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世界標準?/A global standard?

世界標準_600
TPP、妥結しましたね。オバマさんはけっこう正直で、「中国みたいな国に、世界標準を取らせるわけにはいかないから……」みたいなことをおっしゃってましたが、やっぱりホンネはそのあたりなのかな?

これで思い出すのが、先に日本の国会を「通った」(というか、ムリヤリ通ったことにした)日米新安保、日米同盟ですが、これで、日本は、軍事においてもアメリカを「世界標準」と認めて、みずから米軍の傭兵になります、と……

世界標準……この問題は、先頃のフォルクスワーゲンの大失態もそんな感じ。未来のクルマは、なにが「世界標準」になるかの争い……どんな分野でも、「21世紀の世界標準」に向けて、熾烈な争いがくりひろげられている……

オリンピックも、今話題のノーベル賞もそう。運動(身体)も頭脳も、みんな「世界標準」を目指してがんばる。0.001秒で「オレが世界標準」なんて、冷静に考えればバカな話……と思いますが、やっぱりみんな熱くなる。

ISOみたいな、モロに世界標準でござい!というのもある。言語では、もうとっくにアメリカ英語が世界標準。で、それをもとにしたインターネットもアメリカ。私みたいに英語がわからない人にとっては、疎外感が大きい。

この問題、実は、深刻です。自分が「世界標準」になれてるかどうか……それは、新しい「分類」であって、世界標準に入っていない人は「無意味」の烙印を押されてしまう。入れた人はいばる。で、入ってない人を見下す。

『ヨハネの黙示録』に、そんな箇所がありました(以下引用 13章14-18)。

『さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。

それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。』(引用おわり)

この「黙示録の獣」については、さまざまな説があるようですが(皇帝ネロだとかバーコードだとか)、私は、この獣は、なにか特定の存在というよりは、人の考え方みたいなものをうまく表わしてるなあ……と思います。

TPPに戻ると、これはもう、世界のいろんなところにある、独自の「生産方式」を認めませんよ、と言ってるようなもので、食糧でもクルマでも、その他さまざまなモノが、すべて「世界標準」にもっていかれる。

まあ、別に、イヤならいいですよ……ということでしょうか。ただし、「輸出」がからんでくると門がピシャリと閉まる。国内であっても、その先にいろんな形で「輸出」が見えてくると、結局嫌われて締め出される。

モノの生産ばっかりじゃなくて、保険制度や特許など、無形のものもそうなる。日本でも、貧しい人々は、アメリカみたいに国民健康保険に入れなくなるのかも。中国の保険制度はどうなってるのかわかりませんが、どっちがマシかな?

先に、蔦屋が公共図書館の運営を任されて、役に立たない古本を買い集めて問題になりましたが、文化でもそうなるんでしょう。スポーツは、オリンピックでとっくにそうなってるし……この「世界標準」って、どこまで続くの?

なんか、極端なことを言ってるなあ……と思われるかもしれませんが、たとえば、オリンピックで、イスラム国が出場する!ということになれば、それはそれで意義があると思います(ますます極端でしょうか……)

まあ、イスラム国が、今のオリンピックに「オレたちも参加するぜ!」というとはとうてい思えませんが、もし言ってきたとしても、「あんたがたダメよ。世界標準じゃないからね」ということなんでしょう。

日本も昔、これで閉めだされましたね。「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」とか、あれは結局、欧米基準にかわる新たな「世界標準」を形成しようとするモクロミと解するのがわかりやすいのかなと思いますが……

欧米列強にみごとに「拒否」されてしまいました。まあ、ドイツもやっぱり閉めだされた側だったんですが……そこへいくと、今の中国って、やっぱり巧みだなあと思います。まず経済で「侵略」して、身動きとれなくしてから……

「ボーイング300機買うぜ!」と言われると、アメリカもやっぱり「マイドおおきに!」といわざるをえない。世界標準はまず経済侵略から……日本も、世界ではやっぱりそう思われているのかもしれませんが……

世界標準と地域性のことを考えてみると、これから先、世界中で、地域性、固有性がどんどん潰されていく……そして、世界が「一色に」塗り替えられていく……それはもう、とめられない傾向であると思います。

そうした場合に、この「地球」は、どうやって「抵抗」するのでしょうか。「その地」を守る人々が、心の底から骨ヌキにされて、われもわれもと「世界標準」になびいていくとき、「地」の抵抗は、「自然現象」となって出現する。

CO2とかPMとか放射能とか……いろいろ言われていますが、地球、大地、空気と水に負荷をかけすぎると、そこは自然に抵抗する。別に大地がそう思っているわけではないでしょうが、キャパシティ以上のものが乗っかると……

バランスが崩れて、当然すべての崩壊がはじまる。よく言われることですが、災害の起こりそうなところに家を建てる、街をつくるからえらいことになるんだと……でも、「世界標準」は、そういう「住み方」を人に強いる。

いなかでも、昔からの家は、できるだけ自然をうまく利用しつつ、災害のあったときに難の少ない場所を選んで建てられている。しかし、それでは、「世界標準」の押し寄せる力にもはや抵抗することができない……

ということで、家も街も、生産現場も、みな、「地の法則」を無視した世界標準の経済原則によって形成される……で、いったん「コト」が起こると脆くも大崩壊。システム全体が崩壊するので、災厄の規模もデカくなる。

今、政府、ABくんのとろうとしている方向を見ると、それは、「世界標準で勝つ」ということに全勢力を傾けよ!と、そう国民に指示し、かつ強制する……そうなっているように思います。経済も軍事も、そして文化さえも。

地の独自性……そういうものは、AB政府にとっては「克服さるべきガン細胞」にすぎないのでしょう。「1億」を一つの色に染めて「世界標準」を勝ち取ろう……そういうふうに言ってるように思います。落伍者は消えてね……と。

なぜこんなふうになるんだろう……ハイデガーは、「世界内存在」ということを言った。イン=デア=ヴェルト=ザイン。これは、人は、「世界」というものに、どうしようもなく根源的に結ばれている存在なんだ……ということ。

しかし、私は、たぶんこれでは甘かったんじゃないかと思うのです。人は、イン=デア=エルデ=ザイン、つまり「地球内存在」、あるいは「大地内存在」であるというべきでしょう。「地」との強烈な結びつき……

「世界」というとき、そこにはやはり、どうしても抽象的なものが漂う。ハイデガーの意図がどこにあったか……それは、私にはわかりませんが、彼が、一時ではあれ、ナチスに深く加担した……そこにヒントがあるようにも思う。

ドイツという国は、ヨーロッパでありながら、「中心」からはちょっと外れているようにも感じます。じゃあ「中心」ってどこなのよ?と聞かれると困るんですが、少なくとも、「辺境」というか、ハズレ感覚って、あるんじゃないか……

要するに、自分たちが「世界標準」を取れていないって感覚ですね。これは、日本もそうだったと思うし、今もそうだと思います。イスラム国なんかは強烈にそう。「世界」を目指す。世界征服……少年マンガの悪役の夢……

単純といえば単純ですが、必ずそうなる。世界標準の悪夢です。第二次大戦でナチスに追われてアメリカに亡命したトーマス・マンは、『ファウストゥス博士の成立』で、ナチスのドイツ人は、本当のドイツ人ではない!と語る。

彼は、ナチスへの憎悪をこめて、ホントのドイツ人は、あんなふうにはならない!と言ってます。彼の、この感覚はわかるなあ……太平洋戦争のときの日本の右翼も、アレは結局ニセモノで、ホントの日本人は違うんだと……

しかしではナゼ、「国をあげて」そうなっちゃったのか……日本もドイツも。ホントの日本人じゃない、ニセのドイツ人だ……と言っても、あのときは、かなりの日本人が、ドイツ人が、「心から」そういう「ニセモノ」になった。

今、サッカーやラグビーやテニスで、「ナントカジャパン」とか言って熱狂してる人たちを見ると、結局そうなんだなあ……と思います。ABくんは、スポーツだけじゃなくて文化面でもそれを利用して煽りたててるし……

ノーベル賞とかも、うまく利用されている。イスラム国にノーベル平和賞を!という人が一人でもいたら、ふーん、ノーベル賞もけっこう信用できるかもね……とも思いますが、まずそうはならんでしょうし……

まあ、イグノーベル賞に「平和賞」があったら、イスラム国の受賞は固いところでしょうが、もしそういうものがあったらまっさきにABサンにあげたい気もします……いや、彼は、「積極平和賞」でしたっけ……

ということで、「世界標準」をめざす各分野の競争は、これからますます加熱していきそうですが……そういうものにカンケイのない私などは、地の力を感じつつ、これからもここで、うずくまって暮らしていく。

そうなると思います。地の力……ホントは、世界って、そういうふうにあるのではないだろうか……世界標準をめぐる戦いが、白熱のあげく昇華されて無意味なものになってしまったとき、人は「地の力」を知る……

どんどん、どろどろ……地の底から、ぶきみな太鼓の音がきこえてきます。それは、大地を、大気を振動させ、「世界」を変えていく……ザイン=イン=デア=エルデ。それを知るとき、人は、本当に「世界」を知る……かも。

世界標準2500
今日の写真は、名古屋市千種区の今池という歓楽街の路上で見つけた模様です。この街は夜の街で、昼間はしらっと、すべてがどこ吹く風といった風情で存在していますが……今をときめくY組のナントカ会の事務所もある?

以前、この街の近くに住んでいました。いろんな人が行き交って、ときに熱く、また冷たく、右往左往しながら秋の空にふと視線をやると、そこは無限の宇宙空間に連なる空洞の底……だれかがじっと見ている。神、でしょうか……

神の視線、だったら、「世界標準」といってもいいのかな? でも、人の視線は、けっして「世界標準」にはなりえない。人は、大地の子。大地からつくられ、大地に還る。そんなアタリマエのことを、年齢によって再発見するのもまた楽し?

ハイブリッドの勝ち?/Will hybrid drive system win?

ハイブリッドの勝ち?_600
Mwa ha ha ha……You are a stupid fellow, aren’t you?

欧州車はクリーンディゼル、日本車はハイブリッド……なんか、そんなイメージがありましたが……まあ、日本車といっても主体はトヨタなんですけど、フォルクスワーゲンが勇み足で自滅したので、これからの流れはハイブリッドに……そんな理解でいいのでしょうか……そう思って、ちょっと調べてみると、うーん……コトはそうカンタンでもないみたいです。

要するに、これからのクルマ、未来を征するエンジンはなにか? ということですが……まあ、電気自動車や燃料電池車なんかはエンジンじゃなくてモーターだから、これからのクルマの駆動機関はなにか? といった方がいいのかもしれませんが、候補はだいたい、次のようになっているのかな?

★ガソリンエンジン(レシプロかロータリーか)
★ディーゼルエンジン(クリーンディーゼル)
★ハイブリッド(ガソリンエンジンとバッテリーとモーター)
★電気自動車(バッテリーとモーター)
★燃料電池車(燃料電池とモーター)

ガソリンエンジンは、ロータリーがマツダの限定車種だけなので、ほぼレシプロ一色といってもいいのでしょう。今はこれが、やはりいちばん多いけれど、ディーゼル(クリーンディーゼル)とハイブリッドが徐々にそのシェアを侵しつつある……というところでしょうか。電気自動車はバッテリーの問題があるし、燃料電池車はインフラ整備が追いつかないのでまだまだですね。

未来になにが「勝つ」か……これは、技術の問題だけでは片がつかないのがやっかいなところ。各国の規制や消費者の好みや資源や地球環境の問題や……政治がらみ、経済がらみでこんぐらかった糸が縦横無尽に……まあ、車輪を回転させるという点からすると、モーターで駆動する電気自動車と燃料電池車が、クルマとしてはもっとも「正直」な構造なんでしょうが……

ガソリンエンジンやディーゼルなど、内燃機関は、車輪の回転数の制御を直接エンジン出力で行わずに変速ギアをかませるので、構造も複雑になるし、エネルギーロスもある。この点からするとモーターと車輪を直結できる電気自動車と燃料電池車は有利。ただ、高速域での加速にかなりのエネルギーを必要とするそうですから、やっぱり変速機は必要という意見もあるようですが。

それと、電気自動車の最大の困難がバッテリーの問題。これは、航続距離に直結する。つまり、航続距離を長くしたければ、でかいバッテリーを積まなきゃならない。燃料電池車では、これが水素ボンベになるわけですが……この問題は、まだ根本的に解決されていないみたいですね。それと、電気自動車は感電、燃料電池車は水素ボンベの爆発の危険はないのかな?

電気自動車の高圧バッテリーは、通常の状態では何重にもガードされているから感電の危険はないようですが、問題は衝突したとき。今は、まだ台数が少ないから現実化はしていないようですが、レスキューでは耐電服(7000Vに耐えられる)や耐電仕様のグローブ、長靴を用意しており、訓練でも漏電チェックなどで、ガソリン車やディーゼル車に比べると時間がかなりかかるということです。

燃料電池車の水素ボンベの爆発の危険もやっぱりあるみたいですね。なにしろ、水素を350気圧(場合によっては700気圧)という高圧で封入しているので、事故が起こったら大爆発という危険性も……これはもう、ガソリン車の炎上の危険性なんかとは比べものにならないでしょう。それと、燃料電池車は、排気管から出るのは水だけという「究極のエコカー」がウリなんですが……

実は、燃やすための水素をなにからつくるかといえば、現在は石油や天然ガス、石炭という化石燃料を改質してつくるのが主流だそうで、その過程でやっぱりCO2も排出される。つまり「見せかけエコ」ということで、まあ、一種のサギに近い。かといって、水を電気分解してつくる方法では、じゃあその「電気」はどっから得るんですか?ということで、結局石油や原子力……

トヨタは「水素社会」といって、いかにも燃料電池車が「エコ」みたいな言い方をしてるけど、実質は化石燃料や原子力頼み……「どこがエコなの?」といいたくなります。ということで、電気自動車も燃料電池車も、フレコミほど「未来を開く」力は持ってない。ということになりますと、やっぱりガソリンエンジンと電気のハイブリッドか、あるいはクリーンディーゼル……

ハイブリッドの方は、ガソリン車と電気自動車のいいとこどりで、現在のところけっこう伸びてますね。一口にハイブリッドといっても、ガソリン車の減速時のエネルギーで発電機を回す12V、今主流の100V、そして両者の中間の48Vと、いろんなタイプがあるみたいですが、12Vだと電装品への電力供給くらいにしか使えないので、ホントの意味のハイブリッドは48Vか100Vなんでしょう。

でも、やっぱり怖いのは感電ですね。ハイブリッド車の事故に対しては、レスキューは感電防止手袋をつけるようです。それと、どうしても電池のサイズは問題で、結局今のハイブリッドは、主体はやっぱりガソリンエンジンなんでしょうね。コンセントで充電できるプラグインハイブリッドもできてきてますが、これは電池サイズが大きくなるので、うまく普及するのだろうか??

ディーゼルエンジンの排気部分に触媒フィルターを使ってNOXなどを除去するクリーンディーゼルは、触媒に貴金属を使うことから、できるだけフィルターの寿命を伸ばしたいということで、NOXの規制の厳しいアメリカで、フォルクスワーゲンがあのような事態に……これはもう、一種の確信犯というべきか……要するに「あんたとこの規制基準、厳しすぎるぜ」といってる。

でも、おおっぴらに言えないので、ソフトであんな工作を……例えは悪いけれど、日本では今、20才にならないと酒もタバコもダメで、「コンパで酒も飲めんじゃん!」というのと同じ感じというと怒られるかもしれませんが……フィルターでNOXを取る方式よりも、エンジン自体をNOXの排出が少ない構造にするマツダみたいなやり方が、結局はいいのかもしれませんが……

ただ、私が思うには、ガソリンエンジン、それもレシプロエンジンは、そんなに急になくなることはないんじゃないかと……いろんな点から考えて、よくできた駆動装置だと思います。磨きがかかってるというのか……モノそのものは19世紀ベースですが、人類の19世紀のいろんな課題がまだまったく片づいていないのと同様、レシプロガソリンエンジンもなかなか次にその王座を譲らない。

電気自動車のように感電の危険のあるでかいバッテリーも必要ないし、燃料電池車のように爆発の可能性のある水素ボンベも要らない。点火プラグで点火するので、ディーゼルのように高圧縮も必要ない。考えてみれば、いろんな駆動方式の中で、いちばん「おだやかな」仕組みではないだろうか……システム全体に、あんまりムリを強いていないというか、ソフトでフレキシブルにつくってある。

ということで、「未来のクルマ」はやっぱりガソリン車?ということに?? じゃあ、もうちょっと堀り下げて、もっと根本的なところから問題を考えてみたらどうだろう……要するに、「なぜ、クルマが必要か」ということなんですが、これは結局、人間が、今のサイズの肉体を持っているから……そういうことになるのではないでしょうか。このサイズの肉体が移動する、そのために必要。

貨物にしてもそうです。このサイズの人間の肉体を維持するためのさまざまなもの、食料品、衣料品、そして家をつくるための建設資材……さらには、ガソリンや灯油などの燃料運搬、さまざまな機械類の運搬……ありとあらゆることにクルマは使われますが、そのすべてが、今のサイズの「人間の肉体」を維持することに奉仕しているといってもいい。精神的な快楽も、「人の脳」あってこそ。

クルマを公理のように前提にする社会は、ここが基準になってる。トヨタの「水素社会」は、要するに「水」のかたちで「無尽蔵」にある水素を、なにかうまい方法で取り出せば「化石燃料問題」は解決じゃないの?と言ってるような気もするけど、それって、「放射性廃棄物の処理は、未来の科学が解決する」といってここまで走ってきたコケた原発問題と、どっか良く似ているような……

原子力も、1960年当時はすごかったですよね。これこそが「未来のエネルギーだ」とかいって……原水爆はみんな反対していたけれど、原発は「原子力の平和利用だ」といって、反対する人はダレもいませんでした。「放射性廃棄物?ンなもん、未来の科学者がなんとかしてくれるさ」ということで、原子力平和利用に反対するものは、それこそヒコクミン扱い。資源の乏しい日本で、ナニをいうか!と。

ということで、「絶対白」だった原子力も、セラフィールド(英)、スリーマイル(米)、チェルノブイリ(露)、福島(日)と、重大事故がくりかえされるたびに黒ずんできて、今ではもう真っ黒。しかも、後にいくほど事故の規模がデカくなってるところがコワい。次の重大事故がどこで起こるのかはわかりませんが、スケールアップの法則?からすると、想像を絶するものになるのかも……

科学技術の発展って、結局この道だと思います。最初は真っ白で、輝くばかりの「未来」を指し示していても、スケールが大きくなるにしたがって黒くなる。つまり、それだけ人間の生活全般に浸透して、「それなしではいられない」状況になってしまったときに、ようやくその「本質」が明らかになる。そして、そうなったときにはもう時すでに遅し……ソレに頼りきった人類は、もう引き返せない。

クルマの問題も、結局「人間の肉体の問題」が解決されない限り、どこまで行っても解決に至らず、その都度、安価に安定供給されるエネルギー源をむさぼり尽くして次はなにか……と虎視眈々と狙う「欲の目」に左右されて、むなしく資源を食い尽くし環境を汚染することになる……重厚長大な「人間の肉体の問題」。これこそが、本当に「解決されなければならない問題」ではないだろうか……

ずるいカブトムシ/Crafty beetle

ワーゲン_450
フォルクスワーゲンの違法行為……いろいろ考えさせられました。

違法ソフトというのかな? 検査のときだけ働いて、排ガスのNOX値を下げる……要するに、「おっ、この動きは検査だねっ。じゃあ、さげなくっちゃ!」と自分で判断して、下げる……とってもお利口さんだったけど、おバカなソフト……これ、もしかしたら「技術の本質」かもしれません。

狭い範囲に限定して、お利口に働いて「得させる」。でも……さらに範囲が広がると、社運を傾けてしまうような、実はおバカなふるいまいをしている……

それに、気がつかない……というか、「お利口」の範囲を限定してつくられちゃってることに気がつかない……となると、コレをつくった人も、おそらく気がつかない。自分の範囲をみずから限定して、その中で、「どーだ!オレって、アタマいいだろー」と得意がってる……

以前、特許事務所に勤めていたとき、たくさんの技術者の方々と面談しましたが、やっぱり「技術に酔う」という傾向は顕著だったと思います。……まあ、私の勤めていた特許事務所は小さいところで、中小企業や個人会社の技術者の方が多かったから、大企業の技術者はもっとクールなのかなあ……と思ってましたが……

今回のワーゲン騒動を見てみると、どうもそうでもないみたいですね。最終的に自分の会社を潰してしまうような危険を感知できない……というか、そもそも、社会的にどうなのよ?という倫理面すらわからない……「違法かどうか?」の前に、当然「倫理的にどうなのよ?」というのがあるワケですが、それはムシ。

この傾向は、「メカからソフトへ」という流れが強くなって、ますます増長されちゃってるように思います。クルマでも家電でも、なんでもそうですが、技術の世界は、今や、ソフトが自在にメカをコントロールする。以前ならメカでやってた制御系を、可能な限りソフトで置き換えていく……それがスマート。

というわけで、機械系の特許でも、最近は必ずソフトの働き方を示すフローチャートをくっつけるようになりました。一昔前は、機械系の特許は、いかに新しいメカを開発するか、というのが焦点だったのに、今では、焦点が少しずつソフトの方に移りつつあるような感じですね。まあ、ベースはやっぱりメカなんですが。

今回のワーゲンのソフトは、目的が違法だから、もちろん特許にはなりません。だけど、開発技術者の心は、やっぱり「どーだ!スゲーだろー!!」というものだったと思います。新しいソフトを開発すれば、すべてはそれで許される……そこまでの錯覚はなかったとは思いますが、近い線まで行ってたんでしょう……

自社の利益でとまる。あるいは、国だったら「国益」でとまる。もうそれでは済まないところに、世界は行ってるような気がします。じゃあ、どこまで範囲を広げたらいいのだろう……となると、とりあえずは「人類」ですか。環境問題なんか、最終的に「人類自身が困る」というところでストップしている論も多い。

人類の存在の仕方と、人類以外のものの存在の仕方と、どこがどう違うのか……あるいは、違いはないのか……そこは、いまの「人類」には難しいところだと思う。なぜかといえば、人類は、地球という惑星の外に出ることができないから……本当の意味で、全体を俯瞰できる視点を持ちえない以上、それはムリなのか……

「レディバード、レディバード、お前の家が火事だ!」なんか、そんなオソロシイ歌詞が、マザーグースの中にありました。この「レディバード ladybird」は、イギリス英語でテントウムシのことらしいですが、テントウムシはまた、別名「レディビートル ladybeetle」ともいうそうです。淑女のカブトムシ??

「人間よ、人類よ、お前の惑星が……」そんな声が、宇宙からきこえてきそうな今日この頃ではありますね。

*ladybird の lady は、聖母マリアのことだった? そういう説明が書いてあるサイトがありました。
http://jack8.at.webry.info/201006/article_1.html