![óÛñÌêú13_10_25](https://soraebito.wordpress.com/wp-content/uploads/2013/10/e7a9bae4b8b8e3818fe38293e381aee4b880e697a513_10_25.jpg?w=960)
★チケット忘れた!
愛知トリエンナーレは全体が膨大なので、とても一日では見られない。というか、前回は半日だったので、「今日は丸一日、めいっぱい見るぞー!」と夫婦ではりきってお出かけ……はよかったんですが、一時間以上かけて名古屋市に到着、駐車場も目の前、というときになって、私は土器っとした。「チケット、忘れた……」すると、おくさんのきんちゃんも石器化……のあと、一言。「私も」。
なにやっとんじゃー! 二人してー!! これ、年寄り?のペアの「典型的破滅的」一場面でした……うわー、往復3時間かけて取りに帰るかよー……家に着いたら、「もーやめとこ」となるに決まってるじゃん……ということで、結局、あらたに2枚、購入するはめに……マナカ(中部圏の磁気交通カード)があったのでちょっとは割引になるものの、ふたりで3000円以上のムダな出費だ……くくく……(受付の女性は終始にこにこ。うらめしやー)
★愛知県美術館10階
でも、これが、結果としては良かった。まあ、そのお話はあとでするとして、早速、この間見残した愛知県美術館の10階会場へ。中国人作家のソン・ドンさんの『貧者の智慧:借権園』(2012-2013)。<借景+借用権>だそうな。ガラスというか鏡が多くて痛そう……これ、タイヘンですよ……なにが大変かはわかりませんが、とにかくたいへんだ……で、次の部屋はコーネリア・パーカーさんの『Perpetual Canon』(2004)。なんか、ホッとしました。
perpetual を辞書で引くと、「腐朽の」とか「永遠の」とかの意味が書いてある。すぐに思い出すのは、大バッハの『音楽のささげもの』の中に出てくる「無限カノン」。曲の終わりがはじめに続いて、無限に上昇していくカノンですが、無限にやったCDは聞いたことがない(あたりまえじゃ!)。で、これをどういうふうにコーネリアさんが解決したのか……まあ、それはおいといて(無責任ですが)、ぐるっと回った中で気になったのが、オランダ人アーティストのアーノウト・ミックさんの『段ボールの壁』(2013)。
![~bN³ñfìi](https://soraebito.wordpress.com/wp-content/uploads/2013/10/e3839fe38383e382afe38195e38293e698a0e5838fe4bd9ce59381.jpg?w=960)
部屋のまんなかに段ボールの壁の迷路ができていて、その上に中くらいのスクリーンが二枚。そこに映し出される映像は、段ボールの壁に仕切られた体育館みたいなところで生活する被災者たち……カメラが、その様子をゆっくりゆっくり舐めていく……ああ、東日本大震災の……しばらく見ていたが、あんまりゆっくりなので一旦他の部屋へ。で、ちょっとたって戻ってみると、今度は、東電幹部とおぼしき方々が被災者たちを前に、一列に並んでひたすらあやまっている光景。音はまったくなし。
へー、こんな光景、こんなきちんと撮っていたのか……とにかくひたすらあやまってる。揃いのうわっぱりを着たおじさま方……しばらくこれが続いて、また避難所の光景。段ボールで区切られた大きな一室に、さきほどの東電のおじさま方が、被災者と同じ毛布や布団で雑魚寝……うーん、そーだったのかー……そら、自分たちだけ高級ホテルに泊まるわけにもいかんもんなー……と妙に感心。しかし、これが後でとんでもないことに……
なんか、突然、みんなが段ボールの壁を崩しだしたんですよね。さすがに変だと思って解説を読んだら、この映像は、避難所そのもののものではなくて、「再構成」だと。つまり、「演技」でした。で、演じていたのは、俳優さんたちと実際に当時避難所に避難していた方々だそうです。……ということは、あの東電のおじさんたちと思ったのは、実は俳優だったのか……ということは、実際には、東電の方々は高級ホテルにご宿泊??……いや、ホントのホントはたぶん日帰りだったんでしょーがー……
考えてみると、あんなふうに、なめらかに映像が推移するはずがない。クレーンを使わないとあの映像は撮れないが、実際の「謝罪会見」なんかでクレーン撮影ができるはずもなく……いやあ、騙されましたね……このあと、なんかみんなで「塔をつくる」ということだったけど、そこまでは見ませんでした。
しかし、この映像で思ったのは……うーん、これは虚偽であるにしても、ホントは、なんかこうだったらいいなー……という気分がやっぱりした。人間というのは、立場や損得なんかで「ホントにいい」ようには動けないもんですが……それは、だれでもそうなんだけど、ホントはこういうふうに動きたいなあと。なんでソレができないのか……途中までですが、この映像は、そんなことを語っているように思えた。うーん……
10階であと印象に残ったのは、青野文昭さん。軽トラがいつのまにかタンスに……舟が机になったり、机が床の模様になったり……なにを言ってるのかワケがわからんと思いますが、実物を見れば一目瞭然。で、これが、漂着物が発端だったそうで……流れ着いたバラバラのかけらを組み合わせる。つなぎ目が一見わからんように(二見するとわかる)なめらかに……この作業は、作家ご自身も被害を受けたあの震災で、加速度的になったのか……
モノって、ふしぎですね。人間の意識と、モノは、結局この作品に見られるように「ないまぜ」になってるんじゃなかろうか……名古屋に、「すがきや」というラーメンチェーンがあるんですが、ここで、ちょっと前まで、スプーンとフォークがくっついたモノを出してた。まあ、スプーンの先がちいちゃなフォークになってるんですが、これ、ラーメン食べるのに便利でしょって……でも、私はそれで食べる気にはならなかった。必ずお箸で食べました。
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そういう考えの人が多かったと見えて、このヘンな器具は廃れたみたいですが……考えた人は、麺類を食べる「普遍的食器」として一般化するか……とか思ってたのかもしれないけれど、ダメでしたね。要するに「アート」だったわけで……青野さんの作品とこのスプーンフォークを一緒にするわけじゃないですが、青野さんの方は、スプーン:フォークよりもうちょっと距離感のあるモノどうしを組む。そこはもう、まるまるアートの世界。
そう。モノが、しゃべりはじめたみたいに見えるんですね。軽トラは軽トラの言葉を、タンスはタンスの言葉を……「オレは軽トラ」「私はタンス」……って、そういう「語り」は、モノがモノとして使われているときには、けっして聞こえてきません。まあ、要するに、人間の「使用意識」がそれを封じるから。でも、長い間使わないで土間にほっぽっといたモンなんかに、ちょっとそれが聞こえてくることがある……
『ゲゲゲの鬼太郎』なんかで、「つくもがみ」というんですか、モノが長い間たつと妖怪になる……というのがありましたが、青野さんの作品は、さしずめ「つくもがみ即席製造装置」みたいなモンかもしれません。……というところで10階は終わり。見たかった平田吾郎さんの作品の場所がわからなかったんですが、後で聞いたら、どっちみち予約制ということで、見られなかったようです。で、名古屋市美術館へ……
★名古屋市美術館
雨が降りだしました。今日は台風27号のアタリ日。けっこう距離がある。ようやく市美に着くと、おくさんのきんちゃんが一休みしたいというので、隣の科学館のレストランへ。私は「ブラックホールカレー」なるものを注文。きんちゃんは「ナントカチキンキーマカレー」。けっこうフツーのお値段でしたが、セルフで、しかもお皿もスプーンもプラスチック……そりゃないよなーという感じ。まあ、味はそんなには悪くはなかったけれど。「ブラックホールカレー」は、色がちょっと濃いめなだけ。
で、市美へ。なぜか、入口が正面じゃなくて裏手になってて、雨の中をぐるっと回る……イニシエーション……でややこしかったわりに、内部の展示は拍子抜けでガックリでした……杉戸さん、ダメじゃん! あんな作品では、負けてまっせ……一階全部を使ったチリのアルフレッド・ジャーの作品もいまいち……黒板に「生めん」と書いてある(ウソです。実は「生ましめんかな」という文字が、投影で断続的に現われる)だけ。
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黒板が何枚もあって、それぞれに書体が違う。石巻のこどもたちが書いたそうだけど……なんか、名古屋市美って建築が悪すぎで、その建築の邪念が展示作品にも乗りうつってしまうみたいですね。オソロシイことに……で、がっくり。地下から地上に至る和風庭園には青木野枝さんの作品が植わってるんですが、雨のせいで閉鎖。窓ごしに見るしかない……おくさんのきんちゃんは、係員さんに「なんとかならんのー」とネジこんでたけど、市美としては、雨でお客が滑ってケガしたら責任どーする……とか考えたんでしょうかね。いかにもお役所的に。
でも、窓からの眺めがなかなか面白かった。地下の巨大な窓から、地上にせりあがる和風庭園が見えて、その向こうにどーんと科学館の巨大なプラネタリウムの玉が……この場所は完全な平地なんですが(昔はアメリカ村)、この視覚のみ、なんか、山の中にいるような錯覚を覚えます。黒川紀章のこの建物は本人が遊んでて作品をミナゴロシにするんで良くないなーと思ってたんですが、この視覚だけはオモシロイ。科学館の巨大プラネタリウムが後でできたので救われたということか……
で、市美でがっくりして納屋橋会場へ……と、その前に、建築探偵の藤森照信さんの『空飛ぶ泥舟』という作品が庭にちょこんと吊ってありましたね。かわいい……でも、やっぱりいろんな圧倒的な作品群のカゲに隠れてしまう。こういう「オレの道をいく」という作品は、社会性の強い作品群に向かうと弱いですね……今回はとくに、震災とか原発に触発されようぜ!というのがこのトリエンナーレのテーマだからなおさら……
★納屋橋会場
ということで、納屋橋会場へ向かったんですが、交通機関が歩くしかなくて、雨もちょっと本降りなのでしかたなくタクシー……おおっ、今年はじめてのタクシーではないか……ゼイタク……(どこの世界の人ですか?アンタ)ということで、つぶれたボーリング場を使った納屋橋会場へ到着。で、ここで、冒頭の「チケット忘れた!」が効いてくるんですね。
今年の夏、うちのこどもが京都から里帰りしたときに、私と二人でこの納屋橋会場を見た(おくさんのきんちゃんはお仕事)。この愛知トリエンナーレは、メイン会場が複数なんですが、入場券は共通で一枚。で、それぞれの会場名のところにスタンプが押される。一旦スタンプをもらうと、その会場へは当日しか入れない。スタンプを押してない会場は会期中ならいつでもOK……そういう仕組みです。
なので、家に忘れてきたチケットには、納屋橋会場のところに2枚ともスタンプ済み。だから、そのチケットを持ってきてたら納屋橋会場へはもう入れなかったんですが……ドジで忘れたおかげで買い直したチケットには当然スタンプがない。で、入れた。うーん……この納屋橋会場、充実してました……私は2回目になるけど、前回見られなかったところまでゆっくり見ました。映像作品が多いので、前回途中までしか見なかったのも、今回はシッカリ……
おくさんのきんちゃんはむろんはじめてですが、「良かったー」と。あの市美の展示で終わりだったらけっこうガックリだったんだけれど、この納屋橋会場の充実でじゅうぶんおなかいっぱいに……ここでは、前回、なわこうへいさんの泡の作品にちょっとふれましたが……前回が8月でしたが、あれから二ヶ月。泡たちが「成長」してまして、ビックリ……前回はまだ人の背丈を越す……くらいで向こうも見通せたんですが、今回入ったら、もう泡が天井にまで達していて向こうも見えない……わー、片付けタイヘンだろーなーこれ……
クリスティナ・ノルマンさんの「金色の兵士」の作品もしっかり見た。おくさんのきんちゃんは、オーストリアのアンジェリカ・メシティさんの『シティズンズ・バンド』に感激。正方形の暗い部屋の4面に順次、音楽が映される。それぞれが「移民のパフォーマー」。インターネットの解説から引用しますと……
(以下引用)カメルーン出身のパーカッショニストは、パリの室内プールで水面を舞台に手で見事なドラミングをみせる。アルジェリアからパリに移民してきたストリート・シンガーは、メトロで壊れかけたカシオのキーボードを肩にのせ哀歌を歌う。モンゴルがルーツのホーメイ歌手はシドニーの街角で胡弓を奏でながら独特の声を響かせ、スーダン出身でブリスベンに暮らすタクシー運転手は、運転席で哀愁漂う口笛で曲を奏でる。(引用おわり)
で、最後にそれらが(あとは見てください)……なるほど……人と文明って、こういうもんだ……この作品は、震災や原発関連が多かった今回の展示の中では、一見そういうテーマに関係なさそうに見えるけれど、実はルートのところで深い関係があるんじゃないかと思わせられます。うーん……「文化の崩壊」は、なにも震災や原発事故がきっかけで起こってるんではないんですね。実は、深層で、根っこのところで目にみえない速度で、しかし着実に崩れている……大きなできごとがあると、それが一気にひのもとに晒される……
そういう意味では、この作品も、失われてしまったものに寄せる哀悼……追悼なのでした……今回の展示は、全体にわたって、やっぱりそういうものが多かったように思います。もはや、あらがうことができないと知れば、人は、静かに祈りを捧げるしかありません……なにか巨大な力……それは、震災とか原発事故とかに典型的に現われるのだけれど、実は、それと関係ないところに暮らしてると思ったわれわれの日々の奥深くにも静かに静かに進行している……
★IKA式総括
というところで、今回の「愛知トリエンナーレ2013」の空丸的総括。3.11の震災と原発事故は、同じように地域の人々に大被害をもたらしたけれど、その質は違う。でも同じ。いったい何を言ってるのか自分でもわからなくなりかけですが、要するに、「人が、住んで、暮らすゆえの」ということ。……地震も津波も、「その地」に人が住んでいなかったらなんの被害もない。人が住み、暮らすゆえに、それが破壊されて大きな被害となる。
でも、同じ観点で原発事故をいうことはできない。明らかに人災……なんだけれど、そこに入ってる「システム」は同じ。要するに、「文明のシステム」ということで、これは「法律上の責任」とはまた別に考えられるべきことです。むろん「倫理上の責任」とも異なってくる。要するに、「文明批判になってしまう」という点においては、震災も原発事故も、最終的には「同じ論理」に到達する。
人間の、今の文明は、以前に比べるとはるかに一体感が強くなっています。東京の人の使う電気をつくる原発で東北の人が被災した……絶対不公平だと思う。しかし、では、東北の人は、「東京の文明」を享受していないのか……これは、東京の人は絶対に口が裂けても言えないことなんですが……他の地方の人もやっぱり言ってはイケナイことですが、私はイカなので言います。「ぜんぶつながってる」んです……と。
今回のさまざまな展示を見て思ったのは、とにかくまずそこに辿りつこうじゃないか……と。責任問題、倫理上の問題……いろいろあるんです。で、非難の嵐も起こるでしょう。害をこうむった人が非難するのはわかるけど、「関係ない」モンまでが鬼の首を取ったみたいに非難……そんなことばっかりやってていいんですか……と。そうじゃないでしょう……いちばんモンダイになるのは、今の「人類文明」だ……そこを、根っこから考える方向に向かわんと……
そこへの「着地」はきわめて難しいですよね。ノルマンさんの「金色の兵士」が語っていたことはソレだったと思う。「いかなる勢力にも真実はない」。まず、ここを冷静にみないとなにもはじまらない。アーノウト・ミックさんの、東電幹部が被災者と同じ段ボールで寝ている映像にもそれを感じた。責めるものと責められるもの……そこに「固定」されていていいのか……モンダイの根は、もっと深いところにあるんじゃないのか……
こういうモンダイには当然「結論」は出ません。答えは、これからの時を生きる人々が、長い、ながーい時間をかけて少しずつさぐっていくものなんでしょう……レクイエムを越えて……というか、哀悼と追悼の向こうにしか、その道はないように思う。冷静に、冷静に……もう、そんなにあわてなくてもいい。これからも、加速度的にもっともっといろんなことが起こってくるかもしれないけれど、それは、結局われわれの今までの「文明の借金」が白日のもとに晒されていく姿……
おそらく、ここを越えることなくしては、本当の未来は現われてこないのでしょう。そのことを知る……そういう、静かな「智」が、今、世界中で芽吹きはじめた……そのことを強く感じて、ああ、これからの世界はだいじょうぶじゃないかな……と思いました。アートの力……もう、それは、アーティストの「個」の中には収まりきらない。やっぱり、最後は「普遍」を目指すんですね。人は、自分の時間を生きて、そして去るけれども、「そこを見る」まなざしは受け継がれていく……
なので、今回、そういうまなざしをあんまり感じさせない作品は、いくら力があってもガクンとくすんでみえました……これはしかたのない事実でしょうね……一つだけ例を挙げると、県美術館の8階で見たオノ・ヨーコの『光の家の部分』。たしかにきれいで、言いたいこともわかるけれど……答えも、自分で出してしまっている。で、そこで、作品全体は閉じられてしまう……これは、昔からこの人の傾向だと思うけれど、今回、他の作品群の中にあると、この傾向は目立ってしまう。
まあ、やっぱり「古いなあ」と。作品として立派であるかどうかと、その作品が「今」にどんな力を持つか……これは、とにかく別なんですね。むろん、作品としての完成度が低いとダメなんだけれど、やたら高すぎるというのか……作者が作品をコントロールしつくそうとすると、やっぱり根っこというか、よくわからない「今」につながるチャンネルを失ってしまう……実は、今回、いちばん大事にいろんな作家がしていたのは「そこ」ではないか……
県美10階のメイン作品みたいになっていたヤノベケンジさんも、そういう点では遅れがち……で、あんまり魅力がなかった。ダレよりも早く?原発問題を取り上げていたのに、追い越されちゃった印象。なにをやりたいのかがわからない……納屋橋会場のなわこうへいさんの「泡」も別の意味でそんな感じ。作品としてはがんばってて、美しいのですが、なんか遊離して、ちょっと違う方向に飛んでいっちゃってるような……個展とかで見ればまた全然違うんでしょうけどね。
老舗では青木野枝さんもそうで、作品自体がなんとなく淋しそうでした。いやー……現代美術はやっぱり「イキモノ」ですなー。3.11以降、とくに、なんかアーティストには、キビシイやいばが突きつけられてしまったのか……「我が道を行く」で自身の作品追求も絶対だいじだと思うんですが、でもそれが「根っこ」につながった感がないと孤立するなあ……
ということで、一日たっぷりとアートづけで、最後は新栄の「カフェ・ドゥフィ」でハンバーグ定食。これ、すごいんで、あんまり人には教えたくないんですが、味、量、そしてお値段……どれをとっても大満足。おまけに、これは別メニューになるけどエスプレッソが絶品!……これで、二人でなんと2300円というウソみたいなお値段……てづくり感あふれるお店の雰囲気もいいし……(ライブもときどきある)……ということで、この日は大満足で寝ました。
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