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世界標準?/A global standard?

世界標準_600
TPP、妥結しましたね。オバマさんはけっこう正直で、「中国みたいな国に、世界標準を取らせるわけにはいかないから……」みたいなことをおっしゃってましたが、やっぱりホンネはそのあたりなのかな?

これで思い出すのが、先に日本の国会を「通った」(というか、ムリヤリ通ったことにした)日米新安保、日米同盟ですが、これで、日本は、軍事においてもアメリカを「世界標準」と認めて、みずから米軍の傭兵になります、と……

世界標準……この問題は、先頃のフォルクスワーゲンの大失態もそんな感じ。未来のクルマは、なにが「世界標準」になるかの争い……どんな分野でも、「21世紀の世界標準」に向けて、熾烈な争いがくりひろげられている……

オリンピックも、今話題のノーベル賞もそう。運動(身体)も頭脳も、みんな「世界標準」を目指してがんばる。0.001秒で「オレが世界標準」なんて、冷静に考えればバカな話……と思いますが、やっぱりみんな熱くなる。

ISOみたいな、モロに世界標準でござい!というのもある。言語では、もうとっくにアメリカ英語が世界標準。で、それをもとにしたインターネットもアメリカ。私みたいに英語がわからない人にとっては、疎外感が大きい。

この問題、実は、深刻です。自分が「世界標準」になれてるかどうか……それは、新しい「分類」であって、世界標準に入っていない人は「無意味」の烙印を押されてしまう。入れた人はいばる。で、入ってない人を見下す。

『ヨハネの黙示録』に、そんな箇所がありました(以下引用 13章14-18)。

『さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。

それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。』(引用おわり)

この「黙示録の獣」については、さまざまな説があるようですが(皇帝ネロだとかバーコードだとか)、私は、この獣は、なにか特定の存在というよりは、人の考え方みたいなものをうまく表わしてるなあ……と思います。

TPPに戻ると、これはもう、世界のいろんなところにある、独自の「生産方式」を認めませんよ、と言ってるようなもので、食糧でもクルマでも、その他さまざまなモノが、すべて「世界標準」にもっていかれる。

まあ、別に、イヤならいいですよ……ということでしょうか。ただし、「輸出」がからんでくると門がピシャリと閉まる。国内であっても、その先にいろんな形で「輸出」が見えてくると、結局嫌われて締め出される。

モノの生産ばっかりじゃなくて、保険制度や特許など、無形のものもそうなる。日本でも、貧しい人々は、アメリカみたいに国民健康保険に入れなくなるのかも。中国の保険制度はどうなってるのかわかりませんが、どっちがマシかな?

先に、蔦屋が公共図書館の運営を任されて、役に立たない古本を買い集めて問題になりましたが、文化でもそうなるんでしょう。スポーツは、オリンピックでとっくにそうなってるし……この「世界標準」って、どこまで続くの?

なんか、極端なことを言ってるなあ……と思われるかもしれませんが、たとえば、オリンピックで、イスラム国が出場する!ということになれば、それはそれで意義があると思います(ますます極端でしょうか……)

まあ、イスラム国が、今のオリンピックに「オレたちも参加するぜ!」というとはとうてい思えませんが、もし言ってきたとしても、「あんたがたダメよ。世界標準じゃないからね」ということなんでしょう。

日本も昔、これで閉めだされましたね。「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」とか、あれは結局、欧米基準にかわる新たな「世界標準」を形成しようとするモクロミと解するのがわかりやすいのかなと思いますが……

欧米列強にみごとに「拒否」されてしまいました。まあ、ドイツもやっぱり閉めだされた側だったんですが……そこへいくと、今の中国って、やっぱり巧みだなあと思います。まず経済で「侵略」して、身動きとれなくしてから……

「ボーイング300機買うぜ!」と言われると、アメリカもやっぱり「マイドおおきに!」といわざるをえない。世界標準はまず経済侵略から……日本も、世界ではやっぱりそう思われているのかもしれませんが……

世界標準と地域性のことを考えてみると、これから先、世界中で、地域性、固有性がどんどん潰されていく……そして、世界が「一色に」塗り替えられていく……それはもう、とめられない傾向であると思います。

そうした場合に、この「地球」は、どうやって「抵抗」するのでしょうか。「その地」を守る人々が、心の底から骨ヌキにされて、われもわれもと「世界標準」になびいていくとき、「地」の抵抗は、「自然現象」となって出現する。

CO2とかPMとか放射能とか……いろいろ言われていますが、地球、大地、空気と水に負荷をかけすぎると、そこは自然に抵抗する。別に大地がそう思っているわけではないでしょうが、キャパシティ以上のものが乗っかると……

バランスが崩れて、当然すべての崩壊がはじまる。よく言われることですが、災害の起こりそうなところに家を建てる、街をつくるからえらいことになるんだと……でも、「世界標準」は、そういう「住み方」を人に強いる。

いなかでも、昔からの家は、できるだけ自然をうまく利用しつつ、災害のあったときに難の少ない場所を選んで建てられている。しかし、それでは、「世界標準」の押し寄せる力にもはや抵抗することができない……

ということで、家も街も、生産現場も、みな、「地の法則」を無視した世界標準の経済原則によって形成される……で、いったん「コト」が起こると脆くも大崩壊。システム全体が崩壊するので、災厄の規模もデカくなる。

今、政府、ABくんのとろうとしている方向を見ると、それは、「世界標準で勝つ」ということに全勢力を傾けよ!と、そう国民に指示し、かつ強制する……そうなっているように思います。経済も軍事も、そして文化さえも。

地の独自性……そういうものは、AB政府にとっては「克服さるべきガン細胞」にすぎないのでしょう。「1億」を一つの色に染めて「世界標準」を勝ち取ろう……そういうふうに言ってるように思います。落伍者は消えてね……と。

なぜこんなふうになるんだろう……ハイデガーは、「世界内存在」ということを言った。イン=デア=ヴェルト=ザイン。これは、人は、「世界」というものに、どうしようもなく根源的に結ばれている存在なんだ……ということ。

しかし、私は、たぶんこれでは甘かったんじゃないかと思うのです。人は、イン=デア=エルデ=ザイン、つまり「地球内存在」、あるいは「大地内存在」であるというべきでしょう。「地」との強烈な結びつき……

「世界」というとき、そこにはやはり、どうしても抽象的なものが漂う。ハイデガーの意図がどこにあったか……それは、私にはわかりませんが、彼が、一時ではあれ、ナチスに深く加担した……そこにヒントがあるようにも思う。

ドイツという国は、ヨーロッパでありながら、「中心」からはちょっと外れているようにも感じます。じゃあ「中心」ってどこなのよ?と聞かれると困るんですが、少なくとも、「辺境」というか、ハズレ感覚って、あるんじゃないか……

要するに、自分たちが「世界標準」を取れていないって感覚ですね。これは、日本もそうだったと思うし、今もそうだと思います。イスラム国なんかは強烈にそう。「世界」を目指す。世界征服……少年マンガの悪役の夢……

単純といえば単純ですが、必ずそうなる。世界標準の悪夢です。第二次大戦でナチスに追われてアメリカに亡命したトーマス・マンは、『ファウストゥス博士の成立』で、ナチスのドイツ人は、本当のドイツ人ではない!と語る。

彼は、ナチスへの憎悪をこめて、ホントのドイツ人は、あんなふうにはならない!と言ってます。彼の、この感覚はわかるなあ……太平洋戦争のときの日本の右翼も、アレは結局ニセモノで、ホントの日本人は違うんだと……

しかしではナゼ、「国をあげて」そうなっちゃったのか……日本もドイツも。ホントの日本人じゃない、ニセのドイツ人だ……と言っても、あのときは、かなりの日本人が、ドイツ人が、「心から」そういう「ニセモノ」になった。

今、サッカーやラグビーやテニスで、「ナントカジャパン」とか言って熱狂してる人たちを見ると、結局そうなんだなあ……と思います。ABくんは、スポーツだけじゃなくて文化面でもそれを利用して煽りたててるし……

ノーベル賞とかも、うまく利用されている。イスラム国にノーベル平和賞を!という人が一人でもいたら、ふーん、ノーベル賞もけっこう信用できるかもね……とも思いますが、まずそうはならんでしょうし……

まあ、イグノーベル賞に「平和賞」があったら、イスラム国の受賞は固いところでしょうが、もしそういうものがあったらまっさきにABサンにあげたい気もします……いや、彼は、「積極平和賞」でしたっけ……

ということで、「世界標準」をめざす各分野の競争は、これからますます加熱していきそうですが……そういうものにカンケイのない私などは、地の力を感じつつ、これからもここで、うずくまって暮らしていく。

そうなると思います。地の力……ホントは、世界って、そういうふうにあるのではないだろうか……世界標準をめぐる戦いが、白熱のあげく昇華されて無意味なものになってしまったとき、人は「地の力」を知る……

どんどん、どろどろ……地の底から、ぶきみな太鼓の音がきこえてきます。それは、大地を、大気を振動させ、「世界」を変えていく……ザイン=イン=デア=エルデ。それを知るとき、人は、本当に「世界」を知る……かも。

世界標準2500
今日の写真は、名古屋市千種区の今池という歓楽街の路上で見つけた模様です。この街は夜の街で、昼間はしらっと、すべてがどこ吹く風といった風情で存在していますが……今をときめくY組のナントカ会の事務所もある?

以前、この街の近くに住んでいました。いろんな人が行き交って、ときに熱く、また冷たく、右往左往しながら秋の空にふと視線をやると、そこは無限の宇宙空間に連なる空洞の底……だれかがじっと見ている。神、でしょうか……

神の視線、だったら、「世界標準」といってもいいのかな? でも、人の視線は、けっして「世界標準」にはなりえない。人は、大地の子。大地からつくられ、大地に還る。そんなアタリマエのことを、年齢によって再発見するのもまた楽し?

立法死せり/The legislature has been terminated.

すたすたAB_900
前のブログを書いているとき、新安保法案が参院委員会で強行採決されました。ずーっと見ていたけれど、もはや……なんともはや……それにしても委員長の鴻池さん、人気ありますね。とくに、野党議員で、彼に対する感謝の言葉を述べた人が多かったのが印象的。最後はあんなふうになってしまいましたが、ちょっと、一種の「文化」を見たような気がします。だけど、絶対許せんのが、ABくんのあの態度……

法案の強行採決がはじまったとたん、怒号のとびかう委員会室を、一人だけさっさと退席……これまでもそうではないかと思っていましたが、あの人、悪魔に魂を売っちゃったんですね……野党議員からも慕われている鴻池さんと、なんという対比……自分が責任もってやろうとしてることなんだから、最後までおれよな! そう叫びたくなる私は、政治のシロウトだから?……だけど、シロウトなりに考えると……

行政府の長がそこにいない場所で「可決」された法案って、ちゃんと「成立してる」と言えるのかなあ……つまり、法案を閣議決定した政府が、その審議を立法府の委員会にお願いしているわけだから、その「おねがいしている」立場の行政府のトップがそこにおらん状態で「可決」ということで、それで理論上いいのですか?ということなんですが……まあ、もしかして法律上はモンダイないとしても、倫理的には大問題だ。

この人、自分をなんだと思ってるのかなあ……「立法府なんかオレの手下にすぎねえ」とまで思ってるかどうかは知りませんが、採決前にさっさと一人だけ退室するなんて、まさに「王様の態度」じゃありませんか……まあ、「独裁者」ってことなんでしょうが、もうこの態度だけで、民主主義も三権分立も、全部「オレより下」ってことがみえみえじゃないですか……あるいは……

どっかの局(たぶんNHK)の映像で、背広を着た二人の男性が、強行採決の直前に総理に退席を促しているように見えるシーンを映して、アナウンサーのコメントで、「事務方に促されて総理は退席」と言ってました。もしこれがホントだとするなら、これも大問題じゃない? 事務方というのは、国会、つまり立法府の事務方なんでしょうが、まだ法案の採決前なのに、行政府の長の退席を促す……

これ、立法府の自滅じゃないでしょうか。矜持というものがないのかなあ……みずから、立法府は行政府の下働きでござい……と言ってるような態度です。ということで、総理が自分の意志で退席したにしても、立法府の事務方に促されて退席したにしても、どっちにしても大問題であることにはかわりない。もう、日本では「三権分立」は機能しておらず、少なくとも立法府は行政府の下部組織である……

コレ、立法府の中心たるべき国会議員さんたち、文句いわなくていいんですか?ほっといちゃダメでしょ?……とくに野党のみなさんは、「総理が採決を待たずに退席したから、この採決は無効だ!」くらいは言ってもいいんじゃないでしょうか。……まあ、こんなのを許していたら、あとはもうずるずると行き着くところまで後退するのは目にみえてます。まあ、ルメイ氏に勲章やるくらいの国だから、しょうがないのか……

あるいは、次のような意見もあるかもしれません。「しめくくり質疑」が省略されちゃったので(これも横暴な話だと思いますが)、総理がいる必要はないでしょ?と。たしかに、ABくんの退室は、自民の議員から出された「しめくくり質疑」を省く動議が可決された直後でした。まあ、正確には、自民が可決したということにした直後というべきでしょうが、そこで、事務方が促して?総理は席を立った。

だけど、これもおかしな話です。たしかに、質疑があれば行政府の長はいなくちゃならない。だけど、採決のときにはいなくていいんですか? 自分が審議を「おねがいした」法案の採決なのに……別に、遠くにいたわけじゃなくて、その、採決が行われる部屋の中にいたわけでしょ? なのに、採決の直前にそこを出てしまう……こんな無責任はない。立法府よ、ここまでバカにされて、なんでだまっているのだ?

ABくんになめられているのは、なんも野党の議員たちだけではない。与党の議員、とくに自民の議員も、野党の議員と「ナメラレ度」はいっしょ。法案が可決成立したときに、首相や担当大臣が、議員席に向かって深々と頭を下げる光景は、「ご審議いただきありがとうございました」という御礼だと理解してました。与党に対しても、野党に対しても、きちんと御礼をいってるのだと、私は理解していた……

あの映像……しらっと部屋を出ていくABくん……ずっと残ります。彼が、ホントはものすごくいいヤツだったとしても(まあ、ありえませんが)、あの映像が残っただけで、自分を行政、立法、司法の上に君臨する、つまり国家と国民の上に君臨する「至上者」と思っている人……という印象を、未来永劫に与えてしまう。国会の開会には、天皇陛下が臨席されるわけですが、その最後がアレ……自分はダレよりも「上」なんですか?ABさん。

殺す倫理/Killer’s Ethics

紀州犬射殺_600
人を噛んだ紀州犬が、3人の警官に射殺されました。13発の銃弾を受けて……というか、外れが多かったみたいですが、一発が頭部に命中して絶命。なんまんだぶ……なんか、かわいそうですね。TVの写真でみるかぎり、そんなに凶暴そうでもなく、フツーのわんちゃんなんですが……飼い主の飼い方にモンダイがあったようなこともいってましたが、どうなんでしょうか。

ベランダで飼ってて、あんまり散歩もさせてなくてストレスがたまってたとか……警官は、飼い主に、「撃ちますよ」と言い、飼い主が了承したので発砲したと言ってた。なるほど……犬は「器物」なので、持ち主(飼い主)が「壊していいよ」といえばピストルで撃って破壊してもOK。「殺し」じゃなくて、たんに「駆除」なんですね。ハエをハエ叩きでポンとやるのと同じ。ただ規模が大きいだけ。

じゃあ、相手が人間だったら……たとえば、どっかの会社で、社長がOKといえば、警官は社員を撃ち殺せるのか……いや、これはダメでしょう。社員は社長の「持ち物」じゃないし……というか、「人間」だから……でも、相手が人間でも、ポンポン撃つ場合もある。どんな場合だろうか……凶悪犯罪者で、銃とか持ってる……あるいは、戦争で、相手は敵の兵士だ……そんな場合かな。

これ、「自衛権」に深くかかわってくると思うのですが、今回も、犬が複数の人を噛み、さらに警官にも襲ってきた。だから撃った。警官が自分自身を守るためもあるけど、もっと人を噛んで被害が広がらないように……つまり、「人間の仲間」を守るために撃った。そういうことになります。この理論が「戦争」にも適用される。敵の襲撃に対して、自分と仲間を守るために……

撃つ。殺してもいい。というか、たくさん殺せば殺すほど、「英雄」として讃えられる。太平洋戦争のときの米軍将校のカーチス・ルメイさんなんか、何十万の日本人を焼夷弾で焼き殺した功績を讃えられて?日本政府から勲章をもらってます……んー、どー考えてもヘンな話だなあ……これって。じゃあ、アメリカから勲章はいいの?となると、それも、よーく考えれば(というか考えなくても)ヘンです。

lemay
殺しまくった人が、その功績を讃えられて叙勲される……これは、そこで働く「倫理感」がやっぱり狂ってるんだと思う。どうでしょうか……「アイツをほっとくと、オレたちに危害を加えるから、殺す!」これ、「倫理感」と呼べるのだろうか……今、ABくんたちが推進しようとしていることのベースには、この「狂った倫理感」がありますが、これって、もしかしたらけっこう重篤な病気なのでは……

「存立に明白な危機」とか言ってますが、それって、「犬が噛むかもしれんから殺す!」と、どこがどう違うんだろうか……じゃあキミは「自衛」まで否定するのか? という声がきこえてきそうですが、たしかに私も、蚊がプーンときたらパチン!とやります。で、潰れた蚊を「なんまんだぶ」と唱えてゴミ箱へ……これを否定すると、果てはジャイナ教になる。虫を吸いこむかもしれないから息を止める→自分が死ぬ。

人間の倫理は、たぶんここを越えないといけないのでしょう。じゃあ、どうやって? ということなんですが、昔、埴谷雄高さんの『死霊』という小説を読んだときに、キリストが、釈迦が、「死者の国」で、自分が食ったものに責められるという話がありました。キリストは、ガリラヤ湖の魚から、釈迦はチーナカ豆から、それぞれ、「オレを食っただろう!」と厳しく断罪される。

聖書では、キリストが、弟子たちに命じて、ガリラヤ湖に網を投げさせ、魚をとらせて、弟子たちとともに焼いて食べるシーンがあるそうで。また、釈迦は、チーナカ豆のカレーを食べて、それが元で食中毒で入滅……なので、この二つの食べ物は、「聖者を弾劾できる権利」を持つ象徴的な存在として、この小説『死霊』に登場するわけです。このことは、前にも書いたように思いますが……

当時、この場面を読んだ私は、なるほど……と思いつつも、この「論理」を完全に受けいれることはできませんでした。「いくら立派な教えを垂れても、オマエは私を食った。その一点で、オマエは鬼なのだ!」と、こういうことになって、これはこれで、まちがっていない。たしかに、いくら立派な人でもモノを食べる。ということは、その食べられたモノにとっては、その人物は、鬼、悪魔にほかならない。

キリスト教の人にきくと、「牛や豚は、神様が、人間の食物としてつくってくださったのだから、食べてもいいのです」という……なんと勝手な!そんな神様は、人間の神であっても、牛や豚の神ではない。むしろ、彼らにとっては悪魔です。これと同じ論理が、「紀州犬13発射殺事件」にもいえる。射殺相手が犬だから……犬の神は、たぶん、今のところは人間の神より弱いから、モンダイにならない……

でも、犬の神が、人の神より強くなったら、射殺した警官は、犬の神によって断罪されるだろう……なにをアホなことを……と思われるかもしれませんが、戦争は、昔は、人と人の戦いである以上に、神と神の戦いであったとききます。まあ、今も、キリスト教とイスラム教の戦いは、神と神の戦いであるともいえるのですが……先の、日本人大量虐殺犯のルメイさんは、日本人をたくさん殺したことについて……

「アメリカが勝ったから戦争犯罪人にならなかったけど、もし負けてたら、ボクは、戦争犯罪人になってただろう」とおっしゃったとか。なるほど……よくわかってらっしゃいます。人間の倫理感って、まあ、こんなもんなんですね。すべては「相対的」なのか……とすると、それって、「倫理」といえるんでしょうか。ホントの倫理は、どんな所でも、どんな時でも、通じるものでなきゃイカンのでは……

この点について、私は、最近、本田哲郎という方の『聖書を発見する』という本を読んで、感じるところがおおいにありました。本田さんは、カトリックのフランシスコ会の司祭で、ローマ教皇庁立聖書研究所を卒業、聖書をヘブライ語とギリシア語の原典から厳密に研究する聖書学者でもあります。しかし一方、みずから大阪の釜ヶ崎の2畳のアパートに暮らし、日雇い労働者と生活をともにする「実践の人」でもある。

私が本田さんの本でとくに感じたのは、聖書全体が、「小さくされた人」のために書かれた書であるという彼の主張です。「小さくされた」というのは本田さん特有の用語で、ふつうの聖書だと、「貧しきもの」(原語はプトーコイ)とか、そういうふうに訳している箇所を、本田さんは、「小さくされた」と訳す。これは、そういう目にあっている人の実感にいちばん近い。たしかに「小さく」されてるんですね……

でかい人によって。まあ、普通の言葉でいえば「抑圧」とか「弾圧」ということだけれど、そこにはすぐに政治的な意味が入りこんで、政治家に利用される。本田さんの感覚は、政治とかいっさい関係なくて、人と人が会ったときに、どっちかが「でかくされて」いて、他方は「小さくされて」いる、という、これ、ホントの実感の言葉です。で、釜ヶ崎の労働者は、「いちばん小さく」されている。

キリスト教の方々は、よくホームレスの炊き出しとか行いますが、本田さんによると、彼らは「わかっちゃいない」ということだそうです。「いいこと」をしたという気分でいるが、キリストは、いったい「どちらにいる」のか……本田さんは、まちがいなく、炊き出しを待っている労働者の側にいる!と言い切ります。炊き出しの列に並んで、自分の番まで鍋が持つかなあ……と不安がっている労働者……

彼こそが、まさにキリストなんだ!……聖書は、一貫して、こういう「小さくされた」立場の人たちに寄り添って書かれている……イエスが生きていた当時は、魚の命を取る漁師は、社会的にもいちばん軽蔑された最低身分の人々であった。イエスの弟子には漁師が多い。他にも、取税人とか娼婦とか……当時の社会でもっとも「小さくされて」いた人々が、イエスの弟子となった。

そして、イエス自身もそうであったといいます。イエスは「大工のせがれ」といいますが、本田さんによると、聖書では、イエスの父、ヨセフに対して「テクトーン」という言葉を使っているが、これは、ギリシア語の元の意味だと「大工」ではなくて「切る、掘る、削る」という作業工程を表わす言葉であり、「石切り」と訳すのがいちばん適切ではないかと……これに対して家を建てる大工は「オイコドモス」。

つまり、「建築家」と訳せる言葉を、聖書はきちんと使っているというのです(隅のかしら石の箇所)。したがって、イエス自身も、大工ではなく、下働きの石切りの子であり、当時の社会では最下層の民の出であった。しかも、母マリアは、今でこそ「聖処女懐妊」ですが、当時はまさに不義密通の女で、その子がイエス……社会通念としては、石打ちの刑にあってもふしぎはない、罪人の子であった……

テクトーンとオイコドモス_600
なるほど……と思いました。埴谷さんは、ガリラヤ湖の魚を食べたイエスは、魚から断罪されて当然だと書く……しかし、その魚を穫るのは漁師……今、われわれの社会で、そういう「生き物を殺さなければならない仕事」が、社会的に蔑視されるという風潮は、少なくとも表向きにはなくなっています(というか、なくなったことにしなければならなくなっています)。しかし実際はどうなのか……

犬を撃たなければならなかったおまわりさんたち……これと同じで、戦場で人を殺さなければならない兵隊さんたち……これを、どう考えればいいのでしょうか。ABくんは、「徴兵は、憲法で禁じている苦役にあたるから、絶対ない」と言ってます。まあ、憲法をないがしろにしまくってる人にこう言われてもなあ……というのもありますが、しかし「経済徴兵」。これは、絶対そうなるでしょう。

自民党の方々は、「今の自衛隊は、練度が高い。そんな、徴兵されたシロウトに勤まるもんじゃない」なんて言ってます。しかし……練度が高い兵隊さん以外にも、「捨て駒の歩兵」って、やっぱり要るんじゃないですか?? 人間じゃなく、ハイテク兵器が戦うのがこれからの戦争だ!ともおっしゃる……しかし……前線に高価なハイテク兵器を送るより、奨学金という借金を背負った学生あがりを使い棄てる方が……

はるかに安くつく!という地獄のようなことを、政治家や経済人は考えませんか? 練度の不足は、今はやりの「ウェアラブル端末」で補わせられ……もっとひどいと、「埋めこみ端末」で、こういう奨学金地獄の若者たちは、サイボーグ兵士にされてしまう……いや、強制じゃないですよ。あくまで表向きは。それがイヤなら、何百万の奨学金を返してちょうだいね。どっちでもご自由に……

今、ABくんたちがガンガン進めている「新安保」と「2極化」の果ては、こうなると思います。地獄のような奨学金を背負った若者たちは、どんどん「小さく」される。射殺された紀州犬は、やっぱりあの場面では「いちばん小さくされた」ものだったけれど、拳銃を発射して犬を撃ち殺さなければならなかったおまわりさんたちも、やっぱり「小さくされた」ものだったのでは……

人は、どんな場面でも、自分が「小さくされる」ということに対して、一種耐えられない反発感があるものだと思います。これは連鎖であって、どんな人でも、自分より小さな存在と、大きな存在を持つ。すべての人が、存在が、「同じおおきさ」……それが理想だと思うけれど、そういう瞬間は、やっぱりマレなのかもしれません。でも、そういうシーンもゼロではない……それは、ホントの友人、仲間関係。

もしかしたら、ホントの倫理感って、そこにしかないのかも。みんなが楽しく心を開いて、うちとけて……それは、たしかにあると思います。でも、今の社会は、どこへ行っても、どこまで行っても、けっこう難しい。なにが「公平な倫理感」をつくりだしているのでしょうか……ハイデガーさんは、実存カテゴリーということをおっしゃる。エクジステンツィアーレでしたっけ……

人は、本を「ドミノ」に使ってしまう(リンク)。ドミノに使われた本は、その本来の「存在」を失って、無限に並べられた(ゲシュテル)系列のうちの一コマにすぎなくされてしまう。「自分はデカイ」と思っていても、結局その「本のドミノ」の系列にすぎないことにはかわりない。ダレもアンタを、「アンタ自身」として大事に思ってるんじゃないよ、「役に立つ」から大事にしてるだけなんだ……

こういう見方をすれば、ABくんも、サイボーグ化された奨学金地獄経済徴兵トゥルーパーも、射殺された紀州犬も、射殺したおまわりさんも、まったくかわりはありません。みなそれぞれ地獄……オソロシイ。ホントの倫理感って、こういう「系列」にまったくカンケイないところにしかないんじゃないかな……未来の地球が、「すべての存在」にとって、そういう「楽しい世界」になるといいと思うのですが……

日本難民/Japanese refugee

日本難民_600
今、シリアの内戦で、シリア難民の人々が大挙してヨーロッパに押し寄せているというニュースを連日やっています。私は、正直、難民ということについては、漠然とした概念しかなかったんですが、連日の報道をきいているうちに、やっぱりこれは、タイヘンなことだなあ……と思うようになりました。

難民というとどうしてもアフリカとか東南アジアのイメージが強かったんですが、ウィキで調べてみますと、アジアが第1位で562万人、アフリカが2位で230万人、ヨーロッパが3位で163万人、そして以下、北米45万人、南米37万人、オセアニア3万5千人と続きます。1位はアジアだったんですね。

これは、2009年の統計ということで、今は少し違っているのかもしれませんが、とにかく、住む場所を追われてさまよわなければならない人がこれだけいる。シリア難民に対してドイツ政府は大英断で大量の受け入れを発表しましたが、日本は?……というと、難民認定を申請した人5000人のうち、認定が11人……

これは、2014年の数字だそうですが、あまりにも少ないんじゃないか……ということで、いろいろ批判が出ている。たしかに、もっと受け入れてもよさそうなもんだが……とか思っているうちに、ン? まてよ? なんだかヘンだぞ……と。「受け入れ」を前提にしゃべってますが、「難民になる」ということはないの?

つまり、日本人が難民になって、世界に散らばる……外国に「受け入れて」もらわねばならないハメになる……そういう可能性は、ゼロなんでしょうか……あまりにも突飛で、現実離れした空想のように思われるかもしれませんが、でも、先の原発事故のことなんか考えてみると、やっぱり全くの空想ともいえない?

2011年3.11の福島原発の事故は、とりあえずあのかたちで済んでいる……というか、まだぜんぜん済んでないワケですが、場合によっては、東京都民の避難が必要になるというところまでいく可能性もあったとききます。もしそれがホントだとしたら、これはタイヘンなことだ……関東圏に避難対象が及ぶと……

東京都の人口1300万人だけじゃなく、いわゆる広域関東圏(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、長野、新潟、山梨、静岡)の人口5000万人が避難するという事態になったとすると、これはタイヘン。5000万人といえば、日本の全人口1億3000万人の約40%にあたる。アジア難民の562万の十倍近い。

これに、東北の各県(福島、宮城、岩手、青森、秋田、山形)の総人口約900万を加えると、全人口の45%、つまり、日本の約半分の人が住む家を失う……この想定、「ありえねー」と一笑に付す方もおられるかもしれませんが、でも、福島の事故がもうちょっと拡大してたら、現実にそうなったのでは。

というか、あのゲンパツ事故のときは、アメリカなんかは在留米人に、80kmを避難区域としたとききます。日本は20kmだったけど。実際のところはどうだったのでしょうか。政府は、大混乱になるのを怖れて、ホントのところ(汚染状況)を発表しなかったのでは……そういう疑いも払拭できない。

まあ、それくらい、日本政府のいうことは信用できないわけですが……もし、ダレの目から見ても汚染がさらに顕著になってたとしたら、やっぱり「人口の半分避難」が現実的になってたと思います。そうすると、もう日本は崩壊ですから、大量の「難民」が発生したでしょう。そうならなかったのは、単に偶然??

ABくんは、このごにおよんでまだ再稼働・推進!なんて言ってるから、このリスクは、これからも高まりこそすれ、低くはなりません。これに加えて、新安保で日本が武力攻撃やテロの対象になる危険もぐんと高まるし……さらに、政府の「2極化方針」で、経済的に破綻する人がこれから続々出てくる。こっちも大問題。

日本の人口の半分が住む地域が「汚染」されてしまったら、もう物理的にかなりの人が国外に出ざるをえなくなるのでしょうが、「住めなくなる」地域がもっと小さかったとしても、この「2極化」によって、やはり国外に追い出される人がどんどん増えてくるのでは……ということは、日本が内戦状態になる??

こんなことをいうと、また「ありえねー」という声が聞えてきそうですが、これって、そんなに「想定外」ですませていていいのでしょうか……これからは、経済的な格差がどんどん拡大して、「持たざる若者」はものすごく苦しい立場に追いやられていきます。みな、そうならないように必死にがんばってるけど……

ABくんの政策自体が、「格差、広げたるでー」というものだから、もうどうしようもないでしょう。彼が否定している「徴兵制」も、経済徴兵というのでしょうか、「持たざる若者」は否応なくそういう「苦役」に追いこまれる。むろんこれは、男女関係なく……まあ、こんなところで「女性の活躍」というのかなあ……

ということで、2極化するということは、価値観が分裂するということだから、まあ、お定まりの「圧政と弾圧」ということで、ヒサンなことに……その先は考えたくありませんが、国内の価値観が大きく乖離してくると、これは、外からのいろんな力の介入する余地を大きく広げるので、乖離はますますひどくなる。

たとえ原発事故で、国土の半分が住めなくなっても、国内の価値観がある程度統一されていれば、なんとか残った国土に受け入れることができるかもしれません。この場合は「国内難民」で、今、福島の方々はこういう状態になってるわけですが、大部分の人が、見知らぬ外国に出ていかなくてもすむ。

しかし、2極化のはてに国内の価値観に大きな乖離が生まれてしまえば、おそらく多くの人々が国外に脱出せざるをえなくなるでしょう。「ありえねー」と、今は笑いとばせますが、でも、ABくんたちは、着々とその準備を進めている。「原発再稼働」と「2極化推進」。これをふたつとも、ガンガン進めてます。

ということで、私は、近い将来、「日本難民」が大量に発生する可能性が、従来に比べてはるかに高まってきていると思います。原発事故の連鎖(これは十分ありえる)で、沖縄を除く国土全体を放棄しなければならない可能性だってゼロじゃない。その場合、沖縄だけで本土人口全員を受け入れるのはムリだし……

そもそも、沖縄の方々に拒否されるでしょう。今まで米軍基地をいっぱい押しつけておいて、いざとなったら助けて~はあまりにムシがよすぎる。そうすると、日本国民のほとんどが難民となって海外に流出せざるをえない……「日本難民」……じつは、これをシュミレーションした小説が、かつてありました。

小松左京さんの『日本沈没』。半世紀前に書かれた第一部は、日本列島が沈没して、日本人全員が海外に避難せざるをえなくなったところで終わっていましたが、十年くらい前に書かれた第二部(谷甲州氏との共著)では、海外の各地に散った「日本難民」のその後が、かなり詳細に描かれています。

共著者の谷甲州さんは、東南アジアでの生活がけっこう長かったみたいで、そのあたりはかなりリアルです。なるほど、こうなるのか……実際は、なってみないとわからないのでしょうが、「難民ルート」というのは、やっぱりあるんですね。今回の、シリア難民の方々がドイツをめざしたといのもそうなんですが……

シリアとドイツ? 遠い国に住むわれわれには、「なんでドイツなの?」という疑問が湧くわけですが……もちろん、今、ドイツが経済的に繁栄しているというのはいちばん大きいでしょう。でも、歴史的にみると、このルートは、中世末期に、まさにオスマントルコがヨーロッパに迫ったときのルートそのままだ……

中世ヨーロッパでは、その東の入口がオーストリアのウィーンでした。ウィーンは、オスマントルコの皇帝たちから、「黄金のリンゴ」と呼ばれていて、なんとかして手に入れたい「羨望の地」だった。トルコの軍勢は、バルカン半島からセルビア、ハンガリーを手に入れ、ついにウィーンに迫ります。

ヨーロッパ白地図詳細入り_900
ウィーン包囲は、1529年と1683年の2回あったみたいですが、このうち1683年9月12日のウィーン攻防戦は映画化もされてます。このときは、皇帝レオポルト1世のウィーン脱出というところまでいったらしい。当時、ドイツは、神聖ローマ帝国という名ばかりの「帝国」のもとに、実際は封建領主や教会の群雄割拠の四分五烈状態……

ウィーンハプスブルグ家の皇帝レオポルト1世も、「皇帝」という名にふさわしい権力は持ってなかったみたいで、ポーランド王ヤン3世の援助まで頼んで、なんとかこの危機をきりぬけた……今の状況を見てみると、なんか、当時の状況が彷彿とされます。といっても、むろん今のシリア難民の方々は、「攻略」じゃなくて……

母国の危機的な政治状況で国外に「逃げざるをえない」わけですが(実はシリア国内の難民の方がはるかに多いけれど)……ただ、この背景には、アラブ諸国の政治的不安定(これまでの独裁政権のツケ)と、それに乗じたイスラム国やアルカイダの膨張がある。ヨーロッパは、これに対し、かつての神聖ローマ帝国の亡霊?のEUで…

となると、これはあまりに図式的というおしかりを受けるかもしれませんが、どうなんでしょうか。考えてみると、ヨーロッパという地域は、常に「アラブの圧力」で自分たちを形成していったみたいな……そんな歴史の大枠があるんじゃないかと思います。なので、また、その周期がめぐってきたのか……それはわかりませんが。

じゃあ、日本はどうなんだろう……日本を含む東アジアに、そういう「民族圧力往来」みたいなことはあったのか……直近では、やっぱり先の大戦のときの、日本自身の「膨張政策」がアタマに浮かびますが、江戸期300年の鎖国のあいだを除いて、やっぱり日本は、大陸や南方への「膨張」を、たぶんくりかえしていた……

それは、いろんなかたちで、そうだったと思います。神功皇后や秀吉みたいな「わかりやすい軍事作戦」ばっかりじゃなくても。そして、現在も、経済政策というかたちになって、アジア各地域への「膨張」は続く……もし、日本の全人口の半数が難民化した場合には、やっぱりこの「膨張」ルートがベースになるんでしょうか。

もしその場合、アジアの各国は、「日本難民」をちゃんと受け入れてくれるんだろうか……日本国と日本人の、アジアの各国における「受けとられかた」はどうなんでしょうね。少なくとも、中国や朝鮮半島においては、「過去の侵略」があるから、場合によっては大いに反発をくらう可能性も……

日本植民地最大版図_900
ヨーロッパにおいては、「イスラムの侵攻」は、今も悪夢のように人々の心に残っているから、シリア難民の方々も、けっして諸手を上げて受け入れ……というわけではないのでしょう。しかしちゃんと……受け入れられているように、現段階ではみえます。大人だなあ(むろん、反発する人も多いけれど)……

これは、やっぱり、西欧世界の理性を最高基準とする「思想」の成果なんでしょうか……その点は、率直にスゴイなあと思います。中国なんかも、今は、日本人の目には「メチャクチャの国」に映るけど、もしかしたら、日本よりずっと「大人の国」なのかもしれない……これは、今の日本人の心情と真逆だけれど……

それは、日本から大量の「難民」が発生したときに明らかになるのでしょう。そして、もしかしたらそういう時期も意外に近いのかもしれません(AB政権はまだまだ続きそうだし)。さて、そのとき、日本人は、どういうふうに「評価」され、受け入れられるんだろうか……あるいは、受け入れられないんでしょうか……

なんせ、狭い国土ですから、ちょっとゲンパツがポン!といっただけで、大量の「難民発生」は火を見るより明らか。あの事故のときに反省して「全原発即時廃炉」にふみきってれば、ちょっとはリスクは下がったのでしょうが……もう遅いですね。ナンマンダブ……