ライプニッツの『モナドロジー』にある、有名な言葉。『モナドには、そこを通じてなにかが出たり入ったりできるような窓がない。』
Les Monades n’ont point de fenêtres, par lesquelles quelque chose y puisse entrer ou sortir.
(The Monads have no windows, through which anything could come in or go out.)
そりゃ、そうだと思います。モナドというのは、ギリシア語のモナス(1という意味)から来ていて、単一性そのものを現わす言葉だから。
もし、モナドに窓があって、そこからなにかが出たり入ったりする……ということになりますと、「単一性」は崩壊します。つまり「自分とちがうもの」が自分の中に入ってきたり、「自分」が自分の外に出ていったり……これを許せば、「単一性」という概念自体が無意味になる。
では、モナドは、他のモナドといっさい「交流」はできないんだろうか……いろいろ考えていくうちに、モナドを「波」として考えれば、これは可能ではないかということに思いあたりました。
ヒントは、先にノーベル賞を受賞された梶田先生の研究。ニュートリノ振動……でしたっけ、μニュートリノが、いつのまにかτニュートリノになり、またμニュートリノにもどり……このふしぎな現象を説明するためには、ニュートリノが基本的に、3種の波の組み合わせでできていると考えるほかないというお話……(リンク)
つまり、3種の波の振動がうなりを生じ、そのうなりの各部分が、μニュートリノに見えたり、τニュートリノに見えたりするという解釈……なるほど、これだ!と思いました。
モナドも波であると考えるなら、モナドは究極の単一体であるから、単一の周波数しか持っていないはずです。もし、複数の波の集合体であるとするなら、それは、モナドが複合体であるということになって、モナドの定義自体に反してしまうから。だから、一つのモナドは、それに固有の振動数しかない「一つの波」であるはず。
波の世界では、固有の振動数をそれぞれ持つ複数の波が合成されると、全体の波形は、個々の波の波形とは当然異なってきますが……にもかかわらず、その中においても、「個々の波形」はきちんと保全されており、「全体の波形」は、「個々の波形」の複合に分解できるといいます。これを、数学的には「フーリエ解析」と呼ぶときいたことがありますが……(リンク)
名称はともかく、合成されたときにはその波形が元の個々の波の波形とまったく違うものになったとしても、その中には個々の波の波形がそっくり保全されていて、また分解すれば個々の波に戻る……そうであるとすれば、個々の波は、結局、他の波からまったく影響を受けていないことになる。
これは、まったくモナド的な現象だと思います。要するに、「固有性」というものは、いかにしても破壊できない……モナドには窓がないから当然そうなのですが、しかしモナドを「波」と考えるなら、固有性を完全に保ちながらも、他のモナドと「合わさること」ができる……これは、おもしろいと思います。
ライプニッツによると、モナドは、「自然の本当の原子」であるとのこと。たしかに、物理学の「原子」は、アチラ語では「atom」で、これは、「a-tom」、すなわち「できないよー切断」という意味なんだと。それ以上分解できないもの……そういう意味だったんですが、あっという間に分解されて、原子核と電子に……
で、その原子核というのがまた分解されて陽子と中性子に……じゃあ、「本当の原子」というのは陽子、中性子、電子の三つだったのか……というと、それがそうではなく「クォーク」と「レプトン」という究極の素粒子からできているんだと……ということで、どうやらこのゲームは「キリがない」みたいです。つまり、自然科学の方法で「本当の原子」を求めるというのは、その方法自体がもしかしたらアヤシイのではないかと……
理系じゃないのでそれ以上はわかりませんが……でも、ライプニッツの「モナド」はわかります。要するに「モナド」は大きさを持たない。つまり「延長」という属性には無関係に存在する。「延長」という属性を入れてしまうと、分解して、分解して、それをまた分解して……というふうに際限なく続きますが、「大きさを持たない」ということであれば、そういうかたちでの分解はできません。
しかし、「大きさを持たない」ということでも、「振動はする」ということは可能だと思います。「振動」ということを、どういうふうに考えるか……ですが、振動という概念は、「延長」という概念と不即不離というわけではないでしょうから、「大きさをもたないけれど振動はする」というものは、十分に考えることはできると思う。
とすれば、それぞれに固有の振動数で振動する波である一つ一つのモナドが、相互に「影響しあって」、あるいは「影響しあうようにみせかけて」、その全体が合成された「相互影響合成振動」みたいなものを考ええることも可能ではないか……つまり、モナドは、窓は持たないけれど、固有振動を合成することによって、ある一つの「場」を共有することが可能になるのではないだろうか……
ということで、ここから話は突然とびます。エヴィデンスのまったくない話で恐縮ですが、私は、このモナドの共有する場の最大のものが、この惑星地球ではないか……そういうふうに「飛躍して」思ってしまうのでした。
ライプニッツは、「モナドの支配」ということを言ってます。つまり、私が、私の肉体をもって日々生活できているのは、私というモナドが、私の肉体を構成している他の無数のモナド(細胞や、細胞内の要素もすべてモナド)を支配しているからだと。このことは、以前(リンク)に書いたとおりです。
なるほど……こう考えれば、生も死も、とても理解しやすくなる。「生」というのは、私が他のモナドを支配して、自分の肉体を保持している状態。これにたいして「死」は、私が他のモナドに対する「支配権」をすべて喪失して、元々の「自分」という一つのモナドだけの状態に戻っていく過程……
ライプニッツは、「死は急激な縮退」と言ってる(これも、前に書きました)。つまり、それまでたくさんの他のモナドを支配してきた力が急速に緩んで、しゅしゅしゅ……と、自分のモナドの中に縮まっていく状態……これは、今まで私が聞いてきたいろんな「死の解説」の中で、もっともなっとくできる説だ……
これをさきほどの波の話にしますと……ともかく、「自分のモナド」がなぜか中心になって、他のおびただしいモナドの波の全体を「指揮している」……そんなイメージが浮かびます。
オケの指揮者は、メンバーとしては他の団員と同じく「一人の人間」なんだけれど、にもかかわらず演奏においては、他の団員は全員彼に従い、「一つの合成された波」を形成する……
で、演奏が終わると、指揮者もメンバーも、すうっとそれぞれの人間に戻る。音楽が演奏されている間だけは、彼らは指揮者を中心に一体となっていたわけですが、しかし演奏が終わってからも……たとえば、メンバーの肉体どうしがくっついて離れないということはない。ちゃんと肉体としては一人一人別々……そんな感じなのでしょうか。
だから、私の肉体というのは、実は、ものすごくたくさんのモナドたちが、私という指揮者の元に、それぞれの固有の振動数を合わせて、全体で「私」という一つの音楽を奏でている……そう考えればわかりやすい。私の肉体というのは、一つの「場」になっている……
これは、すべての生命においてそうなんですね。動物も植物も……しかし「全体」ということで考えると、その境がよくわからないようなものもある。これが、石や岩、土、水、空気……みたいになると、ますますわからない……でも、それらを総合して総合して、さらに総合していくと、最終的には「地球」といういちばん大きな「場」にたどりつきます。
人間の想像力というのは、実はアヤシイもので、概念を少しずつ膨らませていくうちに、いつのまにかそこに「架空」というエアーが入ってしまう。
たとえば、私にとっては、「私の肉体」は、まあ、「架空」が入りこむ余地がかなり少ない「現実存在」なのかもしれない。ではしかし、「他の人の肉体」というのはどうなんだろう……アチラの人は、よく握手したりハグしたりしますが……
これは、「肉体の確認」みたいなことなのでしょうか。オマエもオレと同じ肉体を持っておるな……と。まあその証拠に、人間以外の動物と握手することは少ないし(ハグはあるけど)、植物と握手している人は、私は見たことがない。岩や水や空気との握手……は、ちょっと考えにくい(岩のハグくらいはあるかもしれない)。
実体感覚でわかるもの……から遠ざかっていけばいくほど、そこには、アタマで考えただけのもの、つまり「架空」が入りこんでくる。しかも、人間のおもしろいところは、その「架空」をなんの検証もなしに「現実」だと思いこんでしまうところ……おそらく、人の社会は、こういった「架空の合成」によって成り立っているのでしょうが、これはよく考えれば、とてもふしぎなことです。
なので……言葉で「地球」とか言った場合、そこには、もうおびただしい「架空」が入りこんでいる。
だれも、本当の「地球の姿」なんか知らないのに、なぜか知っているような錯覚に陥って、いろいろ環境問題とか資源問題とか論じている……ちょっと引いて考えれば、とてもオカシイ空しいことを、なぜか真剣に議論しているわけです。
なので、この論はこれくらいにしたいと思いますが……物理学で、粒子か波動かということが問題にされたり、振動する超弦理論みたいなものができたり……ということで、モナドも波の性質を持っているとしても、おかしくはない気がします。
ライプニッツは、一つのモナドは、宇宙全体のモナドのすべてを反映するということを言ってますが、モナドが波であれば、それもふしぎではない。ただ、やっぱり「宇宙」というのがひっかかるのであって、私は、ここはやっぱり「地球」だと思うのです。ふしぎなことに。