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今日の i(k_k)u:大東京火災海上冬の月/Great-Tokyo fire and marine lunatic winter had come.

大東京火災

昔、街を歩いていると、濃緑色の地に真っ赤な文字で「大東京火災」と書いてある看板……見るたびにドキッとして、なんか胸騒ぎを覚えた……ふしぎな梵鐘のマークが、またいっそう不安感を増す……企業の看板って、ふしぎです。とくに大企業は、そこら中に看板があるので意識に与える影響力が強い。私にとって、この看板は、一種の「不安のネットワーク」だった……i(k_k)u

この看板、いつのまにか見なくなったなあ……と思ってしらべてみたら、2001年に千代田火災と合併してあいおい損保になっていたのでした……あのロゴとマークは、企業の看板としては突出してよくできていたと思うのでまことに残念……あれに匹敵するのは、佐藤商事のマークくらいかな……佐藤商事は、大東京火災海上よりは企業規模が小さかったので、なかなか見かけないのですが……(この会社は今もある)

私は、ずっと以前に、ある小さな句会に参加していて、「図案」という号でいろいろヘンな俳句をねじって?おりました。この句は、冬の句会のときにつくったものですが、自分でもけっこう気にいってます。内容は、取り方によってはちとオソロシイのですが、まあ、例の釣鐘の看板の上に寒そーな冬の月がこーこーとかかっている情景でも想像してもらえれば……(私自身は、いつも違う想像が浮かんでくる)

濃緑色と真っ赤の組み合わせは、けっこう強烈ですね。これ、自分では「軍隊色」と思ってます。ヘモグロビン(動物)とクロロフィル(植物)の組み合わせでもある。生命の色は、この2色なんでしょう……これが「軍隊色」になってしまうのが、やっぱりオソロシイと思います。バングラデシュの国旗はまさにこの2色ですが、これに黄色と黒が加わるとラスタになる。さらに青が入るとオリンピックだ……

今日のjimon:冬/winter

冬

漢字の「冬」の字は、もともと、糸の終わりの部分を結んだかたちからきているといいます(白川静さんの『字統』によれば)。つまり、冬は、「季節のおわり」であり、「むすび」であると。このjimonで使った書体には、中に「日」が入ってますが、このかたちも古くからあるらしい。ヴァリエーション的には、こんな感じかな……

冬9個

ところで、祝詞なんかでは、「みたまのふゆをかがふらせたまへ」とかいいますが、これって、どういう意味かなあ……と思って調べてみますと、「みたまのふゆ」は「恩頼」と書き、神の(与える)生命力というような意味らしい。「かがふる」は「蒙布留」と書いて、「かぶる」とか、「こうむる」の意。つまり、神の生命力をいただく……ということになるようです。

また、「ふゆ」は「増ゆ」、「殖ゆ」で、「振る」に通じる。要するに、神から与えられたいのちの力が励起されてどんどん増えていく……これが、「冬」という季節の本当の意味。折口信夫さんによると、「魂を分け与える」ということのようです……すべてのものが死滅してしまうようにみえる表面の奥では、実は、生命の力が分裂、増殖を重ねてきたる春に備えている……

では、英語の「winter」はどうかというと、これは、印欧語根の「wed-」にまでさかのぼり、「ぬれた」とか「湿った」ということからきているそうです。なるほど……あちらでは、冬は、すべてのものが濡れ、湿る季節なのか……これは、感覚的には、日本語の「ふゆ」が「生命力」につながっていくのと似たものを感じますが、どうなんでしょうか……

ものごとは、表面に現われている姿と、その奥に展開する様相とがちがう場合が多々ありますが、「冬」もやはりそうなのかな? 死んだように枯れた季節……なんだけれど、内側では魂の力、いのちの力が分裂・増殖し、湿潤がみちる……ふしぎです。

*jimon 作品は、通常手描きでつくるのですが、今回は、イラストレータで描いてみました。一つつくっておけば、コピーペーストでどんどん増やしていけるのでカンタン。イージー恩頼(みたまのふゆ)だ……生命力には大幅に欠けますが……

今日のkooga:家の前の冬

家の前の冬

とうとう冬がきました。家の前も、どんどん色がなくなっていきます。私は植物には詳しくないのでいろいろわからないのですが、赤いのは南天かな? 左の赤紫は山ごぼう?? 背景はお隣の田んぼなんですが……秋の刈り入れのあと、また稲が育ってきたんですが、それも刈り取られ……でも、また生えてきて、わずかですが緑になってる……

右上のパイプは、田んぼに水を入れるためのものなんでしょうが、今はなんか手持ちぶさた……冬は、いろんなものの活動が停まり、いのちの輝きが薄れていきます。でも、日本語の「ふゆ」という響きは、ふしぎなことに「増ゆ」に通ずる。これ、素人語源学できわめてキケンなんですが、私は勝手にそう思ってます。冬はいのちが増えるとき……

逆に、夏の盛りは、いのちが枯れていくように感じる。これって、「加速度」といっしょですよね。二階微分だ……時計の振り子は、いちばん下にいるときがいちばん上昇加速度が大。これが「ふゆ」の状態。で、いちばん上にいるときがいちばん降下加速度が大。これが「なつ」の状態かな? うーん、これで正しいのでしょうか?? いまいち自信はありません。

ただ、いのちの感じからいえば、やっぱり冬は、いのちが内にこもって、見えない姿でどんどん豊かに、ぎっちり詰まっていく感じを受けます。逆に、夏は、いのちが外に発散され尽くして内部は絞られてカラカラに……これはまた、中国の易の見方でもあるようですが、易でも、6爻がすべて陽になると、「昇りすぎた竜は下るしかない」と……。

クリスマスが冬至に重なるのも、そういう意味だとききました。冬至は、光のいちばん少ないときなんだけど、それはまた、光が戻ってこれから増えていくとき……フランスの古い教会では、クリスマスイブの深夜にすべてのロウソクを消し……そして単旋律の聖歌がどこからともなく響いてくると、それとともにまたロウソクを一本ずつ灯していく……

年をとると、「死」というものも少しずつ実感できるようになってきました。ライプニッツさんがおもしろいことを言ってます。「死とは、急激な収縮である」と。……いや、まさにそのとおりだと思います。この世界に、なぜか入ってきて、この世界のものでこの身体を少しずつつくっていく……それは、しかし年とともに衰え、そしてポン!と縮む。

しかしまた、それは、実は、「次の生」への準備でもある。われわれの身体は、この世界(地球)のものからなっている以上、この世界を離れては生きていけない。これは、考えてみると当たり前なんですが、考えないとふしぎです……家の前の光景も、毎年収縮と発散をくりかえしながら、いのちのふしぎを私に語ってくれます。今年もまた、冬を見ることができました。