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オバマスピーチ@広島に思うこと_01/President Obama’s speech in Hiroshima_01

オバマさん_900
オバマさんのスピーチ、良かったですね。

まあ、立場により、いろんな感想があると思いますが、私はとても感激しました。
きいているうちに、映画『2001年宇宙の旅』のシーンが浮かんできた。
ご覧になった方しかわからない話ですが……猿人の投げた骨が、一瞬にして、宇宙空間に浮かぶ宇宙船になる、あのシーン……映画は魔法ですが、あれだけ映画の魔法性をみせつけるシーンは、これまでなかったし、これからもないのでは……

月みる人_900
オバマさんの演説の、最初の方の箇所。
『広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。』

まさにこれ(最初の武器の獲得)が、『2001年宇宙の旅』のはじめの方に出てくる、あのシーン。月と太陽と地球が重なる壮大なオープニングのあと、なんか荒野みたいな情景になる。おそらくは人類誕生の地であるとされるアフリカの大地の光景……で、そこに、誕生まもない人類、猿人が登場する。

彼らはまだ火を知らない。身体を寄せ合って夜の寒さに耐える。
獲物を狩って食べる。しかし、すでにいろんな部族がいて、わずかな水飲み場をめぐる争いとなる。
当然、身体が大きく、力の強い部族が勝つ。小さく弱い部族は、水飲み場から追い立てられる。

この、弱小部族の中に、このシーンの主人公、ムーンウォッチャー(月見るもの)がいた。まあ、これは、映画ではわからないのですが、アーサー・クラークの小説の方では、こういう名前で出てきます。

彼は、部族のなかでは変わりもので、好奇心が強く、頭脳明晰。そしてある夜、彼らの前に、あの物体、モノリスが出現する。

はじめはおそるおそる遠巻きにしていた彼ら……しかし、少しずつ近づき、ついに、ムーンウォッチャーの指がモノリスに触れる!

でもまあ、なんにも起こりません。みかけ上は。ところが……ある日、ムーンウォッチャーは、行き倒れて死んだ大型の動物の骨を前にして、なんか首をかしげて、考えているようなポーズ……そして、おもむろに骨(大腿骨のよう)を手にとり、それで遊びはじめる。骨の端を手にもって、ふにゃふにゃ動かすと、偶然、他端が別の骨に当たり、砕く。

ここから、彼の快進撃がはじまります。つまり……骨を道具として、「撃つ道具」として使うことを覚えた。彼の身体は小さくても、デカイ骨を持つことにより、手のリーチは格段に伸び、しかもテコの原理で先端の破壊力は増す。肉体の制限を超える力……それを、彼はまさに手にする。

そうなるともう、彼は王者です。水飲み場をめぐる争い……ふたたび、身体の大きな部族と対決になるが、彼は、手にした骨をふるって相手を一撃。撃たれた相手はバッタリ倒れて動かない。

威嚇するムーンウォッチャー。身体のでかい部族は、不利とみて、倒れた仲間を捨てて逃げ出す。ヒトはついに「武器」を手にいれた。

次のシーン。ムーンウォッチャーは、手にした骨でガンガン、地面に横たわる動物の白骨を叩きまくる。バラバラと砕ける骨のかけら……狂乱の様相を見せはじめるムーンウォッチャーの手から、骨が空に飛ぶ……くるくると回りながら上昇する骨のアップ。その上昇が上死点をむかえて下降に転ずる、その瞬間……

画面は突然星空となり、その中をゆく細長い宇宙船の姿……宇宙船は、星空に対して降下するような動きなんだけれど、その速度が、先の骨の降下速度にピッタリ合わせてあるので、見ている方は、まるで連続した「動き」を見せられているような印象……「動き」は連続するが、「動くもの」は骨から宇宙船に……

ここ、ホントにみごとです。猿人が武器を手にしてから数百万年。その「時」を一気にとびこして、人類の科学技術が宇宙航行を可能にした時代へ……「骨」が技術のはじまりとすれば、そこを一気に「最先端」へとつなげてしまう……

しかも、その説得力が、なんと「投げあげられた物体の動き」のなかにある。上昇する骨が、上死点に達した瞬間に、次の下降運動を宇宙船に受けわたす……これはもう、映像でしか表現できない世界……キューブリックさん、おみごと!

キューブリック_900
そして……画面ではわからないのですが、あの、骨のような細長い宇宙船のなかには、「核」が搭載されている……そういう設定だったそうです。
ここで、もういちど、オバマ演説のあの箇所を掲げてみましょう。

『広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。』

このくだりを聞いたとき、私は、オバマさん、『2001年』のあのシーンを見たんだなあ……と勝手に思ってしまいました。モノリスが人類に与えたのは、「智恵」ということなんでしょうが……人類は、その智恵を、自分たちの生存を有利にするために用いはじめ、それは、結局、あの水飲み場の争奪戦に見られるように、同じ仲間である人類自身に向けられる……

オバマさんのこの演説をめぐっては、謝っとらんとか、具体性に欠けるとかいろいろ批判もあるみたいですが、私は、彼は、もっと高いところ、あるいは、彼の言い方を借りると、「もっと内なる心」を見ていたんだと思う。そういう意味で、彼のこの演説は、すぐには理解されることはないかもしれませんが、今後、年月がたつにつれ、その真価が認識されて、歴史的な名演説だった……と、必ずそうなると思います。びっくりしました……

彼は、政治家というよりは、むしろ思想家、未来を見すえた、これからの人類の導き手のような存在なのかもしれない……そう思いました。よく理解している……なんて、私が偉そうにいうのもヘンですが、人類と科学、技術の本質と、その来歴、そして、未来にそれがどのようになっていくのか……克服しなければならないものはなんなのか……それは明瞭に語っていたと思います。

『現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。』

まさにここですね。『倫理上の革命』……さらりと書いていますが、ここはかなり重い箇所だと私は思います。『原子核の分裂につながった科学的な革命』……これは、骨をふりあげて相手を威嚇し、ふりおろして打ち砕くムーン・ウォッチャーの心の中にすでに起こった。モノリスは、なぜか、彼の心の中に、『科学上の革命』に至る種子を植え付けたけれど、『倫理上の革命』への道は示さなかった。それは、モノリス(を送った存在)の意図的な試みなのか、それとも……

もしかしたら、人類は、ある意味、試されているのかもしれないな……と思います。『科学上の革命』。それは、外から与えることができる。人類の脳という複雑な機関が、長い年月をかけて「進化」することによって与えられるという解釈もできます(モノリス的な解釈を拒むのであれば)。しかし……『倫理上の革命』。それは、人類が、みずからの自由意志によって選びとり、獲得していくしかないものなのかもしれない。

オバマさんは、さかんに「選択」と「変化」ということを言われますが、それはおそらく、このことを言ってるんではないか……『倫理上の革命』というものは、他から与えられるのではまったく価値のないものであり、「みずから選び、みずから変革していく」ことによってしか自分の身につかないもの……おそらく、基本的にそういう考えがあるのでしょう。

かつて、キリスト教の宣教師が、「未開の地」に出かけていって、その地の「土人」たちにキリスト教の高邁な「倫理観」を植えつけようとした。しかし……そんなものは、おまえらこれ、いいんだから、覚えろ!なんていうやり方では、絶対不可能……というか、そうやって、自分たちの「価値」そのものを押し付けるやり方自体がアカン。落第であって、自分たちが、いかにその「高邁な倫理観」を欠如した存在であるかを証明してしまってるようなもの……

さすがに、モノリスを送ったものたちは、そこはすごかったわけです。科学技術……自然を改変して、自分たちの都合の良い世界をつくりあげる能力をまず付与した。しかし……それをどういうふうに使うか……というか、その力の本質的な意味、その力というのがいったいなんであるか……そこは、その力を使っていろんな体験をするうちに自分自身で考えな……と。

オバマさんの演説は、人類に、そこを考えるのが最重要ではないか……と呼びかけているもののように思えます。そういう意味で、この演説は、小さな政治的駆け引きとか、いろんな感情、どうしようもない人間的な次元のものは少し越えて、もっと大きな視野でものごとを見ていかないと、人類はここで終わるよ……と、そんな切実なメッセージを送っているように私には思えました。

今回のことは、オバマさんの任期と、偶然のような伊勢志摩サミット、それに、関係するたくさんの人たちの努力が突然に相乗効果をひきだして、ほんとに奇跡のように舞い降りた……そんなイメージがあります。71年前に広島の空に舞い降りたのは「死」そのものだったけれど、今、語られたのは、人類が、自分自身のことをもっと深く考えてみよう、というメッセージ……そして、それは、あの日、空から降りてきたような「死」の本質的な克服につながっていくものなのかもしれません。

オバマさんは、大統領を8年やってみて、これはホントに難しい……と実感したのかもしれない。言葉の端々に、その重量感が漂ってる(いささかの疲労感も)。しかし、彼は、結局本質は昔とまったく変わらなかったんだなあ……と思いました。いやあ、立派な方ですね。おまけにカッコいいし……

プラハ演説でカッコよく登場して、ヒロシマ演説でカッコよく去る……で、そのあとに登場するのが、あのトランプくんなんだろうか……ぶるぶる。

トランプくん_900

世界標準?/A global standard?

世界標準_600
TPP、妥結しましたね。オバマさんはけっこう正直で、「中国みたいな国に、世界標準を取らせるわけにはいかないから……」みたいなことをおっしゃってましたが、やっぱりホンネはそのあたりなのかな?

これで思い出すのが、先に日本の国会を「通った」(というか、ムリヤリ通ったことにした)日米新安保、日米同盟ですが、これで、日本は、軍事においてもアメリカを「世界標準」と認めて、みずから米軍の傭兵になります、と……

世界標準……この問題は、先頃のフォルクスワーゲンの大失態もそんな感じ。未来のクルマは、なにが「世界標準」になるかの争い……どんな分野でも、「21世紀の世界標準」に向けて、熾烈な争いがくりひろげられている……

オリンピックも、今話題のノーベル賞もそう。運動(身体)も頭脳も、みんな「世界標準」を目指してがんばる。0.001秒で「オレが世界標準」なんて、冷静に考えればバカな話……と思いますが、やっぱりみんな熱くなる。

ISOみたいな、モロに世界標準でござい!というのもある。言語では、もうとっくにアメリカ英語が世界標準。で、それをもとにしたインターネットもアメリカ。私みたいに英語がわからない人にとっては、疎外感が大きい。

この問題、実は、深刻です。自分が「世界標準」になれてるかどうか……それは、新しい「分類」であって、世界標準に入っていない人は「無意味」の烙印を押されてしまう。入れた人はいばる。で、入ってない人を見下す。

『ヨハネの黙示録』に、そんな箇所がありました(以下引用 13章14-18)。

『さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。

それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。』(引用おわり)

この「黙示録の獣」については、さまざまな説があるようですが(皇帝ネロだとかバーコードだとか)、私は、この獣は、なにか特定の存在というよりは、人の考え方みたいなものをうまく表わしてるなあ……と思います。

TPPに戻ると、これはもう、世界のいろんなところにある、独自の「生産方式」を認めませんよ、と言ってるようなもので、食糧でもクルマでも、その他さまざまなモノが、すべて「世界標準」にもっていかれる。

まあ、別に、イヤならいいですよ……ということでしょうか。ただし、「輸出」がからんでくると門がピシャリと閉まる。国内であっても、その先にいろんな形で「輸出」が見えてくると、結局嫌われて締め出される。

モノの生産ばっかりじゃなくて、保険制度や特許など、無形のものもそうなる。日本でも、貧しい人々は、アメリカみたいに国民健康保険に入れなくなるのかも。中国の保険制度はどうなってるのかわかりませんが、どっちがマシかな?

先に、蔦屋が公共図書館の運営を任されて、役に立たない古本を買い集めて問題になりましたが、文化でもそうなるんでしょう。スポーツは、オリンピックでとっくにそうなってるし……この「世界標準」って、どこまで続くの?

なんか、極端なことを言ってるなあ……と思われるかもしれませんが、たとえば、オリンピックで、イスラム国が出場する!ということになれば、それはそれで意義があると思います(ますます極端でしょうか……)

まあ、イスラム国が、今のオリンピックに「オレたちも参加するぜ!」というとはとうてい思えませんが、もし言ってきたとしても、「あんたがたダメよ。世界標準じゃないからね」ということなんでしょう。

日本も昔、これで閉めだされましたね。「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」とか、あれは結局、欧米基準にかわる新たな「世界標準」を形成しようとするモクロミと解するのがわかりやすいのかなと思いますが……

欧米列強にみごとに「拒否」されてしまいました。まあ、ドイツもやっぱり閉めだされた側だったんですが……そこへいくと、今の中国って、やっぱり巧みだなあと思います。まず経済で「侵略」して、身動きとれなくしてから……

「ボーイング300機買うぜ!」と言われると、アメリカもやっぱり「マイドおおきに!」といわざるをえない。世界標準はまず経済侵略から……日本も、世界ではやっぱりそう思われているのかもしれませんが……

世界標準と地域性のことを考えてみると、これから先、世界中で、地域性、固有性がどんどん潰されていく……そして、世界が「一色に」塗り替えられていく……それはもう、とめられない傾向であると思います。

そうした場合に、この「地球」は、どうやって「抵抗」するのでしょうか。「その地」を守る人々が、心の底から骨ヌキにされて、われもわれもと「世界標準」になびいていくとき、「地」の抵抗は、「自然現象」となって出現する。

CO2とかPMとか放射能とか……いろいろ言われていますが、地球、大地、空気と水に負荷をかけすぎると、そこは自然に抵抗する。別に大地がそう思っているわけではないでしょうが、キャパシティ以上のものが乗っかると……

バランスが崩れて、当然すべての崩壊がはじまる。よく言われることですが、災害の起こりそうなところに家を建てる、街をつくるからえらいことになるんだと……でも、「世界標準」は、そういう「住み方」を人に強いる。

いなかでも、昔からの家は、できるだけ自然をうまく利用しつつ、災害のあったときに難の少ない場所を選んで建てられている。しかし、それでは、「世界標準」の押し寄せる力にもはや抵抗することができない……

ということで、家も街も、生産現場も、みな、「地の法則」を無視した世界標準の経済原則によって形成される……で、いったん「コト」が起こると脆くも大崩壊。システム全体が崩壊するので、災厄の規模もデカくなる。

今、政府、ABくんのとろうとしている方向を見ると、それは、「世界標準で勝つ」ということに全勢力を傾けよ!と、そう国民に指示し、かつ強制する……そうなっているように思います。経済も軍事も、そして文化さえも。

地の独自性……そういうものは、AB政府にとっては「克服さるべきガン細胞」にすぎないのでしょう。「1億」を一つの色に染めて「世界標準」を勝ち取ろう……そういうふうに言ってるように思います。落伍者は消えてね……と。

なぜこんなふうになるんだろう……ハイデガーは、「世界内存在」ということを言った。イン=デア=ヴェルト=ザイン。これは、人は、「世界」というものに、どうしようもなく根源的に結ばれている存在なんだ……ということ。

しかし、私は、たぶんこれでは甘かったんじゃないかと思うのです。人は、イン=デア=エルデ=ザイン、つまり「地球内存在」、あるいは「大地内存在」であるというべきでしょう。「地」との強烈な結びつき……

「世界」というとき、そこにはやはり、どうしても抽象的なものが漂う。ハイデガーの意図がどこにあったか……それは、私にはわかりませんが、彼が、一時ではあれ、ナチスに深く加担した……そこにヒントがあるようにも思う。

ドイツという国は、ヨーロッパでありながら、「中心」からはちょっと外れているようにも感じます。じゃあ「中心」ってどこなのよ?と聞かれると困るんですが、少なくとも、「辺境」というか、ハズレ感覚って、あるんじゃないか……

要するに、自分たちが「世界標準」を取れていないって感覚ですね。これは、日本もそうだったと思うし、今もそうだと思います。イスラム国なんかは強烈にそう。「世界」を目指す。世界征服……少年マンガの悪役の夢……

単純といえば単純ですが、必ずそうなる。世界標準の悪夢です。第二次大戦でナチスに追われてアメリカに亡命したトーマス・マンは、『ファウストゥス博士の成立』で、ナチスのドイツ人は、本当のドイツ人ではない!と語る。

彼は、ナチスへの憎悪をこめて、ホントのドイツ人は、あんなふうにはならない!と言ってます。彼の、この感覚はわかるなあ……太平洋戦争のときの日本の右翼も、アレは結局ニセモノで、ホントの日本人は違うんだと……

しかしではナゼ、「国をあげて」そうなっちゃったのか……日本もドイツも。ホントの日本人じゃない、ニセのドイツ人だ……と言っても、あのときは、かなりの日本人が、ドイツ人が、「心から」そういう「ニセモノ」になった。

今、サッカーやラグビーやテニスで、「ナントカジャパン」とか言って熱狂してる人たちを見ると、結局そうなんだなあ……と思います。ABくんは、スポーツだけじゃなくて文化面でもそれを利用して煽りたててるし……

ノーベル賞とかも、うまく利用されている。イスラム国にノーベル平和賞を!という人が一人でもいたら、ふーん、ノーベル賞もけっこう信用できるかもね……とも思いますが、まずそうはならんでしょうし……

まあ、イグノーベル賞に「平和賞」があったら、イスラム国の受賞は固いところでしょうが、もしそういうものがあったらまっさきにABサンにあげたい気もします……いや、彼は、「積極平和賞」でしたっけ……

ということで、「世界標準」をめざす各分野の競争は、これからますます加熱していきそうですが……そういうものにカンケイのない私などは、地の力を感じつつ、これからもここで、うずくまって暮らしていく。

そうなると思います。地の力……ホントは、世界って、そういうふうにあるのではないだろうか……世界標準をめぐる戦いが、白熱のあげく昇華されて無意味なものになってしまったとき、人は「地の力」を知る……

どんどん、どろどろ……地の底から、ぶきみな太鼓の音がきこえてきます。それは、大地を、大気を振動させ、「世界」を変えていく……ザイン=イン=デア=エルデ。それを知るとき、人は、本当に「世界」を知る……かも。

世界標準2500
今日の写真は、名古屋市千種区の今池という歓楽街の路上で見つけた模様です。この街は夜の街で、昼間はしらっと、すべてがどこ吹く風といった風情で存在していますが……今をときめくY組のナントカ会の事務所もある?

以前、この街の近くに住んでいました。いろんな人が行き交って、ときに熱く、また冷たく、右往左往しながら秋の空にふと視線をやると、そこは無限の宇宙空間に連なる空洞の底……だれかがじっと見ている。神、でしょうか……

神の視線、だったら、「世界標準」といってもいいのかな? でも、人の視線は、けっして「世界標準」にはなりえない。人は、大地の子。大地からつくられ、大地に還る。そんなアタリマエのことを、年齢によって再発見するのもまた楽し?

「駆除」の思想_01/The Exterminator_01

蜂の巣

今、外を、台風がふきあれています……私の住んでいるこの地方にもっとも接近するのは、お昼すぎになるみたいですが……風に揺らぐ外の景色をみていると、ついこの間のもう一つの台風のときのことが思い出されます。台風何号かは忘れましたが……結果としては、この地方にはあまり大きな被害をもたらさなかったあの台風のとき……

私は、裏庭を見回ってました。裏庭といっても、家と崖に挟まれた1〜2mくらいの通路みたいな狭いところなんですが……そこに、この家の大家さんが忘れていった農機具の赤い鉄製の車輪みたいなものが転がしてある。その一部に……ありました!ハチの巣。……私は、この何日か前に、このあたりの除草をしていたら刺された……

あのハチの、巣なんだ……こんなところに……と思ってよく見ると、直径10cmくらいの小さな巣の表面に、ハチ(アシナガバチ)がびっしり貼りついて、みんなで必死になって巣を守っています。「お!今がチャンス!」と思いました。ハチたちは、強風で飛び立つことができないから、このかたちでいるしかない……

そこへ、うちにある「強力殺虫スプレー」をぶわーっと噴射してやれば、巣ごと全滅させることができるではないか……と思ってスプレーを取りに戻ろうとしたそのとき……私の心に、真理の光、慈悲のささやきが……もう、みんなで巣を守ろうとしているそのさま(私にはそう見えた)が、あまりに必死で、けなげで……

そこへあの強力スプレーを噴射すれば、これはもう立派な「ジェノサイト」ではないか……そんなことが、はたして自分にできるんだろうか……いや、できない……ということで、私は、もうすでになすすべなくその場を立ち去ってしまった。結果としては、これがいかんかったんですが……そのときは、そうするしかなかった。

このことをきっかけに、アタマの中にいろんな妄想が湧きはじめました。今、ウクライナやパレスチナで悲惨な戦争が起こっています。いや、この2カ所だけじゃなくて世界中に……歴史的にみれば、今は一見平和なこの日本も、かつては大戦争に巻きこまれて(というかみずから参加して)悲惨な廃墟をあじわった……

こういう、「戦争のとき」の人の心の状態を考えてみると、それはやっぱり「駆除の思想」なんだと思います。「自分に、自分たちに、危害を加えてくるヤツラがいる」→「じゃあ、なんとかしなくちゃ」ということで、人は、戦いに出ていくわけだけれど……それは、「ハチに刺される」→「じゃあ、駆除しよう」と……

どこがちがうんでしょう……ということです。いつのまにか、相手を人間とみとらん。単に「危害を加えてくる人型の害獣」みたいなことかな? 今の人間の世界では、相手が人でなければ、それを殺しても罪にはならない……というか、その相手が、だれか別の人間のものだった場合だけ「所有物を損壊した」という罪になる……

自分に危害を加えようとする相手が、だれの所有物でもない場合には、それを「駆除」したとしてもそれは別に「罪」にはならない……ということで、戦争で何万人殺しても、罪にならないどころか「英雄」になったりする。日本の市街地の大空襲を指揮したルメイさんに、日本政府は、こともあろうに勲章をあげたりしてますが……

もはやそこまでいくと、これは「狂気」とよぶ以外にない感じですが……しかし、戦争に駆り立てられる人の心の根元は、この「駆除の思想」なんだなあと、私は思ったわけです。自分に、自分たちに危害を加えてくるヤツラは「駆除」してもいいんだ……人の心は、自分でもしらない間に、そうなってたりする……

私は戦争に行ったことがないのでわかりませんが、戦場で、敵とにらみあってる兵士の心境はどうなんだろうか……向こうの木の影、建物の背後にいる相手……それは「駆除」すべき対象なんだろうか……別に戦場ではなくとも、たとえば、自分の今いる街にミサイルを撃ってこようとする相手がいれば、それは……

さらにいうなら、こういう「物理的攻撃」でなくても……たとえば、経済的な圧迫とかいといろ心にかかわるものとか……領土とかになってくると、たとえば尖閣でも竹島でも私のものではないので、それを取られるとか取るとか、いまいちピンとこないわけですが……でも、いずれにせよ、どこかで人の心は「駆除」になる。

「駆除の思想」……これは、オソロシイと思います。「相手も人間じゃないか」といいます。では、人間じゃなかったら、「駆除」でいいのだろうか……自分が、自分の家族や友人がやられる場合に、そんなこと言ってていいのか……今の人の価値観は、ハリウッド的な「家族と友を守るために……」で、世界中統一されかかってる……

「家族と友を守るため」はいいんですが、では、自分や家族、友を傷つけようとしてくるヤツラに対しては「駆除」でいいんでしょうか……ブッシュ親子はそんな感じでした。オバマさんは、もう少しプラグマティックが前面に出てるような気がしますが……いずれにせよ、これは、「人間の脳」の限界なのかもしれません。

昨日、レンタルDVDで『エンダーのゲーム』というのを見ました。この映画、まさにこの「駆除の思想」について、ある問いかけを行ってる。つづきは、この映画のことを中心に書いてみたいと思ってます。

今日の essay:原子力について・その1

昔は、原子力、大好きでした……こどもの頃に、親が『ガモフ全集』という本を買ってくれた。小学生だったので半分くらいしかわからなかったけれど、ものすごく面白くて、毎日読んだ。相対性理論や量子力学も、この本で知った。すごい世界があるんだなあ……と夢が広がりました。

ガモフ

原子力も……原子の構造、原子核の構造、そして核分裂や核融合……ちょうどその頃、日本でも「原子の灯」がともった。東海村の実験炉。核爆弾はダメだけれど、平和利用はいい……そんな雰囲気が時代に満ちてました。鉄腕アトムが原子力で空を飛んでたのもこの時代……

ということで、原子力はぜんぜんプラスのイメージだったのです。プルトニウムを燃やすと、燃やした以上の燃料ができる……これはもう、夢のような話……もう、人類の未来って、めっちゃ明るいじゃない。日本って、資源ないから絶対原子力だね。ゲンパツいっぱいつくれば日本の未来も安泰だ……

これが、ぐらっとひっくり返ったのは、いつごろだったんでしょうか……調べれば、事故の歴史とか出てくるけど、やっぱりチェルノブイリは大きかった。ゲンパツって爆発するんだ……うわーこわいこわい!オソロシイ……しかも死の灰でみんな死んでしまう……オソロシイ……

まあ、そのころ、電力会社の札束で顔をはって住民にゴリ押しするヤクザみたいなやり方とか、事故やいろんな問題を隠したり、権力とつながってやりたい放題……なんかこれはヘンだぞ……とみな思いはじめた。もしかして、ものすごいオソロシイことが、静かに進行してるんじゃ……

これは結局、19世紀のツケの一つだったんだなあ……と今になって思います。原子力の基本的な考え方は、その原理も、技術的な考え方も、実際に社会に浸透させ、実現していくやり方も、モロ19世紀ではないか……19世紀は「理念の世紀」だったと私は思う。そしてそれは、まだ克服されてない……

理念と、それに伴う物語の世紀ですね。ABくんなんか今だにそんな感じですけど、いろんな物語があって、人は物語に酔い、そこにこそ真実があると思う。いろんな人の努力のベクトルを同一方向に揃える「物語」……そういう力のある物語が語られると、人は、なぜか無反省につきしたがう……

すべてを滅ぼす戦争をやってしまうのも、原子力みたいなオソロシイちからを開放してしまうのも、すべては物語の魔力……こわいなあと思います。原子力についても……そういう「原子力物語」が、身のまわりに満ちていた。ガモフさんのお話も、鉄腕アトムも……だれも疑わなかった。

アトム

湯川さんがノーベル賞をもらったのも大きかったですね。で、続いて朝永さん。原子核物理って、日本、すごいんだ……とみんなが思った。なんか、原子核の中には無限のお宝が眠ってるって感じでした。そこへ切りこむ最先端の物理学。その先頭集団の中に、日本の科学者がいるじゃないか……スゴイ……

でもその輝ける「物語」もやがて崩壊……一時期、才能のある人たちが原子核物理の方に行かなくなったのは、世界的にみても事実じゃないかな。能力のある人たちが向かったのは生命科学の方向だったと思う……しばらくそれが続いたんですが、最近また、原子核物理の方に人気が出てきたみたい……

セルンの実験で、ナントカ粒子が確認されたのは大きかったかも。今は、スパコンと巨大装置の助けを借りて、また新しい物語が作られようとしているみたいですね……今度の物語は、19世紀を抜けているんだろうか……私はきわめて懐疑的ですが、まあ、理系の詳しいことはわからないので、わからんとしかいいようがない。

最近見たアニメで、セルン陰謀説みたいなものを取り上げているのがあって面白かった。『Steins;Gate』というタイトルで、セルンがタイムマシンの実験で、世界をどーのこーのという……電話レンジ(仮)というニコラ・テスラ的な装置も出てきて、うーん、やっぱりあのあたりはつながってるんだ……という印象。

まきせくりす

19世紀って、おもしろいですね。人間の科学ががんばって、ものすごい「物語」をつむぐ……でも、それは結局人間の「物語」だから自然には通用せんわけです。いや、人間の社会にさえ通用しなかったことはコミュニズムの「挫折」で明らかになってしまった……もはや「物語」は無用なのだ……

オバマさんなんか、けっこうそんな感じなのだ……彼は、核廃絶というけれど、あの人は「物語」というものを基本的に信用してないから、それがベースにあってああいう言動が出てくる。だから、彼は、ABくんみたいに「物語」にどっぷり浸かっている政治家は大嫌いなんだろーなー……わかる気がする。

原子力物語……何回事故があっても、悲惨な姿になっても……この物語が生きているかぎり、人類は核からエネルギーを得ることをあきらめない。まあ、一種の信仰ですなあ……人類が、これまでのヘンな「物語」群をきれいさっぱり捨て去るには、まだだいぶかかるでしょう……いつまで19世紀をやってんのか……