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老人はどっち側だったのか?/Which side was the old man?


路上に倒れた老人に、若者が棒で殴りかかる光景……なんどもなんども打ちすえる……これ、フツーの、日常の路上なら絶対犯罪です。というか、まず、道徳的に許されない。人間じゃない!という声が上がりそうなシーンですが……でも、これは、アメリカのニュージャージー州でこの間起きた市民同士のバトルのシーンでした。

南北戦争当時の南部の英雄、ロバート・エドワード・リー将軍の銅像の撤去を市が決めた。それに反対して、白人至上主義者やネオナチたちが集まってデモ。で、これに対して人種差別反対の人たちが集まる。両者が路上で衝突して、市民同士が殴りあい、棒で打ちあう悲惨な展開に……さきほどの、路上に倒れた老人を若者が打ちすえるというショッキングな光景は、このときのものでした。

私には、この老人がどちら側なのか、あるいは棒で打った若者がどっち側なのか、それはわかりません。両方とも、ごくフツーの服装の人たちが多く、ハチマキを巻いたりヘルメットをしてるわけでもないので(そういう人もいたけど)区別がつかない。ただ、目に映るのは、無抵抗の老人を狂ったようになんども棒で殴る青年の姿……

トランプさんは、「両方の暴力に反対する」みたいなことを言って大ブーイングを浴びていますが、この光景を見るかぎりにおいては、私は彼の言ってることは正しいんじゃないかと思います。だって、あの打たれていた老人がどっち側なのか、打っていた青年がどっち側なのか……見ているだけでは判断がつかない。

トランプさんの発言を非難するとなると、それは、もし老人が人種差別反対の立場の人だったら、若者は白人至上主義者になるから若者の行為はダメ、ところが、老人が白人至上主義者で若者が人種差別反対の側だったら若者の行為はOK……と、こうなります。でも、それって、いいんでしょうか?

昔、1960年代くらい?に、「アメリカの核はダメだけど、ソ連の核はOK」といってた日本の知識人の方がおられました。彼の論理によると、アメリカの核は資本主義だからダメ、ソ連の核は共産主義革命を世界に拡げるためだからいいんだ……と、こうなるみたいです。でも、それって……

さすがに、今はこんなことをいう人は皆無のようですが、当時はけっこう賛同した人が多かった。今からみれば信じられないことですが……核は、どっち側が使ってもダメ。これはもう、アタリマエのことだ。

人間って、「理念」に騙されやすい生物だと思います。今、現に路上で起きていること……その悲惨な光景は、打つ方も打たれる方も「悲劇」というしかない。でも、それに、「白人至上主義」とか「人種差別反対」という「理念」がかぶってくると、今、現に路上で起きていることそのものが見えなくなる……

「人種差別反対」を「白人至上主義」と同列の「理念」と見るのには、大きな抵抗があるかもしれません。実際、私の心の中でも、両方を併置していいの?という思いはわきます。しかし、老人が「白人至上主義」なら若者の行為はOK、逆であればダメ、と言われると、ええっ?!となります。やっぱり。

どっちがどっちでも、あれはダメでしょ、というのがやっぱりいちばんマトモなような気がする。とすると、トランプさんの「どっちの暴力もダメ」というのは、きわめてマトモな発言に見えてきます。これ、もしトランプさんじゃなくて、たとえばガンジーのような方がおっしゃったのなら、みんな「そりゃそうだ」と納得するんじゃないかな……

じゃあ、なんでトランプさんが言うと「ダメ」なんだろう……彼が、実は「白人至上主義」で、心の底(ホンネ)では「白人至上主義」を擁護したいという心があるから……と考えるのは、やっぱり「路上で今起きていること」から少し離れていってるような気がする。

人間における「理念」とか「理想」というのは、ある意味、やっかなモンだと思います。それは、あるときには、苦しみの状況を打開して、だれもが「平等」に、「自由」に暮らせる社会をつくるのに大いに役立つかもしれない。しかし、心はとてもナマケモノなので、ふと、それによっかかって「心の楽」をしたい……という心が無意識に湧いてくれば、それは「目の前で起きていること」さえ正しく判断できなくなります。

まあ、目の前、といっても、私の場合は、何千キロも離れた場所で昨日か一昨日に起こったことをテレビの画面で見る……というものでしたが、それでもやっぱりあの光景には心を揺すられた。トランプさんは、「だれも言わないが、私は言う」と言ってましたが……彼の心がどのあたりにあるのか、私にはわかりませんが、なんか、やっかいだなあ……とは思います。


*あの光景、デモが起きた翌日と、その翌日くらいにはよくテレビで見たんですが、その後はいっさい見かけなくなりました。まあ、私が偶然見かけてないだけかもしれないですが、なにか「放送自粛」がかかったのでは?という思いもあります。あまりに歴然として「暴力」だったからなのか、それともあの打たれていた老人が「どっちの側」かわかったからなのか……ということで、ネットでさがしても出てこないので、とても漠然としたラフ図になりました。

44

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トランプさん支持が44%……
えっ、44%もいるの?ってリカイが、日本では大勢みたいだけれど……
まあ、51%が不支持らしいですが。

信じられない……アメリカ国民、ナニやっとんじゃー……
そういう声もきこえてきます。
でも、なんとなく、ワカル気もする。
私はアメリカ国民でもないし、英語もわからんので、単に「そういう気がする」ってだけですが……

トランプさん、オバマケアをひっくり返すそうな。
ここで、日本人としての疑問。
トランプさんの支持層のプア・ホワイトの方々……
当然、プアだから、保険入れないという人も多い?
だとしたら、なんでオバマケアを潰そうとするトランプさんを支持するの?
これ、疑問でした。

でも……以前に読んだ本田哲郎さんというカトリックの方の『聖書を発見する』という本に書いてあったことを思い出して、なんとなく、その理由がわかったような気がします。

本田さんは、大阪の釜ヶ先に布教の拠点をもって、日雇い労働者たちと生活をともにしながら長年、イエスの教えを実践してきた。
そのなかで、キリスト教の信者たちが、日雇い労働者たちに「炊き出し」をする、その心理に疑問を持つようになったといいます。

炊き出しの列に並ぶ労働者たち……アルミのお玉が鍋の底をこする音がしてくると心配になる。自分の番まで、鍋の粥がもつんだろうか……
かつては、本田さん自身も炊き出しのとき、イエスの教えを「実践」しているような気になっていた。
しかし、それは大きな誤りである……これに気づいた。

たしかに、労働者たちにとっては、炊き出しはありがたいものだし、ときに生命にかかわることだってある。
しかしそれでも、この炊き出しは、労働者たちの「誇り」を傷つけてるんじゃないか……本田さんは、そう思うようになったそうです。

労働者も、そんな炊き出しに並ぶよりは、ちゃんと仕事をして、それで得た金で安食堂のノレンをくぐって、サバ焼き定食でもなんでも、自分の好きなものを注文して、食う。
そっちの方が、はるかにいい。
でも、仕事がないから並ぶ。
これは……実は、ありがたいんじゃなくて、屈辱なのかもしれない。

そうか……そりゃ、そうだよなー
そう、思いました。
もし自分がそういう境遇になったら、絶対そうだと思う。
そんな「施し」にすがって生命をつなぐよりは、自分の力で働いて得たお金で、自分の好きなものを注文して食う。
もう、それは、比べられないです。
でも、仕事がないから、しかたなく列に並ぶ。
それは、やっぱり「屈辱」だ……

トランプさんを支持した44%の心がわかったような気がした。
オバマケアで、貧しくても保険に入れる。
そりゃ、たしかにいいかもしれない。
だけど……
それって、もしかしたら「施し」とニアミスではないだろうか……

バカにしやがって!
と怒る人も、いないではないかもしれません。
オレだって、仕事さえあれば、ちゃんと稼いで、マトモに保険にも入る。
仕事がないから、それができないんじゃないか……
そういう「貧民」でも、保険に入れるようにしてあげましょう。って?
バカにするんじゃないよ!
そんなおジヒなんかいらねえ!
まともなシゴトをよこせよ!

44%は、きっとこう言いたいんじゃないかなあ……

トヨタがメキシコに工場つくって、関税ゼロで安いクルマがアメリカに入ってくる。
これ、もーどーにもガマンならねえ!
トヨタはどっちの味方や!
アメリカか、メキシコか!

そこへトランプさんの登場だ。
トヨタがメキシコで造ったクルマをアメリカへ入れるなら、高い関税かけるぜ!
よく言った、トランプ!
さすが、オレたちの大統領だ!
……
ということで、女性を蔑視しようが障害者をおちょくろうが、そんなのカンケイねえ!
オレたちは、なにがあろうがアンタを支持するぜ!

評論家やマスコミ、インテリ層が読み誤ったのは、まさにここではないでしょうか。
仕事……その意味……人としての誇り……
そういうものが、ぜんぜん見えてなかったのでは。
それって……炊き出しに並ぶ労働者たちは、きっと「ありがたい」と思ってるはず……
そう思いながら、粥をすくって労働者の差しだす椀に注いでいるキリスト教の方々の心と同じだ……
あなたは、意識してないでしょうが、彼らの「誇り」も「人としての意識」も粉々に踏み砕いてるんだ!
で、そのことを、「私ってなんてすばらしいキリスト者でしょう」と、まちがって思いこんでる。

本田さんの筆は、容赦ないです。
彼は、
「イエスはどっちの側にいる?」
と問います。
炊き出しをするキリスト者の方?
それとも、列に並ぶ労働者の方?
むろん……と彼は言い切る。
列にならんで、自分の番まで鍋がもつか……
そう思う労働者の列に、イエスは並んでおられる。

これ……もしかしたら、最終的な地点なのかもしれない。
ここを読み誤ると、ぜんぶがぐるんとひっくりかえる。
そういう地点に、今、私たちはいるんではなかろうか……

トランプさんに、「メキシコでクルマつくるなら、高い関税をかけるぜ!」
こう言われた豊田章男社長。
彼の発言で、「あっ」と思った箇所があった。

「私たちは、地域社会に責任があるから、メキシコの工場計画はやめない」
なるほど……と思いました。
トヨタの社長は、こういう考え方をするんだ……

私が今、くらしている地域は、豊田市です。
昔は小さな村でしたが、今は町村合併で豊田市に……
でも、村だった頃から、あんまりかわらない。
うちのまわりの人たちは、ほとんどがトヨタか、そのケイレツ企業で働く。
この地域は、トヨタなしにはもう成り立たないでしょう。

で、みんな、どんなふう?
というと、けっこう楽しくやってます。

まず、給金がいい。
下請けや部品メーカーまで、安定して生活できるだけの給料がもらえるんですね。
年金もしっかりしてるから、将来の生活の不安もない。
道路もきれいに整備され、大型ショッピング施設も多い。
生活に、なんの不安もありません。

福祉施設も充実してる。
お休みもちゃんと取れる。
いろんなところに旅行にも行ける。
孫ができても、小遣いくらいやれる。

うーん……これが、「大企業」の実力なんだ……
豊田社長は、その点に、誇りと責任感を持ってるように見えました。
単に、自分たちが儲けるだけじゃなくて……
オレたちは、「地域」そのものをつくってるんだ!と。

で、会社としては、できるだけ生産性を上げないと他社にやられるので、安い労働力を求めて……世界中、どこへでも行く。
行った先の地域全体の生活を向上させて、人々に安定した暮しを約束する。
どーだ、こんなこと、「国」とかにはできんだろー……
私の気のせいか、そんなふうに言ってるようにも見えた。

で、トランプさんですが、彼は、やっぱり44%を気にかけてるんだと思います。
評論家や学者や、インテリどもに見放された44%……
コイツらをなんとかしてやらなにゃー、男がすたるぜ!
そんなふうに思ってるんでしょうか……

44%の心の、奥の奥までグイグイくいこむ。
男トランプ、よっ、大統領!
ということで、ホントに大統領になっちまいました。

でも、私には、やっぱり気にかかることがあります。
経済オンチなんで、よくわからないのですが……
経済のシステムには、かならずどこかに「収奪の構造」ができるはず。

たとえば……18世紀後半~19世紀にかけて、イギリスの産業革命が成功し、イギリスは、オランダにとってかわって、世界の派遣国家となった。
その「成功」を支えたシステムの一つが、大西洋をはさんだ世界貿易システム。

この時代、アフリカでたくさんの人を奴隷にして、新大陸に送りこんだ。
その奴隷たちは、アメリカの南部でインド原産の綿花を栽培し、それによって生まれた大量の綿をイギリスが輸入して、工場で綿織物に加工し、ヨーロッパをはじめ世界中に輸出する。
この、世界貿易システムが、イギリスを世界の派遣国家に押し上げた大きな原動力の一つだったんだと……

そうすると、この貿易システムは、もちろん win-win ではなく、かなりいびつで狂ったものだ。
イギリスやアメリカの資本家にとっては win-win なんだけど……アフリカから刈られて、新大陸に送りこまれたおびただしいアフリカの人たち……
ここには、もう、だれがなんと言おうと、明白な「収奪システム」がある。

もちろん、現代の世界では、こんなロコツな収奪システムを機能させることはできません。
しかし……たとえば、さっきのトヨタのメキシコ工場のことを考えると……
やっぱり、そこには、明白な収奪システムが機能している。
この場合、「収奪される」のは、低賃金で働くメキシコの労働者です。
で、会社はもうかり、安いクルマを買えるアメリカの消費者も儲かる。
しかし……
ここで注意せねばならないのは、「仕事」を得たメキシコの労働者も、やっぱり「喜ぶ」ということです。
明白に、「収奪」されているにもかかわらず……
豊田社長の「オレたちは地域をつくる」という自負も、やっぱりこの「労働者たちが喜んでいる」という事実からくるのでしょう。
ホントの事実は、そこに「収奪」があるにもかかわらず。

もし、「収奪」がないとしたら……
トランプさんを支持した44%は生まれていない。
メキシコの労働者たちに、アメリカの労働者たちと同じ賃金を払う……
それでは、「会社として」は意味がない。

ということで、トランプさんは、きわめて難しいことをやろうとしているのがわかります。
メキシコに工場を造らせないということは、メキシコとか他の低賃金地帯を含む「貿易システム」を拒否することになる。
ということは……アメリカの国内だけで、ソレをつくらなくちゃならない。
じゃあ、どっから「収奪」するの?
会社のシステムとしては、それはほとんど不可能のように見えます。
どうするんだろう……

保護主義貿易は、裏をかえせば、「収奪システム」を世界に拡散させないという、実は、もしかしたら、倫理的には?きわめて立派なシステムなのかもしれません。

しかし……今まで鬼のように、悪魔のように、なりふりかまわず世界中をあさって、「より儲かるシステム」を構築してきた経済システム……
それを、根元から否定することにならないか……

豊田社長のように、収奪システムを、「オレたちは地域をつくる」と胸をはって言い換える人もいる。
実際……彼と、彼の祖先の「作品」であるこの「豊田地域」は、実に立派に仕上がってます。

去年、豊田市のお隣の知立(ちりゅう)の街を歩いたとき、「由布」でしたか……九州の地名を冠した飲み屋があった。
なんで「由布」なんだろう……
同行の人にきいてみると、かつて、集団就職で、この地域は、九州からくる人たちもけっこう多かったみたいです。
で、その人たちが、故郷を偲んで、故郷の名前の飲み屋をつくったりする……と、そこに、その地の人たちが集まる……
なるほど……この「豊田システム」は、こういう人たちによって支えられてきたんだ……
そう、思いました。

もう、この地域の人たちは、みんな豊かです。
かつて、集団就職でこの地にきて、何十年と勤めあげ、今は年金生活の人に話をきいた。
「今の自分があるのは、トヨタのおかげだ」
彼は、そう言いました。

そこに、なんらかの暗い色が混じっていたのか……
それはわかりませんが、少なくとも、感謝の気持ちは明白に示されていた。
「オレたちは地域を造る」
トヨタ社長の言葉が思い起こされました。

人生に失敗すると、家も故郷も失い、大都会を職を求めてさまようホームレスにならざるをえません。
そうか……自分は、そうならなかったし、定年退職後も一生が保証される。
たとえ自分の故郷ではなくても、トヨタのおかげで、自分は「人」になれた。
この地域の人々の、多くの思いかもしれません。

「収奪」は絶対あると思うんですね。今も。
でも……人は、トヨタに感謝する。

ふしぎだ……

44%は、まず救われないと思う。
彼らを含む「収奪システムの再構築」は、アメリカ国内限定では……それは、できっこないでしょう。

移民がどうのというけれど……
移民を受け入れる国は、単に「福祉」でやってるんじゃないでしょう。
「移民を含む収奪システム」を構築して、それで国をまわしてきた。

アメリカだって、さんざんそれをやってきた。
44%が錆ついちゃったからといって……
いまさら、国内だけで、「収奪システムの再構築」ができるんでしょうか……

ま、トランプさんは経済の専門家だから、私みたいな経済オンチにはとうてい理解も、誤解さえできないふしぎな経済システムを用意してるのかもしれませんが……

人間って、ふしぎな生き物ですね……

こども化の時代/A childish era

『いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだから つらいけどぼくはいきるときめた』

最近、もっとも心に残った言葉です。

原発事故で、今まで平和に暮らしていた福島を追われ、横浜に避難した小学生。新しい学校で、名前に「菌」を付けられるなどのいじめに……どんどんエスカレートして「賠償金あるだろ」と金をせびられ、被害額がなんと150万円に……

学校が動かなかったということで避難ゴウゴウですが、テレビである評論家の方が、こんなことを言ってたのが印象に残りました。
『こどもが「賠償金あるだろ」とかいうわけないから、これは、その子らの親が、家でしょっちゅう「あいつらは賠償金あるから」とか言ってたんじゃないかな。』

この言葉を聞いたとき、私にはかすかな違和感があった。この評論家の方は、いつも的確な論評で、私はかなり信用してるんですが、このときのこの言葉だけは、「えっ?そうだろうか……」と思った。

なんか、こどもを、かなり理想化して見ているんじゃないかな……と感じました。こどもって、そんなに「純」なんだろうか……いや、むしろ、「賠償金あるだろ」は、その子の率直な思いがそのまま表われた表現だったのかも……

このことにかぶさって、浮かんできたのは、やっぱり「トランプ現象」ですね。評論家やマスコミ……つまり、「インテリ層」がほぼ全員読み違えた。この「ミス」の中には、先の評論家の方の、「こどもがそんなこと言うはずがないから大人が……」という感覚が、やっぱり重なってきます。

大人は、むしろ率直な物言いはしないのではないか……「賠償金あるだろ」と心の中では思っていても、「理性」がそれを言葉にして口に出すのを止める。そんなことを口に出して言うのは、とても恥ずかしいことで、自分が「大人なら当然持っているはずの理性」を持っていないことを公言するようなものだ……

しかし……トランプ現象や、世界中での「右翼化」を見ていると、もうすでに、その「歯止め」はとっくに乗り越えられていたのかも……という気もします。「大人のこども化」。これが、社会の深部でどんどん進行していて、ついに表層に表われてものすごい地滑りを引き起こしはじめた……なんか、そんな感じです。

日本でも、生活保護を受けている人たちに対して、かなり風当たりがきつくなってきている。私自身、ある人(むろん大人)から、生活保護の受給者を口汚くののしる言葉を聞いて愕然としました。彼は、ある医院でリハビリを担当している整体師で、ものすごく腕がよく、私も受けていて、すっと身体が楽になるのでたいした人だ……と思っていたのですが……話が生活保護のことになったとたんに悪口雑言……あいつらは、働けるのに働かんで、オレたちの税金をかすめとってのうのうと……もう、耳をおおいたいくらい……

生活保護だとたしか医療費も免除されるから、彼自身、そういう患者を担当して「なんだコイツ、こんなに健康な身体で怠けて生活保護かよ」と思ったのかもしれませんが……しかし、ここにある構造は、あの事件の「賠償金あるだろ」と同じだ……

人間って、心の奥底では、やっぱりいろいろとヘンなことを考えるもんだと思います。現に、今これを書いている私もそうで、もし人に知られたら人格を疑われるんじゃないか……というようなことまでやっぱり思っちゃう。でも「理性」があるので、それを口に出して言うようなことはしません。それこそ「口が裂けても」……

でも、それは、一面からいえば「大人」なのかもしれないけれど、他面からいえば「不純」なのかもしれない。自分の「ほんとうの気持ち」をおしかくして、外づらよく世間とつきあってる……いかにも自分が「理性ある」存在のごとく……

「隠れトランプ」……この人たちは、典型的にそういうタイプだったんでしょう。ポリティカル・コレクトをよく知ってるから、「理性」でそれに従ってるように見せているけれど……自身の「奥の心」との矛盾に耐えきれない。有色人種ってヤダなあ……とか、同性愛?うえーキモチわるいー……とか、イスラムって、怖いよなあ……とか……そういう「ホンネ」を「理性」で覆い隠して生きてるって、どうなのよ……

で、選挙でカミングアウト。ここには、まさに「マイノリティの構図」さえみられる……んだけれど、トランプさんが勝っちゃったから、彼らはやっぱりマイノリティとはいえないのかもしれません……

ということで、複雑に錯綜しているようにみえるけれど、見方を変えればものごとは単純で、一言でいうなら、「みんなどんどんこどもになる」ということでしょう。世界中で、これが進行しつつある。人類が、長い間、多大な犠牲を払ってようやく獲得した(かのようにみえる)理性が……もう、みんな、そんなもんにはかまっておられぬ、「奥の心」をストレートに出すのだ……ということで、これからは「こどもの時代」が始まるのかもしれません。

私がここで思うのは……やっぱりこれは、明確な「理性批判」なんだと。ついこの間、「パリの同時多発テロから一年」ということで各局が特集してましたが……あのときのフランス市民の対応は、とにかく「理性」なんだと。だけど、自分たちが「究極の価値」であると思っている「理性」が実はものすごい「暴力装置」で、その影に、おびただしい人々が苦しんでいることはまったく省みない。だから、マホメットを平気で茶化すようなことをやって、それは「エスプリ」(知性、つまり理性)なんだという……

そんな安物の「理性」は、これから始まる「子供化した人々」の圧倒的な「理性批判」にはとうてい耐えられない。あっというまに崩壊してしまう。はっきり言って、イスラム過激派のテロも、トランプ教徒も、「賠償金あるだろ」もみな同じ。それらはすべて「こども化」した人々による「理性批判」なんだと思います。

これからは、その傾向がどんどん強くなる。蓋があけられたら最後ですね。……人間の「理性」は、これに耐えて、生き残ることができるのだろうか……カントが『純粋理性批判』を書いてから200年余。彼が2世紀前に書物の中で試みたことが、今、実践に移されようとしています。たぶん、ホントに悲惨なことになるのでしょうが……

みんなが「こども」になっちゃった社会……200年もあったんだから、その間に、みんなでカントが提起した問題を真剣に考えときゃよかったんでしょうが……『純粋理性批判』の書き方が難しすぎたのか……ある意味、カントさんももうちょっとわかりやすく書いてくれていたら……とも思いますが、やっぱりあの時代では、ああいう書き方しかなかったのかなあ……

ということで、思いがけぬ「実践」になってしまった。おそらく、これからかなりの間続くのでしょう、「みんなこどもになる世界」。

『いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだから つらいけどぼくはいきるときめた』

最後にやっぱり、この言葉。すごいなあ……小学生の言葉なんですが、これはもう、立派な「大人」の決意表明ですね。今の大人がどんどん「こども化」しているなかで、次の世代のなかに、ちゃんとしっかり「ホンモノ」が育っている。

トランプ現象で、世界はどうなっちゃうんだろう……と、みんな不安に思っていますが……私は、この言葉の中に、「新しい時代を開いていくもの」を見た気がします。そして、今のへなへなの「理性」ではなくて、これから開花するホンモノの「理性」のきざし……

彼が、この言葉にたどりついた道程……それは、身を切り裂く苦しみだったと思う。ベートーヴェンじゃないですが、やっぱりホンモノは、苦しみを避けては得られない。これからの人類……どんな道を辿るのかわかりませんが、地獄の苦しみの果てに得られるもの……それが、すべての人が納得できる「理性」。そうなるのでしょう……

19世紀の終了/The end of the 19th century

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トランプくん、ついに大統領に……
これで、長かった19世紀もついに終了……
J.S.バッハの死の年、つまり1750年から、なんと266年続いた。
ナンマンダブ……

私は、「拡大版19世紀」という妄想?を持っていて、19世紀というのは、実は百年ではなく、数字の19世紀(1801年~1900年)をはさんで前後に伸びているのではないか……と、そう思っていました。(リンク)

じゃあ、拡大版19世紀のはじまりは?というと、これは、J.S.バッハの亡くなった年、つまり1750年に置くことができる。これは、私のなかではなぜかすんなりと、疑いの余地のないスタート地点として、ずっとありました。

しかし……19世紀の終わりは?というと、これが見えない。第二次大戦の終了した1945年かな?と思ったこともありましたが、でも、戦後の人々の暮らしは、やっぱり戦前の暮らしを継承しているように思える。「暮らし」という観点からすると、ホントに世の中が大きく変わったのは、高度経済成長が終息を見せはじめる1970年くらいじゃないか……

しかし、このピリオドも、やっぱり完全に正確とはいえない気がした。はじまりのJ.S.バッハの死の年、1750年にくらべると全然ボケてる。「21世紀」に入っても、なんとなく19世紀がまだ延々と続いている……そんな感じがしていました。

しかし、昨日、トランプくんが大統領になった!その報道をきいて、「ああ、これで、あの長かった19世紀が、ようやく終わった!」と、そう感じました。

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これからは、「素の時代」、「ホンネの時代」になるんだと思います。

彼の勝利のかげに、「隠れトランプ」なる人々がいた……そういうことも言われていますが、「オレはトランプに入れるぜ!」というのが恥ずかしい。インテリがそうだったと言われますが……自分の素の部分、ホンネではトランプ氏の言ってることにおおいに共感しながら……でも、やっぱりそれを口に出していうことはできない……なぜなら、それは「理性」に反するから。

人種差別、イスラム排斥、女性蔑視、マイノリティ抑圧、保護主義……「白」のオレたちだけが良ければそれでいい、違うヤツらは出ていけ!……こういう考え方は、たしかに「ヒュマ二ティ」には大いに反します。アメリカには、「ポリティカル・コレクト」という言葉があると聞きましたが……これはつまり、「人種差別? そんなのフツーにダメじゃん」とか「女性蔑視? アンタいつの時代の人?」とか、そういう「政治的には当然正しい」という考え方をさすらしい……

そこらへんの「低賃金労働者」ならトランプ的な「アホな考え」もしかたないけれど、あんたは立派なインテリでしょ? インテリがそんな考えでいいの?……ということで、「トランプ支持」をなかなか人前で言い出せないインテリ……そういう人が、今回の「大崩壊」のきっかけになった?……

あるいはそうかもしれません。しかし、私は、今回の「番狂わせ」は、今、世界で起こっている一つの大きな流れの一環……それも、もっとも目立つ形で突出した巨大な波ではないか……と、そう感じます。

イスラム国、テロ、各国が保護主義になって時代錯誤のヘンな右翼が台頭……だれもが自分のことしか考えられなくなって、「社会が悪いのは、オレの暮らしがいかんのは、アイツのせいだ! アイツらが悪い!」と叫びだすこの社会……もう、理想も理性もどっかにふっとんで、みんなが自分やまわりのことしか考えず、ああ、人類って、こんなにナサケナイ種だったのか……と思わず嘆息……

しかし……よくよく考えてみれば、その「理想」や「理性」が、それほどに完璧なものだったのか……人類のいろんな考えやものの感じ方を、無条件に突破して「上位」に置かれるほどにすばらしいものだったのか……かなり厳しい言い方になりますが、その「メッキ」がどんどん剥がれつつある……そんな時代に入っているなあ……と、そう感じます。

そして……考えてみれば、そういう「理想」や「理性」が、「絶対のもの」として確立されてきたのが19世紀……その「準備」と「残響」の時代を合わせて、1750年から今年、2016年まで266年間も続いた「19世紀」だったのでした。

この「拡大版19世紀」のあいだに、人類の科学技術は信じられないほどの「進歩」をとげましたが、それを支え、またその果実によって形成されてきたのが、「19世紀思想」だったと思います。万博やオリンピックもぜんぶここに入る……

この長い「19世紀」の間に、人類は、現在「ポリティカル・コレクト」として形成されているさまざまな「理性的考え方」を築きあげてきたのだと思います。たくさんの人々の悲惨な苦しみを代償として……だから、そういう「理性による支配」は、もうすでに盤石なものと思われていた。

しかし……人間の心の根っこに根ざすものというのは、そう簡単に、理性ごときにやられて根だやしにされてしまうものではなかったのですね……やっぱり、その傾向が顕著になってきたのは、最近、とくに21世紀に入ってからではなかったか……あの、9.11がツインタワーの崩壊により印象的に世界の人々に見せつけた「アンチ理性」の反乱……それは、世界中で同時に噴き出し……ついに、今年、「トランプ大統領」として結集した。

「理性?ポリティカルコレクト?なにをキレイゴトばかり言っとるんじゃ。そんな絵に描いた餅より、もっとだいじなのは、オレの生活が良くなることじゃ!」と叫ぶ人々が世界中に……

インテリは、「お前たち、自分のことばっかり考えてて、恥ずかしくないのか!もっと世界全体、人類全体のことを考えないと……ナサケナイやつらじゃのう」と言いますが……そして、21世紀を迎えるまでは、けっこうそういう考えも通用してきたように思いますが……もう、ここに至るとダメですね。で、「理性の大崩壊」が起こって、とうとう「トランプ大統領」……

長い19世紀の間に、人類がおびただしい犠牲を払ってつくりあげてきた「理性の殿堂」……それが、あっけなく崩壊した。もう世界中、人々はみな「自分のこと」しか考えられなくなっている。インテリにとっては、これは「世界の崩壊」であり「人類の終末」と映るかもしれませんが、それは、ホントにそうなんだろうか……

私は、もしかしたら、もうちょっと違う傾向なんじゃないか……と思います。今まで「理性」でムリヤリ抑えられてきた人々の「ホンネ」がついに噴出……第一次、第二次大戦の「クスリ」がもう切れかかって、戦争を知らない世代が人口の大部分となった今、「苦しみの実感」ははるか遠くに流れ去り……

ということで、これからは、「理性というタテマエ」が外れた「ホンネの時代」に入るんじゃないかと思います。人々の「素の心」はいったいなにを求めるのか……それはまた、今まで血と汗と涙で築いてきた「理性」に対する批判にもなると思う。人類が、266年という長い「19世紀」の間に苦労して造りあげてきた「理性」。その正体が、これから明らかにされます。そして、これからはじまる「大洪水」のあとにはどんな世界が来るのだろうか……たぶん私は死んでますが、もしかしたら生まれ変わって、その「新しい世界」にいるのかもしれない……ナンマンダブ。

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オマケその1.19世紀のつめあわせ。理性、理想、理念、民主主義、オリンピック、万博、原子力、宇宙開発、EU、TPP、ポリティカル・コレクト、グローバリズム……いろいろ入ってます。でも……袋に書いてある「賞味期限」、よく見ると、なんと「2016年11月8日」でした。

まあ、「賞味期限」であって、「消費期限」じゃないから……ということで、まだ食べられるんじゃ……という意見もあるのかもしれませんが、衰退していくもの、消えゆくものをいつまでも追っかけるのもムナシイことかもしれません。いずれにせよトランプさん、「パンドラの箱をあけた男」になってしまいました。底に「希望」が入っていればいいのだけど……

オマケその2.12日のNHKの番組で、日本文学を研究されているロバート・キャンベルさんが、今回の「トランプ現象」について、おもしろいことを言っておられました。正確に再現はできないのですが……今回のことで、「これまで、地球温暖化の会議なんかを普遍的に支えてきた考え方が崩壊しはじめたというのがいちばんの問題」みたいなことを言っておられた。

ハッとしました。やっぱり、文学系の人って、見方が深い。今回の「現象」を、単に「分断」とかの表層的な観点からとらえるのではなく、これは、もしかしたら「普遍の崩壊のはじまり」ではないか……と、そんなふうにとらえておられるように思えた。

考えてみれば「普遍」というのも、元々からそこにあるものではなく、それはもしかしたら、人類が、長い歴史のあいだに「つくりあげた」ものなのかもしれない。元々そこにあるものを見出すのは「発見」ですが、新しくつくりあげるのは「発明」……

はたして、「普遍」は「発見」なのか「発明」なのか……もし、それが「発見」であるとしたら、今回一度失われても、それはなくなったワケではなく、底流にきちんと存在していて、将来またそれを「発見」することは可能です。しかし、もしそれが「発明」だったとしたら……一度失われたものは、もう二度ととりもどせないかもしれない……

そうすると、人類の歴史というものは、塗炭の苦しみのなかで、莫大な犠牲を払って、ようやく「普遍」を「発明」したのだけれど……それが、今現在、つまり「2016年11月8日」をピークとして衰退し、失われてしまう……ということは、「人類の歴史のピーク」もまたここにあったのか……

どうなんでしょうか……

オマケその3.アメリカ大統領選挙だけは、全人類が投票できるようにしてほしい。

愛知トリエンナーレふたたび/Aichi Triennale 2016

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10月23日、愛知トリエンナーレ2016の最終日。ずっと気になっていたんですが、いろいろあって行けず……あっというまに終わり……ということで、名古屋エリアだけでも見ておこうと、あわてて栄へ。朝から回れば、愛知県美術館、栄地区、名古屋市美術館、長者街地区の4会場は見られるだろうと。

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結果として、名古屋エリアの展示の8〜9割くらいは見られました。つかれた……こんなにがんばってアートめぐりをしたのはひさしぶりだ……

で、どうだったか、ということですが……実は、かなり期待していたんです。前回のトリエンナーレが、予想に反してすばらしかったので。まあ、「予想に反して」なんていうと怒られますが、前回は、実はそんなには期待していなかった。でも、いい展示が多かった。

どこに感激したのか……というと、やっぱり作家さんたちの姿勢かな。前回は、あのオソロシイ大震災と原発事故から間もなくだったので、会場全体が緊迫感に満ちていました。やっぱり、あれだけのできごとがあると、作家さんたちも、自分が作品をつくる意味を、かなり真剣にかんがえなくちゃならない。あのできごとを直接反映した作品でなくても、やっぱりそういう、自分をつきつめるという環境はあったんだと思います。

それは、見る方にも直接響いてきました。自分たちは、なにをやってるんだろう……自分たちのやってることの意味って、なんだろう……そういう、みずからへの問いかけみたいなものが会場全体から感じられて、けっこう緊迫感があった。

しかるに今回……三年しかたっていないのに、世の中、大きく変わりました。もう震災も津波も、原発事故さえ過去の話になっちゃって、オリンピックだのなんだのと……社会の格差はますます開き、世界中で戦争や難民が絶えないのに、日本人はもう、あのオソロシイできごとさえ忘れちゃったのでしょうか……沖縄と福島をカッコに入れて、われわれはどこに行こうというのか……

今回のトリエンナーレにも、その「忘却の女神」の力を強く感じました。「虹のキャラバンサライ」……うーん、あたりさわりのない、ふわふわとした夢のようなタイトルだなあ……人間って、すぐに忘れるんですね。で、目は空中に漂って、足はいつのまにか地を離れる……

そもそも、アートって、いったなんだろう……それを、アートをやる人は、片時も忘れてはいけないと思います。とくに、今のように、いろんなものがでてきて、アートといろんなものの境界があいまいになっちゃった時代には、もうアートなんてなくたっていいんじゃない? という疑問が当然のように出てきます。

業界に守られたり、いわんや商業ベースにのっかっちゃったりして、かろうじて存在を保てるようなものは、やっぱり不要なんでしょう。前回のトリエンナーレでは、地震に津波、そしてゲンパツという圧倒的な破壊力が、アートをやる人に、おまえがアートをやってる意味って、なんなの?と強く迫った。アーティストは、ややともすれば眠りにつく心をはねのけて、そのシビアな問いかけに答えなければならなかった。みんな、真剣に答えようとしていたと思います。そのすがすがしさは、たしかに胸に強く迫りました。

じゃあ、今回は……ということなんですが、今回の展示のなかで、いちばん私の心に残ったもの……それは、名古屋市美術館の地下常設展示室にあった、河口龍夫さんの「DARK BOX」でした。これはもう、ずいぶん昔の作品で(たしか、70年代からつくりつづけておられる。いろんな年代のDARK BOXがある)、常設展示だから、一応トリエンナーレとは無関係……なんでしょうが、この作品、ごろんと転がってるだけで、今回私が見たトリエンナーレの全作品に勝ってる……

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昔のアーティストって、こうだったんですね。見るからにウソくさい重金属のカタマリなんですが、なぜか、ゴン!と存在感がある。見る人の想像力にあまり頼らない。今の作品は、見る人に訴えかける秋波が強すぎるんじゃないか……共感を呼びたいのはわかりますが、アートなら、そこはぐっとガマンするところだろう……「見て、見て、スゴイでしょ!」というのはなんか夜の歓楽街みたいな……作品をつくる上でいちばんだいじなのは、「矜持」なのかもしれません。

そもそも、アートをつくる意味って、なんでしょう。崩壊しつつあるこの世界。地震にゲンパツ、イスラム国にトランプ……オソロシイものがゾロゾロでてくる今という時代にあって、アーティストはなんでアートをつくるのか……もう、そのギリギリのところまで戻って考えないと先はないなあ……そんな感じでした。

EUだな♪/EU hot spring is so good!

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イギリスくん、やっちゃいました! ホントに離脱なのか……だれもが感じるEU崩壊の予兆……日本でも、世界中でもそうだけど、これは<理念系>の不人気という最近の徴候なんでしょうか。

<理念系>より<目先系>。世界中がそうなりつつあるような気がします。ご立派だけど空疎な理念より目の前の銭だ!娯楽だ!快楽だ!……ということで、<空疎な理念>にいまだにしがみついてる方々は、北朝鮮とかイスラム国とか、いずれも世界ではあんまり人気のない連中……そんな感じになりかかってるのかな?

日本でもそうですね。 ABくんみたいな時代錯誤の<理念>を鎧の下に隠していても(時折チラリと見せるけど)、オリンピックとか景気とか<目先のエサ>で大衆を奈落にひっぱっていく……そういう指導者が、今人気なのかなあ……

トランプさんとかルペンさんとか、<目先系>に共通するのは、まあ<品格のなさ>というか、理念もなにも……いや、<目先>が理念なのか(それとも鎧の下の?)……北朝鮮やイスラム国の<恐怖の理念>とどっちがマシか……という、おそろしく選択肢の貧しい世界になりつつあるような……

かといって、EUの<理念>、はたしてこれが、どういうもんなんでせうか……私にはよくわかりませんが、EUの先駆的な人物として、エラスムスの名があったような……ルネサンスということでしょうか。<EU国歌>はベートーヴェンの「歓喜の歌」のようですが、その<理念>は……??

世界はますます混沌としてくるように思います。富めるものは、みずからの利益を守ろうとしてモンロー主義になる。で、大部分を占める<貧しきもの>は戦争、気飢餓、病気、貧困、絶望……のなかに永遠にあえぐことに……

きわめてわかりやすい、SF映画のような<二極化世界>に、地球全体がなろうとしているのでせうか……オソロシイ……

オバマスピーチ@広島に思うこと_01/President Obama’s speech in Hiroshima_01

オバマさん_900
オバマさんのスピーチ、良かったですね。

まあ、立場により、いろんな感想があると思いますが、私はとても感激しました。
きいているうちに、映画『2001年宇宙の旅』のシーンが浮かんできた。
ご覧になった方しかわからない話ですが……猿人の投げた骨が、一瞬にして、宇宙空間に浮かぶ宇宙船になる、あのシーン……映画は魔法ですが、あれだけ映画の魔法性をみせつけるシーンは、これまでなかったし、これからもないのでは……

月みる人_900
オバマさんの演説の、最初の方の箇所。
『広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。』

まさにこれ(最初の武器の獲得)が、『2001年宇宙の旅』のはじめの方に出てくる、あのシーン。月と太陽と地球が重なる壮大なオープニングのあと、なんか荒野みたいな情景になる。おそらくは人類誕生の地であるとされるアフリカの大地の光景……で、そこに、誕生まもない人類、猿人が登場する。

彼らはまだ火を知らない。身体を寄せ合って夜の寒さに耐える。
獲物を狩って食べる。しかし、すでにいろんな部族がいて、わずかな水飲み場をめぐる争いとなる。
当然、身体が大きく、力の強い部族が勝つ。小さく弱い部族は、水飲み場から追い立てられる。

この、弱小部族の中に、このシーンの主人公、ムーンウォッチャー(月見るもの)がいた。まあ、これは、映画ではわからないのですが、アーサー・クラークの小説の方では、こういう名前で出てきます。

彼は、部族のなかでは変わりもので、好奇心が強く、頭脳明晰。そしてある夜、彼らの前に、あの物体、モノリスが出現する。

はじめはおそるおそる遠巻きにしていた彼ら……しかし、少しずつ近づき、ついに、ムーンウォッチャーの指がモノリスに触れる!

でもまあ、なんにも起こりません。みかけ上は。ところが……ある日、ムーンウォッチャーは、行き倒れて死んだ大型の動物の骨を前にして、なんか首をかしげて、考えているようなポーズ……そして、おもむろに骨(大腿骨のよう)を手にとり、それで遊びはじめる。骨の端を手にもって、ふにゃふにゃ動かすと、偶然、他端が別の骨に当たり、砕く。

ここから、彼の快進撃がはじまります。つまり……骨を道具として、「撃つ道具」として使うことを覚えた。彼の身体は小さくても、デカイ骨を持つことにより、手のリーチは格段に伸び、しかもテコの原理で先端の破壊力は増す。肉体の制限を超える力……それを、彼はまさに手にする。

そうなるともう、彼は王者です。水飲み場をめぐる争い……ふたたび、身体の大きな部族と対決になるが、彼は、手にした骨をふるって相手を一撃。撃たれた相手はバッタリ倒れて動かない。

威嚇するムーンウォッチャー。身体のでかい部族は、不利とみて、倒れた仲間を捨てて逃げ出す。ヒトはついに「武器」を手にいれた。

次のシーン。ムーンウォッチャーは、手にした骨でガンガン、地面に横たわる動物の白骨を叩きまくる。バラバラと砕ける骨のかけら……狂乱の様相を見せはじめるムーンウォッチャーの手から、骨が空に飛ぶ……くるくると回りながら上昇する骨のアップ。その上昇が上死点をむかえて下降に転ずる、その瞬間……

画面は突然星空となり、その中をゆく細長い宇宙船の姿……宇宙船は、星空に対して降下するような動きなんだけれど、その速度が、先の骨の降下速度にピッタリ合わせてあるので、見ている方は、まるで連続した「動き」を見せられているような印象……「動き」は連続するが、「動くもの」は骨から宇宙船に……

ここ、ホントにみごとです。猿人が武器を手にしてから数百万年。その「時」を一気にとびこして、人類の科学技術が宇宙航行を可能にした時代へ……「骨」が技術のはじまりとすれば、そこを一気に「最先端」へとつなげてしまう……

しかも、その説得力が、なんと「投げあげられた物体の動き」のなかにある。上昇する骨が、上死点に達した瞬間に、次の下降運動を宇宙船に受けわたす……これはもう、映像でしか表現できない世界……キューブリックさん、おみごと!

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そして……画面ではわからないのですが、あの、骨のような細長い宇宙船のなかには、「核」が搭載されている……そういう設定だったそうです。
ここで、もういちど、オバマ演説のあの箇所を掲げてみましょう。

『広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。』

このくだりを聞いたとき、私は、オバマさん、『2001年』のあのシーンを見たんだなあ……と勝手に思ってしまいました。モノリスが人類に与えたのは、「智恵」ということなんでしょうが……人類は、その智恵を、自分たちの生存を有利にするために用いはじめ、それは、結局、あの水飲み場の争奪戦に見られるように、同じ仲間である人類自身に向けられる……

オバマさんのこの演説をめぐっては、謝っとらんとか、具体性に欠けるとかいろいろ批判もあるみたいですが、私は、彼は、もっと高いところ、あるいは、彼の言い方を借りると、「もっと内なる心」を見ていたんだと思う。そういう意味で、彼のこの演説は、すぐには理解されることはないかもしれませんが、今後、年月がたつにつれ、その真価が認識されて、歴史的な名演説だった……と、必ずそうなると思います。びっくりしました……

彼は、政治家というよりは、むしろ思想家、未来を見すえた、これからの人類の導き手のような存在なのかもしれない……そう思いました。よく理解している……なんて、私が偉そうにいうのもヘンですが、人類と科学、技術の本質と、その来歴、そして、未来にそれがどのようになっていくのか……克服しなければならないものはなんなのか……それは明瞭に語っていたと思います。

『現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。』

まさにここですね。『倫理上の革命』……さらりと書いていますが、ここはかなり重い箇所だと私は思います。『原子核の分裂につながった科学的な革命』……これは、骨をふりあげて相手を威嚇し、ふりおろして打ち砕くムーン・ウォッチャーの心の中にすでに起こった。モノリスは、なぜか、彼の心の中に、『科学上の革命』に至る種子を植え付けたけれど、『倫理上の革命』への道は示さなかった。それは、モノリス(を送った存在)の意図的な試みなのか、それとも……

もしかしたら、人類は、ある意味、試されているのかもしれないな……と思います。『科学上の革命』。それは、外から与えることができる。人類の脳という複雑な機関が、長い年月をかけて「進化」することによって与えられるという解釈もできます(モノリス的な解釈を拒むのであれば)。しかし……『倫理上の革命』。それは、人類が、みずからの自由意志によって選びとり、獲得していくしかないものなのかもしれない。

オバマさんは、さかんに「選択」と「変化」ということを言われますが、それはおそらく、このことを言ってるんではないか……『倫理上の革命』というものは、他から与えられるのではまったく価値のないものであり、「みずから選び、みずから変革していく」ことによってしか自分の身につかないもの……おそらく、基本的にそういう考えがあるのでしょう。

かつて、キリスト教の宣教師が、「未開の地」に出かけていって、その地の「土人」たちにキリスト教の高邁な「倫理観」を植えつけようとした。しかし……そんなものは、おまえらこれ、いいんだから、覚えろ!なんていうやり方では、絶対不可能……というか、そうやって、自分たちの「価値」そのものを押し付けるやり方自体がアカン。落第であって、自分たちが、いかにその「高邁な倫理観」を欠如した存在であるかを証明してしまってるようなもの……

さすがに、モノリスを送ったものたちは、そこはすごかったわけです。科学技術……自然を改変して、自分たちの都合の良い世界をつくりあげる能力をまず付与した。しかし……それをどういうふうに使うか……というか、その力の本質的な意味、その力というのがいったいなんであるか……そこは、その力を使っていろんな体験をするうちに自分自身で考えな……と。

オバマさんの演説は、人類に、そこを考えるのが最重要ではないか……と呼びかけているもののように思えます。そういう意味で、この演説は、小さな政治的駆け引きとか、いろんな感情、どうしようもない人間的な次元のものは少し越えて、もっと大きな視野でものごとを見ていかないと、人類はここで終わるよ……と、そんな切実なメッセージを送っているように私には思えました。

今回のことは、オバマさんの任期と、偶然のような伊勢志摩サミット、それに、関係するたくさんの人たちの努力が突然に相乗効果をひきだして、ほんとに奇跡のように舞い降りた……そんなイメージがあります。71年前に広島の空に舞い降りたのは「死」そのものだったけれど、今、語られたのは、人類が、自分自身のことをもっと深く考えてみよう、というメッセージ……そして、それは、あの日、空から降りてきたような「死」の本質的な克服につながっていくものなのかもしれません。

オバマさんは、大統領を8年やってみて、これはホントに難しい……と実感したのかもしれない。言葉の端々に、その重量感が漂ってる(いささかの疲労感も)。しかし、彼は、結局本質は昔とまったく変わらなかったんだなあ……と思いました。いやあ、立派な方ですね。おまけにカッコいいし……

プラハ演説でカッコよく登場して、ヒロシマ演説でカッコよく去る……で、そのあとに登場するのが、あのトランプくんなんだろうか……ぶるぶる。

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