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3度の勝利?~ベートーヴェン第九のヒミツ/The triumph of 3rd, or……

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名古屋の中古CD店でみつけたアーノンクールのベートーヴェン第九。なんと投売りの324円(税込)で、こういうのを掘出しモンというんでしょうか……

で、さっそく聴いてみました。アーノンクールさんは、ついこの間(2016年3月5日)お亡くなりになったばっかりで、ホントなら、CD売場に特設コーナーができてもいい感じなんですが、ここでは300円投売り……カワイソウ……というか、得したなあというか。

harnoncourt_900
アーノンクールというと、古楽ファンにはよく知られた名前……というか大御所なんですが、最近ではベルリンフィルとかウィーンフィルとか、いわゆるモダンオーケストラも指揮して、モーツァルトからベートーヴェン、さらにはロマン派まで……ついに「巨匠」と呼ばれる方々の仲間入り……

しかし、経歴を見ると、この方、1952年から1969年までウィーン交響楽団(ウィーンフィルではない)のチェロ奏者だったということで、一旦古楽に入ってぐるっと大回りの道をたどって、だんだん現代に近づいていって、ついに「巨匠」として復帰……そんな見方もできるのかな?

ということで、聴いてみました。なるほど……えらくスッキリした演奏で、かつての第九の、重戦車隊が地を轟かせて迫ってくるイメージとはかなり違う。まあ、演奏がヨーロッパ室内管弦楽団ということで、オーケストラメンバーの数からして違うから……ということもあるのでしょうが、タメがなく、コダワリがなく……しかし、決めるところはガツンと決めてる印象。

合唱も、現代音楽を得意とするアーノルト・シェーンベルク合唱団ということで、スッキリしてます。第九の第四楽章で、ソプラノのおどろおどろしいビブラートでげんなりした経験のある私でも、この合唱団なら許せる……許せるって、大きく出たもんですが、あの過剰テルミンみたいなビブラートは、クラシックに免疫のない人が聴いたらだれでも気持ち悪くなるんじゃなかろうか……

まあ、そういう過剰ビブラートもなくて、歌の面でもスッキリ……して、いい演奏……のはずなんですが、なぜかあんまり感動しなかった。なんでだろう……まあ、ベートヴェンの第九、ほんのわずかしか聴いてないから比較もできないんですが……でも、今まで聴いた中では、やっぱりフルトヴェングラーの1951年バイロイト録音と、1989年バーンスタインのベルリンの壁崩壊コンサートのCDがダントツにすごかった……

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そういう「巨峰的録音」にくらべると、このアーノンクール盤、なんか魅力が乏しい……まあ、これは、私の耳がクラシックの世界に慣れてないというか、圧倒的に聴いてる数が足りないからかもしれませんが……でも、自分で感じたところは偽れません。やっぱりフルトヴェングラー盤の岩山大崩壊のあのド迫力や、バーンスタイン盤の、奏者全員がなんかに取り憑かれたかのような超常現象的録音とくらべると……

で、思ったんですが……このベートヴェンの第九って、演奏の善し悪しとかの音楽的範疇をやっぱり少し超え出たところで、その魅力が決まるんじゃないかな……と。フルトヴェングラー盤は世界中を巻きこんだ第二次大戦がようやく終結して数年、ナチに協力したという嫌疑をかけられてたフルトヴェングラーが、いろんな複雑な思いを一杯に呑み込んで、音楽でドカーンと噴火させた解答……そしてバーンスタイン盤はヨーロッパ諸国とアメリカ、つまり西洋世界の戦後が終わってベルリンの壁崩壊とともに輝く未来が……

今となってみれば、そういう「未来」は訪れなかったことはほぼ決定的ですが、あの当時は、西洋世界の人じゃなくても、たとえば日本人なんかでも、なんか雪どけというか、ああ、ようやく桎梏に満ちた世界が終わって、新しいすばらしい世界が開けてくるんじゃないか……そんな、今から見れば根拠のない期待感というか展望といいますか……

それが証拠に、バーンスタイン盤では、元の歌詞の「 Freude」(フロイデ・喜び)の部分を「Freiheit」(フライハイト・自由)に変えて歌っています。クラシックの世界では、オリジナルテキストは絶対だから、これはよくよくよほどのこと……つまりそれだけ、「あの瞬間」は特別だったんですね。バーンスタイン自身が、ライナーノーツでそんなことを書いてるし。

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ということでこの第九、やっぱり音楽以外の要素と申しますか、なにか大きな流れに関係してある存在みたいな……そこまでいうと大げさかもしれませんが、「じゃあ次の演奏会は第九やってみようか」という感じでは決められないような……ただ、なぜそうなるのかということを、第九の音楽的な構造からさぐっていければ……

音楽的構造による解析!……むろん、こういうことは、私みたいなシロウトじゃなくて、音楽をやってる人とか、音楽を研究している人がやるべきだし、もうすでにかなり解明されているのかもしれません。私が知らないだけで……ただ、私もシロウトながら、あっ、こういうことかもしれない……と気づいたこともあるので、今回はそれを書いてみようかな……と。

そういうことで、まず第一楽章の冒頭から。ここに鳴る弦の5度下降。この曲を最初に聴いたとき、なんてとりとめもなくはじまるんだろう……と思ったことを覚えてます。なんか、まともな曲のはじまりじゃなくて、オーケストラがまちがえたみたいな、あるいは音合わせをやり続けてるような……しかも、その感じがなんとなく不安で、頼りなげで、なんかカゲロウが死んでふわっと落ちてくるみたな……あとで知ったんですが、これがあの有名な「空虚5度」のオープニングでした。

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空虚5度……これについては、前に書いたことがあります。リンク 現代人の耳には、5度の和音が虚ろな響きに聴こえる(ロックでいう、パワーコード)……この第九交響曲は、調性がニ短調(D minor)ということで、ニ短調だと主音がDで5度(属音)は A になる。なので、主音から属音への下降形は D↓A になるはずなんですが、実際に鳴る音は E↓Aです。これはふしぎだ。なんでこんなことをしたんだろう……E↓A だと、3度に C をとればイ短調(A minor)あるいは C# をとるならイ長調(A major)、このどっちかになるはず……

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主音の D から5度上がると A だけど、D から下の A への下降は 4度になる。空虚5度を鳴らすためには、Dから A に降りるのではダメで、一つ上の E から A に降りないといけない……そういうことで、E↓A と鳴らしているのだろうか……ところが、このカゲロウのような不安定な音型の後にフォルテで出てくる第一主題は主調のニ短調の D↓A の下降型になってます。

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このあたりの問題は、正直よくわかりませんが、最初の下降音型で5度を表現したかったのではないか……これは、実は第四楽章に深く関連していて、第四楽章のあの有名な「歓喜の歌」の途中で、まさにこの5度の下降音型 E↓A が出てくるんですが、私が読んだり調べたりした範囲では、このことに触れたものは見当たりませんでした。もしかしたら新発見?

いや、まさか……これだけ細部まで研究され尽くしているベートーヴェンの第九に、もういまさら新発見はないだろうから、絶対にだれかがどっかで書いてるはずなんですが(つまり、私の調べ不足)、この第一楽章冒頭の5度の下降音型と第四楽章の歓喜の歌の途中で出てくる同じ5度の下降音型は、絶対に関連しているとしか思えません。というのは、歌詞までがそこを表現するようにつくってあるから……

第四楽章の「歓喜の歌」は良く知られたメロディーですが、その中に、一回だけ、この E↓A 下降音型が出てくる場所があります。そして、そこに対応する歌詞は……というと、「streng geteilt」。シュトレンゲタイルト、強く分けられた、という意味のところです。ここに対する音型は、streng(D)↑ ge(E)↓ teilt(A)となっており、主音 D から E に上がり(2nd)、E から A に 5度(5th)の下降を見せます。

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geteilt(ゲタイルト)は、動詞 teilen(タイレン・分ける)の過去分詞で、「分けられた」という意味。この箇所の全体は「Was die Mode streng geteilt」で、Mode(今の風潮・規範。つまり石頭の考え)によって強く分かたれたもの、あるいは、Mode が強く分けへだてたもの、という意味になると思いますが、これが、天国(エリジウム)の乙女の魔法によって再び結ばれる(binden wieder)ということです。全体を書くと、次のようになります。

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これは、良く知られているように、ベートーヴェンがシラーの詩を(一部改変しつつ)テキストとして使っているわけですが、この「歓喜の歌」は主音 D の3度上の F# から始まり、F#↑G↑A(Freude, Schöner)__A↓G↓F#↓E(Gotterfunken)__D↑E↑F#(Tochter aus)__F#↓E(Elysium)__F#↑G↑A(Wir betreten)__A↓G↓F#↓E(Feuertrunken)__D↑E↑F#(Himmlische dein)__E↓D(Heilligtum)というふうに、主音 D と属音 A の間を行ったりきたりで、この5度圏内からは出ません。

そして、この5度圏内で、常に中心にあるのが3度の F#音。ニ長調(D major)なので、主音はむろん D なんだけれど、このメロディーにおいては、ニュートラルの位置にあるのが実は3度の F# 音で、この F# 音は、剣豪が常にニュートラルの位置から刃をくりだすように、あるいはロボットアームがどんな動作をする場合にも常に一旦ニュートラルの位置に帰ってから次の動作をするように、全体の動作を常時コントロールするベースとなっている……そんな感じを受けます。

これは、実際にこのメロディーをピアノの鍵盤で鳴らしてみると、なるほど……と体感できます(中指を F# に置くと、右手の五本指で簡単に弾ける。中指が全体の支点になり、右の薬指と小指、左の人差指と親指が、天秤のようにきれいにバランスをとる)。これは、メロディーのはじまりのFreude、そしてなかほどのElysium、Wir、(Himmli)sche dein と、強拍になる部分に常に3度のF#音がきているから、ベートーヴェンがかなり意識して使っていると私は思うのですが、いかがでしょうか。

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エリジウムの乙女の魔法が、Mode が強く分けへだててしまったものを、再び結びつける……こういう意味で、全体としては肯定的なんですが、「強く分けへだてた」という否定の部分で E↓A の5度下降音型を、ここぞ!とばかりに使っています。そして、この歓喜の歌では、ここだけが「D – A」の5度圏域を飛び抜けて下の A に落ちる。この箇所がなければ全体が「D – A」の5度圏域に納まったものが、ここがあるために全体がオクターブ8度圏域になってしまいます。

そしてまさに、この E↓A の下降音型は、この第九の冒頭の第一楽章で出てきた、あの空虚5度の E↓A にほかならない……こうして考えてみると、ベートーヴェンは、この第九交響曲を、空虚5度の E↓A で開始し、第一楽章、第二楽章、第三楽章……ときて、ついに第四楽章の歓喜の歌で F#(3度)の全面肯定に至った……この歓喜の歌の中で、唯一否定的な歌詞である「強く分かたれた」streng geteilt の部分には E↓A の下降音型をわざわざ用いて最初の空虚5度を思い起こさせるものの……

それもすぐに鳴る F#(3度)で再び全面肯定されます。F#↑G↑A(Alle Menschen)__A↓G↓F#↓E(werden Brüder)__D↑E↑F#(Wo dein sanfter)__E↓D(Flügel weilt)すべての人は兄弟となる。汝(エリジウムの乙女)のやわらかな翼の憩うところ(エリジウム)で。

このように考えてみると、この交響曲はまさに5度と3度の主導権争いであって、5度は第一楽章と第二楽章をずっと支配し続ける。これに対して第三楽章は、調性B♭になるものの3度(長3度)の無意識的な肯定(そうです!第三楽章は、ベタな3度の肯定になってる……)、そして第四楽章において、最終的に5度と3度をさらに高い位置から比較した結果としての、知性による3度の意識的な肯定……そんな図式になっているのかな……と、まずは思うのですが(後になるとちょっと考えが変わる)。

そして、ここでやっぱり思い出すのが、音律と和声の話。ヨーロッパ音楽の音律は、中世においてはピタゴラス音律に基づく教会旋法であって、単旋律聖歌が延々と歌いつがれてきたわけですが、12世紀において対位法ができてくるとともに、5度が意識されるようになった。ピタゴラス音律においては、うなり(ビート)なしにきれいに響くのは8度(オクターブ)と5度だけで、これだけが「和声」として認められていたということだった。(あと、補足的に4度も)

しかし、14、15世紀(いわゆるルネサンス)に入ると、これまでは不協和音と考えられてきた3度や6度が和音の仲間入りをしてきます。そして、3度や6度がきれいに響かないこれまでのピタゴラス音律に変わって、純正調や、3度や6度、とくに3度の響きが美しいミーントーン(中全音律)が支配的になってきます。

なぜ、こういう現象が起こってきたのか……そこのところをわかりやすく解説してくれている本がありました。作曲家の藤枝守さんの『響きの考古学』(平凡社ライブラリー)。以下、少し引用してみます(pp..85-86)。

(引用はじめ)………………………………

ピタゴラス音律が支配していた中世において、8度と5度、4度の3つだけが協和音程とみなされ、ほかの音程は経過的に使用されるだけであった。特に、ピタゴラス音律の3度は、81/64という高次の比率となり、不協和音程として扱われていた。このようにピタゴラス音律においては、音程に関してかなりの制約があったといえよう。数比的な秩序が、響きに対する感覚の自由さを妨げていたとも考えられる。ところが、ピタゴラス音律が支配的であったこの時代でも、この音律の制約を受けず、より感覚的な音程を保持していた地域があった。

イギリス・アイルランド地方では、フランスやドイツなどの大陸とは異なった傾向の音楽が展開していた。その大きな違いを生みだしたのが、3度(あるいはその転回音程の6度)に対するイギリス・アイルランド地方の人たちの好みなのである。彼らの好んだ3度は、ピタゴラス音律による不協和なものではなく、純正に協和する状態(すなわち5/4の比率)のものであったという。なぜ、このような純正3度に対する感覚をイギリス・アイルランド地方の人たちがもっていたかについては定かではないが、おそらく、この地方に移り住んだといわれるケルト人と関係があるように思われる。

………………………………(引用おわり)

ケルト人、カエサルの『ガリア戦記』に登場するガリア人(厳密にはケルト人とイコールでないといわれますが)は、はじめはヨーロッパのほぼ全域に分布していたけれど、ローマ帝国によって追いやられ、イギリスのアイルランドなどに極限されたとするのがこれまでの定説だったようですが、最近では、イギリスのケルト文明と大陸のケルト文明の相関に疑問が呈されることにもなっている……その点はちょっと気になりますが、この藤枝さんの本では、「3度の担い手」として、「ケルト」があったんじゃないかという仮説に立っています。もう少し引用を続けてみましょう(pp..86-87)。

(引用はじめ)………………………………

イギリス・アイルランド地方の民衆のなかで培われた純正3度は、「イギリス風ディスカント」という独特の歌唱法を生みだした。この歌唱法では、もとの旋律に対して、あらたな旋律が3度や6度の平行音程によってなぞるのである。すると、ピタゴラス音律では得られない豊かで甘美な響きが生み出される。(中略)14世紀から15世紀にかけて、この3度によるイギリス独自のスタイルは、イギリスを代表する作曲家のジョン・ダンスタブルによって、大陸へ伝えられたといわれている。そして、フランスにおいて「フォーブルドン」という技法を生み、純正3度の響きが大陸の音楽のなかにしだいに浸透していった。それにともなって、ピタゴラス音律によるそれまでのポリフォニーの響きが一変させられたのである。

純正3度の登場。それは、純正5度に基づくピタゴラス音律の支配を終わらせ、純正調の新しい時代の到来を告げるものであった。このような音律の変化は、また、中世からルネッサンスへの大きな時代の移行も意味していた。

では、なぜ、純正3度が大陸でこのように広まったのだろうか。それは多くの人々が、純正3度が生みだす甘美でとろけるような響きに魅了されたからである。ピタゴラス音律の厳粛で禁欲的な響きは、たしかに神の存在を暗示しながら、宗教的な活力を与えていた。しかしながら、響きに快楽性を求めた耳の欲求が、純正3度の音律を受け入れていったようにみえる。

15世紀になり、ポリフォニーのスタイルはさらに複雑になっていくが、それとともに、純正3度の響きは、そのポリフォニーに協和する縦の関係を生みだしたといえる。つまり、ピタゴラス音律のポリフォニーでは、絡み合った声部が分離して聴こえるが、純正3度が入り込んでくると、それぞれの声部が音響的に溶け合ってくる。その結果、ポリフォニーのスタイルが和音の響きとして、つまり、同時に響き合うホモフォニー的な傾向となっていった。イギリス・アイルランド地方からやってきた純正3度は、このように大陸の人々の耳に豊かで甘美な響きを与えながら、音楽スタイルの変化を引き起こすひとつの要因となった。

………………………………(引用おわり)

藤枝さんの本のこの部分をずっと読んでいると、まさにベートヴェンの第九の解説じゃないか……これは……という錯覚に囚われてしまいます。まあ、逆にいえば、このベートヴェンの第九交響曲というのは、作曲時点は19世紀初頭だけれど、実は、はるか古代から中世にわたる教会でのピタゴラス音律による単旋律聖歌、それが12世紀に入って5度のポリフォニーを生み、さらにルネサンスを迎えて3度音程による現代につながる西洋音楽の誕生(長3度の長調と、短3度の短調)……そのすべてを、70分前後の4つの楽章の中にとじこめた、いわば西洋音楽の古代から現代に至るタイムライン、時間圧縮タイムカプセルみたいな音楽だった……そんなふうにもいえるのではないか……

したがって、ここで考えなくてはならないのは、5度に象徴される「しばる力」(交感神経的)と3度に象徴される「ゆるめる力」(副交感神経的)の関係じゃないかな……と思います。この第九は、さらっとみると「3度の勝利」で、空虚5度にはじまる不安感、どうしようもなく頼りなく、けれどぎりぎりと縛られていくような不快感……そんなものが、最終的には「ヒューマニズム3度」で解決されて、人類はみな兄弟になる……戦争も仲たがいも争いも支配も服従もない、自由で幸福なエリジウムに入る……そんなふうにも読めるのだけれど、本当にそうなんだろうか……

ベルリンの壁崩壊直後のバーンスタインの演奏……そこにはたしかに、「自由に対する希求」が強く現われている。しかし、第二次大戦の終了まもないフルトヴェングラー盤は、聴いていてなぜか不安になる。バーンスタイン盤は、もうこれ以上ないくらいの肯定的感情が溢れかえっているものの、では、その後の世界の経過はどうだったか……そういうことを考えると、この曲の持っている性格は、もしかしたら意外に複雑なものなのかもしれない……そんな思いもしてきます。

たとえば、この曲では、第一楽章と第二楽章は、空虚5度が支配するメロディーの断片が飛び交う、まさに戦場のような雰囲気ですが、第三楽章に入ると突然、すべてが一変して、3度が支配する甘美なメロディーの洪水にみまわれます。なるほど、これがエリジウムの世界……私は、以前に見たイギリスの画家、ジョン・マーチンの天上世界の絵をどうしても思い浮かべてしまうのですが……しかし、作者のベートーヴェン自身は、この「3度の洪水」を無条件には肯定していない。

藤枝さんの本では「純正3度が生みだす甘美でとろけるような響き」とありますが、まさにこの第三楽章がそのもの(調律は純正調ではないけれど)……しかし、この響きは、第四楽章の冒頭で否定されます。第一楽章、第二楽章のメロディー断片を「これではない」、「これも違う」と否定したあと、流れてくる第三楽章の断片に対して「うーむ……いいんだけど、どっか違う。もっといいのはないんかい?」とくる。要するに、ベートーヴェンとしては、空虚5度が支配する厳格でオソロシイ世界はむろん否定するんだけれど、その対立項として現われる3度の甘美な世界も、そのままでは肯定する気になれんなあ……とそんな感じです。

私は、ここに、ベートーヴェン自身の人類の歴史(というかヨーロッパ文明の歴史)に対する一つの見方をみるような気がする。ベートーヴェンも、詩を書いたシラーも実はフリーメーソンだったとかいう話もありますが、そういうややこしいことを考えなくても……まあ、考えてもいいんですが、やっぱりもっと大きく、この時代に現われてきた、一種の自己批判的精神(文明の自己批判)ではなかったか……これは……19世紀という時代が、うちにそういうものを孕んでいて、それはいまだに解決されていない……そんなふうにも思います。

その一つの引っかかりとして、第四楽章に登場する「Cherub」(ケルブ、ドイツ語読みではケルプ)というヘンな?存在のことを考えてみたいと思います。これはむろん、シラーの原詩にも出てくるようですが、かなり位の高い(第2位)の天使だそうで、その天使が、神の前に立つ!(und der Cherub steht vor Gott.)ここです。この箇所は、合唱のなかでたしか3回くりかえされて、そのたびに感情が高まっていきます。

で、この歌詞の前にあるのが、Wollust ward dem Wurm gegeben. 快楽は虫ケラに与えられん、という一句。やや、これはなんだ……ということですが……私はここで、どうしてもあの第三楽章の「3度の甘美の洪水」を思い出してしまう。Cherub(天使ケルビム)と Wurm(虫)は対になってるように思えます。天使ケルビム(ケルビムは複数形で、単数はケルブ)は、「智天使」ともいわれ、「智」をつかさどる。その天使が神の前に立ちふさがって神を守る。虫けらども、ここはお前たちのくるところではない!と……

なるほど、感情の喜びに流されて知性も理性も失ったものは、本当の神の前にブロックされるということなんだろうか……そういえば、ここで思い出すのは、第四楽章の開始を告げる、あの「恐怖のファンファーレ」。第三楽章の甘美に酔いしれていた聴衆は、ここでドカーン!とその存在自体を葬りさられる……そんなふうに感じるほどアレは強烈で、私のようなバッハ以前の古楽が好きなものは、「あ、やっぱりベートーヴェン、ダメ」と、ここでスイッチを切りたくなる、そういう過激な……

譜面をみると、あの不協和音の構造がわかってきます。なんと、Dマイナー(D+F+A)とB♭メジャー(B♭+D+F)を同時に鳴らしている。鳴る音は、D、F、A、B♭の四つなんですが、AとB♭が半音でケンカしてあの不協和。しかも大音量で。Dマイナーは第一楽章、第二楽章の主調だからわかるにしても、B♭メジャーは? ということで譜面を見ると、これはなんと、第三楽章の調だった。つまり、この第四楽章の冒頭では、第一楽章、第二楽章、第三楽章の主和音を同時に鳴らすことによって、これまでの全部の音楽の総決算だぜ!ということを聴くものに告げ知らせる……

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と同時に、これは、甘美きわまる第三楽章、B♭メジャーの徹底的な否定にもなっている。DマイナーをB♭メジャーに思いっきりかぶせることによって甘美な第三楽章全体を惨殺する……そんなイメージです。で、これが、第四楽章の後の方で、智天使ケルビムと虫けらの対比になって出てくる。ということはつまり、ケルビムは、もしかしたら Dマイナー、あるいは空虚5度そのものなのかもしれない。

ケルビムって、現代のふにゃふにゃアートではぽっちゃりしたかわいい天使の姿に描かれることも多いそうですが、旧約聖書に出てくるその姿は、まさに怪物そのもの。この天使は、創世記とエゼキエル書に出てきますが、エゼキエル書における詳細な描写は次のとおりです(以下引用。10章9-14節)

『わたしが見ていると、見よ、ケルビムのかたわらに四つの輪があり、一つの輪はひとりのケルブのかたわらに、他の輪は他のケルブのかたわらにあった。輪のさまは、光る貴かんらん石のようであった。そのさまは四つとも同じ形で、あたかも輪の中に輪があるようであった。その行く時は四方のどこへでも行く。その行く時は回らない。ただ先頭の輪の向くところに従い、その行く時は回ることをしない。その輪縁、その輻(や)、および輪には、まわりに目が満ちていた。-その輪は四つともこれを持っていた。その輪はわたしの聞いている所で、「回る輪」と呼ばれた。そのおのおのには四つの顔があった。第一の顔はケルブの顔、第二の顔は人の顔、第三はししの顔、第四はわしの顔であった。』(引用おわり)

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これはまるで怪物……具体的な姿をイメージとして思い浮かべることは困難ですが、絵画作品として描かれたその姿は、たとえば上の絵に出てくるみたいな異様なもので、えっ、これが天使なの?という言葉が思わずでてきそうな……同じような「怪物」の出現は、エゼキエル書の冒頭(第一章)にもあり、そこでは、この「生き物」は「人の顔、ししの顔、わしの顔、牛の顔」を持つとされています。

しかし……この箇所をまともに読んでみると、もうこれはとても「天使」(現代の)のイメージではないし、「生き物」というにもほど遠い。なんか、機械装置、あるいは車か飛行機みたいな……ジョージ・ハント・ウィリアムソンみたいに、これこそ円盤、宇宙船にちがいないという人もいるんですが……

正直、どうなんでしょうか。ただ、この存在が徹底して「4」に関係することだけはたしかなようです。それと、「人の顔、獅子の顔、牛の顔、ワシの顔」がおそらくは、「水瓶座、獅子座、牡牛座、サソリ座」に関連することも。なぜなら、サソリ座は、古くは鷲座とされることもあったらしいので……

まあ、このあたりは、もしかしたら本質から遠い?のかもしれませんが、おそらくケルビムという存在は、神の前に立ち塞がり、神へのアプローチを妨害する門番みたいな役割であったことはまちがいないと思います。そして、それで思い出すのがやっぱりデミウルゴスとグノーシス……これについては前に書きました。リンク

そして、もう一つ気に留めなければならないことが……それは、智天使ケルビムが登場する前の、この箇所(かなりの超意訳をつけます)。
Wem der große Wurf gelungen,(大きな幸いを得た者よ)
Eines Freundes Freund zu sein,(真の友を得た者よ)
Wer ein holdes Weib errungen,(やさしき伴侶を得た者よ)
Mische seinen Jubel ein!(いざ、この喜びを共にせん)
Ja, wer auch nur eine Seele(そうだ、ただ一つの魂でも)
Sein nennt auf dem Erdenrund!(この地に、共にある!といえる者があるならば……)
Und wer’s nie gekonnt, der stehle(そしてもし、そういう魂を得られなかった者は)
Weinend sich aus diesem Bund!(忍び泣き、この輪から去るがよい)

これはけっこう厳しい……つまり、心が空虚5度に満たされて、この世界に満ちるこわばった掟(Mode)をふりかざし、真実の心の友も得られず、パートナーからも嫌われて、真の世界で孤立した者は、立ち去れ!……この地上に、お前のようなやつのおる場所はないのだ!と。しかも、「stehle」(英語のsteal)なので、大騒ぎせずにそっと消えてしまえ! ということで、空虚5度の心の持ち主に対しては容赦ない。

そして……3度の甘美に酔いしれる「虫けら」のようなヤツも、当然この輪には入れない……ということで、ここではじめて、この「第九」の大きな枠構造が浮かびあがってくるような気がします。つまりこの1時間超の大作は、全体として、空虚5度のガチガチの分断する心も、3度の甘美に酔いしれてふにゃふにゃになった心も、両方ともアカンと言っている。

さて……われわれ人類は、これからどこへ行くのだろうか……ベートーヴェンの時代には、すでにストレートな?神への信仰は失われはじめていたのでしょう。この第九では、vor Gott、神の前に、という言葉が何回も出てくるけれど、その場所に立っているのはあのおそろしいケルビム……すべての人が兄弟となる……しかし、それはなんによって?

ベルリンの壁が崩壊したときには、おそらく多くの人がそういう思い(万人皆兄弟)に満たされたのではないでしょうか。しかし……「すべての人が兄弟となる」世界は訪れなかった。いや、今の状況は、もしかしたらさらに深刻なのかもしれません。世界中で多発するテロや戦争……あいかわらずCO2を垂れ流し、資源を食いつくす人類……そして、あの身の毛もよだつゲンパツの大増殖……まるで、あの「恐怖のファンファーレ」そのもののような……

ベートーヴェンって、ホントに一筋縄ではいかないやっちゃなあ……そう、思います。第九の中にあるさまざまな「仕掛け」は、もしかしたらまだあんまり読み解かれていないのかもしれません。

たとえば……演奏者の間で、常に問題になる第四楽章の「vor Gott」がくりかえされる部分(上に述べた部分)。この箇所は、オーケストラも合唱もff(フォルティシモ)指定で目一杯、大音響でがなりたてる(失礼)のに、ティンパニだけはその部分にff > p つまり、フォルティッシモからピアノにディミュヌエンドしないさいという指示があって、これがために、みんなが大音響で「vor Gott!」と連呼しているなか、ひとりティンパニだけは少しずつ音を弱めながらさびしく消えていかねばならない……

実は、この指示は、かなり最近まで定番楽譜として用いられてきたブライトコップフ版にあったそうですが、最近出されたベーレンライーター版では、ティンパニも一緒にffしましょうという指示になってる。で、これで喜んだのがティンパニ奏者の方々で、なんでオレだけ……という鬱屈した思いを吹き飛ばすようにティンパニの強打……指揮者の中にも、なんでティンパニを p にせにゃならんの?という理由がわからなくて、ブライトコップフ版の指示を無視してティンパニも ff でやってこられた方も多かったとか。

しかし、この部分の前の歌詞の意味を考えてみると、上のように、神の前に立つケルビムに拒まれて立ち去らねばならないものがいるわけです。これは、私の解釈では、Mode(世の掟)にガチガチになった空虚5度の石頭連と、逆に3度の甘美に酔いしれてふにゃふにゃになった虫けらども……となるわけですが、もしかしたらティンパニに与えられた ff > p の指示は、こういう連中がさびしく去っていく姿を、音楽表現の上でやらせている……そういう解釈も成り立つのでは?

この箇所は、昔から演奏者の間では大問題だったらしくて、音量バランス上の問題とかいろいろ言われてますが、歌詞の内容に関連した表現ではないかという解釈は、私はみたことがない。でも、フツーに単純に考えれば、そうなるんではないだろうか……そもそも、ベートーヴェンの楽譜の校訂作業というのは困難を極めているそうで(自筆譜や献呈譜やいろんな出版譜があるので)、文献上からこうだ!という決定はできないそうなんですが……しかし、もしこの箇所で、ベートーヴェンがなにも考えてなかったら、当然ティンパニの ff > p という不自然な指示が生まれるはずはない……ということは、この ff > p にはやっぱりなにかの表現意図がある……そう考えるのが自然ではないかと思うのですが。

まあ、音楽の専門でない私の思いつきなので、なんともいえないのですが……音楽は、聴けば直接になにかが伝わってくる。それはたしかです。しかし……演奏する人も、聴く人も、もしかしたらそこに鳴っているその音楽の中に、なにかかなりのものを聴き逃しているのかもしれない。聴く方はともかく、そういう、よくわからない状態で演奏ってできるの?ということなんですが……でも、今も、たくさんの指揮者、演奏家、声楽家が、世界中で「第九」をやってます。で、さらにさらに多くの人が聴いている……

演奏技法の問題だけではなく、この曲には、とくに第四楽章のケルビムが出てくるところで、私には、先に書いたように、デミウルゴス、グノーシスの問題がかなり本質的にからんでいるように思えてなりません。これは、西洋世界にとっては、やっぱり古代から今に続いて、まったく解決されていない大きな問題のように思いますが……すくなくとも、この「第九」は、従来言われている「人類愛」とか「ヒューマニズムの勝利」みたいな歯の浮くようなウソくさい言葉では歯が立たない、ややこしい巨大な問題を抱えこんでいるように思えます。

この第九の「ナゾ」、いったい解明される日がくるんだろうか……またいつの日か、続きを書ければ……

世界標準?/A global standard?

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TPP、妥結しましたね。オバマさんはけっこう正直で、「中国みたいな国に、世界標準を取らせるわけにはいかないから……」みたいなことをおっしゃってましたが、やっぱりホンネはそのあたりなのかな?

これで思い出すのが、先に日本の国会を「通った」(というか、ムリヤリ通ったことにした)日米新安保、日米同盟ですが、これで、日本は、軍事においてもアメリカを「世界標準」と認めて、みずから米軍の傭兵になります、と……

世界標準……この問題は、先頃のフォルクスワーゲンの大失態もそんな感じ。未来のクルマは、なにが「世界標準」になるかの争い……どんな分野でも、「21世紀の世界標準」に向けて、熾烈な争いがくりひろげられている……

オリンピックも、今話題のノーベル賞もそう。運動(身体)も頭脳も、みんな「世界標準」を目指してがんばる。0.001秒で「オレが世界標準」なんて、冷静に考えればバカな話……と思いますが、やっぱりみんな熱くなる。

ISOみたいな、モロに世界標準でござい!というのもある。言語では、もうとっくにアメリカ英語が世界標準。で、それをもとにしたインターネットもアメリカ。私みたいに英語がわからない人にとっては、疎外感が大きい。

この問題、実は、深刻です。自分が「世界標準」になれてるかどうか……それは、新しい「分類」であって、世界標準に入っていない人は「無意味」の烙印を押されてしまう。入れた人はいばる。で、入ってない人を見下す。

『ヨハネの黙示録』に、そんな箇所がありました(以下引用 13章14-18)。

『さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。

それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。』(引用おわり)

この「黙示録の獣」については、さまざまな説があるようですが(皇帝ネロだとかバーコードだとか)、私は、この獣は、なにか特定の存在というよりは、人の考え方みたいなものをうまく表わしてるなあ……と思います。

TPPに戻ると、これはもう、世界のいろんなところにある、独自の「生産方式」を認めませんよ、と言ってるようなもので、食糧でもクルマでも、その他さまざまなモノが、すべて「世界標準」にもっていかれる。

まあ、別に、イヤならいいですよ……ということでしょうか。ただし、「輸出」がからんでくると門がピシャリと閉まる。国内であっても、その先にいろんな形で「輸出」が見えてくると、結局嫌われて締め出される。

モノの生産ばっかりじゃなくて、保険制度や特許など、無形のものもそうなる。日本でも、貧しい人々は、アメリカみたいに国民健康保険に入れなくなるのかも。中国の保険制度はどうなってるのかわかりませんが、どっちがマシかな?

先に、蔦屋が公共図書館の運営を任されて、役に立たない古本を買い集めて問題になりましたが、文化でもそうなるんでしょう。スポーツは、オリンピックでとっくにそうなってるし……この「世界標準」って、どこまで続くの?

なんか、極端なことを言ってるなあ……と思われるかもしれませんが、たとえば、オリンピックで、イスラム国が出場する!ということになれば、それはそれで意義があると思います(ますます極端でしょうか……)

まあ、イスラム国が、今のオリンピックに「オレたちも参加するぜ!」というとはとうてい思えませんが、もし言ってきたとしても、「あんたがたダメよ。世界標準じゃないからね」ということなんでしょう。

日本も昔、これで閉めだされましたね。「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」とか、あれは結局、欧米基準にかわる新たな「世界標準」を形成しようとするモクロミと解するのがわかりやすいのかなと思いますが……

欧米列強にみごとに「拒否」されてしまいました。まあ、ドイツもやっぱり閉めだされた側だったんですが……そこへいくと、今の中国って、やっぱり巧みだなあと思います。まず経済で「侵略」して、身動きとれなくしてから……

「ボーイング300機買うぜ!」と言われると、アメリカもやっぱり「マイドおおきに!」といわざるをえない。世界標準はまず経済侵略から……日本も、世界ではやっぱりそう思われているのかもしれませんが……

世界標準と地域性のことを考えてみると、これから先、世界中で、地域性、固有性がどんどん潰されていく……そして、世界が「一色に」塗り替えられていく……それはもう、とめられない傾向であると思います。

そうした場合に、この「地球」は、どうやって「抵抗」するのでしょうか。「その地」を守る人々が、心の底から骨ヌキにされて、われもわれもと「世界標準」になびいていくとき、「地」の抵抗は、「自然現象」となって出現する。

CO2とかPMとか放射能とか……いろいろ言われていますが、地球、大地、空気と水に負荷をかけすぎると、そこは自然に抵抗する。別に大地がそう思っているわけではないでしょうが、キャパシティ以上のものが乗っかると……

バランスが崩れて、当然すべての崩壊がはじまる。よく言われることですが、災害の起こりそうなところに家を建てる、街をつくるからえらいことになるんだと……でも、「世界標準」は、そういう「住み方」を人に強いる。

いなかでも、昔からの家は、できるだけ自然をうまく利用しつつ、災害のあったときに難の少ない場所を選んで建てられている。しかし、それでは、「世界標準」の押し寄せる力にもはや抵抗することができない……

ということで、家も街も、生産現場も、みな、「地の法則」を無視した世界標準の経済原則によって形成される……で、いったん「コト」が起こると脆くも大崩壊。システム全体が崩壊するので、災厄の規模もデカくなる。

今、政府、ABくんのとろうとしている方向を見ると、それは、「世界標準で勝つ」ということに全勢力を傾けよ!と、そう国民に指示し、かつ強制する……そうなっているように思います。経済も軍事も、そして文化さえも。

地の独自性……そういうものは、AB政府にとっては「克服さるべきガン細胞」にすぎないのでしょう。「1億」を一つの色に染めて「世界標準」を勝ち取ろう……そういうふうに言ってるように思います。落伍者は消えてね……と。

なぜこんなふうになるんだろう……ハイデガーは、「世界内存在」ということを言った。イン=デア=ヴェルト=ザイン。これは、人は、「世界」というものに、どうしようもなく根源的に結ばれている存在なんだ……ということ。

しかし、私は、たぶんこれでは甘かったんじゃないかと思うのです。人は、イン=デア=エルデ=ザイン、つまり「地球内存在」、あるいは「大地内存在」であるというべきでしょう。「地」との強烈な結びつき……

「世界」というとき、そこにはやはり、どうしても抽象的なものが漂う。ハイデガーの意図がどこにあったか……それは、私にはわかりませんが、彼が、一時ではあれ、ナチスに深く加担した……そこにヒントがあるようにも思う。

ドイツという国は、ヨーロッパでありながら、「中心」からはちょっと外れているようにも感じます。じゃあ「中心」ってどこなのよ?と聞かれると困るんですが、少なくとも、「辺境」というか、ハズレ感覚って、あるんじゃないか……

要するに、自分たちが「世界標準」を取れていないって感覚ですね。これは、日本もそうだったと思うし、今もそうだと思います。イスラム国なんかは強烈にそう。「世界」を目指す。世界征服……少年マンガの悪役の夢……

単純といえば単純ですが、必ずそうなる。世界標準の悪夢です。第二次大戦でナチスに追われてアメリカに亡命したトーマス・マンは、『ファウストゥス博士の成立』で、ナチスのドイツ人は、本当のドイツ人ではない!と語る。

彼は、ナチスへの憎悪をこめて、ホントのドイツ人は、あんなふうにはならない!と言ってます。彼の、この感覚はわかるなあ……太平洋戦争のときの日本の右翼も、アレは結局ニセモノで、ホントの日本人は違うんだと……

しかしではナゼ、「国をあげて」そうなっちゃったのか……日本もドイツも。ホントの日本人じゃない、ニセのドイツ人だ……と言っても、あのときは、かなりの日本人が、ドイツ人が、「心から」そういう「ニセモノ」になった。

今、サッカーやラグビーやテニスで、「ナントカジャパン」とか言って熱狂してる人たちを見ると、結局そうなんだなあ……と思います。ABくんは、スポーツだけじゃなくて文化面でもそれを利用して煽りたててるし……

ノーベル賞とかも、うまく利用されている。イスラム国にノーベル平和賞を!という人が一人でもいたら、ふーん、ノーベル賞もけっこう信用できるかもね……とも思いますが、まずそうはならんでしょうし……

まあ、イグノーベル賞に「平和賞」があったら、イスラム国の受賞は固いところでしょうが、もしそういうものがあったらまっさきにABサンにあげたい気もします……いや、彼は、「積極平和賞」でしたっけ……

ということで、「世界標準」をめざす各分野の競争は、これからますます加熱していきそうですが……そういうものにカンケイのない私などは、地の力を感じつつ、これからもここで、うずくまって暮らしていく。

そうなると思います。地の力……ホントは、世界って、そういうふうにあるのではないだろうか……世界標準をめぐる戦いが、白熱のあげく昇華されて無意味なものになってしまったとき、人は「地の力」を知る……

どんどん、どろどろ……地の底から、ぶきみな太鼓の音がきこえてきます。それは、大地を、大気を振動させ、「世界」を変えていく……ザイン=イン=デア=エルデ。それを知るとき、人は、本当に「世界」を知る……かも。

世界標準2500
今日の写真は、名古屋市千種区の今池という歓楽街の路上で見つけた模様です。この街は夜の街で、昼間はしらっと、すべてがどこ吹く風といった風情で存在していますが……今をときめくY組のナントカ会の事務所もある?

以前、この街の近くに住んでいました。いろんな人が行き交って、ときに熱く、また冷たく、右往左往しながら秋の空にふと視線をやると、そこは無限の宇宙空間に連なる空洞の底……だれかがじっと見ている。神、でしょうか……

神の視線、だったら、「世界標準」といってもいいのかな? でも、人の視線は、けっして「世界標準」にはなりえない。人は、大地の子。大地からつくられ、大地に還る。そんなアタリマエのことを、年齢によって再発見するのもまた楽し?

日本難民/Japanese refugee

日本難民_600
今、シリアの内戦で、シリア難民の人々が大挙してヨーロッパに押し寄せているというニュースを連日やっています。私は、正直、難民ということについては、漠然とした概念しかなかったんですが、連日の報道をきいているうちに、やっぱりこれは、タイヘンなことだなあ……と思うようになりました。

難民というとどうしてもアフリカとか東南アジアのイメージが強かったんですが、ウィキで調べてみますと、アジアが第1位で562万人、アフリカが2位で230万人、ヨーロッパが3位で163万人、そして以下、北米45万人、南米37万人、オセアニア3万5千人と続きます。1位はアジアだったんですね。

これは、2009年の統計ということで、今は少し違っているのかもしれませんが、とにかく、住む場所を追われてさまよわなければならない人がこれだけいる。シリア難民に対してドイツ政府は大英断で大量の受け入れを発表しましたが、日本は?……というと、難民認定を申請した人5000人のうち、認定が11人……

これは、2014年の数字だそうですが、あまりにも少ないんじゃないか……ということで、いろいろ批判が出ている。たしかに、もっと受け入れてもよさそうなもんだが……とか思っているうちに、ン? まてよ? なんだかヘンだぞ……と。「受け入れ」を前提にしゃべってますが、「難民になる」ということはないの?

つまり、日本人が難民になって、世界に散らばる……外国に「受け入れて」もらわねばならないハメになる……そういう可能性は、ゼロなんでしょうか……あまりにも突飛で、現実離れした空想のように思われるかもしれませんが、でも、先の原発事故のことなんか考えてみると、やっぱり全くの空想ともいえない?

2011年3.11の福島原発の事故は、とりあえずあのかたちで済んでいる……というか、まだぜんぜん済んでないワケですが、場合によっては、東京都民の避難が必要になるというところまでいく可能性もあったとききます。もしそれがホントだとしたら、これはタイヘンなことだ……関東圏に避難対象が及ぶと……

東京都の人口1300万人だけじゃなく、いわゆる広域関東圏(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、長野、新潟、山梨、静岡)の人口5000万人が避難するという事態になったとすると、これはタイヘン。5000万人といえば、日本の全人口1億3000万人の約40%にあたる。アジア難民の562万の十倍近い。

これに、東北の各県(福島、宮城、岩手、青森、秋田、山形)の総人口約900万を加えると、全人口の45%、つまり、日本の約半分の人が住む家を失う……この想定、「ありえねー」と一笑に付す方もおられるかもしれませんが、でも、福島の事故がもうちょっと拡大してたら、現実にそうなったのでは。

というか、あのゲンパツ事故のときは、アメリカなんかは在留米人に、80kmを避難区域としたとききます。日本は20kmだったけど。実際のところはどうだったのでしょうか。政府は、大混乱になるのを怖れて、ホントのところ(汚染状況)を発表しなかったのでは……そういう疑いも払拭できない。

まあ、それくらい、日本政府のいうことは信用できないわけですが……もし、ダレの目から見ても汚染がさらに顕著になってたとしたら、やっぱり「人口の半分避難」が現実的になってたと思います。そうすると、もう日本は崩壊ですから、大量の「難民」が発生したでしょう。そうならなかったのは、単に偶然??

ABくんは、このごにおよんでまだ再稼働・推進!なんて言ってるから、このリスクは、これからも高まりこそすれ、低くはなりません。これに加えて、新安保で日本が武力攻撃やテロの対象になる危険もぐんと高まるし……さらに、政府の「2極化方針」で、経済的に破綻する人がこれから続々出てくる。こっちも大問題。

日本の人口の半分が住む地域が「汚染」されてしまったら、もう物理的にかなりの人が国外に出ざるをえなくなるのでしょうが、「住めなくなる」地域がもっと小さかったとしても、この「2極化」によって、やはり国外に追い出される人がどんどん増えてくるのでは……ということは、日本が内戦状態になる??

こんなことをいうと、また「ありえねー」という声が聞えてきそうですが、これって、そんなに「想定外」ですませていていいのでしょうか……これからは、経済的な格差がどんどん拡大して、「持たざる若者」はものすごく苦しい立場に追いやられていきます。みな、そうならないように必死にがんばってるけど……

ABくんの政策自体が、「格差、広げたるでー」というものだから、もうどうしようもないでしょう。彼が否定している「徴兵制」も、経済徴兵というのでしょうか、「持たざる若者」は否応なくそういう「苦役」に追いこまれる。むろんこれは、男女関係なく……まあ、こんなところで「女性の活躍」というのかなあ……

ということで、2極化するということは、価値観が分裂するということだから、まあ、お定まりの「圧政と弾圧」ということで、ヒサンなことに……その先は考えたくありませんが、国内の価値観が大きく乖離してくると、これは、外からのいろんな力の介入する余地を大きく広げるので、乖離はますますひどくなる。

たとえ原発事故で、国土の半分が住めなくなっても、国内の価値観がある程度統一されていれば、なんとか残った国土に受け入れることができるかもしれません。この場合は「国内難民」で、今、福島の方々はこういう状態になってるわけですが、大部分の人が、見知らぬ外国に出ていかなくてもすむ。

しかし、2極化のはてに国内の価値観に大きな乖離が生まれてしまえば、おそらく多くの人々が国外に脱出せざるをえなくなるでしょう。「ありえねー」と、今は笑いとばせますが、でも、ABくんたちは、着々とその準備を進めている。「原発再稼働」と「2極化推進」。これをふたつとも、ガンガン進めてます。

ということで、私は、近い将来、「日本難民」が大量に発生する可能性が、従来に比べてはるかに高まってきていると思います。原発事故の連鎖(これは十分ありえる)で、沖縄を除く国土全体を放棄しなければならない可能性だってゼロじゃない。その場合、沖縄だけで本土人口全員を受け入れるのはムリだし……

そもそも、沖縄の方々に拒否されるでしょう。今まで米軍基地をいっぱい押しつけておいて、いざとなったら助けて~はあまりにムシがよすぎる。そうすると、日本国民のほとんどが難民となって海外に流出せざるをえない……「日本難民」……じつは、これをシュミレーションした小説が、かつてありました。

小松左京さんの『日本沈没』。半世紀前に書かれた第一部は、日本列島が沈没して、日本人全員が海外に避難せざるをえなくなったところで終わっていましたが、十年くらい前に書かれた第二部(谷甲州氏との共著)では、海外の各地に散った「日本難民」のその後が、かなり詳細に描かれています。

共著者の谷甲州さんは、東南アジアでの生活がけっこう長かったみたいで、そのあたりはかなりリアルです。なるほど、こうなるのか……実際は、なってみないとわからないのでしょうが、「難民ルート」というのは、やっぱりあるんですね。今回の、シリア難民の方々がドイツをめざしたといのもそうなんですが……

シリアとドイツ? 遠い国に住むわれわれには、「なんでドイツなの?」という疑問が湧くわけですが……もちろん、今、ドイツが経済的に繁栄しているというのはいちばん大きいでしょう。でも、歴史的にみると、このルートは、中世末期に、まさにオスマントルコがヨーロッパに迫ったときのルートそのままだ……

中世ヨーロッパでは、その東の入口がオーストリアのウィーンでした。ウィーンは、オスマントルコの皇帝たちから、「黄金のリンゴ」と呼ばれていて、なんとかして手に入れたい「羨望の地」だった。トルコの軍勢は、バルカン半島からセルビア、ハンガリーを手に入れ、ついにウィーンに迫ります。

ヨーロッパ白地図詳細入り_900
ウィーン包囲は、1529年と1683年の2回あったみたいですが、このうち1683年9月12日のウィーン攻防戦は映画化もされてます。このときは、皇帝レオポルト1世のウィーン脱出というところまでいったらしい。当時、ドイツは、神聖ローマ帝国という名ばかりの「帝国」のもとに、実際は封建領主や教会の群雄割拠の四分五烈状態……

ウィーンハプスブルグ家の皇帝レオポルト1世も、「皇帝」という名にふさわしい権力は持ってなかったみたいで、ポーランド王ヤン3世の援助まで頼んで、なんとかこの危機をきりぬけた……今の状況を見てみると、なんか、当時の状況が彷彿とされます。といっても、むろん今のシリア難民の方々は、「攻略」じゃなくて……

母国の危機的な政治状況で国外に「逃げざるをえない」わけですが(実はシリア国内の難民の方がはるかに多いけれど)……ただ、この背景には、アラブ諸国の政治的不安定(これまでの独裁政権のツケ)と、それに乗じたイスラム国やアルカイダの膨張がある。ヨーロッパは、これに対し、かつての神聖ローマ帝国の亡霊?のEUで…

となると、これはあまりに図式的というおしかりを受けるかもしれませんが、どうなんでしょうか。考えてみると、ヨーロッパという地域は、常に「アラブの圧力」で自分たちを形成していったみたいな……そんな歴史の大枠があるんじゃないかと思います。なので、また、その周期がめぐってきたのか……それはわかりませんが。

じゃあ、日本はどうなんだろう……日本を含む東アジアに、そういう「民族圧力往来」みたいなことはあったのか……直近では、やっぱり先の大戦のときの、日本自身の「膨張政策」がアタマに浮かびますが、江戸期300年の鎖国のあいだを除いて、やっぱり日本は、大陸や南方への「膨張」を、たぶんくりかえしていた……

それは、いろんなかたちで、そうだったと思います。神功皇后や秀吉みたいな「わかりやすい軍事作戦」ばっかりじゃなくても。そして、現在も、経済政策というかたちになって、アジア各地域への「膨張」は続く……もし、日本の全人口の半数が難民化した場合には、やっぱりこの「膨張」ルートがベースになるんでしょうか。

もしその場合、アジアの各国は、「日本難民」をちゃんと受け入れてくれるんだろうか……日本国と日本人の、アジアの各国における「受けとられかた」はどうなんでしょうね。少なくとも、中国や朝鮮半島においては、「過去の侵略」があるから、場合によっては大いに反発をくらう可能性も……

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ヨーロッパにおいては、「イスラムの侵攻」は、今も悪夢のように人々の心に残っているから、シリア難民の方々も、けっして諸手を上げて受け入れ……というわけではないのでしょう。しかしちゃんと……受け入れられているように、現段階ではみえます。大人だなあ(むろん、反発する人も多いけれど)……

これは、やっぱり、西欧世界の理性を最高基準とする「思想」の成果なんでしょうか……その点は、率直にスゴイなあと思います。中国なんかも、今は、日本人の目には「メチャクチャの国」に映るけど、もしかしたら、日本よりずっと「大人の国」なのかもしれない……これは、今の日本人の心情と真逆だけれど……

それは、日本から大量の「難民」が発生したときに明らかになるのでしょう。そして、もしかしたらそういう時期も意外に近いのかもしれません(AB政権はまだまだ続きそうだし)。さて、そのとき、日本人は、どういうふうに「評価」され、受け入れられるんだろうか……あるいは、受け入れられないんでしょうか……

なんせ、狭い国土ですから、ちょっとゲンパツがポン!といっただけで、大量の「難民発生」は火を見るより明らか。あの事故のときに反省して「全原発即時廃炉」にふみきってれば、ちょっとはリスクは下がったのでしょうが……もう遅いですね。ナンマンダブ……

なつかしのインターロッキング/Nostalgic interlocking concrete pavers

碧南インターロッキング_600
このあいだの日曜日、野外活動研究会の方々と一緒に愛知県の碧南市を歩きました。碧南市は、かつては白砂青松の美しい海岸線があったところですが、今ではすべて埋立地になって工場が進出。昔の、漁業や海水浴で栄えた街のおもかげが薄れて久しく、住宅地に、かつての海岸線の名残の水路を挟んで工場が隣接するという典型的な埋立て工業地帯に変身してしまいました。

この写真は、駅から住宅地を抜けて埋立地に向かう道で撮ったもの。歩道に敷いてあるのはインターロッキングブロックなんですが、そのパターンがなんともレトロ。なつかしいなあ……これ、おそらく1970年代後半から80年代前半にかけてはやったパターンではないかと。記憶が定かではなく、調べてもよくわからなかったんですが、一時期、このパターンはけっこう見ました。

それがいつのまにか消えてしまった……消えたものは、人の記憶の中からも急速に失われていきます。今のインターロッキングブロックは、こんなに複雑なパターンは少なく、正方形や長方形の辺に少々の凹凸をつけて組み合わせていくというのが多くなっています。日本でインターロッキングブロックが盛んに使われはじめたころは、みんなおもしろいパターンをいろいろ工夫して……

そこに、「どうだ!このパターンはスゴイだろ!」という誇り?みたいなものにつながっていくという素朴な(もっといえば無邪気な)技術者の喜びみたいなものを感じたんですが……しかし、施工が複雑になるせいなのか、あるいは単に飽きられてしまったのか、理由はわかりませんがパターンそのものはどんどん単純化する一方で、それがまた、今風の嗜好にもあってたんでしょうね。

ということで、この写真に見るような複雑なパターンは、もうどこにも見ることができない。この舗装もかなり年期が入っているので遠からずやり変えになるんでしょうが、そのときには今はやりの単純なパターンになってしまうのでしょう。ということで、この歩道面はかなり貴重な絶滅危惧種です。見ていると、あの当時の人の思いがいろいろ伝わってくるような、複雑な気分に……

このパターンは、いわゆる「ピタゴラスのタイル割り」(ピタゴリアン・テゼレーション)から得られる変形パターンの一種で、ブロックの単位はたった一つです。変形五角形で、120°の角が3つと90°の角が2つ。それを、ひとつの90°の角のまわりに90°ずつ回転させたものが次の単位になり、これを連続させて成り立っています。あるいはまた、基本単位の変形五角形を4つ組み合わせて変形六角形をつくり、それをつなげていくという考え方もできます。

さらに、もっといろんな解析が可能なんですが……英文サイトですが、それをやっているのがありましたので、よかったらご覧ください。
http://donsteward.blogspot.jp/2011/07/cairo-pentagon-tilings.html
また、日本には「形の科学会」というのがあって、ここの学会誌に、同じようなタイル割りの研究論文が載っています(こっちは日本語。学会誌のタブで26巻第2号をクリック)。

クリックして26(2).pdfにアクセス

インターロッキングブロックというのは、最近の歩道にはどこでも敷いてあるのでみんなが目にするものなんですが、その名前を知っている人は意外に少ないんじゃないでしょうか。まあ、「業界の人」しか知らない、専門用語に近いものなのかもしれませんが……これが使われだしたのは、日本ではやっぱり1970年代に入ってから、しかも、そのかなり後の方ではなかったかと思います。このあたりは調べてもわからなかったのですが、私の記憶ではそんな感じかと。

このインターロッキングブロックに相当する舗装材がはじめて現われたのはオランダで、1950年代くらいだということです。それから60年代にドイツに、そして70年代になると世界中に広まっていったとか……オランダは、国土のかなりの部分が干拓地で、地盤が不安定なので、道路を全面的にコンクリートやアスファルトで舗装してしまうと地盤の変動でクラックが入ってしまう。そこで、小さなコンクリートブロックを連続させて舗装する方法を考えたんだとか。

なるほど、たしかにこのブロックであれば、ブロック同士は相互に接着されておらず、充填材の砂を介して並べられているだけなので、地盤が変動してもクラックは入りにくいでしょうね。ちなみに、施工方法は単純で、砂を敷いておいて、その上にこのブロックを並べて、目地に砂を充填していくだけみたいです。だからやり変えるときも比較的カンタン。施工しているところをときどき見ますが、あんなカンタンでいいんだろうか……と思うくらいささっとやってる。

でも、施工してしばらくたつと全体が落ち着いてきて、まるで昔からあったかのような風情に……この碧南の道もそんな感じですが、もう完全に一体化してます。風雨にさらされてカンロクさえ漂う……そういえば、日本でこのブロックがはやったのはもう一つ別の理由があって、それは「透水性」ということ。ブロック自体が透水性のコンクリートであるのに加えて目地部分が砂だから、降った雨は急速に地面に浸透していきます。雨の多い日本のような国には最適……

日本の歩道も、かつては30cm角?(あるいは45cmくらいあったか)の正方形のコンクリート板が敷き詰められていました。ところが、1970年前後の学生運動が盛んだった頃に、デモの学生たちがこの敷石を剥がして砕き、警官隊に投げつけるということがしょっちゅう起こるようになって、歩道は急速にアスファルトの全面舗装に変わっていったような記憶があります。もう、べたっと灰色が広がるだけの、身も蓋もない殺風景な景観が日本中を覆っていった……

それが、70年代も後半に入ると、まず市街地の目抜き通りなんかでこのインターロッキングブロックが使われはじめるようになりました。この碧南市の歩道のものもたぶんその頃だと思いますが、当時は最先端のオシャレな歩道だったんでしょう。そして、80年代、90年代に入るとこのインターロッキングブロックは急速に広まり、かつての灰色一色の歩道が一挙にいろんなパターン、いろんな色のブロックで覆われはじめます。気がつかないうちに、けっこうなスピードで。

このブロックも、かつての敷石同様、剥がそうと思えば割とカンタンに剥がせるのでしょうが、70年代前半に学生たちは急速に元気を失って日本の社会が安定し、「剥がされるリスク」も急激に減っていった。逆に、社会は豊かになって、みんな生活を楽しむことに目を向けはじめる。「うちの街、歩道が灰色で殺風景だね」と思う人々の心が後押ししたのでしょうか……舗装のやり変えのときにはかなりの率で、このインターロッキングブロックが使われるという事態に。

この傾向は今も基本的に変わっていないようですが、これから先はどうでしょうか。日本の国自体が大きく戦争へと舵を切り、持つものと持たないものの格差がどんどん広がって、社会自体が不安定化する兆しを見せはじめています。これに加えて多発する自然災害、そして原発事故のとんでもないリスクなど……そうするとまたみんな元気になって、中にはけっこう過激なデモをする連中も……そうなったときに、このインターロッキング舗装はどうなる……

妄想かもしれませんが、ちょっとそんな予感も持ってしまった碧南フィールドワークでした。

被害感と加害感……カニス・サピエンスに学ぶ/Canis Sapiens

物理の法則C_500

この間、テレビで、「日本では、終戦のときに、<被害感>みたいなものはよく語られるけれど、<加害感>はなかなか語られない」というようなことを言ってました。たとえば、ドイツなんかだと、第二次大戦でドイツが、他の国や民族にどれだけ迷惑をかけたか……ということを徹底的に語り、教える。だけど、日本の場合は、迷惑をかけられたという<被害感>はけっこう語られるけれど(たとえば原爆とか東京大空襲とか)、迷惑をかけた方の<加害感>はおきざりにされてる……それが、いつまでたっても世界中から「日本って、反省してないんじゃないの?」という目で見られる原因なんじゃないですか……と、こんな趣旨だったと思います。

うーん……なるほど……これは、たしかに、もっともだと思いました。でも、まてよ……と。それはそのとおりかもしれないけれど、なんかちょっと、完全に納得できないというか、それは、そういうふうにはいかないんじゃないだろうか……という気持ちが起きたのも事実です。まあ、世の中、「日本人よ、卑屈になるな!」と言ってる人もいますが、それとはちょっと違うところで、かすかな違和感をもったんですね……で、その、自分の中の「違和感」を考えていくと、こんな思いに至りました。つまり、「加害者」が「加害行為」をするとき、はたして彼は、「オレは加害者だぜ!」と思ってるんだろうか……と。まず、ゼッタイ思ってない。

どころか、むしろ、彼の心の中は、「被害感」満載なんじゃないかと思います……で、ここで、しつこく例の「盲導犬刺傷事件」のことを考えてみますと……盲導犬のオスカー君を<刺した>人間は、刺す瞬間に、「加害者意識」があっただろうか……と想像してみますと、それはおそらくない。むしろ、「ワリくってんのはオレたちだぜ!」みたいな「被害感」になみなみと満たされていたんじゃなかろうか……だいたい、こういう事件を起こす連中ってみんなそうで、「被害者はオレたちだ」と思ってる。物体は押されると他の物体を押すというのは物理の法則ですが、人の心も同じで、他から押されて他を押す……その「連鎖」に入らなかったオスカー君はえらいなあ……

フツーの人間は、オスカー君ほどできが良くないので、押されたら押す。まさに物理法則どおりだ……こうやって、「被害感のインフレーション」は静かに進行する……ということで、もともと「加害者感覚」の存在していない連中に、「おまえらが加害者だぜ」といってもそれはムリというものかもしれない。まあ、自分のことを考えてみるとわかるけれど、私自身も、オスカー君みたいに「自分のところで<被害感>をくいとめる」ということはできそうにありません。押されたから押す……ナサケナイ物体みたいなことをくりかえして、この世界はどんどん「被害感」で満ち満ちていくわけです。そして、ついにこの間の戦争みたいに悲惨なことに……

今、社会には、この「被害感」がどんどん拡大しているように思います。「もしかしたら<オレが>加害者かも……」と思う人は、たぶん少ない。ドイツで、徹底的な「加害者意識の自覚」が成立しているのは、そういう「物体的な」押しつ押されつ……みたいなもんでは、人間はゼッタイないぞ!というヨーロッパ的理性に対する認識が強烈にあるからではないか……人間は、理性で感情をコントロールできなければ、それは人間には値しないという認識が、やっぱり根強くあるのでしょう。だから、「加害時」に、いくら「オレの方が被害者だ」と思っていたとしても、後で自分のやった行為を見ると、これはもう「加害者」としかいえない……ということがわかれば……

その時点で、自分の「被害感情」よりも、「理性的判断」の方を優先させる。それは、そうしなければインターナショナルとしては通用しないということを徹底的にわかっているから……だからそうなる。ただ、「敗戦国」というのはやっぱりあると思います。公平に見て、「戦勝国」はどうしてもそのあたりの判断は甘くなってる……しかし、ドイツみたいな「敗戦国」は、徹底的に理性優先で感情をコントロールしきらないと、インターナショナルで認められない……ということなのではないでしょうか。でも、日本人にはこれはできない。なぜなら……日本人は、そこまで「理性」というものを知らないし、また知ることもたぶんできない。もともとムリ……

それで、これを「劣っているから」(日本人12才説?)と見るのか、いや、「他に理由があるから」と見るのか……それでもやっぱり変わってくると思う。ただ、インターナショナル的にはゼッタイ不利なことはまちがいない。とくに「敗戦国」だし……いろんな国からガンガン言われて、ますます「被害感」は強くなる一方だけど、でも、かつての戦争のときには「加害感」はほとんどなかったわけだから、今さら「加害者意識を持て」と言われてもそれはやっぱりムリでしょう……ということで、これから先、日本は、国際的にはけっこう「困った国」になっていくオソレは充分ありますね……いつまでたっても「被害者意識」からは抜けられないし……

かつての大戦へと進む道で、ドイツは、第一次大戦の賠償問題で国民は疲弊し尽くしていたといいます。まあ、国全体に「被害感」が満ち満ちていた……だから、戦争を始めたときは、おそらく「加害」感情はなくて、自分たちが受けている「被害」を回復するのは正当な行為である……そう思ってる人が大部分だったんではないか……日本も、ヨーロッパ諸国が世界中に植民地を持ってるのに、自分たちが大陸や南方諸島に出ていこうとすると欧米の妨害にあう……お前らがやってることをやってるだけなのになんで……というか、当時は、日本がアジアを解放すると……

要するに、アジア全体が欧米列強から受けている「被害」を回復するために、日本は立ちあがるんだ……と、国民の多くはそう思っていたのではないか……だから、アジアの諸国に「加害」してるという意識はまるでなくて、逆に、欧米列強の「加害」から守る立場なんだと……そう思ってる人は多かったんではないかと思います。まあ、私は当時生きてないのでこれは推測にすぎませんが、日清、日露に勝って勢いづいていた状況からするとそうではなかったか……で、それを理論化して、大東亜共栄圏とか八紘一宇とか……そこには、「加害感」はかけらもない。

敗戦で、そういう「世界観」はもろくも崩れ去ったわけですが……ただ、そこでナサケナイのは、「負けたから」かつての大東亜共栄圏とか八紘一宇とかの世界観が「まちがってました」……これはないと思うんですよね。そういう世界観は、世界観として打ち立てたからには、絶対に「インターナショナル」を要求するものであって、歴史的批判にも耐えうるものでなくてはならない。大陸や南方諸島での「利権」を守るための便宜的理論として打ち立てたものじゃなくて、世界的な観点からの「理性の批判」に耐えうるものとしてきちんと立てたものであるならば……

それは、「敗戦」によって崩れさるどころか、ますます堅固に主張されるべきであったと私は思います。しかし、実際にはそうはならずに、巨大な幻影のごとく雲散霧消して、だれも責任をとらない……これはいったいどうしたことか……そうなると、もはや、これらの「理論」そのものが、当時の日本の「利権」を守るための便宜的理論武装にすぎなかったことをみずから明らかにしていることになる。これは……はっきりいって、「敗戦」よりはるかにナサケナイことだと思います。当時の日本の「論理」を、日本人はみずから否定した……まともな「論理的検証」をへることなく。

当時、「正しい」と思って強硬に主張したことであれば、なぜ、「敗戦」ごときでその本質を曲げるのか……これは、どう考えても納得できることではありません。そこをきちんとやらないと、当時の日本と日本人は、「玉突きの原理」で被害感いっぱいの状態でアジアに対して「加害行為」をやってしまったということを認めることになりはしませんか……とはいえ、敗戦後の日本の歩んだ道を見れば、それは到底できなかったということも事実として明らかです。ということは、つまりは、大東亜共栄圏も八紘一宇も、やっぱりニセモノ理論で、ナサケナイ被害感の理論武装にすぎなかったのか……

西田幾多郎ほどの思索者も、こんなナサケナイ?理論武装に、当時は染められてしまっていたんでしょうか……ちょっと信じられない思いですが……私は、そういう表面的なことではなくて、なにか、欧米の論理には乗らない、別の……というか、少し違った理性がそこにあるような気がするのですが……それは、欧米の思想の延長線上の「理性」による探求では、もしかしたら到達不可能なのかもしれない……盲導犬のオスカー君の「理性」が、もしかしたら人間の「理性」とは別種の、しかしもしかしたら、人間の「理性の袋小路」を救う可能性を秘めた「理性」かもしれないという……

カニス・サピエンス……これは、以前『SFマガジン』に掲載されていたSFのタイトルで、ホモ・サピエンスが人類、知性のある人を表わすのであれば、「知性のある犬類」ということになると思うんですが……イルカやクジラが、この地球上で、人間とは異なる種の「理性」である……これはよく言われますが、オスカー君の「思索」をみてみると、この言葉が思い起こされます。日本という土地に生きる人たちは、もしかしたら、欧米の「理性」とは別種の「理性」によって育まれるのかもしれませんが……しかし、それをインターナショナルにしようとした瞬間……

大東亜共栄圏や八紘一宇みたいなナサケナイ状態に陥ってしまう……これは、この地に育った人間のひいき目かもしれませんが……欧米の「理性」は、今のところ「スタンダード」としてこの惑星を、空間的にも歴史的にも覆い尽くしていて、ドイツの「反省」もそれに立って行われている……しかるに、日本は、そういうスタンダードに則った「反省」はたぶん不可能ではないか……それは、もしかしたら、根底に「別の理性」が根強くあるからではないかとどうしても思えるんですが……単純な、物理的玉突きによる「被害感の連鎖」をくいとめるためには……

欧米的な「理性」によるならば、どうしても「ドイツ方式」で、「加害感の徹底的プレゼンテーション」を無限に続けていくしかないのですが、それは、やっぱり日本の地の人々にはムリ……どうしても、そこまで徹底した「欧米的理性」を獲得することは、この地の人々にはできないでしょう。それは、自分自身も含めてそう思います。「加害感の醸成教育」も必要なのかもしれませんが、やっぱりそこには、どうしてもぬぐえない「違和感」がある。日本の地の人々は、ドイツ人にはなれない……もう、存在の根っこが、たぶんちがうから……そう思います。

今、この国には、「被害感」が満ち満ちていて、それが、「かつての大戦への道」を知ってる人たちには、「いつか来た道」……と感じられるのかもしれません。まあ、私のように、その道の時点では生きてなかった人間には、「感じとして」しかわからないことですが……でも、歴史はくりかえすかもしれないけれど、それはその都度、やっぱり新しい……とすれば、この問題は、これからの展開において、また新たな様相を開示してくれるのでしょう……あと15年……日本と世界はどうなっているのでしょうか。見たくもあり、見たくないような気も……。

aldani

早川書房『SFマガジン122号』1969年7月号所載のリーノ・アルダー二作『犬類カニス・サピエンス』
作者のリーノ・アルダー二氏については……
http://www.c-light.co.jp/modules/column/index.php/kubo_40/kubo_40_06.html
アルダーニは1926年生まれ。1960年代から作家活動を始めたイタリアSF界のパイオニアで、編集者としても活躍した。2009年没。

今日のemon:ドイツの門/The German gate

ドイツの門_72_900

こんな夢を見た。

名古屋市内を歩いていると、ふしぎな場所に出る。「ドイツの門」

高さは7mくらいか……全体が、固い土でできているような感じで、門の両側に続く土壁のところどころには、松がはえている。

門の上部は、太った大男の顔のような造形で、左右に伸びた頬の上に、かすかに手らしきものがある。

門の両側は、大男の脚になっているようだが、よくわからない。脚と脚の間が空間になっていて、通って向こうに行ける。扉のようなものはなく、大人が立って、少し余裕を持って通れる感じ。

ここを通り抜けてしばらく進むと、「カントの家」がある。カントにかんするあらゆる資料が集積されていて、だれでも自由に閲覧できる。

家の前に佇んでいると、向こうから「カント教」の一団がやってきた……大変だ。

逃げだそうとするところで、目が覚めた。

……………………

名古屋市内には、むろんこんな場所はありません。すべて、夢の中のことです。

カントの住んでいた街、ケーニヒスベルクは、後にソ連領となって、名前もカリーニングラートというソ連風のものに変わりました。カントの生家は、今も残っているらしいのですが……

今日のmanga:がびぞりくんの一日・誕生の巻

がびぞりくんの一日

 

「泳げたいやきくん」と「だんご三兄弟」と「黒猫のタンゴ」。この三つは、新作ヒット童謡御三家といいますか……それぞれにはやった時代の雰囲気まで思い出されて、ファッションってすごいなあと思います。

「自我」という言葉は、いい意味にも悪い意味にも使われますが、ホントはたぶんどちらでもない。いいの悪いの……というのは「まわり」の問題であって、たぶん本人には、「どうしようもないこと」の一つなんだと思います。

まあ、これに「欲」がくっついて「自我欲」となりますと、これはほぼ悪い意味になる。思い出すのはドイツの歴史で、17世紀初頭に30年戦争で国や宗教や王家の利害の対立の戦場になって荒れはてて……ドイツ国民が「自我」に目覚めたのは、やっぱりお隣のフランスの、あの革命さわぎを目の当たりにして……ということだと思いますが、ヘーゲルの哲学やベートーヴェンの音楽なんか、まさに「ドイツ民族の自我の目覚め」って感じですが、それが結局、あの「ナチスの暴虐」へと帰結……

では、日本はどうなんだろう……ということなんですが……今、日本人とか日本民族のアイデンティティとか、ぶきみな方面からの働きかけが強まりつつあるように思いますが、「日本」という「自我」の起源って意外に新しくて、おそらく明治時代、それも明治中期以降なのかなとも思います。たかだか百年ちょっと。それまでは、日本は、藩という小国の連合体だった??……まあ、このあたりは、日本史に詳しい方におまかせですが……

個人の「自我」については、やっぱりこれは相当に苦しいもんですね。幼い頃から思春期、そして、いろいろ社会的責任が出てくる働きざかり……それぞれに「自我」のあり方は変わってくるのでしょうが……ただ、一貫して、「自我」と「自由」はセットだと思います。大人になると悪知恵が働いて、なんか見かけは「公共の福祉」のカタマリみたいな顔をして、その中にそっと「自我」を忍ばせて、結果的には広い範囲を自分の自我のままに動かしていく……まあ、そういうことに長けた方が社会的に伸びていくわけですが、これが、「器量」とか「人徳」とかとないまぜになってわかちがたくやっかい……まあ、「大人の社会」って、そういうもんかな?

あるいは、「自我」と「役割」。これもわかちがたく結びついてやっかいですね。どういうふうに処理していったらいいのか、いまだにわからない……まあ、「絵描き」という職業は、「自我のカタマリ」なんですが、これはけっこう直接的な表出でわかりやすい。これに対極にあるのがたぶん「公務員」という職業で、これは「隠密自我王国」になる。実体としては、すべてにおいて「人の自我」は同じ。ただ、「自我」は伏せれば伏せるほど「安定」につながるということは言えると思います。

モノ……植物……動物……人間……こうやって「自我」は増大していきますが、その先にある?「超人」。「超人の自我」って、どうなのかな? そこまでいくと自我は消滅?? でも、もしかしてさらに発展進化してたら、これはオソロシイと思いますが……

幻視者の魂の音楽:ビンゲンのヒルデガルト

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私が、ビンゲンのヒルデガルト(ヒルデガルト・フォン・ビンゲン)の名前を知ったのは、音楽からでした。今まで、どこでも聴いたことのないような旋律……というか、それは旋律というものでさえなく、全体がふしぎな音響の霧に包まれて、静かにしずかに魂が浄められていく……そんな感覚でした。このふしぎな音楽をつくったのは、いったいどういう人なんだろう……そう思って、いろいろ調べてみると……

このビンゲンのヒルデガルトという人は、女性で、なんと12世紀のドイツの人。生まれが1098年といいますから、日本では白河上皇の院政の時代。清盛の父の平忠盛が1096年生まれですから、ほぼ同時代人。ヒルデガルトさんはかなり長生きで、亡くなったのは1178年。12世紀を目一杯生きた方という印象。一生を女子修道院でくらした。日本では、この頃(1180年前後)に、後白河法皇の『梁塵秘抄』が編纂されています。

私は音楽で彼女を知ったんですが、実は幻視者で、いろんなふしぎな体験をされておられるようです……まあ、そのあたりはあんまり詳しく知らないんですが、この間見た、神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世(バルバロッサ)が出てくる映画で、このヒルデガルトさんがちらっと登場してびっくり。彼女は、バルバロッサに、その死のさまを予言したのでした……

著書もたくさんあって、日本語にもホンヤクされているみたいですが、私は一冊も読んでいないので、その音楽から受ける印象……12世紀というと、どうしてもレオナン(レオニヌス)とかペロタン(ペロティヌス)とか、いわゆるノートルダム楽派の音楽が浮かんでくるのですが、ヒルデガルトさんの音楽はぜんぜんちがう……いや、プロの方が聴けば共通するところはあるのかもしれないけれど、私の耳には、レオナン、ペロタンの音楽よりはるかに新しく、ほとんど現代のアンビエント・ミュージックのように響きます。

12世紀といえば、西洋音楽がグレゴリオ聖歌の単旋律から抜け出て、「対位法」を発見していく時期……そういう時代に、なんかはるかに突き抜けて現代よりも先にいっちゃってるようなこういう曲をどうして作れたんだろう……と思うと、やっぱりそれは「幻視者」だから……というところに落ち着いてしまうのですが……それにしてもふしぎです。

まあ、おそらく、魂には時間はないということなのでしょう……12世紀というと、いわゆる「12世紀ルネサンス」で、ギリシアの哲学者たちの重要な著作が次々とアラビア語からラテン語に翻訳され、アベラルドゥスやトマス・アクィナスの活躍でスコラ哲学の基礎が築かれた時代……政治的には神聖ローマ帝国と十字軍の遠征みたいなものが浮かんできますが……ヒルデガルトさんの音楽は、なぜか、そんなものにはまったく関係なく、無限の時間と空間を漂っているような印象です。

最近、ドイツで彼女を描いた映画がつくられたようですが……これ、日本で封切りされるんでしょうか……みてみたいなあと思いますが。予告編がyoutubeでみられるようです。

ディスクでは、セクエンツィアが録音した8枚組のCDが決定盤みたいなモンでしょうか。(ドイツ・ハルモニア・ムンディ:発売元はソニー)たしか、3000円くらいで買えたように記憶しています。

最後に……この人の曲は、雨が静かに降る夜、遠くから響いてくる雷鳴……そんな音響と渾然一体に聞こえてくれば、もう最高です。……魂が、本源への扉を開く……