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19世紀の終了/The end of the 19th century

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トランプくん、ついに大統領に……
これで、長かった19世紀もついに終了……
J.S.バッハの死の年、つまり1750年から、なんと266年続いた。
ナンマンダブ……

私は、「拡大版19世紀」という妄想?を持っていて、19世紀というのは、実は百年ではなく、数字の19世紀(1801年~1900年)をはさんで前後に伸びているのではないか……と、そう思っていました。(リンク)

じゃあ、拡大版19世紀のはじまりは?というと、これは、J.S.バッハの亡くなった年、つまり1750年に置くことができる。これは、私のなかではなぜかすんなりと、疑いの余地のないスタート地点として、ずっとありました。

しかし……19世紀の終わりは?というと、これが見えない。第二次大戦の終了した1945年かな?と思ったこともありましたが、でも、戦後の人々の暮らしは、やっぱり戦前の暮らしを継承しているように思える。「暮らし」という観点からすると、ホントに世の中が大きく変わったのは、高度経済成長が終息を見せはじめる1970年くらいじゃないか……

しかし、このピリオドも、やっぱり完全に正確とはいえない気がした。はじまりのJ.S.バッハの死の年、1750年にくらべると全然ボケてる。「21世紀」に入っても、なんとなく19世紀がまだ延々と続いている……そんな感じがしていました。

しかし、昨日、トランプくんが大統領になった!その報道をきいて、「ああ、これで、あの長かった19世紀が、ようやく終わった!」と、そう感じました。

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これからは、「素の時代」、「ホンネの時代」になるんだと思います。

彼の勝利のかげに、「隠れトランプ」なる人々がいた……そういうことも言われていますが、「オレはトランプに入れるぜ!」というのが恥ずかしい。インテリがそうだったと言われますが……自分の素の部分、ホンネではトランプ氏の言ってることにおおいに共感しながら……でも、やっぱりそれを口に出していうことはできない……なぜなら、それは「理性」に反するから。

人種差別、イスラム排斥、女性蔑視、マイノリティ抑圧、保護主義……「白」のオレたちだけが良ければそれでいい、違うヤツらは出ていけ!……こういう考え方は、たしかに「ヒュマ二ティ」には大いに反します。アメリカには、「ポリティカル・コレクト」という言葉があると聞きましたが……これはつまり、「人種差別? そんなのフツーにダメじゃん」とか「女性蔑視? アンタいつの時代の人?」とか、そういう「政治的には当然正しい」という考え方をさすらしい……

そこらへんの「低賃金労働者」ならトランプ的な「アホな考え」もしかたないけれど、あんたは立派なインテリでしょ? インテリがそんな考えでいいの?……ということで、「トランプ支持」をなかなか人前で言い出せないインテリ……そういう人が、今回の「大崩壊」のきっかけになった?……

あるいはそうかもしれません。しかし、私は、今回の「番狂わせ」は、今、世界で起こっている一つの大きな流れの一環……それも、もっとも目立つ形で突出した巨大な波ではないか……と、そう感じます。

イスラム国、テロ、各国が保護主義になって時代錯誤のヘンな右翼が台頭……だれもが自分のことしか考えられなくなって、「社会が悪いのは、オレの暮らしがいかんのは、アイツのせいだ! アイツらが悪い!」と叫びだすこの社会……もう、理想も理性もどっかにふっとんで、みんなが自分やまわりのことしか考えず、ああ、人類って、こんなにナサケナイ種だったのか……と思わず嘆息……

しかし……よくよく考えてみれば、その「理想」や「理性」が、それほどに完璧なものだったのか……人類のいろんな考えやものの感じ方を、無条件に突破して「上位」に置かれるほどにすばらしいものだったのか……かなり厳しい言い方になりますが、その「メッキ」がどんどん剥がれつつある……そんな時代に入っているなあ……と、そう感じます。

そして……考えてみれば、そういう「理想」や「理性」が、「絶対のもの」として確立されてきたのが19世紀……その「準備」と「残響」の時代を合わせて、1750年から今年、2016年まで266年間も続いた「19世紀」だったのでした。

この「拡大版19世紀」のあいだに、人類の科学技術は信じられないほどの「進歩」をとげましたが、それを支え、またその果実によって形成されてきたのが、「19世紀思想」だったと思います。万博やオリンピックもぜんぶここに入る……

この長い「19世紀」の間に、人類は、現在「ポリティカル・コレクト」として形成されているさまざまな「理性的考え方」を築きあげてきたのだと思います。たくさんの人々の悲惨な苦しみを代償として……だから、そういう「理性による支配」は、もうすでに盤石なものと思われていた。

しかし……人間の心の根っこに根ざすものというのは、そう簡単に、理性ごときにやられて根だやしにされてしまうものではなかったのですね……やっぱり、その傾向が顕著になってきたのは、最近、とくに21世紀に入ってからではなかったか……あの、9.11がツインタワーの崩壊により印象的に世界の人々に見せつけた「アンチ理性」の反乱……それは、世界中で同時に噴き出し……ついに、今年、「トランプ大統領」として結集した。

「理性?ポリティカルコレクト?なにをキレイゴトばかり言っとるんじゃ。そんな絵に描いた餅より、もっとだいじなのは、オレの生活が良くなることじゃ!」と叫ぶ人々が世界中に……

インテリは、「お前たち、自分のことばっかり考えてて、恥ずかしくないのか!もっと世界全体、人類全体のことを考えないと……ナサケナイやつらじゃのう」と言いますが……そして、21世紀を迎えるまでは、けっこうそういう考えも通用してきたように思いますが……もう、ここに至るとダメですね。で、「理性の大崩壊」が起こって、とうとう「トランプ大統領」……

長い19世紀の間に、人類がおびただしい犠牲を払ってつくりあげてきた「理性の殿堂」……それが、あっけなく崩壊した。もう世界中、人々はみな「自分のこと」しか考えられなくなっている。インテリにとっては、これは「世界の崩壊」であり「人類の終末」と映るかもしれませんが、それは、ホントにそうなんだろうか……

私は、もしかしたら、もうちょっと違う傾向なんじゃないか……と思います。今まで「理性」でムリヤリ抑えられてきた人々の「ホンネ」がついに噴出……第一次、第二次大戦の「クスリ」がもう切れかかって、戦争を知らない世代が人口の大部分となった今、「苦しみの実感」ははるか遠くに流れ去り……

ということで、これからは、「理性というタテマエ」が外れた「ホンネの時代」に入るんじゃないかと思います。人々の「素の心」はいったいなにを求めるのか……それはまた、今まで血と汗と涙で築いてきた「理性」に対する批判にもなると思う。人類が、266年という長い「19世紀」の間に苦労して造りあげてきた「理性」。その正体が、これから明らかにされます。そして、これからはじまる「大洪水」のあとにはどんな世界が来るのだろうか……たぶん私は死んでますが、もしかしたら生まれ変わって、その「新しい世界」にいるのかもしれない……ナンマンダブ。

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オマケその1.19世紀のつめあわせ。理性、理想、理念、民主主義、オリンピック、万博、原子力、宇宙開発、EU、TPP、ポリティカル・コレクト、グローバリズム……いろいろ入ってます。でも……袋に書いてある「賞味期限」、よく見ると、なんと「2016年11月8日」でした。

まあ、「賞味期限」であって、「消費期限」じゃないから……ということで、まだ食べられるんじゃ……という意見もあるのかもしれませんが、衰退していくもの、消えゆくものをいつまでも追っかけるのもムナシイことかもしれません。いずれにせよトランプさん、「パンドラの箱をあけた男」になってしまいました。底に「希望」が入っていればいいのだけど……

オマケその2.12日のNHKの番組で、日本文学を研究されているロバート・キャンベルさんが、今回の「トランプ現象」について、おもしろいことを言っておられました。正確に再現はできないのですが……今回のことで、「これまで、地球温暖化の会議なんかを普遍的に支えてきた考え方が崩壊しはじめたというのがいちばんの問題」みたいなことを言っておられた。

ハッとしました。やっぱり、文学系の人って、見方が深い。今回の「現象」を、単に「分断」とかの表層的な観点からとらえるのではなく、これは、もしかしたら「普遍の崩壊のはじまり」ではないか……と、そんなふうにとらえておられるように思えた。

考えてみれば「普遍」というのも、元々からそこにあるものではなく、それはもしかしたら、人類が、長い歴史のあいだに「つくりあげた」ものなのかもしれない。元々そこにあるものを見出すのは「発見」ですが、新しくつくりあげるのは「発明」……

はたして、「普遍」は「発見」なのか「発明」なのか……もし、それが「発見」であるとしたら、今回一度失われても、それはなくなったワケではなく、底流にきちんと存在していて、将来またそれを「発見」することは可能です。しかし、もしそれが「発明」だったとしたら……一度失われたものは、もう二度ととりもどせないかもしれない……

そうすると、人類の歴史というものは、塗炭の苦しみのなかで、莫大な犠牲を払って、ようやく「普遍」を「発明」したのだけれど……それが、今現在、つまり「2016年11月8日」をピークとして衰退し、失われてしまう……ということは、「人類の歴史のピーク」もまたここにあったのか……

どうなんでしょうか……

オマケその3.アメリカ大統領選挙だけは、全人類が投票できるようにしてほしい。

ヒドイ……/awful !

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報道破壊と国威発揚のオリンピックもようやく終わり、やっと「正常」に戻りつつあるのは喜ばしいことです。それにしてもあの、「ラストを飾るアベマリオ」……がんばった選手たちはかわいそう。なんであんなもんのために……とは思わなかったのかなあ。同情します。と同時にオソロシイことだと思います。あんなもんを、3分の2が支持しているというこの日本の現状は。

ヤメリンピック?/no more olympic?

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毎日、オリンピックのニュース。
金メダル、何個とったとか……
で、日の丸があがると喜ぶ。
なんとくだらないことでせう。

だいたい、メダルって、選手個人の栄誉を讃えるために贈られるものじゃあないの?
それが、もう、「国の栄誉」を讃えるものになっちゃってませんか?
ロシアのドーピングなんか、そのもの、でしょう……
まあ、戦争やってる、という意識なのかな?

オリンピック……そろそろ、やめどきでは?
19世紀にできたこの制度。もう限界では。
戦争の源泉は、日の丸が上がって喜ぶ心の中にあると思う。
「国境のない世界」が理想だったんじゃ……

オソロシイ……

脱五輪・全廃炉

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今、日本のやるべきことはこれだと思います。

もうムリでしょう、五輪。そして、即時すべてのゲンパツを廃炉にすること。コレしかないと思います。

これはもう、理論でもなんでもなくて、フツーに理性を持ってる人ならみなわかること……それこそ「こどもでも」わかる。

福島であんなことが起きて、今また九州があんなことになってるのに、それでも五輪やるんですか?
川内原発も停めてない。

震度7なら緊急停止するからって??
なに考えてんだろ?
バクチよりヒドい……

だいたい、みな、不安がってるじゃないですか。
科学的に安全だから?
それで福島がああなったんじゃないの?

学ばん人たちだなあ……
そういう人たちが、国を動かしてる。
で、たくさんの人が支持してる。
オリンピックというニンジン、ぶらさげられて……

これはもう、お気楽と真実の戦いだね。
自分が儲かる、自分の儲けを守る……
そういう人が、ABくんを支持する。
それって、幻想なんじゃ……

金持ちが儲かれば、貧民にもおこぼれが?
どんだけ人をバカにしてんだろう。

進歩。経済。楽しい生活。そして「強い日本」。
いーかげんにしてくれー
みんな、そんな「まぼろし」にたぶらかされてるの?

真実を見ようよ。
福島で、九州で……あんなことが起きてるのに……
それでも五輪、やれるんでしょうか。

別に、五輪の金を回せ……とかいってるんではない。
そんなケイザイのことよりも、これは「倫理」でしょう。
というか……フツーの人間の気持ちとして……
そこまでお気楽に、自我欲にできるのかな?

みんな薄々、「次は自分の番」とは思ってる?
でも、認識してないフリをしてるのか……

もうゲンパツ事故はないと思ってる?
あっても、自分からは遠いだろうと思うの?
お気楽だなあ……

いちばんだいじなことは……
あっ!という、その思いですよ。
あっ、という思い……
それしかないでしょ。

でも、たぶんここは大丈夫だろう……
まあ、自分はいいんじゃないか……
そんなん、考えられないし……

ということで、無認識の順番待ち。

そうじゃなくて……
やっぱり、ちゃんと考えて……
五輪返上・原発即時全廃炉。
未来の人に、マトモな祖先だったなあと思われたいなら。

なんとかそっちに行ってください。
たのんます……

世界標準?/A global standard?

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TPP、妥結しましたね。オバマさんはけっこう正直で、「中国みたいな国に、世界標準を取らせるわけにはいかないから……」みたいなことをおっしゃってましたが、やっぱりホンネはそのあたりなのかな?

これで思い出すのが、先に日本の国会を「通った」(というか、ムリヤリ通ったことにした)日米新安保、日米同盟ですが、これで、日本は、軍事においてもアメリカを「世界標準」と認めて、みずから米軍の傭兵になります、と……

世界標準……この問題は、先頃のフォルクスワーゲンの大失態もそんな感じ。未来のクルマは、なにが「世界標準」になるかの争い……どんな分野でも、「21世紀の世界標準」に向けて、熾烈な争いがくりひろげられている……

オリンピックも、今話題のノーベル賞もそう。運動(身体)も頭脳も、みんな「世界標準」を目指してがんばる。0.001秒で「オレが世界標準」なんて、冷静に考えればバカな話……と思いますが、やっぱりみんな熱くなる。

ISOみたいな、モロに世界標準でござい!というのもある。言語では、もうとっくにアメリカ英語が世界標準。で、それをもとにしたインターネットもアメリカ。私みたいに英語がわからない人にとっては、疎外感が大きい。

この問題、実は、深刻です。自分が「世界標準」になれてるかどうか……それは、新しい「分類」であって、世界標準に入っていない人は「無意味」の烙印を押されてしまう。入れた人はいばる。で、入ってない人を見下す。

『ヨハネの黙示録』に、そんな箇所がありました(以下引用 13章14-18)。

『さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。

それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。』(引用おわり)

この「黙示録の獣」については、さまざまな説があるようですが(皇帝ネロだとかバーコードだとか)、私は、この獣は、なにか特定の存在というよりは、人の考え方みたいなものをうまく表わしてるなあ……と思います。

TPPに戻ると、これはもう、世界のいろんなところにある、独自の「生産方式」を認めませんよ、と言ってるようなもので、食糧でもクルマでも、その他さまざまなモノが、すべて「世界標準」にもっていかれる。

まあ、別に、イヤならいいですよ……ということでしょうか。ただし、「輸出」がからんでくると門がピシャリと閉まる。国内であっても、その先にいろんな形で「輸出」が見えてくると、結局嫌われて締め出される。

モノの生産ばっかりじゃなくて、保険制度や特許など、無形のものもそうなる。日本でも、貧しい人々は、アメリカみたいに国民健康保険に入れなくなるのかも。中国の保険制度はどうなってるのかわかりませんが、どっちがマシかな?

先に、蔦屋が公共図書館の運営を任されて、役に立たない古本を買い集めて問題になりましたが、文化でもそうなるんでしょう。スポーツは、オリンピックでとっくにそうなってるし……この「世界標準」って、どこまで続くの?

なんか、極端なことを言ってるなあ……と思われるかもしれませんが、たとえば、オリンピックで、イスラム国が出場する!ということになれば、それはそれで意義があると思います(ますます極端でしょうか……)

まあ、イスラム国が、今のオリンピックに「オレたちも参加するぜ!」というとはとうてい思えませんが、もし言ってきたとしても、「あんたがたダメよ。世界標準じゃないからね」ということなんでしょう。

日本も昔、これで閉めだされましたね。「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」とか、あれは結局、欧米基準にかわる新たな「世界標準」を形成しようとするモクロミと解するのがわかりやすいのかなと思いますが……

欧米列強にみごとに「拒否」されてしまいました。まあ、ドイツもやっぱり閉めだされた側だったんですが……そこへいくと、今の中国って、やっぱり巧みだなあと思います。まず経済で「侵略」して、身動きとれなくしてから……

「ボーイング300機買うぜ!」と言われると、アメリカもやっぱり「マイドおおきに!」といわざるをえない。世界標準はまず経済侵略から……日本も、世界ではやっぱりそう思われているのかもしれませんが……

世界標準と地域性のことを考えてみると、これから先、世界中で、地域性、固有性がどんどん潰されていく……そして、世界が「一色に」塗り替えられていく……それはもう、とめられない傾向であると思います。

そうした場合に、この「地球」は、どうやって「抵抗」するのでしょうか。「その地」を守る人々が、心の底から骨ヌキにされて、われもわれもと「世界標準」になびいていくとき、「地」の抵抗は、「自然現象」となって出現する。

CO2とかPMとか放射能とか……いろいろ言われていますが、地球、大地、空気と水に負荷をかけすぎると、そこは自然に抵抗する。別に大地がそう思っているわけではないでしょうが、キャパシティ以上のものが乗っかると……

バランスが崩れて、当然すべての崩壊がはじまる。よく言われることですが、災害の起こりそうなところに家を建てる、街をつくるからえらいことになるんだと……でも、「世界標準」は、そういう「住み方」を人に強いる。

いなかでも、昔からの家は、できるだけ自然をうまく利用しつつ、災害のあったときに難の少ない場所を選んで建てられている。しかし、それでは、「世界標準」の押し寄せる力にもはや抵抗することができない……

ということで、家も街も、生産現場も、みな、「地の法則」を無視した世界標準の経済原則によって形成される……で、いったん「コト」が起こると脆くも大崩壊。システム全体が崩壊するので、災厄の規模もデカくなる。

今、政府、ABくんのとろうとしている方向を見ると、それは、「世界標準で勝つ」ということに全勢力を傾けよ!と、そう国民に指示し、かつ強制する……そうなっているように思います。経済も軍事も、そして文化さえも。

地の独自性……そういうものは、AB政府にとっては「克服さるべきガン細胞」にすぎないのでしょう。「1億」を一つの色に染めて「世界標準」を勝ち取ろう……そういうふうに言ってるように思います。落伍者は消えてね……と。

なぜこんなふうになるんだろう……ハイデガーは、「世界内存在」ということを言った。イン=デア=ヴェルト=ザイン。これは、人は、「世界」というものに、どうしようもなく根源的に結ばれている存在なんだ……ということ。

しかし、私は、たぶんこれでは甘かったんじゃないかと思うのです。人は、イン=デア=エルデ=ザイン、つまり「地球内存在」、あるいは「大地内存在」であるというべきでしょう。「地」との強烈な結びつき……

「世界」というとき、そこにはやはり、どうしても抽象的なものが漂う。ハイデガーの意図がどこにあったか……それは、私にはわかりませんが、彼が、一時ではあれ、ナチスに深く加担した……そこにヒントがあるようにも思う。

ドイツという国は、ヨーロッパでありながら、「中心」からはちょっと外れているようにも感じます。じゃあ「中心」ってどこなのよ?と聞かれると困るんですが、少なくとも、「辺境」というか、ハズレ感覚って、あるんじゃないか……

要するに、自分たちが「世界標準」を取れていないって感覚ですね。これは、日本もそうだったと思うし、今もそうだと思います。イスラム国なんかは強烈にそう。「世界」を目指す。世界征服……少年マンガの悪役の夢……

単純といえば単純ですが、必ずそうなる。世界標準の悪夢です。第二次大戦でナチスに追われてアメリカに亡命したトーマス・マンは、『ファウストゥス博士の成立』で、ナチスのドイツ人は、本当のドイツ人ではない!と語る。

彼は、ナチスへの憎悪をこめて、ホントのドイツ人は、あんなふうにはならない!と言ってます。彼の、この感覚はわかるなあ……太平洋戦争のときの日本の右翼も、アレは結局ニセモノで、ホントの日本人は違うんだと……

しかしではナゼ、「国をあげて」そうなっちゃったのか……日本もドイツも。ホントの日本人じゃない、ニセのドイツ人だ……と言っても、あのときは、かなりの日本人が、ドイツ人が、「心から」そういう「ニセモノ」になった。

今、サッカーやラグビーやテニスで、「ナントカジャパン」とか言って熱狂してる人たちを見ると、結局そうなんだなあ……と思います。ABくんは、スポーツだけじゃなくて文化面でもそれを利用して煽りたててるし……

ノーベル賞とかも、うまく利用されている。イスラム国にノーベル平和賞を!という人が一人でもいたら、ふーん、ノーベル賞もけっこう信用できるかもね……とも思いますが、まずそうはならんでしょうし……

まあ、イグノーベル賞に「平和賞」があったら、イスラム国の受賞は固いところでしょうが、もしそういうものがあったらまっさきにABサンにあげたい気もします……いや、彼は、「積極平和賞」でしたっけ……

ということで、「世界標準」をめざす各分野の競争は、これからますます加熱していきそうですが……そういうものにカンケイのない私などは、地の力を感じつつ、これからもここで、うずくまって暮らしていく。

そうなると思います。地の力……ホントは、世界って、そういうふうにあるのではないだろうか……世界標準をめぐる戦いが、白熱のあげく昇華されて無意味なものになってしまったとき、人は「地の力」を知る……

どんどん、どろどろ……地の底から、ぶきみな太鼓の音がきこえてきます。それは、大地を、大気を振動させ、「世界」を変えていく……ザイン=イン=デア=エルデ。それを知るとき、人は、本当に「世界」を知る……かも。

世界標準2500
今日の写真は、名古屋市千種区の今池という歓楽街の路上で見つけた模様です。この街は夜の街で、昼間はしらっと、すべてがどこ吹く風といった風情で存在していますが……今をときめくY組のナントカ会の事務所もある?

以前、この街の近くに住んでいました。いろんな人が行き交って、ときに熱く、また冷たく、右往左往しながら秋の空にふと視線をやると、そこは無限の宇宙空間に連なる空洞の底……だれかがじっと見ている。神、でしょうか……

神の視線、だったら、「世界標準」といってもいいのかな? でも、人の視線は、けっして「世界標準」にはなりえない。人は、大地の子。大地からつくられ、大地に還る。そんなアタリマエのことを、年齢によって再発見するのもまた楽し?

TからFへ/Fukushima 2011

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タイトルを見ただけで、ヤだなあ……と思う人も多いかも。水さす人っているんだよね……とか、そう思う人もいるかもしれません。ゲンパツの被災者だって、オリンピックを楽しみにしてる人もいるのでは……そういう意見さえあるかもしれない。でも、私は、このモンダイは、もっとだいじなことをさしてると思う。

すべては、ABくんの「under control」からはじまった。あの一言がなければ、たぶん五輪は来てません。それくらいに、フクシマのモンダイは重要だった。でも、いったん「Tokyo」となったらすべて忘却。ABくんの「under control」は、「フクシマ切り捨て宣言」だったと言っても過言ではない。

日本の光と影……これは、「Tokyo2020」と「Fukushima2011」に象徴されると思います。今、日本人は、「影」を忘れて「光」に酔おうとしています。しかし、ホントはどっちが光でどっちが影なのか……新国立とエンブレムの蹉跌(さてつ)で、もうそろそろ気づくべきではないかと思うのですが……

今の政権は、日本の全体を救おうとはしていない。これはたしかだと思います。日本は、戦後、憲法九条で「戦争をしない国」になった。これは、世界の国々の中でも希有な……というか唯一の「理想国」。しかし、もう一つ、これほど顕著ではないけれども、なかなかに良かったものがある……

それは、「国民全体」の幸せというものを、曲がりなりにも追求してきた国であったということ。総中流意識とか言われたりするけれど、「みな同じやん」という感覚……われわれは、これで育ったけれど、この意識は、たぶん世界の中では珍しいものなのではないか……あんまり外国に行ってないのでわかりませんが。

外国では、「差」が圧倒的にありすぎるから、ことさら「平等」を唱える必要がある。これもよくいわれてきたことですが、たしかにそうだったと思う。「だった」という過去形なのは、日本という国と国民が「変質」してきたから。そして、その大きなターニングポイントが、あの2011.3.11……

もう多くの国民が感じていることですが、日本という国には、明確に「階層」ができ、それが固定化しはじめています。AB政権は、もう「なりふりかまわず」に、そっちの方向に進もうとしている。だけど国民の目は、できるだけ閉じておきたい……ということで、いろいろ考えた。

「under control」の一言は、まさにその宣言だったといってもいいと思う。「貧と弱は切りすてるぜ!」と言うに等しい。経済政策、アベノミクスですか、それって、もう、明確に「2極化するぜ!」と言ってるに等しい。「戦争ができる国」という世界標準に合わせて、「民の2極化」というもう一つの世界標準……

ABくんは、先の「70年談話」で、とても立派なことをおっしゃった。でも、根本的に欠落している視点が、「今の世界」だと思う。もう「日本」ということじゃないです。「日本」という視点から見ているかぎり、今の世界でリッチに生き残るには、「戦争ができて」、「2極化もしてる」国でないとダメだと思う……

そこが、根本的にオカシイ。ABくんは、幕末長州藩の「思い」が濃く念頭にあるのかもしれませんが、「日本」という国の概念を立ちあげなければいけなかった「昔」と、「今」とを混同してもらっては困る。幕末に、幕府や各藩が、「国」といえば「わが藩」だったときのことを「今」に転用するのはアナクロだ……

じゃあ「今」は……というと、やっぱり「日本」を越えていかなきゃならない……それはたしかだと思います。経済も文化も、ベースとなるものがもうすでに「日本」とか「国家」という枠を越えて広がっていってる状態で、「理念」として立ちあげるのが「日本」……これでは、アカンのとちゃいますか?

なんであんなに「日本」を強調したがるんだろう……アイデンティティですか……スポーツでも文化でも、別に、世界にはいくらもすばらしいものがあるんだし、日本人とか、それほどに「誇り」を希求しなきゃならんくらいに弱いモノなんでしょうか……なんか、ナサケナイと思うのは私だけなのかなあ……

フクシマのモンダイが解決されていないかぎり、われわれは、オリンピックという「目の前にぶらさげられたニンジン」に酔いしれるべきではない。そう思います。このモンダイを、「日本」という枠を越えて、「人類の文明」という全体的な視野で考える……その方向にしか、ホントの未来はないのでは?

パクリンピック?/PLAGIARINPIC ? 2020

Web
ビリ研さん、パクったのかパクらなかったのか……まあ、「李下に冠を正さず」というところなんでしょうが、それよりも、このモンダイ、もっと大きな背景を持っているように思う。そのひとつが、というか、いちばん大きなものが、日本の国の若い方々、これからどっちへ行くの?ということじゃないかと思います。

まあ、直截にいえば、「オリンピックで浮かれてる場合ですか?」ということでしょう。1Fはまだぜんぜんかたづいてないし、戦争への分岐点はもう通過してしまったし(3年前にAB政権を選んだ時点で)、これからいったいどうするのかな? ヒトゴトながら気になります。日本の国の若い方々、これからどうするんですか?

昨日、テレビで、新安保反対のデモに参加したSEALDs メンバーの女性のインタビューをやっていました。「ホントはこんなことしたくない。フツーに日常を楽しみたいけど、やむにやまれぬ……」そんな主旨だったと思います。聞いてて、え?ちょっと待てよ……と思ったのはたしかです。フツーに日常を楽しむ人って、そんなにエライのかな?

なんか聞いてて、ビミョーにゴーマンな感じを受けたんですね。この団体、大丈夫なんだろーか……前に、代表の方のインタビューでも感じたんですが、あなたがた、今、気楽にオリンピックだのなんだのといってる、その「フツーの日常」って、どーやってできたんですか? つくったのはダレなんですか? そこ、考えてる?

私は、どうしてもABくんの「戦後70年談話」を思い出してしまいました。明治維新から説き起こし、先の戦争に至った経緯を述べて、今につなぐ。前の2つの談話、村山談話にも小泉談話にもなかった(というか欠落していた)視点です。戦争、侵害でメーワクかけた。ゴメンね……ということで、戦争に至った経過はバッサリ切って、謝罪。

本質からすると、ヘンです。ものごとにはなんでも、必ずそこに至るだけの理由がある。ライプニッツの充足理由律じゃありませんが、結果からすべてを判断するのは、潔くみえても必ず後に禍根を残す……というか、正しいやり方ではないと思います。この点、先のAB談話は、「戦争に至った経緯」を述べようとしている。

その内容には賛否があるでしょうが、先の2つの談話に比べると明らかに「一歩前進」です。この点はきちんと評価する必要があるんじゃないかなあ……まあ、これだけ「立派な」談話を出しといて、やってることがその正反対というのは大いにモンダイですが、「抗日70年記念軍事パレード」の習さんの演説もそうでしたね。

「不拡大」とか「軍縮」とか、ようあれだけみごとに正反対のことを言えるなあ……と。AB70談話も、習さんほどみごとじゃないにしても、現実にやってることほぼ真逆で、まあ、政治家なんてあんなものか……と。だから、SEALDs の若者たちには、その路線にハマってほしくないなあと思うワケです。「ホントはしたくない」なら、やらなきゃいい。

なんでそんなにカッコつけるんだろう……以前にM議員が、「戦争に行きたくないという利己主義」と言ってましたが、その利己主義でええやないですか。単純にそれで。もったいつけなくても、ちゃんと通じるんだから。「日常を楽しみたい」んだったら、こんなデモに出ないで、日常をたっぷり楽しんだらいいと思う。

要するに、「日常を楽しむ」というその「日常」が、なんによって成り立ってるのか……ということじゃないでしょうか。それがわかれば、「日常を楽しむ」という心自体が失せるでしょう。これは、実は「哲学」のモンダイだと思います。かなり濃厚に……言ってることとやってることの「一致」は、なにも政治家にだけ要求されることじゃない。

とくに、デモとかで「立場を明らかに」した以上、そこはもっと徹底してほしいなあと思うのですが、どうでしょうか……オリンピックで浮かれてる場合ですか。はっきり言って、今の日本の状況では、「返上」しかないでしょう。福島原発も、被災地も、なにも「終わって」いないのに、いったい日本国民って、なにを考えてるんだろう……

東京五輪。福島の電気で浮かれた東京で、またさらに浮かれるんですか? あんまり定型的な言葉は使いたくないけれど……これはやっぱり、一人一人の「倫理感」に関係することじゃないかと思う。ビリ研さんが「パクる」?ということも倫理感のモンダイがまず第一にくるんでしょうが、倫理感がけっこう崩壊してませんか?

与えられた平和と享楽……ABくんも官僚さんたちも、好きこのんで戦争をやりたいワケではたぶんないでしょう。しかし、戦争するしかもう道がない……と考える。なんのために? 今のこの、「平和」で享楽的な日本人の生活を守るために。日本人を2極化して、「豊」の平和で享楽的な暮らしを守るために、「貧」の日本は犠牲にする。

彼らの発想では、もうこれ以外に道はないということでしょう……で、それをなんとなくわかってきた人々は、なにがなんでも「豊」に入りたいと願う。おそらくSEALDsでインタビューを受けてた方々は、そこんところの認識が甘いんじゃないかな……「豊」には絶対は入れないし、そうなると「平和で豊かな生活の享楽」はもうすでに不可能。

もし、日本人が、「豊」が一部に偏り、それを「貧」が犠牲になって支えるのはオカシイと考えているレベルなら、もう未来はないと思います。そうじゃなくて、「豊」って、ホントはなんだろう……と考えるべきでは? たぶんそこからが「哲学」のモンダイで、差別も不公平も、ここで終わると思う。そこを突破しないと未来はないのでは。

元来、世界は、楽しいものでも豊かなものでもない。楽しいとか豊かであるとか、錯覚することはできても、それは、世界の「他の部分」をおいてけぼりにして、もっといえば「犠牲にして」得られるものじゃないですか。私は、「オリンピック」という19世紀の遺物のような祭典も、そろそろ止めるべきだと思う。この世界の現状で、なにが……

と、こんなことを言ってると、もはやダレにも相手にされなくなるのでこれくらいにしておきますけど、今回のエンブレム騒動、象徴的だなあ……これからはこういうことがどんどん起こってきて、「真実」がイヤでも見えてくるようになるんでしょうね。シャーローム……これは、ヘブライ語では「完全な平和」を意味するといいます。

世界に、「平和でない人」が一人もいない状態……いや、「平和でない存在」がなにも残らない、完全な球としての「平和」……生きてるなら、やっぱりそこを目指すべきだと思います。まず、その第一歩として、「平和」をパクって「白く塗りたる平和の祭典」になっちゃってるパクリンピックなんか、さっさと返上すればいいと思います。

自然が、「返上せざるを得ない状況」をプレゼントしてくれる前にね……

カードだったのか……キールアーチの数千億/It’s just a suitable card!

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自民党、スゴイですね。いや、ABくんがスゴイのか……よっぽどキレるブレインがいるんだなあ……キールアーチの数千億。なんであんなに高いのかと思ったら、ここで切るカードだったんだ……安保法案強行採決。その毒を薄めるために、「総理、キールアーチを白紙に!」ってことですか。あざやかだなあ……これを見越して、数ヶ月前からあの高い値段を出してきてたのか……ワル智恵って、際限なく進化するのですね。

3000億って、そんなに莫大な金額じゃないし、こういう建物の建設費が何倍にもなるのも「よくあること」というとヘンですが、うまいことそれを利用したなあ……と。よく言われる例ですが、シドニーのオペラハウスは、当初予算700万ドル(8億~9億)で建設開始して、最終的に1億200万ドル(126.5億)になった。実に、14.5倍に膨らんだわけです。竣工が1973年なので、今の値段にすると、いくらになるのかな?

いろんなドームのお値段をまとめたサイトもあります(リンク)。それによると……
★東京ドーム……350億
★福岡ヤフオクドーム……480億
★ナゴヤドーム……400億
★京セラドーム大阪……696億
★札幌ドーム……537億
★日産スタジアム……603億
★豊田スタジアム……356億

歴史上の建築物はどうなのか……
★クフ王のピラミッド……1250億(現代工法で。大林組の試算。リンク
★万里の長城(http://blog.goo.ne.jp/kantosekaisi/e/524bf8371b714b81ff05719ade80d73d)……200億ドル(2兆5000億:古代の工法で)26000億ドル(32兆2500億:現代の工法で)
★ヴェルサイユ宮殿……7000万ルーヴル(40年間の総工費、リンク:今のお金で400億?リンク

高い建物はどうでしょう?リンク
★東京スカイツリー(634m)……650億
★東京タワー(333m)……当時(1958)のお金で30億。現在の物価換算で400億?
★東京都庁(243m)……総工費1569億。
★あべのハルカス(300m)……日本一の超高層ビル。建設費は760億~1300億(総事業費が1300億?)
★ブルジュ・ハリファ(828m)……ドバイにある世界一高いビル。建設費は1300~1500億(諸説あり)。
★エンパイアステートビル(443.2m)……長く世界一の超高層ビルだった。建設費は約4095万ドル。1ドル360円レートで147億4200万円。
★1WTC(1776ft, 541m)……同時多発テロで崩壊したツインタワー跡地に建設された。3000億。

橋の建設費は?リンク
★明石海峡大橋……5000億
★瀬戸大橋(児島・坂出ルート)……8200億
★レインボーブリッジ(東京)……1281億
★ベイブリッジ(横浜)……800億
★東京湾アクアライン……橋ではありませんが……なんと1兆4000億
*ちなみに、高速道路の建設費は、1kmあたり53億6000万円、地下鉄になると、1kmあたり300億円だそうです。ということは、地下鉄を10km造るとポンと3000億。スゴイ!
*おまけ。新幹線は、1kmあたり約70億。リニアは、東京―名古屋間がみこみで10兆越えだとか。

じゃあ、ゲンパツは?リンク
★福島第1……1号機393億、2号機557億、3号機635億、4号機813億、5号機902億、6号機1759億。
★福島第2……1号機3565億、2号機2763億、3号機3148億、4号機2914億。
★柏崎刈羽……1号機4756億、2号機2998億、3号機3253億、4号機3344億、5号機3562億、6号機4182億。
★もんじゅ……5886億。

巨大な数字がずらっとならんでアタマくらくら……2520億?それがどうした?……って感じですが、「税金を使って」というフレーズに、国民はビビッと反応する。今回は、それをみごとに手玉にとられたって感じですね。一旦下がりかけたABくんの支持率も、この「新国立白紙」カードで再び上昇するんでしょう。マスコミと国民の神経、なにをくすぐるとどう反応するのか……知り尽くしておられますなあ……オソロシイ……
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オマケ。それにしてもこの人、オリンピックというエサを徹底的に利用しつくして国民の心を自在にコントロールする。あらためて、スゴイなあと思います。1936年のナチスオリンピックは「ヒトラーのオリンピック」と言われているそうですが、それでいうと、今度のは、「ABくんのオリンピック」ということになるのでせうか……

19世紀の終わりのはじまり/The end of the 19th century is began.

観覧車_900
最近、ヨーロッパが危険です。というか、ヨーロッパと、そこから派生した?アメリカが揺れている……年始のTV番組で、今年いちばん危ないのはヨーロッパであるとおっしゃってた専門家がおられましたが、今の様相を見ていると、どうもそれがアタリそうな……と思っていると、「19世紀の終わりのはじまり」という言葉が浮かんできました。

前に、このブログで、「拡大版19世紀」というテーマで記事を書きましたが……要するに、19世紀のはじまりを、1750年、すなわち、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの死の年とし、その終わりは20世紀の半ば……1960年頃としたら……というアイデアなんですが……実は、19世紀に提出された課題はまだ未解決で、20世紀をすぎ、21世紀になってももちこされている……と。

そんなふうなことを書いた覚えがありますが、昨今の欧米の状況をいろんな報道で聴くにつれ、なんか、ようやく「19世紀の終わり」が始まった……という感がいたします。現代版の民主主義、共和制、資本主義、共産主義、そして高度に発達した工業化社会……まあ、なんでもいいんですが、そういった、「拡大版19世紀」に出そろったすべてのものに、ようやく崩壊の兆しが見えてきた……と。

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この間のフランスの新聞社の襲撃事件は、フランスの人たちだけでなく、広く欧米社会(日本も含めて?)にショックを与えたみたいですが……「言論の自由が冒された」云々……そりゃ、たしかにそうかもしれませんが、しかし、では、「人のだいじにしているもの」を茶化して、それを大々的にメディアに載せるってどうなのよ……というふうに思う人も少なくないと思う。

私もその一人なんですが……先の、北朝鮮を茶化したアメリカの映画といい、私は、そこに共通して「19世紀勝ち組の無意識のゴーマン」を感じてならないのですが……そりゃ、たしかに、民主主義と、それに基づく「言論の自由」とか、わかりますけど、それをいう人々のベースってなによ? というと、それは、19世紀(拡大版)の荒技で勝ち得たもの……

成り上がりの貴族化といいましょうか……荒っぽくかせいで「支配」のベースをつくれば、上層はしだいに澄んできて、ノーブルな様相を呈しはじめる……もう、自分たちには「なんの罪もない」と思うことさえできる……しかし、やっぱり地球は「全体として一つ」なのだから、自分たちの足下に、「他者」をくみしいて、そこから搾り、圧迫していることにはかわりはない……

フツーにいって、他の人のだいじにしているものはちゃんと尊重しなきゃダメでしょ?って話じゃないかと思います。預言者ムハンマドさんは、イスラム世界では、神の言葉を預かる最後の人……私はイスラム教徒じゃないから、彼に対して崇めたてまつる……みたいな感情は持たないけれど、でも、彼のことを大切に思っている人の気持ちはきちんと尊重したいと思う。

北朝鮮においてもやっぱり基本は同じではないでしょうか。私たちの目からみれば珍妙な独裁者かもしれないけれど、でも、彼のことを大切に思っている人もたくさんいるわけだから……たとえば、日本の天皇を外国の人が茶化したら、今の日本人の大部分はやっぱり悲しくなるんではないでしょうか……私も、当然そう感じるし……だからといって「天皇崇拝」ではないけれど……

茶化して、殺された……これが、フランスで起きたことであって、それを「言論の自由」というのであれば、無意識に他人のだいじに思っているものを茶化せるだけの「見えないベース」の上に自分たちがのっかっている……そのすべてをきちんと自己批判した上で「言論の自由」といいなさいよ……と。そして、その「見えないベース」が、実は、やっかいな「19世紀」なんじゃないかと思います。

そういう意味で、これは、「19世紀批判」ととらえるべき現象ではないかと私は思うのですが……これからは、世界中で、この「19世紀批判」が起こってくると思います。それは、政治の世界にとどまらず、経済や文化や芸術に至るまで、徹底的に「19世紀のゴーマン」があばかれて、その基底部分まで根こそぎ批判される時代……そして、「19世紀」そのものが荒技だったように……

その批判も、ラジカルな荒技にならざるをえないのでしょう……人類の文明は、とにかくここを通りすぎないと、絶対に「次のステージ」には行けないのではないか……これは、ヘタをすれば人類どころか、他の生命に至るまで、それこそ「絶滅」に近いような、徹底的な影響力を持ってくると思いますが……しかし、もう、ここまで来た以上、先に進むしかない。

で、その進行は、もう開始されている……19世紀の終わりのはじまり……さて、どんなふうになっていくのでしょうか……恐怖感は大きいのですが、やっぱりゴーマンは打ち崩されねばならないし、その過程で起こる大混乱も引き受けなければならない。そういうものをすべて通過した先に、これからをちゃんと開いていく「新しい価値」が生まれてくるのではないかと思います。

今日の写真は、お正月の2日に、名古屋市能楽堂で新春謡いぞめを見ての帰り道、猿投グリーンロードから撮った万博記念公園の観覧車。愛知万博が終わったあとも、この巨大観覧車は取壊しをまぬがれたのですが、ふだんはまったく運転していません。しかし、この日は、久しぶりに動いていました。グリーンのライトアップが夜空に染みて、気持ちがなぜかひきこまれます……

愛知万博は一応、国際博ということだったらしいですが、出かけるのは近所の人ばかりというローカルな……私は行きませんでしたが、通し券を買って週に何回も通ってた人もいるらしい……万博とオリンピック。この2つは、みごとに「19世紀の遺物」だと思います。しかし、開催されると、私みたいなまったくカンケイのない人間でも、多少とも心躍る気分に感染する……

たぶん、こういうとこらへんが、「19世紀の無意識の厚いベース」なんだろうと思います。日本は欧米ではないけれど、政治体制から経済や社会の仕組み、そして文化や芸術に至るまで、どっぷりと「欧米19世紀無意識ベース」に浸されている。自分の中にも色濃くある「19世紀」は、これから徹底的な批判を受けることになるのだと思います。まあでも、自分の有機的肉体年齢といい勝負……って感じもしますが。

これから……若い人は、タイヘンだなあ……と。それと、「拡大版19世紀図表」は、昔の記事(19世紀という病・1)に載せた図表の再掲です(部分的に更新しています)。元ブログは、2014年の1月30 日に投稿したものですが、興味のある方はごらんください。
https://soraebito.wordpress.com/2014/01/30/今日の-essay:19世紀という病・1/

しあせな街、すみやすい村/Happy town, livable village

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人の生活にとって、どんな村が、街が、住みやすいのだろうか……考えてみました。写真は、愛知県の知多半島のつけねにある太田川の街(行政区画としては東海市)でみかけた駐車場の路面の数字。たぶん8と0なんでしょう。意味はわからない……じっと見ていると、黒い宇宙に漂う宇宙船……人の痕跡のようにも見えてくる……

太田川の街には、その地の最大の特性であり恵みでもあった海岸線を失って(埋め立て地と工場に奪われて)、街の構成軸を失い、さまよい、意味のないところへでかけていったような喪失感がありました。個々の人においては、幸せも不幸もあるのでしょうが……街全体としては、とても幸せとはいえない状況だなと。

私が今住んでいる三河の山里は、限界集落で、住民の数が確実に減り、高齢化に向かっています。街からもそんなに遠くないので、人は街に勤め、休日に野良仕事をやる……そんな生活ですが、クルマは欠かせないし、野良仕事も草刈りも道を直すのも……みな、何億年も前に死に絶えた植物の身体の変化した液体を使ってやってる……

しかも、その植物の身体は、ここから一万キロ以上離れた場所の地中深くに眠っていたもの……それが、今はまだ使えるからいいけれど、使えなくなったらどうするんだろう……このあたりの山は、昭和20年代まではハゲ山だった。山の木をきって燃料に使っていたから……また、そんな光景が戻ってくるのかもしれません。

みんな、とりあえずは幸せそうに暮らしています。個々ではいろいろ問題があるのかもしれないけれど、一応、食事にことかくこともないし、ボロを着てるわけでもなし、立派なテレビが各家庭にあって面白い番組をタレ流し、休日には温泉に行ったりおいしいものを食べたり、たまに遠くへ出かけて日常のうさをはらしたり……

今の日本の人たちは、そこそこ幸せなのか……福島や沖縄の人のことを考えると、エゴだなあ……と思いますが、オリンピックという人参に胸を踊らせたり、経済成長、右肩あがりで強い日本を取り戻すだと? なんというおろかな……まあ、しかし、どんな意見の人も、ほとんど人間のコトしか考えてない。他の生物はどうなるのか……

ルソーの『社会契約論』を読んでいます。民主主義の原点みたいな本だけれど、これまできちんと読んだことがなかった……なるほど、今の「民主主義」がここから出てきたというのはようわかります。フランス革命……アメリカの独立……そして、だいぶとんでアラブの春……そういえば、「共産主義」というのもありました。

ルソーの『社会契約論』は、おそろしく難しい書物で、読めば読むほどわけがわからなくなる。フランス語がダメなので原典にあたるということができないのですが、桑原武夫チームの翻訳自体はきわめて正確だと思う。(原典にあたれないのになぜそういえるのかわからないんですが、読んでてそう感じます。なぜか)

翻訳に問題がないのだとすれば、これは、元々ルソーの書いてることが、根源的な難しさをはらんでいるのだと思う。有名な「一般意志」の問題ですが……ユニヴァーサルでジェネラルな意志……そういう「すばらしい意志」を、人々が抱くことができるのだろうか……自分で考えてみると、これはとうていダメだと思う。ムリです。

社会の構成員の一人一人が、そういうすばらしい「意志」を持ってるとするならば、社会における問題点はなに一つない。少なくとも人間の次元においては。ルソーは、そういう理想郷と、「国」というものをどう考えていたんだろうか……理想郷は「国」でくくられ得るべきものなんだろうか……まあ、全部読めば書いてあるのかも。

ただ、やっぱり思うのは、結局今の世界では、「国境」といいますか、それは、物理的な存在としてある「国境」と、もう一つは、思想における概念としてある「国家」みたいなものが、溶融し、だんだん認識できないものになってくる……そんな感じですね。幕末から明治期の日本は、迫りくる外圧の前に、「国」としての……

体裁を整えることを迫られた。それは、政治的な「行政体」のレベルにおいても、思想的な国家アイデンティティーのレベルにおいても……幕末において、「尊王」と「攘夷」に、いろんなレベルでの「ねじれ」があったことはまちがいないみたいですが、「国家アイデンティティー」の急速捏造を迫られた人々のあわてぶりが……

なんとなくわかります。今、世界は、そういう意味で、ものすごく流動的になっている……イデオロギーも宗教もごっちゃになって……日本なんかでは、なぜか無条件に「民主主義」を尊ぶ人が多いのだけれど、その根本教典?であるルソーの『社会契約論』はいくら読んでもわからない。そこがわからないと、基本的に不安……

じゃないのだろうか。いろんな問題が、もはや「人間レベル」では済まなくなって、地球における他のいろんな生命や、地球自体にくいこんでいます。ルソーの時代には、少なくとも人間のことだけ考えてりゃよかった。なにを人間というのか……という問題は残りますが、人間とそれ以外には、明確な区分線がひかれている。

思想の枠……よく「パラダイムの組み替え」とか言いますが(最近はいわないのかな?)、そういうものの組み替えをいくらやってもらちがあかないような気がします。どこか、根本がヘンというか……なにがまちがってるんだろう……ルソーの「一般意志」を持ってる人って、たぶんダレもいないし、もし持ってたとしても……

それは「人間限定」になるから、人間以外の存在まで「思想」の中にずーっととりこんでいかないとたぶんどうにもならないこれからの世界においては、「一般意志」をたとえ人類全員が備えたとしても、やっぱりうまくいかないでしょう……そうなると、人間を越えた、地球全体を視野に収めた新たな「一般意志」が必要になるのか……

暮れゆく山々を眺めながら、そんな妄想に浸っているうちに、世界はすごく寒くなってきました。今年も冬がきた……いや、こんな生やさしいレベルではないホンモノの冬が、もうすぐそこに……世界が壊れて、自分になじみのないものに変わっていくあの感覚……これは、私が、もうすぐここからいなくなる、そのきざしなんだろうか……