてやっかいですね。どういうふうに処理していったらいいのか、いまだにわからない……まあ、「絵描き」という職業は、「自我のカタマリ」なんですが、これはけっこう直接的な表出でわかりやすい。これに対極にあるのがたぶん「公務員」という職業で、これは「隠密自我王国」になる。実体としては、すべてにおいて「人の自我」は同じ。ただ、「自我」は伏せれば伏せるほど「安定」につながるということは言えると思います。

モノ……植物……動物……人間……こうやって「自我」は増大していきますが、その先にある?「超人」。「超人の自我」って、どうなのかな? そこまでいくと自我は消滅?? でも、もしかしてさらに発展進化してたら、これはオソロシイと思いますが……