タグ別アーカイブ: アメリカ

老人はどっち側だったのか?/Which side was the old man?


路上に倒れた老人に、若者が棒で殴りかかる光景……なんどもなんども打ちすえる……これ、フツーの、日常の路上なら絶対犯罪です。というか、まず、道徳的に許されない。人間じゃない!という声が上がりそうなシーンですが……でも、これは、アメリカのニュージャージー州でこの間起きた市民同士のバトルのシーンでした。

南北戦争当時の南部の英雄、ロバート・エドワード・リー将軍の銅像の撤去を市が決めた。それに反対して、白人至上主義者やネオナチたちが集まってデモ。で、これに対して人種差別反対の人たちが集まる。両者が路上で衝突して、市民同士が殴りあい、棒で打ちあう悲惨な展開に……さきほどの、路上に倒れた老人を若者が打ちすえるというショッキングな光景は、このときのものでした。

私には、この老人がどちら側なのか、あるいは棒で打った若者がどっち側なのか、それはわかりません。両方とも、ごくフツーの服装の人たちが多く、ハチマキを巻いたりヘルメットをしてるわけでもないので(そういう人もいたけど)区別がつかない。ただ、目に映るのは、無抵抗の老人を狂ったようになんども棒で殴る青年の姿……

トランプさんは、「両方の暴力に反対する」みたいなことを言って大ブーイングを浴びていますが、この光景を見るかぎりにおいては、私は彼の言ってることは正しいんじゃないかと思います。だって、あの打たれていた老人がどっち側なのか、打っていた青年がどっち側なのか……見ているだけでは判断がつかない。

トランプさんの発言を非難するとなると、それは、もし老人が人種差別反対の立場の人だったら、若者は白人至上主義者になるから若者の行為はダメ、ところが、老人が白人至上主義者で若者が人種差別反対の側だったら若者の行為はOK……と、こうなります。でも、それって、いいんでしょうか?

昔、1960年代くらい?に、「アメリカの核はダメだけど、ソ連の核はOK」といってた日本の知識人の方がおられました。彼の論理によると、アメリカの核は資本主義だからダメ、ソ連の核は共産主義革命を世界に拡げるためだからいいんだ……と、こうなるみたいです。でも、それって……

さすがに、今はこんなことをいう人は皆無のようですが、当時はけっこう賛同した人が多かった。今からみれば信じられないことですが……核は、どっち側が使ってもダメ。これはもう、アタリマエのことだ。

人間って、「理念」に騙されやすい生物だと思います。今、現に路上で起きていること……その悲惨な光景は、打つ方も打たれる方も「悲劇」というしかない。でも、それに、「白人至上主義」とか「人種差別反対」という「理念」がかぶってくると、今、現に路上で起きていることそのものが見えなくなる……

「人種差別反対」を「白人至上主義」と同列の「理念」と見るのには、大きな抵抗があるかもしれません。実際、私の心の中でも、両方を併置していいの?という思いはわきます。しかし、老人が「白人至上主義」なら若者の行為はOK、逆であればダメ、と言われると、ええっ?!となります。やっぱり。

どっちがどっちでも、あれはダメでしょ、というのがやっぱりいちばんマトモなような気がする。とすると、トランプさんの「どっちの暴力もダメ」というのは、きわめてマトモな発言に見えてきます。これ、もしトランプさんじゃなくて、たとえばガンジーのような方がおっしゃったのなら、みんな「そりゃそうだ」と納得するんじゃないかな……

じゃあ、なんでトランプさんが言うと「ダメ」なんだろう……彼が、実は「白人至上主義」で、心の底(ホンネ)では「白人至上主義」を擁護したいという心があるから……と考えるのは、やっぱり「路上で今起きていること」から少し離れていってるような気がする。

人間における「理念」とか「理想」というのは、ある意味、やっかなモンだと思います。それは、あるときには、苦しみの状況を打開して、だれもが「平等」に、「自由」に暮らせる社会をつくるのに大いに役立つかもしれない。しかし、心はとてもナマケモノなので、ふと、それによっかかって「心の楽」をしたい……という心が無意識に湧いてくれば、それは「目の前で起きていること」さえ正しく判断できなくなります。

まあ、目の前、といっても、私の場合は、何千キロも離れた場所で昨日か一昨日に起こったことをテレビの画面で見る……というものでしたが、それでもやっぱりあの光景には心を揺すられた。トランプさんは、「だれも言わないが、私は言う」と言ってましたが……彼の心がどのあたりにあるのか、私にはわかりませんが、なんか、やっかいだなあ……とは思います。


*あの光景、デモが起きた翌日と、その翌日くらいにはよくテレビで見たんですが、その後はいっさい見かけなくなりました。まあ、私が偶然見かけてないだけかもしれないですが、なにか「放送自粛」がかかったのでは?という思いもあります。あまりに歴然として「暴力」だったからなのか、それともあの打たれていた老人が「どっちの側」かわかったからなのか……ということで、ネットでさがしても出てこないので、とても漠然としたラフ図になりました。

44

44_600
トランプさん支持が44%……
えっ、44%もいるの?ってリカイが、日本では大勢みたいだけれど……
まあ、51%が不支持らしいですが。

信じられない……アメリカ国民、ナニやっとんじゃー……
そういう声もきこえてきます。
でも、なんとなく、ワカル気もする。
私はアメリカ国民でもないし、英語もわからんので、単に「そういう気がする」ってだけですが……

トランプさん、オバマケアをひっくり返すそうな。
ここで、日本人としての疑問。
トランプさんの支持層のプア・ホワイトの方々……
当然、プアだから、保険入れないという人も多い?
だとしたら、なんでオバマケアを潰そうとするトランプさんを支持するの?
これ、疑問でした。

でも……以前に読んだ本田哲郎さんというカトリックの方の『聖書を発見する』という本に書いてあったことを思い出して、なんとなく、その理由がわかったような気がします。

本田さんは、大阪の釜ヶ先に布教の拠点をもって、日雇い労働者たちと生活をともにしながら長年、イエスの教えを実践してきた。
そのなかで、キリスト教の信者たちが、日雇い労働者たちに「炊き出し」をする、その心理に疑問を持つようになったといいます。

炊き出しの列に並ぶ労働者たち……アルミのお玉が鍋の底をこする音がしてくると心配になる。自分の番まで、鍋の粥がもつんだろうか……
かつては、本田さん自身も炊き出しのとき、イエスの教えを「実践」しているような気になっていた。
しかし、それは大きな誤りである……これに気づいた。

たしかに、労働者たちにとっては、炊き出しはありがたいものだし、ときに生命にかかわることだってある。
しかしそれでも、この炊き出しは、労働者たちの「誇り」を傷つけてるんじゃないか……本田さんは、そう思うようになったそうです。

労働者も、そんな炊き出しに並ぶよりは、ちゃんと仕事をして、それで得た金で安食堂のノレンをくぐって、サバ焼き定食でもなんでも、自分の好きなものを注文して、食う。
そっちの方が、はるかにいい。
でも、仕事がないから並ぶ。
これは……実は、ありがたいんじゃなくて、屈辱なのかもしれない。

そうか……そりゃ、そうだよなー
そう、思いました。
もし自分がそういう境遇になったら、絶対そうだと思う。
そんな「施し」にすがって生命をつなぐよりは、自分の力で働いて得たお金で、自分の好きなものを注文して食う。
もう、それは、比べられないです。
でも、仕事がないから、しかたなく列に並ぶ。
それは、やっぱり「屈辱」だ……

トランプさんを支持した44%の心がわかったような気がした。
オバマケアで、貧しくても保険に入れる。
そりゃ、たしかにいいかもしれない。
だけど……
それって、もしかしたら「施し」とニアミスではないだろうか……

バカにしやがって!
と怒る人も、いないではないかもしれません。
オレだって、仕事さえあれば、ちゃんと稼いで、マトモに保険にも入る。
仕事がないから、それができないんじゃないか……
そういう「貧民」でも、保険に入れるようにしてあげましょう。って?
バカにするんじゃないよ!
そんなおジヒなんかいらねえ!
まともなシゴトをよこせよ!

44%は、きっとこう言いたいんじゃないかなあ……

トヨタがメキシコに工場つくって、関税ゼロで安いクルマがアメリカに入ってくる。
これ、もーどーにもガマンならねえ!
トヨタはどっちの味方や!
アメリカか、メキシコか!

そこへトランプさんの登場だ。
トヨタがメキシコで造ったクルマをアメリカへ入れるなら、高い関税かけるぜ!
よく言った、トランプ!
さすが、オレたちの大統領だ!
……
ということで、女性を蔑視しようが障害者をおちょくろうが、そんなのカンケイねえ!
オレたちは、なにがあろうがアンタを支持するぜ!

評論家やマスコミ、インテリ層が読み誤ったのは、まさにここではないでしょうか。
仕事……その意味……人としての誇り……
そういうものが、ぜんぜん見えてなかったのでは。
それって……炊き出しに並ぶ労働者たちは、きっと「ありがたい」と思ってるはず……
そう思いながら、粥をすくって労働者の差しだす椀に注いでいるキリスト教の方々の心と同じだ……
あなたは、意識してないでしょうが、彼らの「誇り」も「人としての意識」も粉々に踏み砕いてるんだ!
で、そのことを、「私ってなんてすばらしいキリスト者でしょう」と、まちがって思いこんでる。

本田さんの筆は、容赦ないです。
彼は、
「イエスはどっちの側にいる?」
と問います。
炊き出しをするキリスト者の方?
それとも、列に並ぶ労働者の方?
むろん……と彼は言い切る。
列にならんで、自分の番まで鍋がもつか……
そう思う労働者の列に、イエスは並んでおられる。

これ……もしかしたら、最終的な地点なのかもしれない。
ここを読み誤ると、ぜんぶがぐるんとひっくりかえる。
そういう地点に、今、私たちはいるんではなかろうか……

トランプさんに、「メキシコでクルマつくるなら、高い関税をかけるぜ!」
こう言われた豊田章男社長。
彼の発言で、「あっ」と思った箇所があった。

「私たちは、地域社会に責任があるから、メキシコの工場計画はやめない」
なるほど……と思いました。
トヨタの社長は、こういう考え方をするんだ……

私が今、くらしている地域は、豊田市です。
昔は小さな村でしたが、今は町村合併で豊田市に……
でも、村だった頃から、あんまりかわらない。
うちのまわりの人たちは、ほとんどがトヨタか、そのケイレツ企業で働く。
この地域は、トヨタなしにはもう成り立たないでしょう。

で、みんな、どんなふう?
というと、けっこう楽しくやってます。

まず、給金がいい。
下請けや部品メーカーまで、安定して生活できるだけの給料がもらえるんですね。
年金もしっかりしてるから、将来の生活の不安もない。
道路もきれいに整備され、大型ショッピング施設も多い。
生活に、なんの不安もありません。

福祉施設も充実してる。
お休みもちゃんと取れる。
いろんなところに旅行にも行ける。
孫ができても、小遣いくらいやれる。

うーん……これが、「大企業」の実力なんだ……
豊田社長は、その点に、誇りと責任感を持ってるように見えました。
単に、自分たちが儲けるだけじゃなくて……
オレたちは、「地域」そのものをつくってるんだ!と。

で、会社としては、できるだけ生産性を上げないと他社にやられるので、安い労働力を求めて……世界中、どこへでも行く。
行った先の地域全体の生活を向上させて、人々に安定した暮しを約束する。
どーだ、こんなこと、「国」とかにはできんだろー……
私の気のせいか、そんなふうに言ってるようにも見えた。

で、トランプさんですが、彼は、やっぱり44%を気にかけてるんだと思います。
評論家や学者や、インテリどもに見放された44%……
コイツらをなんとかしてやらなにゃー、男がすたるぜ!
そんなふうに思ってるんでしょうか……

44%の心の、奥の奥までグイグイくいこむ。
男トランプ、よっ、大統領!
ということで、ホントに大統領になっちまいました。

でも、私には、やっぱり気にかかることがあります。
経済オンチなんで、よくわからないのですが……
経済のシステムには、かならずどこかに「収奪の構造」ができるはず。

たとえば……18世紀後半~19世紀にかけて、イギリスの産業革命が成功し、イギリスは、オランダにとってかわって、世界の派遣国家となった。
その「成功」を支えたシステムの一つが、大西洋をはさんだ世界貿易システム。

この時代、アフリカでたくさんの人を奴隷にして、新大陸に送りこんだ。
その奴隷たちは、アメリカの南部でインド原産の綿花を栽培し、それによって生まれた大量の綿をイギリスが輸入して、工場で綿織物に加工し、ヨーロッパをはじめ世界中に輸出する。
この、世界貿易システムが、イギリスを世界の派遣国家に押し上げた大きな原動力の一つだったんだと……

そうすると、この貿易システムは、もちろん win-win ではなく、かなりいびつで狂ったものだ。
イギリスやアメリカの資本家にとっては win-win なんだけど……アフリカから刈られて、新大陸に送りこまれたおびただしいアフリカの人たち……
ここには、もう、だれがなんと言おうと、明白な「収奪システム」がある。

もちろん、現代の世界では、こんなロコツな収奪システムを機能させることはできません。
しかし……たとえば、さっきのトヨタのメキシコ工場のことを考えると……
やっぱり、そこには、明白な収奪システムが機能している。
この場合、「収奪される」のは、低賃金で働くメキシコの労働者です。
で、会社はもうかり、安いクルマを買えるアメリカの消費者も儲かる。
しかし……
ここで注意せねばならないのは、「仕事」を得たメキシコの労働者も、やっぱり「喜ぶ」ということです。
明白に、「収奪」されているにもかかわらず……
豊田社長の「オレたちは地域をつくる」という自負も、やっぱりこの「労働者たちが喜んでいる」という事実からくるのでしょう。
ホントの事実は、そこに「収奪」があるにもかかわらず。

もし、「収奪」がないとしたら……
トランプさんを支持した44%は生まれていない。
メキシコの労働者たちに、アメリカの労働者たちと同じ賃金を払う……
それでは、「会社として」は意味がない。

ということで、トランプさんは、きわめて難しいことをやろうとしているのがわかります。
メキシコに工場を造らせないということは、メキシコとか他の低賃金地帯を含む「貿易システム」を拒否することになる。
ということは……アメリカの国内だけで、ソレをつくらなくちゃならない。
じゃあ、どっから「収奪」するの?
会社のシステムとしては、それはほとんど不可能のように見えます。
どうするんだろう……

保護主義貿易は、裏をかえせば、「収奪システム」を世界に拡散させないという、実は、もしかしたら、倫理的には?きわめて立派なシステムなのかもしれません。

しかし……今まで鬼のように、悪魔のように、なりふりかまわず世界中をあさって、「より儲かるシステム」を構築してきた経済システム……
それを、根元から否定することにならないか……

豊田社長のように、収奪システムを、「オレたちは地域をつくる」と胸をはって言い換える人もいる。
実際……彼と、彼の祖先の「作品」であるこの「豊田地域」は、実に立派に仕上がってます。

去年、豊田市のお隣の知立(ちりゅう)の街を歩いたとき、「由布」でしたか……九州の地名を冠した飲み屋があった。
なんで「由布」なんだろう……
同行の人にきいてみると、かつて、集団就職で、この地域は、九州からくる人たちもけっこう多かったみたいです。
で、その人たちが、故郷を偲んで、故郷の名前の飲み屋をつくったりする……と、そこに、その地の人たちが集まる……
なるほど……この「豊田システム」は、こういう人たちによって支えられてきたんだ……
そう、思いました。

もう、この地域の人たちは、みんな豊かです。
かつて、集団就職でこの地にきて、何十年と勤めあげ、今は年金生活の人に話をきいた。
「今の自分があるのは、トヨタのおかげだ」
彼は、そう言いました。

そこに、なんらかの暗い色が混じっていたのか……
それはわかりませんが、少なくとも、感謝の気持ちは明白に示されていた。
「オレたちは地域を造る」
トヨタ社長の言葉が思い起こされました。

人生に失敗すると、家も故郷も失い、大都会を職を求めてさまようホームレスにならざるをえません。
そうか……自分は、そうならなかったし、定年退職後も一生が保証される。
たとえ自分の故郷ではなくても、トヨタのおかげで、自分は「人」になれた。
この地域の人々の、多くの思いかもしれません。

「収奪」は絶対あると思うんですね。今も。
でも……人は、トヨタに感謝する。

ふしぎだ……

44%は、まず救われないと思う。
彼らを含む「収奪システムの再構築」は、アメリカ国内限定では……それは、できっこないでしょう。

移民がどうのというけれど……
移民を受け入れる国は、単に「福祉」でやってるんじゃないでしょう。
「移民を含む収奪システム」を構築して、それで国をまわしてきた。

アメリカだって、さんざんそれをやってきた。
44%が錆ついちゃったからといって……
いまさら、国内だけで、「収奪システムの再構築」ができるんでしょうか……

ま、トランプさんは経済の専門家だから、私みたいな経済オンチにはとうてい理解も、誤解さえできないふしぎな経済システムを用意してるのかもしれませんが……

人間って、ふしぎな生き物ですね……

街を歩けない……/We can not walk in a town?

GPS_900
このままいくと、そういうことになるかもしれません。例の、ヘンなゲームのことですが……見えないマトリックスが世界全体にかかって……いや、もしかしたら、これまで見えなかったマトリックスが、このゲームによって「可視化」されたと考えてもいいのかも。

結局GPSなんでしょうね。これが今、世界をおおっている。しかしこのシステムは、アメリカの軍事衛星約30基によって構成されているといいます。スマホやカーナビに提供されている民生用は、軍事用のものの精度を落としてるんだとか……なので、アメリカに友好的な国にはよりよい精度のものが提供され、友好的でない国には精度の悪いものが提供されているという人もいます。

この、精度調整機能は、SA(Selective Availability)というそうで、民間向けのGPSデータに故意に誤差を加えるんだそうな……2000年以降、アメリカは、このSAの運用を止めたということで、まあ、公式には、そういう操作はしていないということらしいですが、どうなんだろう……

ホントのところはわかりませんが、アメリカの軍事衛星でできてるシステム……というのはやっぱりひっかかります。これって、実質上、アメリカが世界を握ってるということにならないのか……アメリカが、「イヤよ」といえば、もう船も航空機も自分の位置がわからなくなる。カーナビもスマホも、GPSを使った機能はすべてダウン……なんか、恐ろしいテロみたいだ……

あのヘンなゲームは、結局、スマホ片手に街をゆく「愚かな」人間さんの肉体を使って「GPSの世界支配」を可視化したもの……そういうことなんでしょうか。一人一人の人の肉体をGPSが乗っ取って情報収集……そういう人もいますが、たしかにそうなのかもしれません。

GPSがこんなにハバを効かせる前は、たとえば日本には「ロランC」というシステムがあって、日本近海の船舶は、みなこれで自分の位置を確認していたそうです。このシステムは、地上に建てられた数本のアンテナのセットからなり、このアンテナは、日本、韓国、ロシア、中国に設置されていて、各国が協力してシステム全体を運営していたそうです。

それが……GPSの登場によって、あっというまに置き換えられて……今では、結局「アメリカ軍」がすべてを統括している……なんでみんな、コレ、もっとモンダイにしないんでしょうね……米軍が「お前はオレのいうことを聞かねえから、GPS停止だ!」といえばまっくらになるのに……

ロランCについては、前に書きました。リンク

1700万円のアイスクリーム/This ice cream costs 170 thousand dollars.

鳥一社東_900
こんな夢を見ました。

パリの夜。にぎわいにつられて、ある店に入った。
そこは、高級アイスクリームの店だった。大人気で、店内は順番待ちになっている。

ようやく私の番がきて、通されたのは、一人の日本人女性との相席。
混んでるから相席もしかたないか……と思い、評判のアイスクリームを注文する。
もうじき奥さんもくることになっていたので、二人で食べようと思っていた。

まもなくアイスクリームが運ばれてくる。うわさにたがわず、とてもおいしそう。
ところが、そこに支配人風の男がやってきて、こう言った。

「お客さま、このアイスクリームは17万ドルですが、それでもお食べになりますか?」
彼は、当初フランス語で値段を言ったが、フランス語はわからないというと、英語で「17万ドル」と言い直したのである。

私は、一瞬、わからなくなった。
「つまり、170万円ってこと?」
「いいえ、1700万円でございます。」

「食べるよ。」
思わず、そう答えてしまった私。
その瞬間から、1700万円の借金を抱えることに。
ほどなく、妻がきた。

……………………

この夢は、なぜかリアルで、目が覚めてからも、「1700万の借金!どうしよう……」という思いがしばらく尾をひいた……

パリのテロのことが思い出された。

TVで、今回のテロで妻を亡くした男性の文章が紹介されていた。文章は、テロリストに呼びかけるかたちで、次のように書かれています(かなり重要な内容なので、全文を紹介します。なお、文中に「メルヴィル」とあるのは、劇場で射殺された彼の妻との間のこどもです)。

…………インターネットより、フランス語原文を日本語訳にした文章を引用…………

あなたたちは私に憎しみを抱かせることはできません。

13日の夜、あなたたちは特別な人の命を奪いました ―― 私が生涯をかけて愛する人であり、私の息子の母親です。 しかしあなたたちは私に憎しみを抱かせることはできません。私はあなたたちが何者かを知らないし、知りたいとも思いません。あなたたちは魂を失った人間です。彼のためには殺人をもいとわないほどにあなたたちが敬っている神が自分の姿に似せて人間を創造したのだとしたら、私の妻の体に打ち込まれた全ての銃弾は、彼の心を傷つけたでしょう。
私はあなたたちの願い通りに憎しみを抱いたりはしません。憎悪に怒りで応じれば、今のあなたたちのように無知の犠牲者になるだけです。あなたたちは私が恐れを抱き、同胞に不審な気持ちを持ち、安全に生きるために自由を失うことを望んでいる。あなたたちの負けです。
今朝、私は彼女に会いました。この数日、ずっと待ち望んでいた再会です。金曜日の夜に外出した時と同じように彼女は美しかった。12年前に私を夢中にさせた時と同じように美しかった。もちろん私は痛みに打ちのめされています。その点については、あなたたちは少しは勝利をおさめたのかもしれない。しかし痛みは長くは続きません。彼女はこれからも私たちと共に生き続けます。そして私達は再び自由に愛しあえる楽園で会えるのです。そこは、あなたたちが入れない場所です。
私と息子は二人きりですが世界中のすべての軍隊よりも強い。これ以上あなたたちのために使う時間はありません。メルヴィルが昼寝から目を覚ましたので、彼のところに行きます。彼は生後17カ月。普段通り食事をし、私と遊び、そして幸せで自由な人生を過ごすことで、あなたたちに勝利するでしょう。彼もあなたたちに憎しみ抱くことはありませんから。

…………掲載元:http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/18/husband-of-paris-attack-sends-message_n_8589032.html…………

私は、この文章に、共感できるところとできないところがあります。

共感できるのは、やっぱり突然奥さんを亡くした悲しみ……ですかね。あと、「彼のために殺人をもいとわないほどにあなたたちが敬っている神が自分の姿に似せて人間を創造したのだとしたら、私の妻の体に打ち込まれた全ての銃弾は、彼の心を傷つけたでしょう。」というところ。いかにもフランス人らしいもってまわった言い方ですが、ここは、キリスト教とイスラムの神が「同じ」である……つまり、彼らは同一の神をいただく「近い文明」であることがよくわかって興味深い。

で、共感できないところは……
「私はあなたたちが何者かを知らないし、知りたいとも思いません。」
「私はあなたたちの願い通りに憎しみを抱いたりはしません。憎悪に怒りで応じれば、今のあなたたちのように無知の犠牲者になるだけです。」
「彼女はこれからも私たちと共に生き続けます。そして私達は再び自由に愛しあえる楽園で会えるのです。そこは、あなたたちが入れない場所です。」

そして、結びの文章。
「私と息子は二人きりですが世界中のすべての軍隊よりも強い。これ以上あなたたちのために使う時間はありません。メルヴィルが昼寝から目を覚ましたので、彼のところに行きます。彼は生後17カ月。普段通り食事をし、私と遊び、そして幸せで自由な人生を過ごすことで、あたなたちに勝利することでしょう。彼もあなたたちに憎しみを抱くことはありませんから。」

こういう文章。フランス人、タカビーやなあ……と思います。こんなこと言っとるからやられるんや!なんていうとお叱りを受けるかもしれないけれど、率直にそう思う。パリのアイスクリームは、実際には1700万円ってことはないでしょうけど、でも……もしかしたらホントは「そうなのかもしれない」と思うとゾッとします。

文明の享楽……自由で楽しい生活……しかし、あなたがその生活を無意識に楽しんでいるその底に……はたしてどれだけの人々の、存在の、「終わることのないあえぎ」が積み重ねられているのか……この、妻を失ったフランス人男性の文章には、そこにたいする「毛ほどの気づき」もみられない。それって、基本的にアカンのでは……

アメリカの同時多発テロのときも、「罪もない人々が……」という言葉がよく使われた。でも、ホントに罪がないんですか? たくさんの、たくさんの人々のあえぎを踏みつけて達成されている「自由で楽しい生活」……そこに対する意識がまるで欠落した状態で、「あなたたちは私に憎しみを抱かせることはできません。」……よく言うなあ……

この問題は、「人間」の間の格差の問題はもとより、「人間」と「人間以外の存在」の格差の間にまで意識が行ってしまうと、もうどうしようもない膨大で悲惨な話になってきます。埴谷雄高氏の『死霊』は、そこを指摘しようとしていたけれど、結局相手がデカすぎて未完のままに作者はお亡くなりに……これはもう、ホントにどうしようもないのでせうか……

ネットでは、あらゆる画像をトリコロールにするのがはやっていて、ソレに対する賛否両論が渦まいているといいます。共感する人、反発を覚える人……しかし、実際には、トリコロールの「自由」には、その底に「ものすごい悲惨」が積み重ねられているのは、それは確かなことでしょう。人類は、どういう「選択」をするんだろうか……それとも、選択は、すでに「終わっている」のでしょうか……

世界標準?/A global standard?

世界標準_600
TPP、妥結しましたね。オバマさんはけっこう正直で、「中国みたいな国に、世界標準を取らせるわけにはいかないから……」みたいなことをおっしゃってましたが、やっぱりホンネはそのあたりなのかな?

これで思い出すのが、先に日本の国会を「通った」(というか、ムリヤリ通ったことにした)日米新安保、日米同盟ですが、これで、日本は、軍事においてもアメリカを「世界標準」と認めて、みずから米軍の傭兵になります、と……

世界標準……この問題は、先頃のフォルクスワーゲンの大失態もそんな感じ。未来のクルマは、なにが「世界標準」になるかの争い……どんな分野でも、「21世紀の世界標準」に向けて、熾烈な争いがくりひろげられている……

オリンピックも、今話題のノーベル賞もそう。運動(身体)も頭脳も、みんな「世界標準」を目指してがんばる。0.001秒で「オレが世界標準」なんて、冷静に考えればバカな話……と思いますが、やっぱりみんな熱くなる。

ISOみたいな、モロに世界標準でござい!というのもある。言語では、もうとっくにアメリカ英語が世界標準。で、それをもとにしたインターネットもアメリカ。私みたいに英語がわからない人にとっては、疎外感が大きい。

この問題、実は、深刻です。自分が「世界標準」になれてるかどうか……それは、新しい「分類」であって、世界標準に入っていない人は「無意味」の烙印を押されてしまう。入れた人はいばる。で、入ってない人を見下す。

『ヨハネの黙示録』に、そんな箇所がありました(以下引用 13章14-18)。

『さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。

それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。』(引用おわり)

この「黙示録の獣」については、さまざまな説があるようですが(皇帝ネロだとかバーコードだとか)、私は、この獣は、なにか特定の存在というよりは、人の考え方みたいなものをうまく表わしてるなあ……と思います。

TPPに戻ると、これはもう、世界のいろんなところにある、独自の「生産方式」を認めませんよ、と言ってるようなもので、食糧でもクルマでも、その他さまざまなモノが、すべて「世界標準」にもっていかれる。

まあ、別に、イヤならいいですよ……ということでしょうか。ただし、「輸出」がからんでくると門がピシャリと閉まる。国内であっても、その先にいろんな形で「輸出」が見えてくると、結局嫌われて締め出される。

モノの生産ばっかりじゃなくて、保険制度や特許など、無形のものもそうなる。日本でも、貧しい人々は、アメリカみたいに国民健康保険に入れなくなるのかも。中国の保険制度はどうなってるのかわかりませんが、どっちがマシかな?

先に、蔦屋が公共図書館の運営を任されて、役に立たない古本を買い集めて問題になりましたが、文化でもそうなるんでしょう。スポーツは、オリンピックでとっくにそうなってるし……この「世界標準」って、どこまで続くの?

なんか、極端なことを言ってるなあ……と思われるかもしれませんが、たとえば、オリンピックで、イスラム国が出場する!ということになれば、それはそれで意義があると思います(ますます極端でしょうか……)

まあ、イスラム国が、今のオリンピックに「オレたちも参加するぜ!」というとはとうてい思えませんが、もし言ってきたとしても、「あんたがたダメよ。世界標準じゃないからね」ということなんでしょう。

日本も昔、これで閉めだされましたね。「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」とか、あれは結局、欧米基準にかわる新たな「世界標準」を形成しようとするモクロミと解するのがわかりやすいのかなと思いますが……

欧米列強にみごとに「拒否」されてしまいました。まあ、ドイツもやっぱり閉めだされた側だったんですが……そこへいくと、今の中国って、やっぱり巧みだなあと思います。まず経済で「侵略」して、身動きとれなくしてから……

「ボーイング300機買うぜ!」と言われると、アメリカもやっぱり「マイドおおきに!」といわざるをえない。世界標準はまず経済侵略から……日本も、世界ではやっぱりそう思われているのかもしれませんが……

世界標準と地域性のことを考えてみると、これから先、世界中で、地域性、固有性がどんどん潰されていく……そして、世界が「一色に」塗り替えられていく……それはもう、とめられない傾向であると思います。

そうした場合に、この「地球」は、どうやって「抵抗」するのでしょうか。「その地」を守る人々が、心の底から骨ヌキにされて、われもわれもと「世界標準」になびいていくとき、「地」の抵抗は、「自然現象」となって出現する。

CO2とかPMとか放射能とか……いろいろ言われていますが、地球、大地、空気と水に負荷をかけすぎると、そこは自然に抵抗する。別に大地がそう思っているわけではないでしょうが、キャパシティ以上のものが乗っかると……

バランスが崩れて、当然すべての崩壊がはじまる。よく言われることですが、災害の起こりそうなところに家を建てる、街をつくるからえらいことになるんだと……でも、「世界標準」は、そういう「住み方」を人に強いる。

いなかでも、昔からの家は、できるだけ自然をうまく利用しつつ、災害のあったときに難の少ない場所を選んで建てられている。しかし、それでは、「世界標準」の押し寄せる力にもはや抵抗することができない……

ということで、家も街も、生産現場も、みな、「地の法則」を無視した世界標準の経済原則によって形成される……で、いったん「コト」が起こると脆くも大崩壊。システム全体が崩壊するので、災厄の規模もデカくなる。

今、政府、ABくんのとろうとしている方向を見ると、それは、「世界標準で勝つ」ということに全勢力を傾けよ!と、そう国民に指示し、かつ強制する……そうなっているように思います。経済も軍事も、そして文化さえも。

地の独自性……そういうものは、AB政府にとっては「克服さるべきガン細胞」にすぎないのでしょう。「1億」を一つの色に染めて「世界標準」を勝ち取ろう……そういうふうに言ってるように思います。落伍者は消えてね……と。

なぜこんなふうになるんだろう……ハイデガーは、「世界内存在」ということを言った。イン=デア=ヴェルト=ザイン。これは、人は、「世界」というものに、どうしようもなく根源的に結ばれている存在なんだ……ということ。

しかし、私は、たぶんこれでは甘かったんじゃないかと思うのです。人は、イン=デア=エルデ=ザイン、つまり「地球内存在」、あるいは「大地内存在」であるというべきでしょう。「地」との強烈な結びつき……

「世界」というとき、そこにはやはり、どうしても抽象的なものが漂う。ハイデガーの意図がどこにあったか……それは、私にはわかりませんが、彼が、一時ではあれ、ナチスに深く加担した……そこにヒントがあるようにも思う。

ドイツという国は、ヨーロッパでありながら、「中心」からはちょっと外れているようにも感じます。じゃあ「中心」ってどこなのよ?と聞かれると困るんですが、少なくとも、「辺境」というか、ハズレ感覚って、あるんじゃないか……

要するに、自分たちが「世界標準」を取れていないって感覚ですね。これは、日本もそうだったと思うし、今もそうだと思います。イスラム国なんかは強烈にそう。「世界」を目指す。世界征服……少年マンガの悪役の夢……

単純といえば単純ですが、必ずそうなる。世界標準の悪夢です。第二次大戦でナチスに追われてアメリカに亡命したトーマス・マンは、『ファウストゥス博士の成立』で、ナチスのドイツ人は、本当のドイツ人ではない!と語る。

彼は、ナチスへの憎悪をこめて、ホントのドイツ人は、あんなふうにはならない!と言ってます。彼の、この感覚はわかるなあ……太平洋戦争のときの日本の右翼も、アレは結局ニセモノで、ホントの日本人は違うんだと……

しかしではナゼ、「国をあげて」そうなっちゃったのか……日本もドイツも。ホントの日本人じゃない、ニセのドイツ人だ……と言っても、あのときは、かなりの日本人が、ドイツ人が、「心から」そういう「ニセモノ」になった。

今、サッカーやラグビーやテニスで、「ナントカジャパン」とか言って熱狂してる人たちを見ると、結局そうなんだなあ……と思います。ABくんは、スポーツだけじゃなくて文化面でもそれを利用して煽りたててるし……

ノーベル賞とかも、うまく利用されている。イスラム国にノーベル平和賞を!という人が一人でもいたら、ふーん、ノーベル賞もけっこう信用できるかもね……とも思いますが、まずそうはならんでしょうし……

まあ、イグノーベル賞に「平和賞」があったら、イスラム国の受賞は固いところでしょうが、もしそういうものがあったらまっさきにABサンにあげたい気もします……いや、彼は、「積極平和賞」でしたっけ……

ということで、「世界標準」をめざす各分野の競争は、これからますます加熱していきそうですが……そういうものにカンケイのない私などは、地の力を感じつつ、これからもここで、うずくまって暮らしていく。

そうなると思います。地の力……ホントは、世界って、そういうふうにあるのではないだろうか……世界標準をめぐる戦いが、白熱のあげく昇華されて無意味なものになってしまったとき、人は「地の力」を知る……

どんどん、どろどろ……地の底から、ぶきみな太鼓の音がきこえてきます。それは、大地を、大気を振動させ、「世界」を変えていく……ザイン=イン=デア=エルデ。それを知るとき、人は、本当に「世界」を知る……かも。

世界標準2500
今日の写真は、名古屋市千種区の今池という歓楽街の路上で見つけた模様です。この街は夜の街で、昼間はしらっと、すべてがどこ吹く風といった風情で存在していますが……今をときめくY組のナントカ会の事務所もある?

以前、この街の近くに住んでいました。いろんな人が行き交って、ときに熱く、また冷たく、右往左往しながら秋の空にふと視線をやると、そこは無限の宇宙空間に連なる空洞の底……だれかがじっと見ている。神、でしょうか……

神の視線、だったら、「世界標準」といってもいいのかな? でも、人の視線は、けっして「世界標準」にはなりえない。人は、大地の子。大地からつくられ、大地に還る。そんなアタリマエのことを、年齢によって再発見するのもまた楽し?

殺す倫理/Killer’s Ethics

紀州犬射殺_600
人を噛んだ紀州犬が、3人の警官に射殺されました。13発の銃弾を受けて……というか、外れが多かったみたいですが、一発が頭部に命中して絶命。なんまんだぶ……なんか、かわいそうですね。TVの写真でみるかぎり、そんなに凶暴そうでもなく、フツーのわんちゃんなんですが……飼い主の飼い方にモンダイがあったようなこともいってましたが、どうなんでしょうか。

ベランダで飼ってて、あんまり散歩もさせてなくてストレスがたまってたとか……警官は、飼い主に、「撃ちますよ」と言い、飼い主が了承したので発砲したと言ってた。なるほど……犬は「器物」なので、持ち主(飼い主)が「壊していいよ」といえばピストルで撃って破壊してもOK。「殺し」じゃなくて、たんに「駆除」なんですね。ハエをハエ叩きでポンとやるのと同じ。ただ規模が大きいだけ。

じゃあ、相手が人間だったら……たとえば、どっかの会社で、社長がOKといえば、警官は社員を撃ち殺せるのか……いや、これはダメでしょう。社員は社長の「持ち物」じゃないし……というか、「人間」だから……でも、相手が人間でも、ポンポン撃つ場合もある。どんな場合だろうか……凶悪犯罪者で、銃とか持ってる……あるいは、戦争で、相手は敵の兵士だ……そんな場合かな。

これ、「自衛権」に深くかかわってくると思うのですが、今回も、犬が複数の人を噛み、さらに警官にも襲ってきた。だから撃った。警官が自分自身を守るためもあるけど、もっと人を噛んで被害が広がらないように……つまり、「人間の仲間」を守るために撃った。そういうことになります。この理論が「戦争」にも適用される。敵の襲撃に対して、自分と仲間を守るために……

撃つ。殺してもいい。というか、たくさん殺せば殺すほど、「英雄」として讃えられる。太平洋戦争のときの米軍将校のカーチス・ルメイさんなんか、何十万の日本人を焼夷弾で焼き殺した功績を讃えられて?日本政府から勲章をもらってます……んー、どー考えてもヘンな話だなあ……これって。じゃあ、アメリカから勲章はいいの?となると、それも、よーく考えれば(というか考えなくても)ヘンです。

lemay
殺しまくった人が、その功績を讃えられて叙勲される……これは、そこで働く「倫理感」がやっぱり狂ってるんだと思う。どうでしょうか……「アイツをほっとくと、オレたちに危害を加えるから、殺す!」これ、「倫理感」と呼べるのだろうか……今、ABくんたちが推進しようとしていることのベースには、この「狂った倫理感」がありますが、これって、もしかしたらけっこう重篤な病気なのでは……

「存立に明白な危機」とか言ってますが、それって、「犬が噛むかもしれんから殺す!」と、どこがどう違うんだろうか……じゃあキミは「自衛」まで否定するのか? という声がきこえてきそうですが、たしかに私も、蚊がプーンときたらパチン!とやります。で、潰れた蚊を「なんまんだぶ」と唱えてゴミ箱へ……これを否定すると、果てはジャイナ教になる。虫を吸いこむかもしれないから息を止める→自分が死ぬ。

人間の倫理は、たぶんここを越えないといけないのでしょう。じゃあ、どうやって? ということなんですが、昔、埴谷雄高さんの『死霊』という小説を読んだときに、キリストが、釈迦が、「死者の国」で、自分が食ったものに責められるという話がありました。キリストは、ガリラヤ湖の魚から、釈迦はチーナカ豆から、それぞれ、「オレを食っただろう!」と厳しく断罪される。

聖書では、キリストが、弟子たちに命じて、ガリラヤ湖に網を投げさせ、魚をとらせて、弟子たちとともに焼いて食べるシーンがあるそうで。また、釈迦は、チーナカ豆のカレーを食べて、それが元で食中毒で入滅……なので、この二つの食べ物は、「聖者を弾劾できる権利」を持つ象徴的な存在として、この小説『死霊』に登場するわけです。このことは、前にも書いたように思いますが……

当時、この場面を読んだ私は、なるほど……と思いつつも、この「論理」を完全に受けいれることはできませんでした。「いくら立派な教えを垂れても、オマエは私を食った。その一点で、オマエは鬼なのだ!」と、こういうことになって、これはこれで、まちがっていない。たしかに、いくら立派な人でもモノを食べる。ということは、その食べられたモノにとっては、その人物は、鬼、悪魔にほかならない。

キリスト教の人にきくと、「牛や豚は、神様が、人間の食物としてつくってくださったのだから、食べてもいいのです」という……なんと勝手な!そんな神様は、人間の神であっても、牛や豚の神ではない。むしろ、彼らにとっては悪魔です。これと同じ論理が、「紀州犬13発射殺事件」にもいえる。射殺相手が犬だから……犬の神は、たぶん、今のところは人間の神より弱いから、モンダイにならない……

でも、犬の神が、人の神より強くなったら、射殺した警官は、犬の神によって断罪されるだろう……なにをアホなことを……と思われるかもしれませんが、戦争は、昔は、人と人の戦いである以上に、神と神の戦いであったとききます。まあ、今も、キリスト教とイスラム教の戦いは、神と神の戦いであるともいえるのですが……先の、日本人大量虐殺犯のルメイさんは、日本人をたくさん殺したことについて……

「アメリカが勝ったから戦争犯罪人にならなかったけど、もし負けてたら、ボクは、戦争犯罪人になってただろう」とおっしゃったとか。なるほど……よくわかってらっしゃいます。人間の倫理感って、まあ、こんなもんなんですね。すべては「相対的」なのか……とすると、それって、「倫理」といえるんでしょうか。ホントの倫理は、どんな所でも、どんな時でも、通じるものでなきゃイカンのでは……

この点について、私は、最近、本田哲郎という方の『聖書を発見する』という本を読んで、感じるところがおおいにありました。本田さんは、カトリックのフランシスコ会の司祭で、ローマ教皇庁立聖書研究所を卒業、聖書をヘブライ語とギリシア語の原典から厳密に研究する聖書学者でもあります。しかし一方、みずから大阪の釜ヶ崎の2畳のアパートに暮らし、日雇い労働者と生活をともにする「実践の人」でもある。

私が本田さんの本でとくに感じたのは、聖書全体が、「小さくされた人」のために書かれた書であるという彼の主張です。「小さくされた」というのは本田さん特有の用語で、ふつうの聖書だと、「貧しきもの」(原語はプトーコイ)とか、そういうふうに訳している箇所を、本田さんは、「小さくされた」と訳す。これは、そういう目にあっている人の実感にいちばん近い。たしかに「小さく」されてるんですね……

でかい人によって。まあ、普通の言葉でいえば「抑圧」とか「弾圧」ということだけれど、そこにはすぐに政治的な意味が入りこんで、政治家に利用される。本田さんの感覚は、政治とかいっさい関係なくて、人と人が会ったときに、どっちかが「でかくされて」いて、他方は「小さくされて」いる、という、これ、ホントの実感の言葉です。で、釜ヶ崎の労働者は、「いちばん小さく」されている。

キリスト教の方々は、よくホームレスの炊き出しとか行いますが、本田さんによると、彼らは「わかっちゃいない」ということだそうです。「いいこと」をしたという気分でいるが、キリストは、いったい「どちらにいる」のか……本田さんは、まちがいなく、炊き出しを待っている労働者の側にいる!と言い切ります。炊き出しの列に並んで、自分の番まで鍋が持つかなあ……と不安がっている労働者……

彼こそが、まさにキリストなんだ!……聖書は、一貫して、こういう「小さくされた」立場の人たちに寄り添って書かれている……イエスが生きていた当時は、魚の命を取る漁師は、社会的にもいちばん軽蔑された最低身分の人々であった。イエスの弟子には漁師が多い。他にも、取税人とか娼婦とか……当時の社会でもっとも「小さくされて」いた人々が、イエスの弟子となった。

そして、イエス自身もそうであったといいます。イエスは「大工のせがれ」といいますが、本田さんによると、聖書では、イエスの父、ヨセフに対して「テクトーン」という言葉を使っているが、これは、ギリシア語の元の意味だと「大工」ではなくて「切る、掘る、削る」という作業工程を表わす言葉であり、「石切り」と訳すのがいちばん適切ではないかと……これに対して家を建てる大工は「オイコドモス」。

つまり、「建築家」と訳せる言葉を、聖書はきちんと使っているというのです(隅のかしら石の箇所)。したがって、イエス自身も、大工ではなく、下働きの石切りの子であり、当時の社会では最下層の民の出であった。しかも、母マリアは、今でこそ「聖処女懐妊」ですが、当時はまさに不義密通の女で、その子がイエス……社会通念としては、石打ちの刑にあってもふしぎはない、罪人の子であった……

テクトーンとオイコドモス_600
なるほど……と思いました。埴谷さんは、ガリラヤ湖の魚を食べたイエスは、魚から断罪されて当然だと書く……しかし、その魚を穫るのは漁師……今、われわれの社会で、そういう「生き物を殺さなければならない仕事」が、社会的に蔑視されるという風潮は、少なくとも表向きにはなくなっています(というか、なくなったことにしなければならなくなっています)。しかし実際はどうなのか……

犬を撃たなければならなかったおまわりさんたち……これと同じで、戦場で人を殺さなければならない兵隊さんたち……これを、どう考えればいいのでしょうか。ABくんは、「徴兵は、憲法で禁じている苦役にあたるから、絶対ない」と言ってます。まあ、憲法をないがしろにしまくってる人にこう言われてもなあ……というのもありますが、しかし「経済徴兵」。これは、絶対そうなるでしょう。

自民党の方々は、「今の自衛隊は、練度が高い。そんな、徴兵されたシロウトに勤まるもんじゃない」なんて言ってます。しかし……練度が高い兵隊さん以外にも、「捨て駒の歩兵」って、やっぱり要るんじゃないですか?? 人間じゃなく、ハイテク兵器が戦うのがこれからの戦争だ!ともおっしゃる……しかし……前線に高価なハイテク兵器を送るより、奨学金という借金を背負った学生あがりを使い棄てる方が……

はるかに安くつく!という地獄のようなことを、政治家や経済人は考えませんか? 練度の不足は、今はやりの「ウェアラブル端末」で補わせられ……もっとひどいと、「埋めこみ端末」で、こういう奨学金地獄の若者たちは、サイボーグ兵士にされてしまう……いや、強制じゃないですよ。あくまで表向きは。それがイヤなら、何百万の奨学金を返してちょうだいね。どっちでもご自由に……

今、ABくんたちがガンガン進めている「新安保」と「2極化」の果ては、こうなると思います。地獄のような奨学金を背負った若者たちは、どんどん「小さく」される。射殺された紀州犬は、やっぱりあの場面では「いちばん小さくされた」ものだったけれど、拳銃を発射して犬を撃ち殺さなければならなかったおまわりさんたちも、やっぱり「小さくされた」ものだったのでは……

人は、どんな場面でも、自分が「小さくされる」ということに対して、一種耐えられない反発感があるものだと思います。これは連鎖であって、どんな人でも、自分より小さな存在と、大きな存在を持つ。すべての人が、存在が、「同じおおきさ」……それが理想だと思うけれど、そういう瞬間は、やっぱりマレなのかもしれません。でも、そういうシーンもゼロではない……それは、ホントの友人、仲間関係。

もしかしたら、ホントの倫理感って、そこにしかないのかも。みんなが楽しく心を開いて、うちとけて……それは、たしかにあると思います。でも、今の社会は、どこへ行っても、どこまで行っても、けっこう難しい。なにが「公平な倫理感」をつくりだしているのでしょうか……ハイデガーさんは、実存カテゴリーということをおっしゃる。エクジステンツィアーレでしたっけ……

人は、本を「ドミノ」に使ってしまう(リンク)。ドミノに使われた本は、その本来の「存在」を失って、無限に並べられた(ゲシュテル)系列のうちの一コマにすぎなくされてしまう。「自分はデカイ」と思っていても、結局その「本のドミノ」の系列にすぎないことにはかわりない。ダレもアンタを、「アンタ自身」として大事に思ってるんじゃないよ、「役に立つ」から大事にしてるだけなんだ……

こういう見方をすれば、ABくんも、サイボーグ化された奨学金地獄経済徴兵トゥルーパーも、射殺された紀州犬も、射殺したおまわりさんも、まったくかわりはありません。みなそれぞれ地獄……オソロシイ。ホントの倫理感って、こういう「系列」にまったくカンケイないところにしかないんじゃないかな……未来の地球が、「すべての存在」にとって、そういう「楽しい世界」になるといいと思うのですが……

沖縄の心(知事と国の攻防を見て)/Mind of Okinawa

沖縄には、なんども行った。遊びに行ったことは一度もないけれど……いろんなところを見せてもらいました。

沖縄の海は青い。しかし、それは、悲しみの青だ。

自分たちが生まれて育った場所が、自分たちのものではない……しかし、実は、日本全土がそう。

戦争に負けるというのは、こういうことなのか……70年が過ぎても、アメリカにはさからえない。

政府は、自国民を向いていない。向いているのは、戦いに勝ったアメリカ。

沖縄で起きたことは、日本国内のどこでも起きる。

自分たちのところでそれが起きたとき……福島のように、はじめてそれがわかる。

日本は、自由な国なのか……これからそれが、だれの身にも起こるだろう。

日本はばらばらになり、漂流をはじめている。しかし、切実に感じている人はまだ少ない。

もうじき花見。人は、束の間の開放感を味わえる場所をさがすのだろうか……

黒い水が、あふれようとしている……

大名古屋ビルヂング_600
*写真は、この間、野外活動研究会の人たちと歩いた名古屋駅前。大名古屋ビルヂングの建替え工事。リニアねらいで、名古屋駅周辺の東京化が加速されています。人は、別の街に暮らし、別の人になる。そんなに金が欲しいのだろうか……人は、なんのために生きるのだろうか。「文明のおろかさ」というのはカンタンだけれど、それではなにも解決しない気がする。自由でありたいという錯覚。「幻想」は堅固なかたちをまとって、人の上を覆う。「死」しか、それから逃れるすべのないところへ自分自身を追いこむ。まことにばかげていると思うけれど……

19世紀の終わりのはじまり/The end of the 19th century is began.

観覧車_900
最近、ヨーロッパが危険です。というか、ヨーロッパと、そこから派生した?アメリカが揺れている……年始のTV番組で、今年いちばん危ないのはヨーロッパであるとおっしゃってた専門家がおられましたが、今の様相を見ていると、どうもそれがアタリそうな……と思っていると、「19世紀の終わりのはじまり」という言葉が浮かんできました。

前に、このブログで、「拡大版19世紀」というテーマで記事を書きましたが……要するに、19世紀のはじまりを、1750年、すなわち、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの死の年とし、その終わりは20世紀の半ば……1960年頃としたら……というアイデアなんですが……実は、19世紀に提出された課題はまだ未解決で、20世紀をすぎ、21世紀になってももちこされている……と。

そんなふうなことを書いた覚えがありますが、昨今の欧米の状況をいろんな報道で聴くにつれ、なんか、ようやく「19世紀の終わり」が始まった……という感がいたします。現代版の民主主義、共和制、資本主義、共産主義、そして高度に発達した工業化社会……まあ、なんでもいいんですが、そういった、「拡大版19世紀」に出そろったすべてのものに、ようやく崩壊の兆しが見えてきた……と。

19¢‹I‚Æ‚¢‚¤•aE”N•
この間のフランスの新聞社の襲撃事件は、フランスの人たちだけでなく、広く欧米社会(日本も含めて?)にショックを与えたみたいですが……「言論の自由が冒された」云々……そりゃ、たしかにそうかもしれませんが、しかし、では、「人のだいじにしているもの」を茶化して、それを大々的にメディアに載せるってどうなのよ……というふうに思う人も少なくないと思う。

私もその一人なんですが……先の、北朝鮮を茶化したアメリカの映画といい、私は、そこに共通して「19世紀勝ち組の無意識のゴーマン」を感じてならないのですが……そりゃ、たしかに、民主主義と、それに基づく「言論の自由」とか、わかりますけど、それをいう人々のベースってなによ? というと、それは、19世紀(拡大版)の荒技で勝ち得たもの……

成り上がりの貴族化といいましょうか……荒っぽくかせいで「支配」のベースをつくれば、上層はしだいに澄んできて、ノーブルな様相を呈しはじめる……もう、自分たちには「なんの罪もない」と思うことさえできる……しかし、やっぱり地球は「全体として一つ」なのだから、自分たちの足下に、「他者」をくみしいて、そこから搾り、圧迫していることにはかわりはない……

フツーにいって、他の人のだいじにしているものはちゃんと尊重しなきゃダメでしょ?って話じゃないかと思います。預言者ムハンマドさんは、イスラム世界では、神の言葉を預かる最後の人……私はイスラム教徒じゃないから、彼に対して崇めたてまつる……みたいな感情は持たないけれど、でも、彼のことを大切に思っている人の気持ちはきちんと尊重したいと思う。

北朝鮮においてもやっぱり基本は同じではないでしょうか。私たちの目からみれば珍妙な独裁者かもしれないけれど、でも、彼のことを大切に思っている人もたくさんいるわけだから……たとえば、日本の天皇を外国の人が茶化したら、今の日本人の大部分はやっぱり悲しくなるんではないでしょうか……私も、当然そう感じるし……だからといって「天皇崇拝」ではないけれど……

茶化して、殺された……これが、フランスで起きたことであって、それを「言論の自由」というのであれば、無意識に他人のだいじに思っているものを茶化せるだけの「見えないベース」の上に自分たちがのっかっている……そのすべてをきちんと自己批判した上で「言論の自由」といいなさいよ……と。そして、その「見えないベース」が、実は、やっかいな「19世紀」なんじゃないかと思います。

そういう意味で、これは、「19世紀批判」ととらえるべき現象ではないかと私は思うのですが……これからは、世界中で、この「19世紀批判」が起こってくると思います。それは、政治の世界にとどまらず、経済や文化や芸術に至るまで、徹底的に「19世紀のゴーマン」があばかれて、その基底部分まで根こそぎ批判される時代……そして、「19世紀」そのものが荒技だったように……

その批判も、ラジカルな荒技にならざるをえないのでしょう……人類の文明は、とにかくここを通りすぎないと、絶対に「次のステージ」には行けないのではないか……これは、ヘタをすれば人類どころか、他の生命に至るまで、それこそ「絶滅」に近いような、徹底的な影響力を持ってくると思いますが……しかし、もう、ここまで来た以上、先に進むしかない。

で、その進行は、もう開始されている……19世紀の終わりのはじまり……さて、どんなふうになっていくのでしょうか……恐怖感は大きいのですが、やっぱりゴーマンは打ち崩されねばならないし、その過程で起こる大混乱も引き受けなければならない。そういうものをすべて通過した先に、これからをちゃんと開いていく「新しい価値」が生まれてくるのではないかと思います。

今日の写真は、お正月の2日に、名古屋市能楽堂で新春謡いぞめを見ての帰り道、猿投グリーンロードから撮った万博記念公園の観覧車。愛知万博が終わったあとも、この巨大観覧車は取壊しをまぬがれたのですが、ふだんはまったく運転していません。しかし、この日は、久しぶりに動いていました。グリーンのライトアップが夜空に染みて、気持ちがなぜかひきこまれます……

愛知万博は一応、国際博ということだったらしいですが、出かけるのは近所の人ばかりというローカルな……私は行きませんでしたが、通し券を買って週に何回も通ってた人もいるらしい……万博とオリンピック。この2つは、みごとに「19世紀の遺物」だと思います。しかし、開催されると、私みたいなまったくカンケイのない人間でも、多少とも心躍る気分に感染する……

たぶん、こういうとこらへんが、「19世紀の無意識の厚いベース」なんだろうと思います。日本は欧米ではないけれど、政治体制から経済や社会の仕組み、そして文化や芸術に至るまで、どっぷりと「欧米19世紀無意識ベース」に浸されている。自分の中にも色濃くある「19世紀」は、これから徹底的な批判を受けることになるのだと思います。まあでも、自分の有機的肉体年齢といい勝負……って感じもしますが。

これから……若い人は、タイヘンだなあ……と。それと、「拡大版19世紀図表」は、昔の記事(19世紀という病・1)に載せた図表の再掲です(部分的に更新しています)。元ブログは、2014年の1月30 日に投稿したものですが、興味のある方はごらんください。
https://soraebito.wordpress.com/2014/01/30/今日の-essay:19世紀という病・1/

「駆除」の思想_02/The Exterminator_02

ハリソン・フォードC

なぜ、「駆除」になってしまうのか……それは、相手と心が通じていないから……映画『エンダーのゲーム』では、これがいちばん言いたかったことなのかもしれません。この映画の詳細は、ネタばれになるといけないのでふせますが……この映画は、アメリカの「病」の部分……これまで「世界のポリス」として、世界中に「力」を押しつけてきたアメリカのかかえる「心の痛み」……それを、なんとか描こうとしたもののように、私にはみえました。

いや、「アメリカの心の痛み」というよりは、アメリカという国に暮らす人の、一人一人の心の痛みといったらいいのか……最近、広島に原爆を投下したB29の搭乗員の方の最後の一人がお亡くなりになったというニュースが流れましたが、この方は、死ぬまで「原爆投下」の正当性を主張し続けておられたそうです。なるほど……「これまでのアメリカ」はそんな風でした。しかし、もう、多くの人の心が、それではもたなくなってきたのかもしれない……この映画を見ていると、そんな風に感じます。

エノラ・ゲイ号の場合は、自分自身も敵地の上空まで飛んでいって原爆を落とした。当然、少ないながらも、自分自身が撃墜される可能性もゼロではないわけです。しかし……もう、何十年も前から、原爆も水爆も、スイッチ一つで発射できる……ロボット機による攻撃なんかも発達して、カメラの映像を見ながらゲーム感覚で……これが、『エンダーのゲーム』の一つの主題にもなっていたわけですが……自分が危険にさらされることなく相手を抹消できる……これが嵩じてくると、やっぱりするりと「駆除」の思想に至るのかも……

高みから……すべてを見て、要らないものは取り除き、要るものだけを伸ばす……これが、「駆除の思想」の原点かなと思います。相手と自分は?……そんなもん、同列であるわけないじゃん! と、こう叫ぶ。(あるいは静かにのたまう)……もし、相手と自分が「同じ場」にいるとしったら、それは「駆除」にはなりません。われわれの時代は、ますます「同じ場」にいる実感が薄れてきている……いろんなことが「専門化」して、人のつくったもので「駆除」を行う……どこで、だれが、どんなふうにしてつくったのかわからないものを使って……

「駆除の思想」はまた、「支配の思想」にもつながる。私は、ハチの巣を確実に「駆除」したいと思って、家にあるのより数倍強力(そうな)マグナムなんとかという商標のついた殺虫剤を買ってきました。しかし、その殺虫剤のことは、ほとんどわかりません。どこで、だれが、どんなふうにつくったのか……ただ「マグナムなんとか」という「強力そうな」商標名が、私の心を支配した……自分は、より確実にハチの巣を「駆除」したいと思ってるだけなんですが、それが、その殺虫剤(の商標名)にこころを「支配」されることを、自分でも気がつかないままに許してしまっている……

人の世って、こんなことばっかりですね。私が今使っているパソコンでも、ソフトでも、その仕組みとか細かいことはまったくわからない。だれが、どこで、ナニを考えながらつくったものか……そのあたりがまったくわからないままに、使い方にさえ馴れてくれば、「使いこなしている」と思う……しかし、実は、それが「支配」されてることに気づかない……パソコンやソフトがうまく働いてくれなくなったときに、その「支配」はくっきりとそのかたちを現わし……そういえば、最近、使ってるスマホが壊れてタイヘンな目にあいました。「リンゴの支配」をまざまざと感じた……

「駆除」と「支配」はいつもセットになって現われる……で、その逆が、「平等」と「自由」……これに「博愛」を加えれば、これはもうみごとにトリコロール(フランス国旗の三原色)……アメリカは、フランスからこの考え方を「直輸入」したはずなのに……いつのまにか、「駆除」と「支配」に染まってしまった……「博愛」は「恐怖」になったのか、「憎悪」になってしまったのか……『エンダーのゲーム』は、こんなアメリカの現状に、さすがにこれはいかんだろうと……

こういう視点でこの映画を見てみると、いろいろ細かい部分も見えてきます。なぜ、「自由」と「平等」が失われて「駆除」と「支配」になっていったのか……もう遅すぎるのかもしれませんが、どこかで「転回」できるのか……だとしたら、それは、どうやって……少なくとも、「駆除」を考えてみるということは必要じゃないかと思います。「自分らに危害を加える」→「はい、駆除しましょう」となる、→のところに、なにかを置いて意味を考える……それは、もしかしたら、自分たち自身を守るためにもだいじなことなのかもしれません。

なぜなら……駆除するものは駆除され、支配するものは支配されるから。そしてそこには、「博愛」などカケラも生ずる余地はない。自分たちに危害を加えてくるものを放置したり、許したり……さすがにそれはできない……のかもしれません。私も、結局ハチの巣を「駆除」してしまいました。だけど……あの台風の日に、みんなで必死になって巣を守っているアシナガバチの姿は、今も目に浮かびます。たぶんその瞬間、私の心は「自由」になれたのではないか……そんな気がします。結果は同じことになっても、やっぱりあの瞬間はだいじだったと思う。

人は、どうやったら「自由」になれるのか……そのヒントが、そこにあるような気がしました。

お茶目新聞_11:尖閣沈没、領土問題解消。

御茶目新聞C_11_940

御茶目新聞_11 
2014年(平成26年)6月10日(火曜日) 
万邦御茶目新聞社 名古屋市中区本丸1の1 The Ochame Times
2014.JUNE.10(TUESDAY)
今日のギモン ★もともとダレのもんだったんだろう?
 
尖閣沈没、領土問題解消。
神の恵みか?戦争回避へ

東シナ海の尖閣諸島が、一夜のうちに海中に沈み、海面上の陸地はすべて消失した。争いの対象となっていた島がなくなったことにより、日中両国の間の尖閣をめぐる領土問題は、解消されることとなった。
尖閣諸島の急激な沈没の原因は不明だが、沈没が尖閣諸島に限定されているところから、巷では、これは、両国の争いをみかねた神様が、沈めてくださったのではないかという噂もささやかれている。ともかく、紛争の原因そのものが消滅したことによって、不測の事態が戦争へと発展する危険性がなくなったばかりか、日中両国の間には、これを機会に、これまでのわだかまりを捨てて仲良くしようという気運が高まりつつある。この友好ムードを受けて、安倍首相と習近平国家主席は、かつて尖閣諸島があった海域に浮かべられた台湾製のゴムボートの上で、がっちりと固い握手を交わした。これで、石原元都知事の「買収宣言」以来ゴタゴタが続き、戦争への発展さえ懸念されてきた「尖閣問題」にも一気に決着がつけられることとなった。

ABソーリの談話
良かったネ……イヤ、実はボク、もともと中国とは仲良くしたかったんだよネ。いろんな意味でね……

習近平主席の談話
ま、中国は大人(たいじん)の国ですしね。

石原元東京都知事の話
なくなっちまったモンは、こらもーしょーがないわな。まっ、ケセラセラだわねー(ザンネンだけど)。

25°44′42″N 123°38′30″E(尖閣諸島の座標)
がっちり

…………………………………………

尖閣はダレのもの?……少なくとも、私のもんでないことはたしかです。石原元都知事が「都が買うぞー」と叫んだので、あわてて野田さんが「国有化」……ということは、売った人がいるわけなんですが、中国や台湾にも、この島の「所有者」という人がいたのかな?……でも、よく考えてみると、もともとはダレのものだったんだろー……ということになりますと、地球上の土地という土地はすべてそうで、役所に登記がしてあるかどうかしらないけれど、「土地の所有権」って、どこまで主張できるんだろー……すくなくとも、その国の法律以上に主張することはできないので、オレの土地だ!といってても、他国が「もともとわが国の領土だ」といいだせば、個人の所有権なんか無視されてしまう……ということは、尖閣を「所有」していた人の「所有権」も、中国の法律には通じないわけなので、それを日本国が買おうが東京都が買おうが、中国からみたら「カンケイない」ということにはならないのかな……

ということで、「土地の所有権」ということを考えはじめると、これは、なんか解決のつかない迷路に入りこむような気がするんですが……でも、その土地が地球上からなくなってしまえばコトはカンタン。一切の「所有権」が消滅する。「領土」あっての「領海」なんでしょうから、地球上の陸地が全部沈没して「海の惑星」になってしまえば、すべての「領土問題」は一気に解決してしまうわけで、ホントはこれがいちばんいいのかもしれません……まあ、陸上で暮らしてるのは人間だけじゃないので、いろんな生き物が人間の「領土問題」のワリをくって水没しなきゃならんのは気の毒ですが……今回の尖閣の沈没にしても、島に生えてた植物やいろんな動物はおそらく全滅したわけで、かわいそう(沈没しとらんて!)……中国は、西沙諸島でしたっけ、なんか、どっかの島のまわりに勝手に陸地をつくって島を広げて「領有権」の確保にやっきになってるという話ですが、日本も似たようなことを……

日本の最南端とされる「沖の鳥島」ですが、小さい岩礁なので、水没したら困る……ということで、1987年から「災害復旧工事」ということで、コンクリートで囲み、チタン製の防護ネットで岩礁全体を覆ったり……なみだぐましい努力で「領土」を守ってるんですが……でも、もしこの「沖の鳥島」が水没してしまいますと、「日本の国土面積38万平方キロを上回る排他的経済水域が失われる」(ウィキによる)そうで、これ、けっこう深刻な問題みたいです。それで、あの過剰護岸……で、工事費285億円だそうですが、広大な排他的経済水域にはかえられない……ちなみに、日本の排他的経済水域の広さは、アメリカ、フランス、オーストラリア、ロシア、カナダについで、世界第6位だそうで、細かい島を広範囲に持ってる日本は、やっぱり「海の国」なんですね……ちなみに、中国は、あれだけ陸地面積が広くても、排他的経済水域では第15位……(日本の五分の一くらい)

ということで、日本も「領土」を守ろうとして必死なんですが、ただ、中国と違うのは、「領土問題」のない「沖の鳥島」でやってるということ……と思ってウィキをよく読んでみますと、2003年以降、中国と韓国が、「沖の鳥島」を中心とする日本の排他的経済水域に「異議」を申し立ててるんですと……位置関係から見て、中国、韓国の主張はちょっとなあ……とは思いますが、じゃあ、この「沖の鳥島」、もともとはダレのもんだったんでしょうか……16世紀から18世紀にかけて、スペイン、オランダ、イギリスが次々と「発見」してるんだけれど、1920年には、国際連盟によって日本の委任統治領になってる……「沖の鳥島」の名が最初に現われるのは1929年だそうです。戦後、一時期アメリカの施政権下におかれるが、1968年、小笠原諸島とともに日本に「返還」され、東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地(北小島)2番地(東小島)となっていて、郵便番号まである(100-2100)。

石原元都知事が、「尖閣買うぞー」とのたもうたときには、「ナニを言いだすやら?」と思いましたが、東京都って、こういう「離島」を、実はイッパイ持ってるんですね……だから、というわけじゃなくて、石原さんのは、彼独特の……だったんでしょうけど、なんか、「東京都の排他的経済水域」って、もしかしたらものすごく広いんじゃなかろうか……と思ってしまいます。いずれにせよ、こういう離島とその排他的経済水域をめぐる争いは、漁業権もあるけれど、結局は「海底資源」の取り合い……尖閣周辺の海底には、イラクの全埋蔵量に等しい石油が眠ってるかも……という話もあるみたいですが、その収奪戦ということになると、智恵のあるサルである人類、その智恵をどう使うんじゃー??ということになりますね。醜い話ですが、それで殺し合いがはじまっちゃ、殺された人も浮かばれません。でもまあ、争いのタネの島が沈んじゃったから、メデタシめでたし……(沈んどらんって!)