先頃、自衛隊に「かけつけ警護」というふしぎな任務を付与するかどうか……が話題になりました。
PKOで、国連職員とかが危ない目にあって「助けて!」となったときに駆けつけて守る……そういう理解でいいのかな?
で、攻撃してくる相手が反政府軍だったらいいけど、もし政府軍だったらNG。
憲法違反になるから? みたいな理由を付けてた……
ここらへん、すんなりわかる人、いないんじゃないか……
というより……
こっからがだいじなとこなんですが……
自衛隊って、そもそもが憲法違反じゃないの?
だれが見たって、どこから見たって「軍隊」そのもの。
で、9条は「軍隊は持たないよ」といってる。
もうこれ、歴々とした「憲法違反」だ。
こどもにリクツを説明できるんだろうか……
ということで、この「憲法違反状態」を解消するには、論理的に言って、「2つの道」があるようにみえます。
1.自衛隊をなくす
2.憲法を変える(軍隊OKに)
さらにいうなら、このどっちかの道しかないように見える。
しかし……ほんとうにそうなんだろうか?
ということで、ここからが本題に入ります。
「自衛隊」はかたちのあるものだ。
自衛隊員というかたち、武器というかたち……具体的な「かたち」を持ってます。
撃たれれば死ぬし、撃てば相手が死ぬ。
人間の物理的身体という「かたち」を変えしまう行為。
これに対して、「憲法」はかたちがないものだ。
あの、立派な箱に入ってるのが「憲法そのもの」?
いや、そうじゃないでしょう。
もし、あの箱に入ってるのが「憲法そのもの」だったら、それ以外のものはすべてニセということになる。
本に印刷した「かたち」や、ネットの画面で見られる「かたち」……
それもみな、憲法であることにはかわりない。
もっというなら、たとえば外国語、英語やドイツ語に訳したとしても、やっぱりそれも「日本国憲法」だ……
ということで、日本国憲法には、本来「かたち」はありません。
自衛隊という物理的な「かたち」を有するものと……
日本国憲法という物理的な「かたち」を持たないもの……
この2者には、そもそも、なんの関係もない。
もしそこに、なんらかの関係があると思うのなら……それは、「錯覚」にすぎない。
そういうことになるのではないでしょうか。
論理的に考えてみて……
今、「かたちを持つもの」という集合(A)と
「かたちを持たないもの」という集合(B)と
この2つの集合があったとしますと……
この2つの集合は、まったく重なりません。
なぜなら、AとBの間は相互に完全否定になっていて、排中律が成立するから。
だとしたら……われわれは、
「自衛隊」という「かたちを持つもの」と
「憲法」という「かたちを持たないもの」と
この両者を比較して、「矛盾してる」と言ってることになってしまいます。
重ならない集合を、なぜか意識の上で重ねてしまって、「矛盾だ!」と言ってる。
これって……ヘンじゃないでしょうか。
この問題は、実は、デカルトが苦しんだ問いでもある。
彼は、「思惟の世界」と「延長の世界」をどうやって関係づけたらいいか……と悩んだ。
つまり、「かたちのない世界」と「かたちのある世界」の関係……
本来、この両者はまったく関係ありません。
しかし……
私が右手を動かしたい!と思えば(思惟)
右手が動く(延長)
このように、思惟の世界と延長の世界は、みごとに連動しているようにみえる。
これは、なぜか……
彼は、この両者をつなぐ肉体的な器官として、松果腺を考えたんですが……
現代では、この器官には、そんな能力がないことがはっきりしているみたいです。
いや、松果腺だけじゃなくて、どんな器官にも、そんな能力はない。
思考や感情などを、脳内の電気パルスや化学物質で説明する。
しかし、電気パルスも科学物質も、あくまで「かたちある世界」のものであって、「思考」という「かたちのないもの」とは根本的に無関係にならざるをえない。
それが、あたかも連動しているように見えるので、そういう説明でナットクしてるんだけど……
でも、「重ならない集合」が関連するかのように見える……その説明にはまったくなっていない。
これは、とてもふしぎなことだと思います。
自衛隊と憲法の例に戻りますと……
自衛隊という「かたちのあるもの」と憲法という「かたちのないもの」。
この両者の間には、本来、まったくなんの関係もないのに……
無意識に両者を関連づけて「矛盾してる」と言ったりする。
これは、実は、「立法」と「行政」の間に、普遍的に見られる現象でもある。
いろんな法律をつくるけれど、それが「思惟の世界」にあるものであるかぎり、それは「かたち」を持たない。
しかし、「行政」は明確な「かたち」を持って、人間の生活を規制する。
「行政」によって街は造られ、税金を取られる。
考えてみれば、とてもふしぎなことです。
この数十年間、自衛隊と憲法は、絶えざる矛盾相克の間にありました。
だれもが、その解釈に苦しみ、明快な解釈を出せた人は一人もいない。
それはまあ、当然のことです。
なぜなら……両者は、本来、「まったく関係がない」から。
関係のないものの間に、ムリヤリ関係をつけて「矛盾してる」と苦しむ。
それは当然、そうなってしまうでしょう。
憲法を現実に合わせろとか、現実を憲法に合わせろとか……
そういう発想そのものが、そもそもまちがっていたわけで……
関係のないもの同士、「合わせろ」もなにもない。
ということで、私がだいじに思うのは、やっぱり9条の「真実に語ること」です。
この条文は、「戦争はダメ」と言ってる。
軍隊も「ダメ」と言ってる。
これは、当然のことで、だいじなことだと思います。
フツーに考えれば、やっぱり戦争も軍隊もダメでしょう。
で、それを正直に述べてるこの憲法は、立派だと思います。
「かたちのない世界のもの」が果たすべき役割を、きちんと果たしている。
この点で、やはり世界に例のない、立派なものだと思います。
だから……「矛盾」に苦しむのを止めればいい。
これは、「かたちのない世界」の論理において。
一方、かたちのある世界(現実)ではどうするか……
矛盾に苦しみ続ける。
これが、正解なんじゃないでしょうか。
矛盾だから「解消せねば」という気持ちは当然生じる。
しかし……
「かたちのある世界」と「かたちのない世界」は、本来、無関係。
このことをきちんと抑えれば……
あっ、そうだったのか……ということにならないだろうか……
どこまでいっても「矛盾」に苦しむ。
私は、それが、ダメなことだと思わない。
歴代内閣は、この「矛盾」に苦しみ、いろんな「解釈」を出してきた。
それは、まことに見苦しいものであるけれども……
しかし、見方を変えれば、まことに立派なものでもあった。
なぜなら……
「かたちのない世界」のものである憲法の条文には、触らなかったから。
歴代の内閣には、その点で、ある意味、きちんと「矜持」があったと思います。
たとえ、いくらみっともなく見えようと、こどもに説明できなくても……
「矛盾」を「解釈」で乗りこえてきた。
それは……やっぱり、「かたちのない世界」で、「戦争ダメ、軍隊ダメ」とはっきり書いてる憲法……
どっからどう見ても、正しい。
これに対する「尊崇の念」といいますか、これを変えてはいかん!というギリギリの思いがあった……
その点で、いくら見苦しくても、実は立派な内閣だったと思う。
さあ、どうなるんでしょう……