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偽影_usokage_01/pseudo-shadow_01

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うそかげ……偽影。

私の造った言葉です。

野外活動研究会の方々と、名古屋の街を歩いているとき、伏見の長者町付近で発見。歩道の自転車置場にポツンと一台、置かれていた自転車にできていた……

フツーの影のように見えますが、なぜか、どこかはかない。
この日は朝から冬晴の凍てついた空気で、ものの影もカキーンとはっきりできるはず。なのに、「影」が薄い……

この影、まともにお日さまがあたってできたものではなく、太陽光線がいったん、向いのビルの窓ガラスにあたって反射した反射光によるものなのです。ウソの光によってできたウソの影なので「うそかげ」。

私は、このうそかげがなぜか好きです。ホンモノの影のようにクッキリ際立つことなく、なぜか夢マボロシのごとくにはかない。全体が、まわりの光にとけこんでいるみたいで、その光の方もやっぱりはかない。なにか、世界のどこにもない、さだかではないものの気配が……

このうそかげは、たぶん大都会でないとちゃんと見られない。要するに、全面ガラス張りのかなり大きなビルがある街でないと、立派な?うそかげができません。この写真を撮ったのは、名古屋市の中心よりやや北にある「桜通」というかなり広い道ぞいなんですが、まあ、道幅が50mくらいはあるので、向いのビルにも日射しがたっぷり降りそそぎ、その反射光も余裕をもってこっちがわに射してきて、こういうキレイなうそかげができる……という寸法です。

雲が冬の空をよぎり、さっと太陽を隠すと、このうそかげもすーっと消えて、まわりはなにごともなかったかのように……自転車が一つ、ポツリと取り残される。しばらく見ていると、また太陽が現われて、夢のようにこのうそかげが出現……自分にも反射光は射しているはずなのに、弱々しくてほとんど感じない。ただ、うそかげがうそのように現われるのに見入るだけ……

街は、ふしぎです。ふしぎなものを生み、静かに美しく、ただそこにある……千年、二千年の文明の果てにこういう半分夢みたいなものを生んでしまう人の営みの流れ……いろいろ、まだまだ、よくわからないものはあるんですね。
ということで、最後にもう一枚、うそかげの自転車を……
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今日のkooga:ハスの鉢の宇宙/Lotus of pond of universe

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うちの前に置いてあるハスを植えた大きな鉢にも秋がきました。
忙しいので、あんまり世話をしていない……ので、そのまま、鉢の中の秋が、濃くなっていきます。
見ていると、ライプニッツの言葉が浮かんできました。

『物質の各部分は植物が一面に生えている庭や魚がいつぱい入っている池のやうなものだと考へることができる。而もその植物の枝やその動物の肢体やその水の滴の一つ一つが又さういふ庭でありもしくは池である。』(河野与一訳)

これは、『モナドロジー』の中の一節ですが、当時、顕微鏡が普及して、「ミクロの世界」が見えるようになったのが影響している……とも言われている有名な箇所です。世界は、無限の入れ子細工になっていて、どこまでいってもまだその先に「世界」がある……この「鉢の中の世界」も、そういう意味では「無限」なのかもしれません。

ハスの池_02_900
モノの究極ってなんだろう……「原子論」の世界なのかもしれないけれど、モノは分子でできていて、分子は原子でできていて、原子はそれ以上分解できない素粒子から成っている……と考える現代科学の階層的な考え方とはかなり違う見方が、ここにはあるような気がします。

バロック?といえばそうなんでしょうが、仏教にも同じような考え方があったような……ただ、これは、マトリョーシカみたいな単純な「入れ子構造」というのではなくて、もっと、モノの本質にかかわるあり方のような気がする。しかもそれは、「観察者の存在」がそこに大きくカンケイするような……

というか、モノを観察しているようで、実は、観察している自分も観察する。モノの世界のあり方というのは、本来そういう複雑な関連を除いてありえない。そして、そのすべては、大きく「地球」という惑星に収斂されていくのではなかろうか……「宇宙」ではなく「地球」。そして、私自身。

そういう意味では、「ハスの鉢の宇宙」ではなく、「ハスの鉢の地球」なのかもしれない。そして、「ハスの池の私」。Lotus of pond of the earth. Lotus of pond of myself. この文章が、英語として意味を持つのかどうかはわかりませんが、「universe」つまり「一韻」というのは、バロック的ではないなあ……

別に、バロックである必要はないんですが、この「ハスの鉢の中……」を眺めていると、やっぱりバロックだなあと思ってしまいます。別に、一つの価値観に統制される必要はないのではないか……いろんなものが混ざりあっていて、それぞれにまた、その中にいろんなものが……

とりあえず、この混沌を統一的に見せているのが「鉢」であって、それを統一的に見るのが「私」……「統覚」の問題も関連するのかもしれませんが、この鉢が割れてしまえば、この中の宇宙も消滅する。私が壊れてしまえば、やっぱり「宇宙も」?いや、それはないでしょう。

というのは、「私」は「宇宙」に属するものであり、「私の身体」は「地球」に属するもの……なのだからでしょうか?「身体」は壊れて「地球」に戻ることができるかもしれないけれど(日々壊れて戻りつつあるけれど)、「私」は壊れることができない……この統覚のふしぎ……

というか、モナドのふしぎ……ライプニッツは、「モナドは本当の原子」だと言った。この「本当の原子」って、どういう意味だろう……見ているうちに、空は曇ってきて、このふしぎな「ハスの鉢の世界」も輝きを失い、「灰色のモノ」の世界に戻っていったのでした。

今日のkooga:BOOK OFF のふたり/A pair at “BOOK OFF”

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T市にある BOOK OFF に行きました。駐車場に並ぶふたり……なぜか、やっぱり男性と女性に見える。向かって右が男性、左が女性。たぶん、だれがみてもそう見えるんじゃないかな。結婚式?

BOOK OFF には、「お売り頂く方専用」の駐車場というのがあって、入口のいちばん近く。スーパーなんかだと、障害者用駐車場がある位置ですね。このお店の場合は、入口の近くといっても……

この写真のすぐ左に階段があって、それを昇っていかなきゃならないので、何十冊も本を持ちこむ人には結局タイヘンかな……しかもこの日は雨。写真を撮ったときにはあがりかけでしたが……

BOOK OFF のコーポレートカラーは、黄色とちょっと紫がかった藍色。「お売り頂く方専用」の看板もその色になってます。その二つの看板に挟まれて仲良く並ぶふたり……末永くおしあわせに。

今日のkooga:JR車内から/View from a car of JR Chuo Line

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これは、JR中央線の車内からの眺めです。JR中央線は、関東圏では有名?ですが、中部圏にもあって、こちらでは、長野の山から名古屋に出てくる電車というイメージです。この日は、中央線の千種駅から乗って名古屋駅に向いました。乗車時間はわずか10分ほどですが、「電車の旅」を楽しむことができます。

この写真は、電車がもうすぐ名古屋駅に着く……というくらいに撮ったもので、中央やや左寄りに、名古屋駅前の超高層ビル群が重なって見えます。かなり遠くに見えますが、このカーブを曲がってしまうと線路が直線になってもう車窓からは見えなくなり、すぐに名古屋駅のプラットフォームが現われます。

「電車の旅」はいいですね。なんか、自動的に運ばれていく感じが……バスでもそうなんですが、レールの上を運ばれていくというのは、どこか特別の感じが漂います。上下動がなく、滑るように移動する……レールの継ぎ目のカタコトという音がリズミカルに入って、ついうつらうつらとしてしまう……

ということで、忘れ物も多いです。以前、12月31日に、街で買物をすませて電車に乗って帰る途中で眠ってしまい、降りたときには網棚に置いた荷物を全部忘れていました。幸い、財布とかが入ったバッグは身につけていたので無事でしたが、街で買い出したお正月のための食材がすべて行方しれずに……
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ということで、その大晦日は、急遽、食材を全部買いなおすハメに……家族にとことん怒られましたが、なんとかお正月を迎えることができた……またあるときは、書類や本や筆記用具の入ったケースを座席に忘れ……このときも寝入っていて、降車駅のアナウンスであわてて降りたのがいけなかったのですが……

そのときは、どなたかが届けてくださっていたので、無事戻ってきました。このように、「電車の旅」には、特別の解放感、リラックス感覚があります。関東圏では「山手ホテル」といって、JR山手線をホテル代わりにして何周も寝ている人がいるみたいですが、名古屋には環状線がないので、それができません。

いや、正確には、地下鉄で環状線になってるのがあって、それでよければ寝てられるのですが……しかし、地下鉄で寝ていても、なんか風情がない。山手線みたいに地上の環状線だったら、ホテル代わりに寝ていても、そこはかとない風情があっていいんですけど……東京にも大阪にも環状線があるのに、名古屋にはない。

愛知環状鉄道というのがあることはあるんですが……これも名ばかりで、環状になってません。大体、名古屋圏(中部圏)に「国電区間」がないのは、不公平ではないでしょうか……東京、大阪にはあるのに……いや、今は国鉄じゃないので「電車特定区間」というらしいですが、この区間内では割安運賃が適用される。

まあ、通勤電車エリアということなんですが、東京と大阪の環状線エリア内では割引率がさらにアップするそうです。しかし名古屋にはこれがないので、JR運賃は目が出るほど高い。私鉄である名鉄、近鉄も、安くする必要がないので高い。で、みんな車を使ってトヨタ様の営業黒字のアップに貢献する……という次第。

このあたりの議員さん、なんで「名古屋に国電区間を!」とか、「名古屋にも環状線を!」と叫ばないんでしょうね。環状線(むろん地上の)は、それに乗って一周することによって、その街の全体を把握することができる。これが、実は、街に住み、暮らす人の意識に、潜在的な影響を必ず与える……と思うのは私だけ?
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車窓から、近づく名古屋駅のビル群を眺めながら、そんな思いにふけったのでした……

*東京の山手線ですが、路線としての山手線は、東海道線の支線で、品川から新宿経由で田端までの20.6kmなんですと。環状になってるのは、運転系統の山手線だそうで……ややこしいことです。まあ、たしかに、東半分は「山の手」というイメージではないですわなあ……ま、どっちでもいいんですが(乗る人にはカンケイない)。

*ついでに、大阪の環状線も、事業基本計画では、新今宮から大阪経由で天王寺までの20.7kmが「大阪環状線」で、新今宮―天王寺間の1kmは関西本線なんだそうです。要するに、輪の一駅分が開いてるわけですが、運行管理や旅客案内では、この一駅分をつないで「大阪環状線」といってるそうです。これも、乗る人にはどっちでもいい。

*上で、名古屋では地下鉄が環状線になっていると書きましたが、これは、名古屋市営地下鉄名城線のことで、路線延長が26.4km、駅数が28駅なので、実は大阪の環状線よりも規模が大きいことになります。駅数も、山手線より一つ少ないだけ。しかし、地下なので、環状線という認識のされ方があまりされてません。もったいない……

*ついでにいうと、この名古屋の地下鉄環状線(名城線)は、軌間、つまりレールの幅が1435mmで、これは東海道新幹線と同じです。山手線の軌間は1067mm、大阪環状線も1067mmなので、名古屋の地下鉄は、新幹線と同じレールを地下に、環状に引き回していることになる。まあ、車両自体は小さいのであまり感じませんが、これもなんかもったいない……

今日のkooga:駅裏看板/Reversed signboard,again

ホテル銀座_600
また、「裏返された看板」を見つけてしまいました。
(この写真、画像加工で裏返したものではありません)

以前に、「神無月書店」の裏返された看板を紹介しました。
リンク
あのときは、はじめて見たので、びっくりしましたが……
今回は、2度目だったので、再度びっくり。信じられない……

ホテル銀座2_600
やっぱり裏返ってた!

これは、もう、どう見ても意図的にやってるでしょーと思って一階入口を見ると……

名古屋銀座_600
「ビジネスホテル銀座」さん、潰れてましたね!
「8・10生活 名古屋銀座」という、ふしぎなお店に……

なんじゃろ?と思って、ネットで調べてみると
「8・10生活 名駅銀座」というのが出てきて、これは、高齢者用賃貸マンションだそうです。
「名古屋銀座」と「名駅銀座」
ビミョーにちがうんですが、地図にある場所はドンピシャ。
たぶん、コレだと思います。

「8・10生活」は、「ハッテンセーカツ」と読むそうな。
まあ、ビジネスホテルが潰れたので、後を、高齢者用賃貸マンションにしたということ。
家賃が、管理費、食費こみで95500円と異常に安い。
したがって、これは、福祉施設ということになるのでしょう。
ネットでみると「年齢制限なし」とあるので、高齢者用というよりは、低所得者用なのかな。

このビルは、名古屋駅の西側、いわゆる「駅西地区」にあります。
ビルのある前の通りは、「駅西銀座」という名前になっている。
まあ、全国どこにでもある「◯◯銀座」というイージーネーミングの一つです。
「ビジネスホテル銀座」も、ここから命名されたんでしょう。

駅西銀座_600
ここらへんは、昔はビジネスホテルや木賃宿みたいなのがいっぱいありました。
この「ビジネスホテル銀座」も、そのうちの一軒だったんでしょう。
潰れて、後を低所得者用の福祉施設にしたんだけれど、電光看板の文字を新しくする余裕はない……
なので、とりあえず、ビジネスホテルはやってませんぜ、ということで裏返しとけと……
そんなことなのかな?

この日は、野外活動研究会の方々と「駅西地区」を歩いたんですが……
その中の一人の方が、「潰れた店の看板を裏返す習慣はあるよ」といってました。
あるいは、「外すとお金がかかるからとりあえず裏返しにしたんだろう」という人も。
まあ、たしかに、福祉施設なら、あえて電光看板をかけておく必要もないんでしょうし。

駅西地区……昔は、「駅裏」といってました。
私がこどもの頃は、ちょっとコワい場所で、親や先生からは「絶対に行っちゃダメ」といわれてた。
なので、私の中には、黒い伏魔殿みたいなデュオニソス的イメージが形成されてました(住んでる方にはわるいけど)。
それが、いつの頃からか、「裏」はよくないんじゃないの?ということで「駅西」ということに。
だけど、反対側の、明るく輝くアポロ的サイドは「駅東」と言わないで、単に「駅前」のまま。
まあ、やっぱり「差別感覚」というのは、言い方を変えてもなくなりませんね。

名古屋の骨格_600
名古屋の街は、東海道線と新幹線がちょっと西に寄って走っています。
南南東から北北西に。
だから、街の中心部は、名古屋駅の東にあります。
街の中心部を乗せる洪積層の熱田台地は、地盤が固くて標高も少し高い。
それが、西にいくにしたがい下がって、やわらかい沖積平野になっていく。
その境目に、名古屋駅があります。
(正確には、堀川あたりが境目で、名古屋駅はそのちょっと西)

したがって、駅から東は乾いた高い場所。
駅から西は、湿った低い場所。
そういうふうに、はっきりと分かれています。
「裏」という感覚は、まさにこの区分を表わしたものでした。

濃尾平野の東海道線の下には、「第2震列波道線」があると言われています。
明治初期の濃尾大地震のときに、揺れがひどく、大きな被害が出たライン。
これが、東海道線とほぼ一致している。
まあ、ようするに、地盤の弱いところに鉄道をつくったということか……
(工事がしやすかったのでしょう)

高層ビル_600
今、名古屋駅前は、「リニア効果」で建設ラッシュ。
超高層ビルがポンポンできているんですが……
「第2震列波道線」の呪い、よもや忘れたわけではないでせうね。
見るたびに、コワくなるんですが……
まあ、倒れたら倒れたで、しょうがないのかな。

この日は快晴。中村区役所まで歩きました。
おつかれさんでした……

今日のkooga:すえひろがり/Repdigits of eight

すえひろがり_900
8のゾロ目です。88888km。愛知県の足助の山道を走っているときに出ました。めでたい……。道わきに車を停めて、いそいで撮りましたが、そのあと、ちょっとはずれた郵便局までいって、そこでも撮影。これは、郵便局の駐車場で撮ったもの。うちの車は、1km単位でしか出ないので、郵便局までもちました。

こういうのに縁起をかつぐのって、まともに考えたらばかばかしいですが、なんとなく嬉しくなってしまいます。7のゾロ目(ラッキーセブン)のときは逃してしまいましたが、すえひろがりの今回はみごとにキャッチ!……山道を走っているときに、なんとなくメーターを見たら88880kmだった……

これはもう、撮らねば!と思ったけれど、山道だし、うまく車を停められるか……結局郵便局の駐車場までもったのはラッキーで、ゆっくりと撮影することができました。ちょうど出さなきゃならない郵便物もあったし……この日投函した郵便物はもう着いていると思います。福もいっしょに届いたかな?

ちなみに、以前にもこのテの写真をアップしたなあ……と思って調べてみますと、85000kmが2015年の2月9日。したがって、約3ヶ月たらずで4000km近く走ったわけで、これは多いのか少ないのか……日割りにすると50km近くにもなりますからやっぱり多いのかな? 個展での東京往復とかも入ってますが。

いずれにせよめでたいことです。この写真を見ている方にも福が伝わりますように。

今日のkooga:85000

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以前に、うちの奥さんのクルマが<141414km>になった写真をお目にかけましたが、今度は、私の運転するクルマが85000kmのキリ番になりました。これも、赤信号で止まったときに偶然発見。スマホでカシャッと撮って、クルマが動き出してほどなくメータは85001に……この瞬間が撮れたのも、なんかふしぎな気がします。……まあ、でも、よく乗ったなあ……

今日のkooga:指導者の稚気/Childishness of the leader

稚気_600
今回の、イスラム国による後藤さん、湯川さんの斬首事件について思うこと……まず、二人は、みずからのぞんで、危険であることを知りながらそこへ向かって殺された。「自己責任」という言葉はお上ぽくてキライですが、要するに、自分自身の志を貫いてそういう結果になったんだから「本望」というべきか……ある意味、いさぎよい死であったと思います。

ところが……ふしぎなことに、死後、後藤さんの方はもう殉教者といいますか、すばらしい人だといって、みながこぞってまつりあげる。まあ、たしかにすばらしい人だと思いますが、ちょっともちあげすぎじゃなかろうか……これではまるで、キリストではないか……これに対して湯川さんの方は……といいますと、だれもなにもいわない。この落差……

「民間軍事会社」……この言葉は、たしかにいい響きではない。なんかうさんくさい……ということで、だれも触れたがらないので、ホントはどういう人で、どういう志をもって「あの地域」に入ったのか、だれにもわからない……ホントは、後藤さんの方も、本人の思いは本人にしかわからないのだけれど、だれもが「すばらしい」という……

お二人は、「本人」という視座から見るならまったく同じであるはずなのに、この扱いの差はなんだろう……そこにはすでに、いろいろな思惑や思いこみや……われわれの感情や善悪の判断や……いろんなものが入りこんでいるのを感じます。そういうものを取り払って、そこにはじめて見えてくるものは、はたしてなんなのだろうか……

今回、ふしぎなのは、湯川さんが「あの地域」に入っていった心情というものが、日本に暮らすフツーの日本人にはわからないのですが、それ以上に、なぜ、後藤さんが彼を追って入っていったのか……そこがわからない。これは、わかるようでわからない。後藤さんにとって、湯川さんは、「かけがえのない存在」だったのだろうか……

おそらくそうだったのでしょう。でなければ、あの行動はちょっと理解しがたい。ということで、このお二人については、わからないことが多過ぎて、そう単純には判断できないような気がします……ところが、逆に、この事件にかんするABくんの言動はきわめてわかりやすい。彼の心情には、むずかしいところはなにもなくて、単純明快……

に、私には見えます。指導者の稚気……これほど困るものはない。カイロで、「2億ドル出すぜ!」と言ったときの演説は、だれが聞いても「有志連合に参加してイスラム国を叩くぜ!」というトーン。これをするっとイスラム国に利用されてあの動画がアップされるととたんに「いや、あれは人道援助で……」という。この人、まことにわかりやすいです。

指導者の稚気……同じことが過去にありました。ブッシュくんがイラクのフセイン政権を「大量破壊兵器の保持」を口実に叩いた。あのときの口調とそっくりで、稚気にあふれている……トップがたまたま子供っぽい人物だったのか……それもあるけど、もっといえば、そういう「薄い」人物をトップにしたがった国民の方に稚気が充満していた……

私は、やっぱり、湯川さんや後藤さんの心情にくらべると、指導者の心があまりにもナサケナイ稚気にあふれていて、その結果として、ブッシュくんはイスラム国を生み、ABくんは日本人全員をテロの対象にしてしまった……このあたりが、ものごとははたして偶然に左右されるのか必然なのか……そんなこともからんで興味深いなあと思いました。

ブッシュくんやABくんの稚気が働かずとも、ものごとは結局こういうふうに進んだのかもしれませんが……しかし、後の国会答弁なんかを聞いても、ABくんは自分自身の稚気のなせるわざについてはまったく認識がないみたいで、危なっかしいなあと思います。指導者の稚気……そして、そんな指導者を選んでしまう国民って……これからどーなる?……

もういちど、後藤さん、湯川さんのことに戻りますと、日本政府は後藤さんに対して渡航自粛勧告を三度も出していたという。しかし、後藤さんはふりきって行ってしまった。このことについては、だれも問題にしない。彼が「すばらしい人」だったから、渡航自粛勧告を無視して行動したということについても、それは問題にならないというのだろうか……

じゃあ、湯川さんの方は……彼に渡航自粛勧告が出ていたかどうかは知りませんが、彼の行動は無謀だったとみんな思っている。はたしてどこが、どうちがうのだろうか……このあたりは、「動かされてしまう心」を鎮めて、きちんと考えないといけないところだと思います。そうしないと、とんでもないワナに落ちてしまうかもしれない。ファッショの本質……

ABくんという指導者の稚気がまかり通っているのも、このファッショの問題と密接な関係がある。人は、自分の心が動かされたものについては甘くなる。逆に、自分の心につらいものに対しては厳しくなる。大勢の人の心が動かされて、それが波のようになっていったとき、乗る。そして、しらぬまに、しらないところへと運ばれていってしまう……

ファッショを呼ぶ指導者の言動は、しばしば稚気に満ちている。時代が変わって冷静に考えれば、なぜあんなものに動かされたんだろう……と思う。だけど、渦中にあるとわからない。イスラム国のPRは、ある人にとってはすばらしい。ABくんの稚気に満ちた言動も、やっぱり彼のことを評価する人にとってはすばらしいものと映るのでしょう。

では、後藤さんのやってきたことはどうなのだろう……私は、今まできくかぎりでは、やっぱりすばらしいと思う。しかし、では、イスラム国やブッシュくんやABくんの言動と、どこがどうちがうのか……少なくとも、彼の言動には稚気は感じられない。だけど……イスラム国はわからないにしても、ブッシュくんやABくんは稚気のカタマリみたいにみえる。

そこは、やっぱり大きくちがうところだと思う。湯川さんについては、これはワカラナイとしかいいようがないのですが……ただ、後藤さんを持ちあげて、流れにしていくという動きかたについては、やっぱりどこかに「ファッショ」を感じてしまいます。白と黒にくっきり分ける……それは、わかりやすいけれど、大きなワナにはまる道かもしれない。

自分たちは、指導者の稚気で動かされるような存在ではない……そうかもしれません。しかし、ではなぜ「稚気で動かされる存在」がいるのだろうか……その人たちは「劣っている」からそうなるのか……そこまでいくと、これは、明らかにおかしいと思います。一人の人の心は、やっぱり暗くて深いものがある。それは、誰の心もそうではないだろうかと……

昔の人は、古典に親しみ、漢文の素読なんかでみずからの精神を鍛えた。それは、やっぱり、自分の「おさなごころ」からの離脱ということだったと思います。人間の精神は、鍛えないと幼いまま……それをきちんと鍛える方法があったのだけれど、それはすでに崩壊して久しい……まあ、指導者にはせめて「稚気を棄ててよ」といいたいですね。ホント……

今日の写真は、この間、名古屋市の環状道路を走っていたときに、防音壁の壁に浮かびあがった「存在」です。見たとき、気持ちわるいなあ……と思いました。なんでこんなふうになるんだろう(まあ、壁の汚れなんですが)……ちょうど、後藤さんの生死に日本中がやきもきしていた頃……殺されちゃったんですね。お二人のご冥福を……

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20万年の笛/A melody of bamboo flute from 200 thousand years ago.

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今日は2日。名古屋市能楽堂で、新春謡いぞめがありました……この行事は、名古屋ではもう年始の恒例になっていて、能の五流と狂言方が仕舞や舞囃子、狂言舞や狂言語りを披露します。無料なので大人気で、今日も満席でした。みなさん、お正月気分で、福袋を持った人もいます。新しい年のはじめを、伝統の能や狂言を見ることでスタートしたいという心で、やっぱり能楽堂内も、こころなしか清々しい。

しめなわが飾られた舞台。伝統の四海波からはじまって、仕舞、舞囃子と続くところでついにあの大敵が……眠気が襲ってきました……まあ、能と眠気はとても相性がよくて、とくにお正月みたいに前の日のお酒も抜けきっていない状態ではガマンしろという方がムリで、ついうつらうつら……としているうちに、心はふしぎな夢の中へ……きれいな笛の音が、そのまま夢の中でも続いていたのですが……

なんと、そこは、20万年後の未来……私は、いつのまにか、未来世界の空間に漂う笛の音をきいている……その音は、2015年の1月2日に新春謡いぞめで聴いていたあの笛の音とまったく変わりません。ふしぎなこともあるもの……20万年の時の流れを経て、まったく変わらない笛の音が伝わっている……いや、笛ばかりではなく鼓も謡いも舞も、あの、謡いぞめのときとまったく変わらない……

なぜ、こんなに正確に伝わるのだろう……私は、ふしぎに思いました。20万年ですよ!……それだけの時間が流れれば、笛の音が伝わるどころか、能そのものがなくなっていてもふしぎはない。いや、人類自体がもう滅びていてもおかしくはないはずなのですが……でも、能は、昔とまったく変わらず、きちんと伝わっていたのです!うーん……ほかのものはわかりませんが、少なくとも能は、お囃子も謡いも舞も、まったく昔と変わらず、正確に伝わっていました。

なぜ、こんなことが可能になったのか……夢の中で、私は考えました。すると、必然的にある答に至りました。「おひゃーおひやり、ひういやらり」……舞のお稽古のときには、実際の笛のかわりに、先生が口で笛の音をマネしてこんなふうに言います。で、鼓の拍子はハリセンを持ってバシバシと……なるほど、そうだったのか……実際の能の流れを細かく分解して、それを一人でも再現できるように記号化して……この単位をつなげていくことによって、能は、伝えられる……

それはまさに、インターネットで、どんな複雑な情報でも細かくパケットに分解して伝達し、受け取る側がプロトコルにしたがって組み立て直す……そのプロセスとそっくりでした。「困難は分割せよ」これはデカルトの言葉だそうですが、複雑で大きなものも、小さな単位に分割して復元のプロトコルをつくっておけば、それは正確に伝達され、再現されます。なるほど……

能が、20万年後の未来にも正確に伝えられていたのは、そういう伝達のしくみがあったからなのか……感心しながら20万年後のしらべを聴いておりますと、それはまた、いつしか現在の名古屋市能楽堂に流れる笛の音となり……私は目覚めたのです。うーん……眠っていたのはほんの一瞬だったのかもしれませんが、その一瞬の間に私の意識は20万年の時を越えて、だれもうかがい知ることのできない……

人類の未来の姿を見てしまいました。少なくとも、そこに、能はきちんと伝わっていた……ああ、よかった……と安心した私の心はまた眠りに入り……そんなふうにして、起きたり寝たりしながら、いつしかプログラムは終盤に……たった一時間半の短い間でしたが、私の中では20万年の時の流れを渡り、また帰ってくるという悠久の意識のさまよい……世界って、ほんとにふしぎですね……

今日のkoogaは、名古屋市能楽堂の中庭につくってある池に落ちる水紋です。前日の元旦から雪で、能楽堂の屋根にも新雪が積もっていたのですが、今日の晴れ間にその雪が少しずつとけだして屋根から池の面にぽたんぽたんと……いくつかの水紋が重なって無限のつらなりに目を奪われ……こういうのは、見てると飽きませんね。20万年……ということで、今年もいい年になりますように!

今日のkooga:他面的方法序雪/Method opening snow of another side

雪車_01_900
元旦。私の住んでいるところでも、雪が降りました。そんなに積もらなかったのですが、クルマのフロントには厚い雪の壁が……やがて少し晴れてきて、おもむろにとけだしました。

雪車_02_900
なぜか、こういう写真を撮っていると、飽きない……まあ、お正月だから? いいのかもしれません。

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