今日の essay:19世紀という病・1

19世紀という病が、広くこの星をおおっている。

燃えあがる巨大なビル……壮麗で、しかも機能的で、人が暮らし、日々を楽しむためのさまざまな設備がはりめぐらされた膨大な建築……それは、日々、増築を重ね、世界をのみこむ……しかし、新しく建てられた部分にもすぐに火の手がのび、炎に包まれて無惨に焼尽される……この、建設と火災の連鎖が、やむことなく世界をおおっていく……。

この病がはじまったのは、やはりヨーロッパ……大バッハの死の年、1750年が一つのピリオドとなるのではないか……私たちがこどものころ、中学校の音楽教室には、作曲家の肖像がずらりと掲げてあった。音楽の父、大バッハと音楽の母、ヘンデルからはじまり、モーツァルト、ベートーヴェンを経てワグナー、ブラームス、そしてストラヴィンスキーあたりまで……

そう、これが、もろに「19世紀」なのだ。拡大版19世紀。それは、1750年からはじまって、20世紀の半ばあたりまで続いた。いや、それは、地域を変えて伝染し、今なお終息の気配もみえない。ヨーロッパは昔日の力を失ったが、アメリカで拡大され、アジアに移る。今ちょうど、朝鮮半島から中国大陸が、19世紀という病に呑みこまれかけている……

19世紀•

19世紀の特徴。それは、人間中心主義ということかもしれない。人が紡ぎだすさまざまな物語。それは、常に拡大する。楽器。かつては人の手の中にあった楽器が、音量の拡大を求め、それは巨大なホールを生んだ。数千人収容のホールの隅々まで届く音量。ヴァイオリンの弦はガットから金属になり、木製のフレームが棄てられて鋼鉄製のフレームが登場……

ピアノフォルテ。それは、20トンもの張力に耐えうる鋼鉄製のフレームを必要とする。その鋼鉄技術は戦艦を生み、戦車を生み、世界を破壊し、生命を根絶やしにする。そして原子力。19世紀の末に誕生した原子の内部に踏みこむ人の力は、とてつもない怪物を生む。原子爆弾とゲンパツ。この二つは、19世紀が生んだ悪魔の双生児。人類に引導を渡すもの……

ピッチインフレ。415ヘルツが440ヘルツになる。人は、緊張の成長を強いられ、人の文明がすべてを呑みこんでゆく。19世紀……それは、まだ終わっていない。人は、19世紀の意味を知るまでは、新しい時代を拓くことができない。民主主義……しかし、それは、人間のことしか考えていない。19世紀は、人にのみ価値を置く時代。すべては人のためにある……

金の輪が支配する世紀。人は、自然から当然のように収奪を続ける。経済の成長の最後のポンプは、自然の中にさしこまれ、間断なく吸いあげ続ける。そして、要らなくなったものを吐き出し続ける。すべては人の、くだらない欲望のために……人の目は宇宙に向けられ、そこも、新たな「資源」の場として……鷹の目の人の奢り……どこまで続くか……

人類は、やはり19世紀を卒業すべきだと思う。そのためにはどうしたらいいのか……右肩上がりの神話をやめてみるのか……金の輪の意味を考えてみるのか……中学校の音楽室に掲げられていた作曲家たちの肖像が、なぜあのメンバーなのか……それを考えてみるのか……そして、ゲンパツと宇宙開発の意味、それを問い直してみるべきなのだろうか……

すべての答は、結局、自然が出してくれるのかもしれない。人が、人自身の文明に対する答を出しきれない以上、自然が出してくれるのを待つしかないのか……ナサケナイ。もろに19世紀の遺物である「オリンピック」をぶらさげられて理性も飛び、「フロイデ……」と歌って、なにか理想を達成したような気分になる……どういうことだろう……

まあ、やっぱり、自然が究極の答を出してくれるのでしょう。ホント、ナサケナイ話ですけど……。

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